六時十分の約束
Appearing
― 突然、君からのメッセージ ―
第60話
六時十分の約束
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前書き
人は、
約束を忘れる。
時間が経てば、
言葉も、
景色も、
少しずつ薄れていく。
それでも、
約束した場所だけは、
ずっと同じ場所で、
誰かを待ち続けている。
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夜風は、昼間の熱気を少しずつ海へ運んでいた。
時計台の広場を吹き抜ける風は潮の匂いを含み、どこか懐かしい香りがした。
悠は時計台を見上げたまま、しばらく動かなかった。
百年以上もの間、この町を見続けてきた時計。
戦争も、震災も、祭りも、恋人たちの待ち合わせも、子どもたちの笑顔も。
すべてを見てきたその時計が、十二年前から毎年同じ時刻に止まる。
それは故障なのか。
それとも誰かの意思なのか。
答えはまだ見えない。
しかし一つだけ確かなことがあった。
この時計は、何かを忘れないために止まっている。
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「今日はここまでにしましょう。」
相沢玲子が静かに言った。
誰も異論はなかった。
情報が多すぎる。
これ以上進めば、冷静な判断ができなくなる。
榊原も頷いた。
「一回整理しよう。」
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坂道をゆっくり下りる。
海鳴町の夜は早い。
家々の窓から漏れる灯りだけが、人の暮らしを感じさせていた。
途中、小さな公園の前を通る。
ブランコが二つ。
錆びた滑り台。
誰もいない砂場。
レイが苦笑する。
「昔、こういう公園って夜になると怖かったよな。」
悠も笑う。
「お前、街灯の下しか歩けなかったもんな。」
「うるせぇ。」
二人の笑い声が、静かな住宅街へ溶けていく。
その様子を見て、メアリーは少しだけ目を細めた。
「……変わらないね。」
悠は首をかしげる。
「何が?」
「二人とも。」
その言葉に、悠の胸が少しだけ痛んだ。
変わっていない。
本当にそうだろうか。
高校を卒業し、働き始め、失敗も後悔も経験した。
それでも友人と笑い合う瞬間だけは、十二年前と同じなのかもしれない。
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商店街へ戻る頃には、時計は十時を回っていた。
昼間は賑やかだった通りも、今は静まり返っている。
しかし、一軒だけ灯りが点いている店があった。
喫茶店「つばめ」。
柏木修一が、カウンターを拭いていた。
悠たちを見ると、少し驚いたように笑う。
「まだ起きていたんですね。」
悠が声を掛ける。
柏木は肩をすくめた。
「眠れない夜もあるさ。」
店内へ招き入れられる。
コーヒーの香りが漂う。
古い木のカウンター。
壁には海鳴町の古写真が飾られている。
柏木は何も聞かなかった。
ただ、人数分のコーヒーを淹れ始める。
豆を挽く音だけが、静かな店内に響いた。
「サービスだ。」
そう言って差し出されたカップから、湯気が立ち上る。
悠は一口飲んだ。
苦い。
けれど、どこか甘みもある。
「この店はね。」
柏木がぽつりと話し始めた。
「昔は高校生のたまり場だった。」
悠は顔を上げる。
「高校生?」
「春人くんも。」
「秋山くんも。」
「よく来ていたよ。」
店内の空気が少し変わる。
柏木は棚から一冊の古いノートを取り出した。
表紙には、色褪せた文字でこう書かれている。
『つばめ自由帳』
「好きなことを書いていいノートだった。」
ページをめくる。
落書き。
詩。
進路の悩み。
恋愛相談。
町の子どもたちが残した、小さな思い出。
そして最後の方。
見覚えのある名前があった。
神崎春人
その下には、短い文章だけ。
「写真は、未来へ残る。」
さらに数ページ後。
秋山透
「だから撮る。」
その隣。
筆跡の違う、小さな丸文字。
メアリー
「私は撮られる方が好き。」
悠は思わず笑った。
「らしいな。」
メアリーも照れたように笑う。
「透くん、撮るの上手だったから。」
その笑顔は、事件の影を忘れた、普通の高校生そのものだった。
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しかし。
ノートの最後のページだけが、破り取られていた。
柏木の笑顔が少し曇る。
「そのページだけは。」
「誰かが持っていった。」
「いつ?」
榊原が尋ねる。
柏木は静かに答えた。
「祭りの次の日。」
店内が静まり返る。
誰が。
何のために。
誰も答えを持っていなかった。
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その夜。
悠は宿へ戻っても眠れなかった。
窓を開ける。
潮風が部屋へ流れ込む。
ポケットから、時計台の鍵を取り出した。
月明かりを受けた真鍮の鍵は、昼間よりも重く感じる。
その時だった。
カチッ。
部屋の時計が、午後六時十分で止まった。
悠は息を呑む。
次の瞬間には、何事もなかったように時計は再び動き始める。
ほんの一秒。
ほんの一瞬の出来事だった。
だがその一秒が、悠の胸に新たな不安を残した。
「……始まってる。」
誰に言うでもなく呟く。
窓の外では、遠くの時計台が月明かりに照らされ、静かに町を見守っていた。
そしてその最上階。
誰もいないはずの小窓に、一瞬だけ人影が立ったような気がした。
悠が目を凝らした時には、もう何も見えなかった。
ただ風だけが、海鳴町の夜をゆっくりと吹き抜けていった。
