表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
九環配信の澪 〜誰も帰らない絶景を〜  作者: 妄幽
第四章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

94/147

第八話 早着替え配信


 オークション本番は、澪が昼寝をしている間に終わった。


 最初だけは見ていた。数字が増えるのは少し面白かった。不老薬二瓶。若返りの薬二瓶。第二層第九環由来のアイテム類。それから《蘇帰札》。どれも画面の中で金額が跳ね、佐伯やミナトが忙しそうにしていた。


 けれど、途中で飽きた。


 数字は勝手に増える。名前は伏せられている。誰が買ったのかもよく分からない。結果だけ聞けばいいものを、ずっと眺めているのは面倒だった。


 起きた時には、結果だけが端末に届いていた。


 不老薬二瓶、落札済み。


 若返りの薬二瓶、落札済み。


 第二層第九環由来アイテム類、一部落札済み。


 《蘇帰札》、落札済み。


 金額欄には、見慣れない桁が並んでいた。佐伯が簡易表示に直してくれているのに、それでも大きすぎてよく分からない。朱音は一度だけ画面を見て、少しだけ遠い目をした。


「終わってた」

「終わってたね」

「見逃した?」

「澪、途中で寝てたから」

「うん」

「でも、結果は届いてるよ。必要な確認は佐伯さんたちがしてくれてる」

「なら、いい」


 澪は端末を閉じた。


 オークション収益の一部はアークラインへ寄贈される。九環由来の素材や薬の保管、研究、警備、医療、違法接触対策。それ以外の大部分は澪の財団資金に回される。未帰還者家族の支援、若手探索者の装備補助、救助研究、関係者保護。佐伯がそう説明し、澪は短く頷いた。


「困る人、減る?」

「減らせるように使うって」

「じゃあ、それ」

「分かった。そう伝えておくね」


 そこで、オークションの話は終わった。

 午後、澪は外へ出ることになった。


 短時間の外出許可だった。目的は服と日用品の確認。それから、九環フライパンの試作品を受け取ること。七瀬家へ一度戻り、しばらく泊まるための準備も兼ねている。


 アークラインの護衛はついた。浅見遥が少し離れて人の流れを切り、水瀬蓮は車内で監視と連絡を担当する。朱音は澪の隣にいるが、無理に全部を抱え込む位置ではない。自分もまだ療養中なので、必要な時だけ声をかける距離を保っていた。


 問題はメイだった。


「メイ、しまう」

 メイの鎖が床を打った。

「危ない」

 また鳴る。さっきより強い。

「店、壊れる」

 鎖が澪の足首に巻きついた。

「だめ」

 低い音が返る。

「拗ねても、だめ」


 メイは明らかに拗ねていた。鎖の先が床に寝そべるように伸び、わざと重たくなる。澪が引いても、ずるずると抵抗する。武器のくせに、全身で不満を表している。


 朱音は少し困った顔で見ていた。


「メイ、今日はお店だからね。棚とか床とか、壊したら大変なんだよ」

 メイが朱音の方を向き、短く鳴った。

「言い返してる?」

「拗ねてる」

「それは分かる」

「あとで出す」

「うん。七瀬家に着いて、場所を見てからにしよ」


 澪はメイを両手で持ち上げた。


「メイ、あとで」


 メイは最後まで抵抗した。鎖の先が澪の袖に絡み、床をこすり、細い金属音で不満を訴える。それでも、インベントリにしまわれる瞬間、しぶしぶ白い光に吸い込まれて消えた。


 消えた後も、澪の手元に小さな震えだけが残った。


「まだ拗ねてる」

「しまわれた後も?」

「うん」

「器用だね、メイ」


 買い物先は、アークラインが貸し切った商業フロアだった。


 一般客はいない。店員も最小限。試着室、靴売り場、寝間着、部屋着、外出用の軽い服。澪が必要なものだけを見られるようにしてある。配信は切っていたが、公式記録用のカメラだけは回っていた。澪の外出記録として残すためのものだった。


 澪は服に詳しくない。


 棚に並ぶ服を見て、まず首を傾げた。朱音がいくつか手に取る。白いパーカー。黒のロングカーディガン。柔らかい生地のワンピース。動きやすいパンツ。猫耳付きではない帽子。


