夜風とスカジャン
前書き
大人になると、
「なんでもない時間」が減っていく。
目的もなく集まって、
コンビニ行って、
海を見て、
どうでもいい話をして。
でもたぶん、
そういう時間のほうが、
あとから思い出になる。
今回は、
そんな夜の話です。
⸻
Appearing
― 突然、君からのメッセージ ―
第4話
夜風とスカジャン
午後八時過ぎ。
東神奈川の夜は、昼間の熱気を少しだけ残していた。
窓の外では電車が走り、高架の下を車のライトが流れていく。
黒瀬 悠は床に転がったまま、ぼんやり天井を見ていた。
テレビはついている。
だが内容は頭に入ってこない。
テーブルにはコンビニの空き容器。
氷結。
食べかけのポテチ。
生活感というより、
疲労の跡みたいな部屋だった。
⸻
「悠ちゃんさぁ」
⸻
メアリーがベッドの上でゲーム機をいじっている。
⸻
「この部屋、終わっとる」
⸻
「うるせ」
⸻
「掃除しとらんやろ絶対」
⸻
「……気が向いたら」
⸻
「未来永劫やらんやつや」
⸻
メアリーは呆れたように笑った。
その笑い方が自然すぎて、
悠は逆に落ち着かなかった。
本当に。
普通だった。
普通にそこにいて、
普通に喋って、
普通に笑う。
それが一番おかしかった。
⸻
「ねぇ」
⸻
「ん」
⸻
「今日どっか行かん?」
⸻
「……だる」
⸻
「絶対そう言うと思った」
⸻
メアリーがケラケラ笑う。
その時だった。
外から大型バイクのエンジン音が響いた。
⸻
「来た」
⸻
「は?」
⸻
直後。
スマホが鳴る。
⸻
【レイ】
⸻
『下いる』
⸻
「……マジかよ」
⸻
『五分待つ』
⸻
「帰れ」
⸻
『無理』
⸻
通話終了。
悠は深くため息を吐いた。
⸻
「レイちゃん?」
⸻
「……あぁ」
⸻
「うわ懐かし〜!」
⸻
メアリーは嬉しそうに立ち上がった。
悠はその姿を見て、少しだけ目を細める。
昔もこんな感じだった。
レイが勝手に来て。
メアリーが騒いで。
自分は面倒臭そうに後ろを歩く。
ずっと続くと思っていた。
⸻
アパートを出る。
夜風が少しだけ涼しかった。
駐輪場の横。
黒い大型バイクにもたれながら、レイが缶コーヒーを飲んでいる。
黒スカジャン。
細身のジーンズ。
相変わらずガラが悪い。
⸻
「おっせ」
⸻
「勝手に来んな」
⸻
「暇だったんだよ」
⸻
「知らね」
⸻
レイはヘルメットを悠へ投げる。
⸻
「ほら」
⸻
「……は?」
⸻
「海行くぞ」
⸻
「だる」
⸻
「却下は却下な」
⸻
「意味わかんねぇ」
⸻
メアリーはその横で楽しそうに笑っていた。
⸻
「うわー!!」
⸻
「レイちゃんのバイクや!!」
⸻
「懐かし〜!!」
⸻
当然、
レイには聞こえていない。
悠だけが少し苦しそうな顔をする。
⸻
「どした?」
⸻
「……別に」
⸻
「お前今日ずっと変」
⸻
「元からだろ」
⸻
「まぁそれはそう」
⸻
レイが吹き出す。
悠も少しだけ笑った。
その瞬間。
メアリーが驚いた顔をした。
⸻
「……悠ちゃん笑った」
⸻
悠は顔をしかめる。
⸻
「うるせぇ」
⸻
「久しぶりに見た気する」
⸻
その言葉が、
妙に胸に刺さった。
⸻
夜の湾岸道路。
バイクの後ろで、
悠はぼんやり夜景を見ていた。
工場地帯。
赤い航空灯。
コンテナ。
潮風。
横浜の夜は、
どこか人工的で、
どこか寂しかった。
⸻
「うおぉぉぉー!!」
⸻
メアリーだけが騒いでいる。
⸻
「すごー!!」
⸻
「夜の海や!!」
⸻
「悠ちゃん見て見て!!」
⸻
風で金髪が揺れる。
まるで、
本当に生きているみたいだった。
⸻
海沿いの小さな公園。
自販機の光。
人気のないベンチ。
レイはタバコへ火をつけた。
⸻
「はぁー……」
⸻
「仕事辞めてぇ」
⸻
「急だな」
⸻
「だってダルいじゃん」
⸻
「人足りねーのに仕事だけ増えるし」
⸻
「新人すぐ飛ぶし」
⸻
「社員なのに金ねーし」
⸻
レイは煙を吐き出す。
⸻
「つーかさ」
⸻
「なんで生きるのってこんな面倒なんだろーね」
⸻
悠は何も言わなかった。
その代わり、
メアリーが空を見上げる。
⸻
「……でも」
⸻
「こういう時間、好きやよ」
⸻
悠は少しだけ目を閉じた。
夜風。
波の音。
バイクの熱。
レイの愚痴。
メアリーの笑い声。
全部。
昔みたいだった。
⸻
「悠」
⸻
「ん」
⸻
「お前さ」
⸻
レイが缶コーヒーを揺らす。
⸻
「もっと適当に生きろよ」
⸻
「未来のこと考えすぎなんだよ」
⸻
「来てもねー未来で悩んで」
⸻
「今死にそうな顔してんじゃん」
⸻
悠は黙った。
⸻
「……別に」
⸻
「はい出た」
⸻
「その“別に”禁止な」
⸻
レイは笑う。
メアリーも笑う。
二人の笑い声が重なる。
その瞬間。
悠はふと思った。
⸻
あぁ。
自分は。
こういう時間を、
どこかで諦めていたんだな、と。
⸻
帰り道。
夜空には薄く雲がかかっていた。
メアリーが悠の横を歩く。
⸻
「楽しかったねぇ」
⸻
「……まぁ」
⸻
「悠ちゃんさ」
⸻
「昔より少し優しくなった」
⸻
「は?」
⸻
「前もっとトゲトゲしとった」
⸻
「知らねぇよ」
⸻
メアリーは少し笑ってから、
ふっと遠くを見る。
⸻
「……なんか」
⸻
「この感じ、覚えとる」
⸻
「ん?」
⸻
「海の匂い」
⸻
「夜」
⸻
「バイクの音」
⸻
そこで言葉が止まる。
メアリーの顔から笑みが少し消えた。
⸻
「……あれ」
⸻
「なんやろ」
⸻
「なんか……」
⸻
悠は隣を見る。
メアリーは自分の胸元を押さえていた。
⸻
「……怖い」
⸻
夜風だけが静かに吹いていた。
⸻
後書き
第4話でした。
今回は、
「戻ってきた青春」
をかなり強めに描いています。
まだ事件はありません。
でも、
メアリーの記憶の奥で、
何かが少しずつ動き始めています。
そして悠も、
少しずつ“止まった時間”から動き始めています。
この段階では、
まだ読者に:
「この時間、ずっと続いてほしい」
と思ってもらうのが大事なので、
夜の空気感を丁寧に積み上げています。
ではまた次回。




