現像する者
前書き
証拠は、
見つけることより、
残すことの方が難しい。
誰かが、
未来の誰かへ託したから、
証拠になる。
十二年前。
一本だけ現像されなかったフィルム。
それは、
誰のために残されたのだろう。
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Appearing
― 突然、君からのメッセージ ―
第56話
現像する者
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午後七時三十五分。
中村写真館。
誰も口を開かなかった。
机の上には、
一本の未現像フィルム。
その横には、
さっき鳴ったばかりの黒電話。
榊原が静かに言う。
「……鑑識を呼ぶ。」
宮本がすぐに無線を取った。
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三十分後。
パトカーが一台。
白いワゴン車が一台。
写真館の前へ止まる。
降りてきたのは、
白衣姿の女性だった。
肩までの黒髪。
四十代前半。
落ち着いた眼差し。
大きなアルミケースを持っている。
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相沢玲子(43)
兵庫県警科学捜査研究所・元写真解析担当。
現在は鑑識課へ出向中。
フィルム写真やネガ解析の第一人者だった。
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「榊原さん。」
「久しぶり。」
榊原が少し笑う。
「また借りるで。」
「面倒な事件ばかり持ってくるわね。」
玲子はそう言いながら、
未現像フィルムを手袋越しに持ち上げた。
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「……古い。」
「でも保存状態は悪くない。」
黒田老人も近寄る。
「現像できそうか?」
玲子は頷く。
「できます。」
部屋に少しだけ安堵が広がる。
しかし。
彼女は続けた。
「ただし。」
「一回しかできません。」
全員が息を呑む。
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「ネガは現像工程で傷む可能性があります。」
「失敗したら終わり。」
「やり直しはできません。」
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静寂。
一本だけ。
やり直せない。
十二年間待ち続けた証拠。
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悠が小さく呟く。
「……お願いします。」
玲子は真っ直ぐ悠を見る。
「後悔しない?」
「はい。」
「真実を知りたいです。」
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玲子は静かに頷いた。
「じゃあ。」
「始めます。」
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赤いセーフライトだけが灯る現像室。
誰も中へ入れない。
ドアが閉まる。
カチャン。
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外。
廊下。
誰も喋らない。
時計だけが進む。
七時四十八分。
七時五十二分。
七時五十六分。
長い。
あまりにも長い。
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その時だった。
玄関のベルが鳴る。
カラン……
全員が振り向く。
小さな男の子。
ランドセル姿。
一年生くらい。
迷子だろうか。
「こんばんは。」
悠がしゃがみ込む。
「どうした?」
少年は不思議そうな顔をした。
「写真屋さん?」
「今日はお休みなんだ。」
少年は首を傾げる。
「でも。」
「さっき。」
「お兄ちゃんがいたよ?」
空気が変わる。
「お兄ちゃん?」
「うん。」
「カメラ持ってた。」
「ありがとうって言ってた。」
榊原が聞く。
「どっちへ行った?」
少年は、
海の方を指差した。
「桟橋。」
それだけ言うと、
母親らしき女性が駆け寄ってきた。
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長谷川美紀(36)
近所に住む看護師。
「すみません!」
「この子すぐ迷子になるんです。」
何度も頭を下げ、
少年を連れて帰っていく。
少年は最後まで、
写真館を見つめていた。
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「ありがとう。」
誰に向かって言ったのか。
誰にも分からなかった。
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その頃。
現像室。
ドアが開く。
玲子が出てくる。
その顔は、
青ざめていた。
誰も声を出せない。
玲子は震える手で、
一枚の濡れた印画紙を持っていた。
「……写っています。」
榊原が受け取る。
全員が覗き込む。
祭りの夜。
桟橋。
メアリー。
春人。
優斗。
帽子の男。
そして――
確かに、
五人目がいた。
しかし、
その顔だけが、
光に焼かれたように真っ白だった。
輪郭だけがあり、
顔だけが完全に失われている。
玲子が静かに言う。
「現像ミスではありません。」
「ネガの段階で、この人物の顔だけ情報がありません。」
黒田老人が椅子へ崩れ落ちる。
「……そんな。」
「やっぱり。」
玲子は写真の下を指差した。
隅に、
小さく時刻が焼き込まれていた。
20時48分。
榊原が眉をひそめる。
「ノートには……。」
宮本が答える。
「20時47分。」
一分違う。
たった一分。
だが、
その一分が事件のすべてを変えるのかもしれなかった。
その時、
店の外でカメラのシャッター音が響く。
――カシャッ。
全員が飛び出す。
しかし、
暗い商店街には誰もいない。
ただ一つ。
街灯の下に、
真新しいポラロイド写真が一枚だけ落ちていた。
裏返されたその写真には、
黒いマジックで一文だけ書かれていた。
「次は、時計台へ。」
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――第56話・続く。
後書き
今回は「現像」という物理的な行為を軸に、怪異だけでなく科学捜査の視点も加えました。
新たな登場人物は、
* 相沢玲子(43)…元・科捜研の写真解析担当。冷静な分析で事件の「証拠」を扱う専門家。
* 長谷川美紀(36)…町の看護師。事件とは直接関係ないように見える日常の住人。
* 長谷川駿(7)…ランドセル姿の少年。「カメラを持ったお兄ちゃん」を見たという何気ない証言を残します。
次回からは、物語の舞台が時計台へ移り、「午後六時十分に時計が止まる理由」が少しずつ明らかになっていきます。