「澪、こういうのは?」

「動ける?」

「普段着としては動けるよ。ダンジョン用じゃないけど」

「なら」

「家で着る服もあった方がいいよ。ずっとマシロだけだと、生活感が消えるから」

「生活感」

「言い方が変だったね。寝る時とか、ご飯の時とか、普通の服もあると落ち着くよ」

「マシロ、汚れ落とす」

「それは知ってるけど」


 朱音が言いかけたところで、マシロの裾が動いた。


 澪の肩にかかっていた白い装束が、ふわりと形を変える。


 見たばかりの白いパーカーだった。


 深層の装束だったはずのマシロが、フードの落ち方、袖の長さ、前開きの形、ゆるいシルエットまで、ほとんどそのまま再現している。素材感だけは完全に市販品ではない。白く、滑らかで、光を少しだけ含んでいる。それでも見た目は、普通の服に近かった。


 澪は自分の袖を見てくるりその場で回った。


「早着替え」


 朱音は言葉を失った。


 遥も、少し離れた場所で笑顔のまま固まった。護衛の一人は耳元の通信に何かを伝えようとして、途中で止まる。別の職員は手元の端末を見て、そのまま頭を抱えた。


 沈黙が数秒続く。


「朱音先輩?」

「澪、それ、今、マシロが?」

「うん」

「見た服の形になった?」

「なった」

「……ちょっと待って」


 朱音は額に指を当てた。


 車内にいる水瀬へ映像が送られる。数秒後、通信が入った。


『映像を確認しました』

「蓮くん、これどう見る?」

『服ではありません』

「だよね」

『見た目を服に寄せた深層装備です。自動修復、自動洗浄、防御性能、形態模倣を併せ持つ可能性があります。普通に考えると、装備史が壊れます』

「普通に考えなくても壊れてるよ〜」

 遥が横から言う。

『浅見さんの言う通りです』

「蓮くんが同意した〜」

『それほどの事態です』


 澪はフードを触った。


「便利」

「便利で済ませるには強すぎる」

「服、いらない?」

「それを言われると困るけど、普通の服も買おう。マシロに全部任せると、佐伯さんたちが頭を抱える」

「もう抱えてるよ〜」

 遥が言う。

「護衛の人も抱えてる」

「だってこれ、服屋さんで見ていい能力じゃないです」

 護衛の一人が小声で言った。

「ダンジョンの奥で発見されるやつです」

「澪ちゃんが服屋で出したね〜」

「早着替え」

「うん、澪ちゃんの中では早着替えだね〜」


 マシロはさらに棚の服を見る。


 次は黒いロングカーディガン。白を基調にしたまま、外形だけが変わる。続いて柔らかいワンピース。さらにショート丈の上着。澪が目で追うだけで、マシロは次々と形を変えた。


