第八話 早着替え配信
オークション本番は、澪が昼寝をしている間に終わった。
最初だけは見ていた。数字が増えるのは少し面白かった。不老薬二瓶。若返りの薬二瓶。第二層第九環由来のアイテム類。それから《蘇帰札》。どれも画面の中で金額が跳ね、佐伯やミナトが忙しそうにしていた。
けれど、途中で飽きた。
数字は勝手に増える。名前は伏せられている。誰が買ったのかもよく分からない。結果だけ聞けばいいものを、ずっと眺めているのは面倒だった。
起きた時には、結果だけが端末に届いていた。
不老薬二瓶、落札済み。
若返りの薬二瓶、落札済み。
第二層第九環由来アイテム類、一部落札済み。
《蘇帰札》、落札済み。
金額欄には、見慣れない桁が並んでいた。佐伯が簡易表示に直してくれているのに、それでも大きすぎてよく分からない。朱音は一度だけ画面を見て、少しだけ遠い目をした。
「終わってた」
「終わってたね」
「見逃した?」
「澪、途中で寝てたから」
「うん」
「でも、結果は届いてるよ。必要な確認は佐伯さんたちがしてくれてる」
「なら、いい」
澪は端末を閉じた。
オークション収益の一部はアークラインへ寄贈される。九環由来の素材や薬の保管、研究、警備、医療、違法接触対策。それ以外の大部分は澪の財団資金に回される。未帰還者家族の支援、若手探索者の装備補助、救助研究、関係者保護。佐伯がそう説明し、澪は短く頷いた。
「困る人、減る?」
「減らせるように使うって」
「じゃあ、それ」
「分かった。そう伝えておくね」
そこで、オークションの話は終わった。
午後、澪は外へ出ることになった。
短時間の外出許可だった。目的は服と日用品の確認。それから、九環フライパンの試作品を受け取ること。七瀬家へ一度戻り、しばらく泊まるための準備も兼ねている。
アークラインの護衛はついた。浅見遥が少し離れて人の流れを切り、水瀬蓮は車内で監視と連絡を担当する。朱音は澪の隣にいるが、無理に全部を抱え込む位置ではない。自分もまだ療養中なので、必要な時だけ声をかける距離を保っていた。
問題はメイだった。
「メイ、しまう」
メイの鎖が床を打った。
「危ない」
また鳴る。さっきより強い。
「店、壊れる」
鎖が澪の足首に巻きついた。
「だめ」
低い音が返る。
「拗ねても、だめ」
メイは明らかに拗ねていた。鎖の先が床に寝そべるように伸び、わざと重たくなる。澪が引いても、ずるずると抵抗する。武器のくせに、全身で不満を表している。
朱音は少し困った顔で見ていた。
「メイ、今日はお店だからね。棚とか床とか、壊したら大変なんだよ」
メイが朱音の方を向き、短く鳴った。
「言い返してる?」
「拗ねてる」
「それは分かる」
「あとで出す」
「うん。七瀬家に着いて、場所を見てからにしよ」
澪はメイを両手で持ち上げた。
「メイ、あとで」
メイは最後まで抵抗した。鎖の先が澪の袖に絡み、床をこすり、細い金属音で不満を訴える。それでも、インベントリにしまわれる瞬間、しぶしぶ白い光に吸い込まれて消えた。
消えた後も、澪の手元に小さな震えだけが残った。
「まだ拗ねてる」
「しまわれた後も?」
「うん」
「器用だね、メイ」
買い物先は、アークラインが貸し切った商業フロアだった。
一般客はいない。店員も最小限。試着室、靴売り場、寝間着、部屋着、外出用の軽い服。澪が必要なものだけを見られるようにしてある。配信は切っていたが、公式記録用のカメラだけは回っていた。澪の外出記録として残すためのものだった。
澪は服に詳しくない。
棚に並ぶ服を見て、まず首を傾げた。朱音がいくつか手に取る。白いパーカー。黒のロングカーディガン。柔らかい生地のワンピース。動きやすいパンツ。猫耳付きではない帽子。
「澪、こういうのは?」
「動ける?」
「普段着としては動けるよ。ダンジョン用じゃないけど」
「なら」
「家で着る服もあった方がいいよ。ずっとマシロだけだと、生活感が消えるから」
「生活感」
