現像されなかった一枚
Appearing
― 突然、君からのメッセージ ―
第55話
現像されなかった一枚
⸻
前書き
人は、
見たものを信じる。
写真を見れば、
「証拠だ」と思う。
でも。
本当に恐ろしいのは、
写っているものではない。
写っていないものなのかもしれない。
⸻
午後七時十五分。
中村写真館。
二階。
⸻
「……足音が止まった。」
宮本が小さく呟いた。
確かに、
さっきまで聞こえていた
ギシ……ギシ……
という床板の軋みは、
ぴたりと止んでいた。
榊原は拳銃を構えたまま、
現像室の奥へ視線を向ける。
誰もいない。
ロッカーも、
作業台も、
棚も、
すべて先ほどと変わらない。
⸻
「……おかしい。」
宮本が息を潜める。
「誰かが歩いていたはずです。」
榊原は静かに頷く。
「聞き間違いやない。」
⸻
その頃、
一階。
悠はガラス越しに外を見ていた。
街灯の下に立っていた秋山透は、
もういなかった。
まるで、
最初から誰も立っていなかったかのように。
⸻
レイが肩をすくめる。
「また消えたか……。」
その時だった。
メアリーが、
現像室の階段を見つめたまま動かない。
「どうした?」
悠が声をかける。
メアリーはゆっくり答えた。
「……あの部屋。」
「泣いてる。」
悠は思わず聞き返した。
「部屋が?」
メアリーは小さく頷く。
「ずっと。」
「十二年間。」
⸻
その言葉に、
悠は自然と階段を見上げた。
⸻
数分後。
榊原たちが降りてきた。
「誰もおらん。」
そう言ったものの、
その表情には明らかな緊張が残っていた。
⸻
「黒瀬。」
「これを見てみぃ。」
榊原が差し出したのは、
現像室で見つかった封筒だった。
宛名。
『秋山透様』
裏面には、
差出人の名前はない。
封も切られていない。
⸻
「開けますか?」
宮本が尋ねる。
榊原は数秒考えた。
「……開けよう。」
ゆっくり封を切る。
中から出てきたのは、
手紙ではなかった。
⸻
一本の、
35ミリフィルム。
⸻
「ネガ?」
悠が呟く。
宮本が慎重に光へかざす。
「……一本だけ。」
「現像されていません。」
⸻
その時だった。
写真館の奥から、
小さな声がした。
「……それ。」
全員が振り向く。
入口に立っていたのは、
高校生の雨宮しおりだった。
制服姿のまま、
息を切らしている。
「それ……」
「最後のフィルム。」
榊原が近づく。
「知っとるんか?」
しおりは頷く。
「昔、おじいちゃんから聞いた。」
「中村さんは。」
「最後の一本だけ。」
「現像できなかったって。」
⸻
「なぜ?」
悠が聞く。
しおりは首を横に振る。
「理由は誰も知らない。」
「でも。」
「その日から写真館は変わった。」
⸻
沈黙。
⸻
その時、
店の奥から、
一人の老人がゆっくり歩いてきた。
背筋は曲がっている。
杖を突いている。
しかし目だけは鋭かった。
⸻
黒田栄吉(92)
元・写真機修理職人。
戦後から町で働き、
中村写真館の機材も整備してきた人物だった。
⸻
「……そのフィルム。」
黒田は震える声で言った。
「まだ残っとったか。」
榊原が尋ねる。
「知っているんですか?」
老人は静かに頷く。
「現像機は壊れとらん。」
「薬品も正常。」
「じゃが。」
「中村は。」
「どうしても。」
「その一本だけは現像せんかった。」
⸻
「なぜです?」
⸻
黒田は遠くを見るような目になった。
「現像したら。」
「誰かが死ぬ。」
⸻
その場の空気が凍った。
レイが苦笑する。
「そんな迷信……。」
老人は首を横に振る。
「迷信じゃない。」
「中村は本気で怯えとった。」
⸻
メアリーが、
小さく呟く。
「……思い出した。」
悠が振り向く。
「何を?」
メアリーの瞳から、
一筋の涙がこぼれる。
「祭りの日。」
「透くん。」
「私に言った。」
⸻
『絶対に写真を見ちゃだめ。』
⸻
『お願いだから。』
⸻
悠たちは息を呑んだ。
秋山透は、
十二年前から、
メアリーを守ろうとしていたのだ。
⸻
その瞬間。
写真館の奥、
長年止まっていた古い電話機が、
突然、
ジリリリリリ!!
と鳴り響いた。
全員が凍り付く。
電話線は、
とっくの昔に外されているはずだった。
榊原がゆっくり受話器を取る。
「……もしもし。」
受話器の向こうから聞こえてきたのは、
ノイズでも、
大人の声でもなかった。
幼い少女の声だった。
「まだ……現像しないで。」
プツッ——。
電話は切れた。
誰も言葉を発することができなかった。
静まり返った写真館に残されたのは、
一本の未現像フィルムと、
誰も触れていないはずの黒電話だけだった。
⸻
――第55話・続く。
後書き
今回は、「事件の証拠」ではなく、「証拠が残された理由」に焦点を当てました。
新たに登場した超脇役は、
* 黒田栄吉(92)…中村写真館の機材を長年修理してきた元写真機修理職人。未現像フィルムにまつわる過去を知る数少ない生き証人です。
また、秋山透についても、「監視者」ではなく「守ろうとしていた人物だったのではないか」という新たな可能性が示されました。
次回はいよいよ、未現像フィルムを現像するかどうかという重大な選択が、物語全体を動かすことになります。