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その夜、悠はほとんど眠ることができなかった。
宿の窓を開けたまま、ベッドへ腰を下ろし、真鍮の鍵を机の上へ置く。
窓の外では、虫たちが静かに鳴いていた。
都会では聞くことのない、幾種類もの虫の声。
一定ではない。
だからこそ、自然だった。
悠は天井を見上げる。
「……六時十分。」
その時刻が頭から離れない。
時計台。
メアリー。
秋山透。
止まる時計。
すべてが一本の線で繋がりそうで、まだ届かない。
疲れているはずなのに眠れない。
瞼を閉じると、昼間に見た時計台の扉が浮かんできた。
そして。
ゆっくりと意識が沈んでいった。
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十二年前――。
蝉が鳴いていた。
照り返すアスファルト。
青空。
入道雲。
高校のチャイムが鳴り終わると同時に、教室の空気が一気に緩む。
「終わったー!」
「部活行くぞ!」
「腹減った!」
椅子を引く音。
笑い声。
窓から吹き込む夏風がカーテンを揺らした。
教室の一番後ろ。
窓際の席。
カメラを分解していた少年がいた。
秋山透。
黙々とレンズを磨いている。
「また掃除してる。」
春人が笑いながら近付いた。
「昨日もやってたろ。」
透は顔を上げずに答える。
「砂が入る。」
「祭りで撮るから。」
「神経質だなぁ。」
春人は笑う。
そこへ、小走りでメアリーがやって来た。
「透くん!」
「今年もいっぱい撮ってね!」
透は少し困ったように笑う。
「撮るけど。」
「走り回るな。」
「ブレる。」
メアリーは頬を膨らませる。
「女の子に失礼。」
教室中に笑いが広がる。
その様子を、教室の前の方で本を読んでいた少女がちらりと見た。
「また始まった。」
黒髪を肩まで伸ばした文学少女。
新キャラクター
白石紗季(17)
図書委員。
春人たちとは同級生。
静かな性格で、騒ぐことは苦手だが、人の表情を見るのが好きだった。
「仲いいよね。」
メアリーは笑顔で手を振る。
「紗季もお祭り来る?」
紗季は少し照れながら頷いた。
「……うん。」
「浴衣着る?」
「まだ決めてない。」
春人がからかう。
「お、透。」
「写真撮る相手増えたぞ。」
「別に。」
透はまたレンズを磨き始めた。
でも耳だけ少し赤かった。
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現在。
悠は夢の中で、その光景を見ていた。
知らないはずの教室。
知らないはずの机。
なのに。
「懐かしい……。」
そんな感情だけが胸へ広がっていく。
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十二年前。
放課後。
写真部の部室。
狭い部屋には古いフィルムカメラが何台も並んでいた。
暗室から出てきたのは、中村写真館の主人だった。
まだ六十代。
今よりずっと若い。
「透。」
「今年は祭りの記録係や。」
「はい。」
「町から正式に頼まれた。」
春人が驚く。
「すげぇ!」
「プロじゃん!」
透は照れくさそうに頭を掻く。
「記録だから。」
「作品じゃない。」
中村は優しく笑う。
「それでええ。」
「写真はな。」
「誰かが思い出すために撮るもんや。」
その言葉を、透は静かに頷いて聞いていた。
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現在。
悠は眠ったまま、小さく眉をひそめる。
夢は続く。
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十二年前。
校門。
部活帰り。
メアリーが自転車を押しながら歩いている。
「悠、遅いなぁ。」
春人が笑う。
「アイツまたバイトだろ。」
「工場?」
「いや。」
「コンビニ。」
「頑張るねぇ。」
メアリーが空を見上げた。
夕焼け。
時計を見る。
午後六時十分。
その瞬間。
学校の古い時計が。
ピタッ。
止まった。
メアリーが立ち止まる。
「……あれ?」
春人も時計を見る。
「故障かな。」
透だけが。
時計ではなく。
空を見ていた。
その表情は。
今まで見たことがないくらい険しかった。
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現在。
悠は飛び起きた。
「……っ!」
全身汗だくになっている。
時計を見る。
午前三時十二分。
夢だった。
しかし。
机の上の真鍮の鍵は、
ほんのりと温かかった。
まるで。
誰かがさっきまで握っていたように。
悠はゆっくり鍵を持ち上げる。
その裏側。
昼間は気付かなかった小さな刻印があった。
懐中電灯で照らす。
そこには。
小さく。
英数字が彫られていた。
6:10
悠の呼吸が止まる。
「……最初から。」
「刻まれてたのか。」
窓の外を見る。
夜明け前の海鳴町は、まだ静かだった。
しかし。
時計台の方向だけ。
一羽の白いカラスが、
静かに鳴いていた。
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――第60話・完――
あとがき
今回は「十二年前の日常」を初めて本格的に描きました。
ここで重要なのは、「事件が起こる前」の彼らを読者に好きになってもらうことです。
新たに登場した白石紗季は、一見すると普通の同級生ですが、実は「写真部」と「祭り」の両方を知る人物として、今後の回想や現在の捜査で重要な役割を担っていきます。
そしてラストでは、「六時十分」という時刻が、十二年前からすでに悠たちの日常へ入り込んでいたことが示されました。
次回、第61話からは、現在の捜査と祭り前日の回想がさらに深く交差し、秋山透が「なぜ記録を残そうとしたのか」が少しずつ明らかになっていきます。




