十二年前の目撃者
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Appearing
― 突然、君からのメッセージ ―
第36話
十二年前の目撃者
前書き
名前を知ることと。
真実を知ることは、
同じじゃない。
ひとつの名前が出れば、
謎がひとつ減ると思っていた。
でも。
本当は逆だった。
名前が出た瞬間。
十二年間止まっていた人たちが、
少しずつ動き始める。
今回は。
その最初の夜です。
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午前二時二十分。
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海鳴町。
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海沿い。
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雨。
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「神崎春人は」
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黒いコートの男が言った。
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「犯人じゃない」
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雨音だけが残った。
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「……」
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悠は動けなかった。
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隣では、
メアリーも男を見つめている。
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泣いたまま。
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「……誰だ」
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悠が聞いた。
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男は答えない。
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「誰なんだよ」
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もう一度。
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少し強く。
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「なんで春人のこと知ってる」
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男がゆっくり顔を上げる。
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その瞬間。
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空が光った。
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雷。
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白い光が、
一瞬だけ男の顔を照らす。
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「……」
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メアリーの表情が変わった。
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「え……」
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悠が振り向く。
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「知ってるのか?」
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メアリーは答えない。
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ただ。
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男の顔を見つめていた。
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何かを探すように。
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記憶の奥を。
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必死に。
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「……優斗君?」
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男の肩が、
ほんの少し動いた。
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「……久しぶり」
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低い声。
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メアリーが目を見開く。
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「ほんまに……?」
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男は答えない。
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代わりに。
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黒いコートのフードを外した。
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濡れた髪。
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疲れた顔。
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十二年という時間が、
そこにあった。
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「……田島」
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悠の口から、
名前が漏れた。
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記憶が。
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ほんの少しだけ、
戻ってくる。
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田島優斗。
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神崎春人の親友。
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十二年前。
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海鳴町で、
何度か顔を合わせた男。
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「お前……」
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「生きてたのか」
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優斗が苦笑する。
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「勝手に殺すなよ」
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「じゃあなんで」
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悠が一歩近づく。
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「今まで出てこなかった」
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優斗の笑顔が消える。
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「……出られなかった」
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「は?」
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「怖かったんだよ」
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雨が強くなる。
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「何が」
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「全部だ」
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優斗は海を見る。
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暗い海。
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何も見えない。
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「あの夜から」
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「全部おかしくなった」
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「春人が消えて」
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「メアリーもいなくなって」
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「警察が来て」
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「町の大人たちは」
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「何も言うなって」
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悠の眉が動く。
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「何も言うな?」
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優斗は答えなかった。
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「誰に言われた」
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「……」
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「田島」
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「今はまだ言えない」
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「ふざけんな」
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悠が優斗の胸ぐらへ手を伸ばす。
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だが。
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「悠ちゃん」
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メアリーが止めた。
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「……」
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悠は手を下ろす。
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優斗は何も言わない。
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ただ。
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申し訳なさそうに、
メアリーを見ていた。
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「……ごめんな」
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「え?」
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「ずっと」
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「言えなくて」
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メアリーは戸惑っている。
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「なんで謝るん?」
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優斗は答えない。
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代わりに。
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悠を見る。
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「春人じゃない」
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「それだけは言える」
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「だからなんで」
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「なんで言い切れる」
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優斗は、
長い間黙っていた。
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そして。
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「俺は――」
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拳を握る。
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「事件のあと」
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「春人に会ってる」
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悠の表情が止まった。
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「……何?」
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同時刻。
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富山県内。
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警察署。
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刑事課。
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蛍光灯。
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コピー機の音。
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誰もいない机。
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冷めた缶コーヒー。
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その中で。
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一人の女が、
古い資料を読んでいた。
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榊原美咲。
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眼鏡。
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短い黒髪。
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椅子の背には、
カーキ色のMA-1。
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机の上には、
十二年前の記録。
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海鳴町。
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夏祭り。
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少女の転落。
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複数の失踪。
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目撃証言。
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そして。
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不自然なくらい少ない、
その後の記録。
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「……」