「言い方が変だったね。寝る時とか、ご飯の時とか、普通の服もあると落ち着くよ」
「マシロ、汚れ落とす」
「それは知ってるけど」
朱音が言いかけたところで、マシロの裾が動いた。
澪の肩にかかっていた白い装束が、ふわりと形を変える。
見たばかりの白いパーカーだった。
深層の装束だったはずのマシロが、フードの落ち方、袖の長さ、前開きの形、ゆるいシルエットまで、ほとんどそのまま再現している。素材感だけは完全に市販品ではない。白く、滑らかで、光を少しだけ含んでいる。それでも見た目は、普通の服に近かった。
澪は自分の袖を見てくるりその場で回った。
「早着替え」
朱音は言葉を失った。
遥も、少し離れた場所で笑顔のまま固まった。護衛の一人は耳元の通信に何かを伝えようとして、途中で止まる。別の職員は手元の端末を見て、そのまま頭を抱えた。
沈黙が数秒続く。
「朱音先輩?」
「澪、それ、今、マシロが?」
「うん」
「見た服の形になった?」
「なった」
「……ちょっと待って」
朱音は額に指を当てた。
車内にいる水瀬へ映像が送られる。数秒後、通信が入った。
『映像を確認しました』
「蓮くん、これどう見る?」
『服ではありません』
「だよね」
『見た目を服に寄せた深層装備です。自動修復、自動洗浄、防御性能、形態模倣を併せ持つ可能性があります。普通に考えると、装備史が壊れます』
「普通に考えなくても壊れてるよ〜」
遥が横から言う。
『浅見さんの言う通りです』
「蓮くんが同意した〜」
『それほどの事態です』
澪はフードを触った。
「便利」
「便利で済ませるには強すぎる」
「服、いらない?」
「それを言われると困るけど、普通の服も買おう。マシロに全部任せると、佐伯さんたちが頭を抱える」
「もう抱えてるよ〜」
遥が言う。
「護衛の人も抱えてる」
「だってこれ、服屋さんで見ていい能力じゃないです」
護衛の一人が小声で言った。
「ダンジョンの奥で発見されるやつです」
「澪ちゃんが服屋で出したね〜」
「早着替え」
「うん、澪ちゃんの中では早着替えだね〜」
マシロはさらに棚の服を見る。
次は黒いロングカーディガン。白を基調にしたまま、外形だけが変わる。続いて柔らかいワンピース。さらにショート丈の上着。澪が目で追うだけで、マシロは次々と形を変えた。
朱音は完全に言葉を失った。
護衛の職員が、低く呻いた。
「これ、公開します?」
「公開しない方が」
「でも、公式記録カメラ回ってます」
「切ってください」
「もう管理部が見ています」
その直後、ミナトから通話が入った。
『切らないでください』
「ミナトさん?」
『そのままです。澪さん、確認です。今のマシロの変形、配信に乗せてもいいですか』
「配信?」
『はい。隠すより、公式が先に出した方が安全です。無断切り抜きや偽情報にされる前に、こちらで説明を付けます』
「マシロ、出る?」
『マシロそのものの詳細は伏せます。服の形になれる、程度に留めます』
「うん」
「澪、本当にいいの?」
朱音が聞く。
「いい」
「理由、聞いてもいい?」
「便利」
「……そっか。澪にとってはそこなんだね」
『ありがとうございます。では、三十秒だけ公式配信へ切り替えます。コメント欄は遅延と強制監視を入れます』
朱音は何か言いかけて、飲み込んだ。
アークライン護衛の一人が頭を抱えたまま、別の職員に言う。
「服屋で世界が壊れる映像、流すんですか」
「もう九環ではよくあることになってきました」
「よくあっていいことじゃないです」
配信が繋がった。
画面の右上に《九環》の表示が出る。遅延付き、公式管理付き、短時間配信。視聴者数は、開始数秒で跳ねた。
澪は鏡の前に立っていた。
マシロが白いパーカーの形になる。
次にロングカーディガン。
次にワンピース。
最後に、元の白い装束へ戻る。
「早着替え」
澪が言った。
コメント欄が壊れた。
『は?』
『は?』
『は????』
『今なにした?』