 朱音は完全に言葉を失った。


 護衛の職員が、低く呻いた。


「これ、公開します?」

「公開しない方が」

「でも、公式記録カメラ回ってます」

「切ってください」

「もう管理部が見ています」


 その直後、ミナトから通話が入った。


『切らないでください』

「ミナトさん?」

『そのままです。澪さん、確認です。今のマシロの変形、配信に乗せてもいいですか』

「配信?」

『はい。隠すより、公式が先に出した方が安全です。無断切り抜きや偽情報にされる前に、こちらで説明を付けます』

「マシロ、出る?」

『マシロそのものの詳細は伏せます。服の形になれる、程度に留めます』

「うん」

「澪、本当にいいの?」

 朱音が聞く。

「いい」

「理由、聞いてもいい?」

「便利」

「……そっか。澪にとってはそこなんだね」

『ありがとうございます。では、三十秒だけ公式配信へ切り替えます。コメント欄は遅延と強制監視を入れます』


 朱音は何か言いかけて、飲み込んだ。


 アークライン護衛の一人が頭を抱えたまま、別の職員に言う。


「服屋で世界が壊れる映像、流すんですか」

「もう九環ではよくあることになってきました」

「よくあっていいことじゃないです」


 配信が繋がった。


 画面の右上に《九環》の表示が出る。遅延付き、公式管理付き、短時間配信。視聴者数は、開始数秒で跳ねた。


 澪は鏡の前に立っていた。


 マシロが白いパーカーの形になる。


 次にロングカーディガン。


 次にワンピース。


 最後に、元の白い装束へ戻る。


「早着替え」


 澪が言った。


 コメント欄が壊れた。


『は?』

『は?』

『は????』

『今なにした?』

『マシロ服になった?』

『服じゃないだろこれ』

『装備が服の形になった?』

『自動修復して自動洗浄して形も変わるの?』

『服飾業界無事死亡』

『装備業界も無事死亡』

『澪ちゃんの早着替え軽すぎる』

『早着替えじゃない定期』

『待って、普段着いらないのでは?』

『汚れ吐き出すんだよなマシロ』

『洗濯不要?』

『白いのに汚れない?』

『マシロ風ブランケットどころじゃない』

『公式グッズ班、今泣いてるだろ』

『服屋で出していい能力じゃない』

『朱音さん固まってる』

『後ろの護衛、頭抱えてるの草』

『水瀬先輩の胃が死ぬ』

『佐伯さんも死ぬ』

『蘇帰札使うな』

『草』


 コメントはさらに加速した。


『マシロ、パーカーになれるなら制服にもなれる?』

『礼服もいける?』

『防具が礼服になるなら探索者式典変わるぞ』

『隠密用に黒服化できる?』

『それ戦術価値やばい』

『マシロを商品化するなよ』

『絶対にマシロ風服の違法グッズ出る』

『もう出る』

『公式が先に牽制しろ』

『マシロちゃん賢すぎ』

『メイは?』

『メイはしまわれて拗ねてるらしい』

『拗ねてる武器も見せろ』

『危ないからだめです』

『メイ出したら店が終わる』

『店だけで済む?』

『済まない』


 ミナトの管理コメントが流れる。


『公式管理部:マシロの詳細性能は非公開です。模倣品、無断商品化、虚偽広告は禁止します。現在確認されている公式監修品に「マシロそのもの」を再現する商品はありません。』


