帰れない夏
前書き
人は、
「忘れたくない」と思うほど、
少しずつ忘れていく。
声。
匂い。
夏の空気。
だから時々、
突然胸が苦しくなる。
「あれ、何か大事なことを忘れてる」
みたいに。
今回は、
そんな夜です。
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Appearing
― 突然、君からのメッセージ ―
午後十一時過ぎ。
ライブハウスを出た頃には、
横浜駅西口はすっかり夜の顔になっていた。
ビブレの前を行き交う若者たち。
居酒屋から出てくる酔っ払い。
ドン・キホーテの派手な明かり。
客待ちのタクシー。
雑居ビルを埋め尽くす看板。
地下の熱気から解放された夜風が、
少しだけ気持ちよかった。
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「……あっつ」
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レイがスカジャンを肩へ引っかけながら歩く。
汗で髪が少し乱れていた。
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「今日人多かったな」
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「三十人くらい?」
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「終わってんな」
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「地下箱なんてそんなもんだろ」
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シンが笑う。
その横で、
メアリーはまだ少し静かだった。
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「……大丈夫か?」
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悠が小さく聞く。
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「うん」
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メアリーは笑おうとする。
でもどこかぎこちなかった。
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「なんかね」
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「ちょっとだけ頭痛い」
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「帰るか」
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「平気やよ」
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そう言いながら、
メアリーは夜空を見上げた。
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「……でも」
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「なんか今日変やった」
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悠は何も言えなかった。
ライブハウスでのあの反応。
照明が落ちた瞬間の悲鳴。
あれは。
今までとは少し違った。
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「おーい」
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後ろからレイが振り返る。
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「腹減った」
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「ラーメン行かね?」
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「太るぞ」
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「今さら?」
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「確かに」
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レイとシンが笑う。
メアリーも少しだけ吹き出した。
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駅裏の小さなラーメン屋。
油の匂い。
古い換気扇。
深夜営業特有の空気。
夜勤帰りや酔っ払いが数人いる。
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「うわ懐かし」
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メアリーが店内を見回す。
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「こういう店好きやった」
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「お前毎回チャーハン頼んで残してたよな」
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「だって量多いもん」
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「学習しろよ」
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悠は少し笑った。
自然だった。
本当に。
昔みたいだった。
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「黒瀬ぇ〜」
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シンがニヤニヤする。
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「お前最近顔柔らかくなったよな」
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「そうか?」
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「前もっと“世界滅びろ”みたいな顔してた」
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「どんな顔だよ」
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「工場ゾンビ顔」
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レイが吹き出した。
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「それはちょっと分かる」
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「お前まで言うな」
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笑い声。
湯気。
深夜のラーメン屋。
その空気を、
メアリーは静かに見ていた。
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「……いいねぇ」
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「ん?」
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「こういうの」
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「みんなで夜ご飯」
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悠は箸を止める。
その言い方が、
妙に胸へ刺さった。
まるで。
“もう出来ないもの”
を見ているみたいだったから。
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「……メアリー?」
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「んー?」
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「お前さ」
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「最近なんか変だぞ」
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メアリーは少し黙る。
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「……うん」
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「自分でも分かる」
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店のテレビでは、
深夜ニュースが流れていた。
芸能ニュース。
天気予報。
お盆渋滞。
なんでもない情報。
でもその時だった。
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『――神奈川県内では本日も熱中症警戒アラートが――』
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テレビ画面。
夜の港エリア映像。
コンテナ置き場。
赤いランプ。
雨で濡れた道路。
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「――っ」
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突然。
メアリーの顔色が変わった。
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「おい?」
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メアリーはテレビを見たまま固まっている。
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「……雨」
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「は?」
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「暗くて」
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「寒くて」
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呼吸が乱れ始める。
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「メアリー!」
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「いや……」
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「待って」
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メアリーは頭を押さえた。
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「なんか」
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「誰か――」
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そこで。
映像が切り替わる。
普通のニュースへ戻る。
メアリーの呼吸だけが荒い。
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「……ごめ」
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「なんか分からん」
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悠は何も言えなかった。
レイとシンは、
当然メアリーが見えていない。
だから:
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「おい黒瀬?」
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「大丈夫か?」
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心配そうに悠を見るだけだった。
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「……あぁ」
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「平気」
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平気じゃなかった。
悠には分かってしまった。
少しずつ。
確実に。
メアリーは、
“死”へ近づいている。
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帰り道。
深夜一時。
街は少し静かになっていた。
レイはバイクへ跨がる。
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「じゃ、またな」
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「……おう」
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「お前も少しは外出ろよ」
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「引きこもると腐るぞ」
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「もう腐ってる」
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「知ってる」
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レイは笑う。
でもその目は、
少しだけ優しかった。
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バイクが走り去る。
静寂。
残ったのは、
悠とメアリーだけだった。
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「……ごめんね」
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メアリーが小さく呟く。
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「なにが」
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「なんか最近」
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「変なことばっか」
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悠は少し黙ったあと、
夜空を見上げた。
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「……別にいい」
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「え?」
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「今いるだけでいい」
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メアリーは目を丸くした。
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「……悠ちゃん」
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「ん」
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「ちょっと大人になった?」
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「うるせぇ」
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メアリーが笑う。
その笑顔を見ながら。
悠はふと思った。
もし本当に。
また失うなら。
今度こそ、
ちゃんと向き合わなきゃいけないのかもしれない。
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後書き
第10話でした。
今回は、
“戻ってきた日常の温かさ”
と、
“少しずつ近づく違和感”
を同時に描いています。
今の段階ではまだ、
ホラーよりも青春寄り。
でも少しずつ、
メアリーの記憶の奥で
“何か”
が動き始めています。
そして悠も、
ただ止まっているだけだった人間から、
少しずつ変わり始めています。
ではまた次回。