『マシロ服になった?』
『服じゃないだろこれ』
『装備が服の形になった?』
『自動修復して自動洗浄して形も変わるの?』
『服飾業界無事死亡』
『装備業界も無事死亡』
『澪ちゃんの早着替え軽すぎる』
『早着替えじゃない定期』
『待って、普段着いらないのでは?』
『汚れ吐き出すんだよなマシロ』
『洗濯不要?』
『白いのに汚れない?』
『マシロ風ブランケットどころじゃない』
『公式グッズ班、今泣いてるだろ』
『服屋で出していい能力じゃない』
『朱音さん固まってる』
『後ろの護衛、頭抱えてるの草』
『水瀬先輩の胃が死ぬ』
『佐伯さんも死ぬ』
『蘇帰札使うな』
『草』
コメントはさらに加速した。
『マシロ、パーカーになれるなら制服にもなれる?』
『礼服もいける?』
『防具が礼服になるなら探索者式典変わるぞ』
『隠密用に黒服化できる?』
『それ戦術価値やばい』
『マシロを商品化するなよ』
『絶対にマシロ風服の違法グッズ出る』
『もう出る』
『公式が先に牽制しろ』
『マシロちゃん賢すぎ』
『メイは?』
『メイはしまわれて拗ねてるらしい』
『拗ねてる武器も見せろ』
『危ないからだめです』
『メイ出したら店が終わる』
『店だけで済む?』
『済まない』
ミナトの管理コメントが流れる。
『公式管理部:マシロの詳細性能は非公開です。模倣品、無断商品化、虚偽広告は禁止します。現在確認されている公式監修品に「マシロそのもの」を再現する商品はありません。』
その下で、またコメントが荒れる。
『公式が即釘刺した』
『偉い』
『マシロそのものは無理』
『概念グッズで我慢する』
『白いハンカチで我慢しろ』
『ハンカチも急に重くなった』
『九環ハンカチ、汚れ吐き出しますか?』
『吐き出さないです』
『普通に洗え』
『草』
赤い警告が出る。
ミナトは即座に削除した。
『このコメントは削除されました。』
『詩人か?』
『詩人だろ』
『マシロ回で出るな』
『何を書いたんだ』
『知らない方がいい』
『白い布になりたい系だろ』
『逮捕』
『管理部、早い』
配信は三十秒で切れた。
切れた後も、商業フロアの空気は戻らなかった。
朱音はしばらく鏡の中の澪を見ていた。澪は何事もなかったように、パーカー形態の袖を引っ張っている。
「朱音先輩」
「うん」
「服、買う?」
「買う。買おう。マシロがすごいのは分かったけど、普通の服も買う」
「なんで?」
「マシロに何でもさせると、こっちの心臓が持たないから」
「心臓」
「あと、家で過ごす服は家で過ごす服としてあった方がいい。澪が自分で選んだ服も欲しいでしょ」
「マシロ、なる」
「それでも。普通の服を着る日があってもいいの」
「うん」
澪は納得したのか、していないのか分からない顔で頷いた。
遥が笑顔で近づいてくる。
「澪ちゃん、今の配信でたぶんまた世界が荒れるよ〜」
「なんで?」
「マシロがすごすぎるから〜」
「早着替え」
「早着替えって言葉で済ませるところが、澪ちゃんだね〜」
「だめ?」
「だめじゃないよ〜。でも蓮くんがあとで資料を三十枚くらい作ると思う〜」
『既に作成中です』
水瀬の声が入る。
「早いね〜」
『必要です。マシロを衣服扱いされたら困ります』
「服」
『澪さん、それは服の形をした深層装備です』
「服の形」
『はい』
「なら、服」
『違います』
「違う?」
『違います』
「難しい」
『非常に』
護衛の一人がまた頭を抱えた。
「本人が一番軽いの、毎回心臓に悪いです」
「澪ちゃんの護衛、向いてる人少なそうだね〜」
遥が言う。
「浅見さんは平気なんですか」
「平気じゃないよ〜。笑ってないとやってられないだけ〜」
買い物は予定より早く終わった。
マシロが形を覚えられるなら、澪が大量の服を買う必要はない。けれど朱音は、寝間着、部屋着、下着類、靴、帽子、それから澪が自分で触って選んだ白いパーカーを買わせた。
「これ、買う」
「マシロ、なれる」