 その下で、またコメントが荒れる。


『公式が即釘刺した』

『偉い』

『マシロそのものは無理』

『概念グッズで我慢する』

『白いハンカチで我慢しろ』

『ハンカチも急に重くなった』

『九環ハンカチ、汚れ吐き出しますか?』

『吐き出さないです』

『普通に洗え』

『草』


 赤い警告が出る。


 ミナトは即座に削除した。


『このコメントは削除されました。』


『詩人か?』

『詩人だろ』

『マシロ回で出るな』

『何を書いたんだ』

『知らない方がいい』

『白い布になりたい系だろ』

『逮捕』

『管理部、早い』


 配信は三十秒で切れた。


 切れた後も、商業フロアの空気は戻らなかった。


 朱音はしばらく鏡の中の澪を見ていた。澪は何事もなかったように、パーカー形態の袖を引っ張っている。


「朱音先輩」

「うん」

「服、買う?」

「買う。買おう。マシロがすごいのは分かったけど、普通の服も買う」

「なんで?」

「マシロに何でもさせると、こっちの心臓が持たないから」

「心臓」

「あと、家で過ごす服は家で過ごす服としてあった方がいい。澪が自分で選んだ服も欲しいでしょ」

「マシロ、なる」

「それでも。普通の服を着る日があってもいいの」

「うん」


 澪は納得したのか、していないのか分からない顔で頷いた。


 遥が笑顔で近づいてくる。


「澪ちゃん、今の配信でたぶんまた世界が荒れるよ〜」

「なんで?」

「マシロがすごすぎるから〜」

「早着替え」

「早着替えって言葉で済ませるところが、澪ちゃんだね〜」

「だめ?」

「だめじゃないよ〜。でも蓮くんがあとで資料を三十枚くらい作ると思う〜」

『既に作成中です』

 水瀬の声が入る。

「早いね〜」

『必要です。マシロを衣服扱いされたら困ります』

「服」

『澪さん、それは服の形をした深層装備です』

「服の形」

『はい』

「なら、服」

『違います』

「違う?」

『違います』

「難しい」

『非常に』


 護衛の一人がまた頭を抱えた。


「本人が一番軽いの、毎回心臓に悪いです」

「澪ちゃんの護衛、向いてる人少なそうだね〜」

 遥が言う。

「浅見さんは平気なんですか」

「平気じゃないよ〜。笑ってないとやってられないだけ〜」


 買い物は予定より早く終わった。


 マシロが形を覚えられるなら、澪が大量の服を買う必要はない。けれど朱音は、寝間着、部屋着、下着類、靴、帽子、それから澪が自分で触って選んだ白いパーカーを買わせた。


「これ、買う」

「マシロ、なれる」

「なれるけど、実物も持って帰ろう。結衣に見せたら、普通の服選びもしてくれると思う」

「結衣ちゃん」

「うん。七瀬家で着る服」

「じゃあ、いる」

「それでいいと思う」


 九環フライパンの試作品も受け取った。


 黒い取っ手に、小さな九環ロゴ。底面には猫の足跡のような刻印がある。普通の家庭用フライパンとして使えること。卵がきちんと焼けること。澪の条件は、それだけだった。


 車に戻ると、インベントリの奥からまだ不満そうな気配がした。


「メイ、まだ拗ねてる」

「長いね」

「出る?」

「車の中はやめよう。七瀬家に着いてから」

「うん」

「でも、ちゃんと覚えてるって伝えといて」

「伝える」


 澪は膝の上にフライパンの箱を置き、インベントリへ意識を向けた。


「メイ、あとで」

 返事はなかった。

「かなり拗ねてる」

「それ、返事がないのが返事ってやつだね」


 七瀬家へ向かう車の中で、配信の切り抜きはもう世界中へ広がっていた。


『マシロ早着替え』

『服の形をした深層装備』

『九環、また世界を壊す』

『公式配信三十秒でこれ』

『フライパン、オークション、マシロ服化。情報量が多すぎる』

『メイ拗ねる未公開映像ください』

『だめです』

『マシロが汚れ吐き出すなら洗濯不要?』

『九環家事革命』

『違う。装備革命』

『両方』


 ミナトから、朱音の端末へ短いメッセージが届いた。


『コメント欄は荒れましたが、公式先出しで違法商品対策に移れます。マシロ関連の無断グッズ監視を強化します。澪さんには、配信ありがとうございました、とだけ伝えてください』


 朱音はそれを見て、澪に言った。


「ミナトさんから。配信ありがとう、だって」

「うん」

「マシロも、ありがとう」

 マシロの裾が静かに揺れた。

「あと、次からは変形する前に一言くれると助かるかな。みんな驚くから」

「分かった」

「本当に?」

「たぶん」

「たぶんかあ」


 朱音は苦笑した。


 車窓の外に、夕方の街が流れていく。アークライン本部の白い廊下でも、医療区画の消毒液の匂いでもない。信号、コンビニ、歩道、マンションの窓明かり。久しぶりに見る普通の街だった。


 七瀬家の玄関灯が見えた時、澪はフライパンの箱を少しだけ抱え直した。


「家」

「ただいま、だね」

「ただいま」


 玄関が開く。


 結衣が顔を出した。部屋着姿で、髪を少し後ろでまとめている。澪を見るより先に、澪の膝元の箱へ目が行った。


「お姉ちゃん、澪ちゃん! それ、もしかして」

「フライパン」

「世界が落ちたやつ」

「サーバー?」

「そう、それ。あとマシロの配信見た。何あれ」

「早着替え」

「早着替えじゃないよね?」

「早着替え」

「お姉ちゃん」

「私も言葉を失ったから、結衣の反応は正しいよ」

「だよね〜」


 結衣は澪の服を見た。今のマシロは、買い物で見た白いパーカーの形を少しだけ混ぜている。完全な市販服ではない。けれど、家の中で見ると普通の部屋着にも見える。


「澪ちゃん、それマシロ?」

「うん」

「もう服いらないじゃん!」

「朱音先輩、買うって」

「お姉ちゃんらしいね〜」

「普通の服もいるよ。マシロが万能すぎるからって、全部任せたら生活が変な方向に行く」

「もう変な方向には行ってると思う」

「結衣」

「はい」


 奥から朱音の母の声がした。


「玄関で止まってないで上がって。澪ちゃん、おかえり」

「ただいま」


 靴を脱ぎ、廊下を歩く。


 七瀬家の匂いがした。洗剤、夕飯の湯気、木の床、誰かがさっきまで生活していた気配。澪が以前ここで暮らしていた時間が、足元から戻ってくるようだった。


 リビングに入ると、テーブルには夕飯の準備が並び始めていた。


 味噌汁。焼き魚。卵焼き。小皿の漬物。医療区画の食事とは違う、家のご飯だった。


 澪は少しだけ立ち止まる。


「卵焼き」

「今日はお母さんの」

 結衣が言う。

「明日は九環フライパンで試す?」

「見る」

「また見るから始まる」

「二回目、食べる」

「約束守るタイプだ」


 澪は頷いた。


 その時、インベントリの中から重たい不満が伝わってきた。


「メイ」

「出すの?」

 朱音が聞く。

「拗ねてる」

「家の中で出して大丈夫?」

「少し」

「物を壊さない。食卓に上がらない。床を傷つけない。これ守れるなら」

「言う」


 澪はメイを出した。


 白い光の中から鎖が現れる。出た瞬間、メイは床にべたりと伸びた。鎌の部分まで力なく倒れ、澪の足元で完全に拗ねている。呼びかけても動かない。鎖の先だけが、わずかに澪の靴下へ絡んだ。


「メイ、拗ねてる」

「見れば分かるよ」

 結衣が恐る恐る覗き込む。

「武器ってこんな拗ね方するの?」

「メイはする」

「そっか。メイはするんだ」


 朱音の母が少し困った顔で言った。


「食卓に上がらないなら、そこにいていいわよ」

 メイが小さく鳴った。

「返事した?」

「した」

「ならいいわ」


 メイは食卓には上がらなかった。


 ただ、澪の椅子の脚に鎖の先を絡め、絶対に置いていかれないという意思だけを示している。拗ねているのに、離れる気はないらしい。


 結衣はそれを見て笑った。


「澪ちゃん、メイに好かれすぎ」

「拗ねてる」

「好かれてるから拗ねるんだよ」

「そう?」

「たぶん」


 夕飯が始まった。


 外では、マシロの配信が世界中で荒れている。オークション結果もまだニュースになっている。若返りの薬、不老薬、蘇帰札、第二層九環アイテム。そして九環フライパン。世界は澪の周りで勝手に騒がしい。


 でも七瀬家の食卓には、焼き魚と味噌汁と卵焼きがあった。


 澪は卵焼きを食べる。


「おいしい」

「よかった」

 朱音の母が笑う。

「明日はフライパン」

「楽しみにしてるわ」

「ちゃんと焼ける」

「そこが大事なのね」

「うん」


 朱音はその横で、普通に箸を持っていた。アークライン本部で会議に出る顔でも、医療区画で澪を見守る顔でもない。七瀬家の長女の顔だった。結衣が学校の話をして、母が相槌を打ち、父が時々短く笑う。澪は話の全部には入らない。ただ、そこに座っている。


 それで十分だった。


 食後、結衣が澪の服をもう一度見た。


「マシロ、制服にもなれる?」

「見たら」

「いや、ならなくていい。私の制服に化けられたら学校で大騒ぎになる」

「制服」

「だめだよ。普通科高校が普通じゃなくなる」

「普通」

「そう。普通が大事」

「うん」


 マシロの裾が、少しだけ揺れた。


 澪はそれを見て、短く言う。


「マシロ、普通も覚える」

「それ、なんかすごく不穏なんだけど!?」

 結衣が言う。

「普通の服を覚えるならいいよ」

 朱音が横から言った。顔には諦めの色が見えている。

「…でも普通の学校生活を装備が覚えるのは、蓮くんが倒れるからやめよう」

「水瀬先輩、倒れる?」

「たぶん頭を抱える」

「もう抱えてる」

「それはそう」


 足元で、メイが小さく鳴った。

 まだ拗ねている。

 澪は椅子の下に手を伸ばし、鎖を軽く撫でた。


「あとで」

 メイは返事をしなかった。

「まだ」

 返事はない。

「かなり」

 鎖の先だけが、少し強く澪の足首に巻きついた。

「分かった」


 結衣が小声で言う。


「それ、許してないけど聞いてるやつだ」

「うん」

「メイ、分かりやすいね」

「分かりやすい」

「ちょっとかわいい」

 メイが低く鳴った。

「ごめん、かわいいって言われるの嫌だった?」

「拗ねてる」

「ずっと拗ねてるね」


 その夜、澪は久しぶりに七瀬家の部屋で眠った。


 ベッドの横にはメイが丸まり、まだ少しだけ拗ねた気配を残している。マシロは毛布の上に白く広がり、買い物で見たパーカーの形を少しだけ真似てから、元の装束へ戻った。


「早着替え」

 澪が眠そうに言う。

 マシロの裾が揺れる。


 廊下の向こうから、結衣の笑い声と朱音の声が少しだけ聞こえた。


 澪はそれを聞きながら、目を閉じる。

 数字が増える画面より、コメントが荒れる配信より、ずっと近い音だった。

メイたゃん可愛い。マシロも可愛い。

結衣ちゃん最高。hsh…おっと誰か来たようだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
やたらメイがごねてると思ったが、マシロは普通に連れて行ってもらえるのに自分だけインベントリに入れられたからか 後輩が良いのになんで自分はダメなんだって
主人公のレベルは既に空葬原のレベル制限を大きく超えているのに白鯨の素材が追加で入手できるのはなぜですか?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