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榊原は、
一枚の紙を持ち上げる。
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何度読んでも。
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妙だった。
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少なすぎる。
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人が消えている。
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それも一人じゃない。
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なのに。
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記録は途中から、
急に薄くなっている。
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「まだ見とったんですか」
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後ろから声。
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榊原が振り返る。
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紙コップを二つ持った男。
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宮本。
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四十一歳。
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四角い眼鏡。
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少しくたびれた灰色のスーツ。
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「コーヒー」
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「お、ありがとう!」
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「砂糖なしですよ」
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「分かっとるやないけ」
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「何回一緒に仕事しとると思っとるがですか」
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宮本は隣の机へ腰を預ける。
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資料を見る。
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「……海鳴町?」
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「せや」
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宮本の顔から、
少しだけ眠気が消えた。
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「十二年前のやつですか」
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「知っとるん?」
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「高岡におった頃、話だけは」
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榊原が眼鏡を上げる。
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「どんな話?」
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「……事故ですよ」
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「それだけ?」
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「記録上は」
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榊原が、
紙を机へ置く。
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「記録上は、な」
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宮本は黙る。
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榊原が別の紙を出した。
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今日。
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夕方。
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一本の連絡。
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名前。
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田島優斗。
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「こいつ」
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榊原が指で叩く。
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「十二年前の関係者や」
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「……」
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「今日になって突然」
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「昔の件について話したい」
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「そう連絡してきた」
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宮本が資料を見る。
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「何を話すって?」
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「そこまで聞けてへん」
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「折り返したら?」
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「出ぇへん」
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「……」
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「何回かけても」
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「出ぇへん」
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宮本が時計を見る。
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深夜。
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「寝とるだけじゃ?」
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榊原が無言で見る。
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「……すんません」
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「いや」
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榊原は椅子から立ち上がった。
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「その可能性もある」
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背もたれからMA-1を取る。
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袖を通す。
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「せやから」
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「見に行く」
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宮本が目を丸くする。
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「今から?」
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「今から」
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「海鳴町まで?」
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「海鳴町まで」
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「雨ですよ」
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「知っとる」
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「夜中ですよ」
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「時計見た」
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宮本がため息をつく。
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「……分かりましたちゃ」
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「なんや」
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「行くんやろ?」
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「行きますよ」
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「地元の人間おった方がええでしょう」
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榊原が少し笑った。
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「助かるわ」
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「その代わり」
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宮本がコーヒーを持ち上げる。
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「運転、交代してくださいよ」
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「考えとく」
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「絶対せん人の言い方や」
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午前三時五分。
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雨。
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県道。
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ワイパーが、
一定のリズムで動いていた。
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ザッ。
⸻
ザッ。
⸻
ザッ。
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運転席。
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宮本。
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助手席。
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榊原。
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車内には、
小さくラジオが流れている。
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『県内では――』
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『明け方にかけて――』
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『局地的に強い雨――』
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榊原は、
膝の上の資料を読んでいた。
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「宮本さん」
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「はい」
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「この辺、詳しい?」
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「まぁ」
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「高岡出身なんで」
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「海鳴町は?」
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「何回か」
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「昔は?」
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「子供の頃にも行きましたよ」
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「祭りとか?」
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「祭りも」
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ワイパー。
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雨。
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暗い道。
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「十二年前の事件」
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「覚えとる?」
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宮本が少し黙る。
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「……覚えとります」
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「どんな感じやった?」
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「どんなって」
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「ニュースとか」
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「町の噂とか」
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宮本は前を見たまま答える。
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「最初は騒ぎになりました」
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「でも」
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「すぐ静かになった」
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「すぐ?」
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「はい」
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「妙なくらい」
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榊原が資料から顔を上げる。
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「……妙なくらい?」
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「なんて言えばいいんかな」
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宮本がハンドルを握り直す。
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「みんな」
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「話したがらんかった」
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「警察も?」
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「町の人も」