「なれるけど、実物も持って帰ろう。結衣に見せたら、普通の服選びもしてくれると思う」
「結衣ちゃん」
「うん。七瀬家で着る服」
「じゃあ、いる」
「それでいいと思う」
九環フライパンの試作品も受け取った。
黒い取っ手に、小さな九環ロゴ。底面には猫の足跡のような刻印がある。普通の家庭用フライパンとして使えること。卵がきちんと焼けること。澪の条件は、それだけだった。
車に戻ると、インベントリの奥からまだ不満そうな気配がした。
「メイ、まだ拗ねてる」
「長いね」
「出る?」
「車の中はやめよう。七瀬家に着いてから」
「うん」
「でも、ちゃんと覚えてるって伝えといて」
「伝える」
澪は膝の上にフライパンの箱を置き、インベントリへ意識を向けた。
「メイ、あとで」
返事はなかった。
「かなり拗ねてる」
「それ、返事がないのが返事ってやつだね」
七瀬家へ向かう車の中で、配信の切り抜きはもう世界中へ広がっていた。
『マシロ早着替え』
『服の形をした深層装備』
『九環、また世界を壊す』
『公式配信三十秒でこれ』
『フライパン、オークション、マシロ服化。情報量が多すぎる』
『メイ拗ねる未公開映像ください』
『だめです』
『マシロが汚れ吐き出すなら洗濯不要?』
『九環家事革命』
『違う。装備革命』
『両方』
ミナトから、朱音の端末へ短いメッセージが届いた。
『コメント欄は荒れましたが、公式先出しで違法商品対策に移れます。マシロ関連の無断グッズ監視を強化します。澪さんには、配信ありがとうございました、とだけ伝えてください』
朱音はそれを見て、澪に言った。
「ミナトさんから。配信ありがとう、だって」
「うん」
「マシロも、ありがとう」
マシロの裾が静かに揺れた。
「あと、次からは変形する前に一言くれると助かるかな。みんな驚くから」
「分かった」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶんかあ」
朱音は苦笑した。
車窓の外に、夕方の街が流れていく。アークライン本部の白い廊下でも、医療区画の消毒液の匂いでもない。信号、コンビニ、歩道、マンションの窓明かり。久しぶりに見る普通の街だった。
七瀬家の玄関灯が見えた時、澪はフライパンの箱を少しだけ抱え直した。
「家」
「ただいま、だね」
「ただいま」
玄関が開く。
結衣が顔を出した。部屋着姿で、髪を少し後ろでまとめている。澪を見るより先に、澪の膝元の箱へ目が行った。
「お姉ちゃん、澪ちゃん! それ、もしかして」
「フライパン」
「世界が落ちたやつ」
「サーバー?」
「そう、それ。あとマシロの配信見た。何あれ」
「早着替え」
「早着替えじゃないよね?」
「早着替え」
「お姉ちゃん」
「私も言葉を失ったから、結衣の反応は正しいよ」
「だよね〜」
結衣は澪の服を見た。今のマシロは、買い物で見た白いパーカーの形を少しだけ混ぜている。完全な市販服ではない。けれど、家の中で見ると普通の部屋着にも見える。
「澪ちゃん、それマシロ?」
「うん」
「もう服いらないじゃん!」
「朱音先輩、買うって」
「お姉ちゃんらしいね〜」
「普通の服もいるよ。マシロが万能すぎるからって、全部任せたら生活が変な方向に行く」
「もう変な方向には行ってると思う」
「結衣」
「はい」
奥から朱音の母の声がした。
「玄関で止まってないで上がって。澪ちゃん、おかえり」
「ただいま」
靴を脱ぎ、廊下を歩く。
七瀬家の匂いがした。洗剤、夕飯の湯気、木の床、誰かがさっきまで生活していた気配。澪が以前ここで暮らしていた時間が、足元から戻ってくるようだった。
リビングに入ると、テーブルには夕飯の準備が並び始めていた。
味噌汁。焼き魚。卵焼き。小皿の漬物。医療区画の食事とは違う、家のご飯だった。
澪は少しだけ立ち止まる。
「卵焼き」
「今日はお母さんの」
結衣が言う。
「明日は九環フライパンで試す?」
「見る」
「また見るから始まる」
「二回目、食べる」
「約束守るタイプだ」
澪は頷いた。
その時、インベントリの中から重たい不満が伝わってきた。
「メイ」
「出すの?」
朱音が聞く。
「拗ねてる」
「家の中で出して大丈夫?」
「少し」
「物を壊さない。食卓に上がらない。床を傷つけない。これ守れるなら」
「言う」
澪はメイを出した。
白い光の中から鎖が現れる。出た瞬間、メイは床にべたりと伸びた。鎌の部分まで力なく倒れ、澪の足元で完全に拗ねている。呼びかけても動かない。鎖の先だけが、わずかに澪の靴下へ絡んだ。
「メイ、拗ねてる」
「見れば分かるよ」
結衣が恐る恐る覗き込む。
「武器ってこんな拗ね方するの?」
「メイはする」
「そっか。メイはするんだ」
朱音の母が少し困った顔で言った。
「食卓に上がらないなら、そこにいていいわよ」
メイが小さく鳴った。
「返事した?」
「した」
「ならいいわ」
メイは食卓には上がらなかった。
ただ、澪の椅子の脚に鎖の先を絡め、絶対に置いていかれないという意思だけを示している。拗ねているのに、離れる気はないらしい。
結衣はそれを見て笑った。
「澪ちゃん、メイに好かれすぎ」
「拗ねてる」
「好かれてるから拗ねるんだよ」
「そう?」
「たぶん」
夕飯が始まった。
外では、マシロの配信が世界中で荒れている。オークション結果もまだニュースになっている。若返りの薬、不老薬、蘇帰札、第二層九環アイテム。そして九環フライパン。世界は澪の周りで勝手に騒がしい。
でも七瀬家の食卓には、焼き魚と味噌汁と卵焼きがあった。
澪は卵焼きを食べる。
「おいしい」
「よかった」
朱音の母が笑う。
「明日はフライパン」
「楽しみにしてるわ」
「ちゃんと焼ける」
「そこが大事なのね」
「うん」
朱音はその横で、普通に箸を持っていた。アークライン本部で会議に出る顔でも、医療区画で澪を見守る顔でもない。七瀬家の長女の顔だった。結衣が学校の話をして、母が相槌を打ち、父が時々短く笑う。澪は話の全部には入らない。ただ、そこに座っている。
それで十分だった。
食後、結衣が澪の服をもう一度見た。
「マシロ、制服にもなれる?」
「見たら」
「いや、ならなくていい。私の制服に化けられたら学校で大騒ぎになる」
「制服」
「だめだよ。普通科高校が普通じゃなくなる」
「普通」
「そう。普通が大事」
「うん」
マシロの裾が、少しだけ揺れた。
澪はそれを見て、短く言う。
「マシロ、普通も覚える」
「それ、なんかすごく不穏なんだけど!?」
結衣が言う。
「普通の服を覚えるならいいよ」
朱音が横から言った。顔には諦めの色が見えている。
「…でも普通の学校生活を装備が覚えるのは、蓮くんが倒れるからやめよう」
「水瀬先輩、倒れる?」
「たぶん頭を抱える」
「もう抱えてる」
「それはそう」
足元で、メイが小さく鳴った。
まだ拗ねている。
澪は椅子の下に手を伸ばし、鎖を軽く撫でた。
「あとで」
メイは返事をしなかった。
「まだ」
返事はない。
「かなり」
鎖の先だけが、少し強く澪の足首に巻きついた。
「分かった」
結衣が小声で言う。
「それ、許してないけど聞いてるやつだ」
「うん」
「メイ、分かりやすいね」
「分かりやすい」
「ちょっとかわいい」
メイが低く鳴った。
「ごめん、かわいいって言われるの嫌だった?」
「拗ねてる」
「ずっと拗ねてるね」
その夜、澪は久しぶりに七瀬家の部屋で眠った。
ベッドの横にはメイが丸まり、まだ少しだけ拗ねた気配を残している。マシロは毛布の上に白く広がり、買い物で見たパーカーの形を少しだけ真似てから、元の装束へ戻った。
「早着替え」
澪が眠そうに言う。
マシロの裾が揺れる。
廊下の向こうから、結衣の笑い声と朱音の声が少しだけ聞こえた。
澪はそれを聞きながら、目を閉じる。
数字が増える画面より、コメントが荒れる配信より、ずっと近い音だった。
メイたゃん可愛い。マシロも可愛い。
結衣ちゃん最高。hsh…おっと誰か来たようだ。