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「学校も」
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「誰も」
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榊原の目が細くなる。
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「なんで?」
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「分からんがです」
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少しだけ。
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富山の言葉が強くなる。
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「ただ」
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「あの辺じゃ」
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「あの夏の話は」
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「せん方がいいって空気はありました」
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「……空気」
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榊原は鼻で笑う。
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「便利な言葉やな」
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宮本も苦笑する。
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「田舎じゃ強いですよ」
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「空気って」
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榊原は資料へ戻る。
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少女。
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転落。
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失踪。
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証言。
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そして。
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空白。
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「なぁ」
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「はい」
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「これ」
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榊原が紙を持ち上げる。
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「おかしない?」
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「何がです?」
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「人が消えとる」
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「しかも一人やない」
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「せやのに」
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紙を指で叩く。
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「記録が少なすぎる」
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宮本は答えない。
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「普通もっと残るやろ」
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「聞き込み」
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「捜索」
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「家族」
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「学校」
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「友人」
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「なんで途中から」
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「こんな綺麗に消えとんねん」
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雨音。
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ワイパー。
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エンジン音。
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宮本が小さく息を吐く。
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「榊原さん」
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「ん?」
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「ひとつだけ」
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「昔聞いた話があります」
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榊原が顔を上げる。
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「何?」
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「海鳴町では」
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宮本が言いかける。
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その時だった。
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「あ」
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榊原が前を見る。
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「危な――」
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宮本がブレーキを踏む。
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キィッ!!
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車が止まる。
⸻
「……っ」
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道路。
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雨。
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ヘッドライト。
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誰もいない。
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「……」
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宮本が息を吐く。
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「何です?」
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榊原は前を見ていた。
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「今」
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「人おらんかった?」
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「人?」
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「道路脇」
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「黒い服の」
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宮本がミラーを見る。
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後方。
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暗い道路。
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雨。
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誰もいない。
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「……おらんですよ」
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榊原は振り返る。
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やはり。
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誰もいない。
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「……」
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「榊原さん?」
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「いや」
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シートへ座り直す。
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「ええわ」
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「見間違いや」
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宮本は少し怪訝そうに見る。
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だが。
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何も言わなかった。
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再び車が走り出す。
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しばらくして。
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道路標識。
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海鳴町。
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榊原は、
窓の向こうを見る。
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暗い町。
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海。
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雨。
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街灯。
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そして。
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どこか遠くで。
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鐘のような音がした。
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ゴォン――。
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「……今の何?」
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宮本は前を見たまま、
少しだけ眉を寄せた。
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「さぁ」
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「この時間に」
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「鐘なんか鳴らんはずながですけどね」
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榊原は何も言わない。
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ただ。
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膝の上に置いた、
十二年前の記録を見る。
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一番上。
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海鳴町。
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そして。
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田島優斗。
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その名前だけが、
車内灯に照らされていた。
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同時刻。
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海沿い。
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田島優斗は、
十二年ぶりに、
あの夜の続きを話そうとしていた。
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「俺は」
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「あの夜のあと」
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「春人に会った」
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悠が優斗を見る。
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「どこで」
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優斗は答えた。
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「海鳴町駅」
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「祭りの翌日だ」
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そして。
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「春人は」
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「俺に一言だけ言った」
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悠の喉が鳴る。
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メアリーが、
優斗を見る。
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雨。
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海。
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夜。
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「――逃げろ、って」
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後書き
第36話でした。
第1章で名前が出た、
神崎春人。
そして今回、
黒いコートの人物の正体が、
田島優斗だと分かりました。
さらに。
十二年前の記録に違和感を持った刑事たちも、
海鳴町へ向かい始めます。
これまで、
悠たちの周囲だけで起きていた出来事が、
少しずつ外の世界へ広がっていきます。
田島優斗は、
祭りの翌日に春人と会っていた。
そして春人が残した言葉は、
「逃げろ」。
では。
春人は何から逃げていたのか。
十二年前、
海鳴町では何が起きていたのか。
そして。
なぜ記録は、
こんなにも少ないのか。
第2章。
ここから、
十二年前と現在が、
少しずつ繋がり始めます。




