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九環配信の澪 〜誰も帰らない絶景を〜  作者: 妄幽
第四章

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第七話 検証結果

 第二次オークションの候補品が並んだ時点で、アークライン本部の会議室は少しだけ静かになった。


 不老薬、二瓶。


 若返りの薬、二瓶。


 第二層第九環由来のアイテム類、その一部。


 そして特別枠、《蘇帰札》。


 どれも、単体で世界の金を動かせる品だった。ひとつだけでも国家が動く。王族が代理人を立てる。財閥が資産を崩す。高位探索者の支援組織が眠らせていた基金を開ける。


 それが、同じ画面に四系統並んでいる。


 佐伯円は壁面の資料を切り替えた。


「オークションに出す若返りの薬は二瓶です。ただし、それとは別に、アークライン本部保管分が数本あります」


 神楽坂が視線を向ける。


「検証用ですね」

「はい。安全性と効果確認のため、一本を検証投与に回します。結果を出せれば、オークション品の信頼性が跳ねます」

「対象者は」

「候補は複数います。ただ、条件だけで見れば一人、かなり分かりやすい人物がいます」


 佐伯が端末を操作すると、壁面に一人の名前が表示された。


 エルンスト・ヴァルト。


 老いた英雄。前回の不老薬オークション入札者であり、すでに不老薬の被験者の一人でもある。前回の金額は公開されていない。だが、その名が入札者側にあっただけで、世界の探索者界隈は大きく揺れた。


 老いは止めた。

 だが、若返ってはいない。


 ならば、老化停止済みの肉体に若返りの薬を使えばどうなるか。検証対象としては、あまりにも分かりやすかった。


 ミナトが小さく息を吐く。


「名前だけでニュースになりますね」

「ニュースにはしません。検証結果だけを公式に出します」

「それでも分かる人には分かります」

「分かる人には、分かるでしょう」


 神楽坂は少し考えてから頷いた。


「所有権確認は」

「天瀬さんに取ります。本部保管分であっても、由来は天瀬さんの回収品です」

「では、短く」


 医療区画では、澪が白い毛布を膝にかけたまま、小さな端末を見ていた。


 朱音は少し離れた椅子に座っている。体調確認のため同席しているが、会議の主導はしない。クラン員一年目であり、澪のそばにいる立場でもあり、家族を守ってもらっている立場でもある。だから、必要な時だけ補足する。


 佐伯が画面越しに説明した。


『天瀬さん。若返りの薬について確認です』

「うん」

『オークションに出す二瓶とは別に、本部で検証用の薬を保管しています。そのうち一本を、効果確認のために使用したいと考えています』

「使う」

『はい。候補者の確認をお願いします』


 画面に名前が出る。


 エルンスト・ヴァルト。


 澪は少しだけ首を傾げた。


「前の薬、飲んだ人?」

『はい。不老薬の被験者の一人です』

「老いた英雄?」

『そう呼ばれています』

「じゃあ、その人」

『よろしいですか』

「うん。ちょうどいい」

「澪、そんな感じでいいの?」

 朱音が聞く。

「前の薬、飲んでる」

「うん」

「若返るか、分かる」

「それはそうだね」

「じゃあ、いい」


 澪の判断は、それで終わった。


 政治的な意味も、名前の重さも、過去の金額も、澪にとっては遠い。前の薬を飲んだ人。老いが止まっている人。若返りの薬を試すのに分かりやすい人。それだけだった。


 佐伯は真面目に頷く。


『承認を確認しました。検証結果は、天瀬さんにも共有します』

「うん」

『なお、オークションに出す二瓶とは別枠です』

「じゃあ、いい」


 検証は、その日の午後に行われた。


 場所はアークライン本部の医療封鎖区画。外部への情報遮断、映像の段階管理、医療班と高位探索者の護衛付き。投与室の中央には、白い椅子が置かれていた。


 エルンスト・ヴァルトは、椅子に腰を下ろしていた。


 背は高い。骨格も太い。だが、老いは隠せない。白い髪。深い皺。大きな手の甲に浮いた血管。かつて前線で名を刻んだ英雄は、不老薬でそれ以上の老いを止めても、過ぎた年月そのものを消せたわけではなかった。


 彼は画面越しに、静かに言った。


『私は、選ばれた理由を聞いても?』

「不老薬を使用済みであり、老化停止後の若返り効果を確認する対象として適しているためです」

 佐伯が答える。

『実に合理的だ』

「本人同意は」

『ある。老いが止まっただけでも十分な奇跡だった。だが、戻れるなら、どこまで戻るのか見てみたい』


 医療班が薬を運ぶ。


 若返りの薬。


 透明な小瓶の中で、淡い緑と金が混ざる液体が揺れていた。白鯨素材とは違う。第二層第九環由来、黒樹胎種と黒樹龍系素材から作られた初期生成分。まだ数は少ない。だからこそ、本部で保管され、慎重に扱われていた。


 投与は一口だった。


 エルンストが薬を飲み干す。


 最初の十秒、何も起こらなかった。


 二十秒。


 三十秒。


 医療班のモニターに、数値が走る。心拍、血圧、魔力循環、細胞活性、存在進化後の身体反応。水瀬蓮が別室で記録を見て、淡々と読み上げる。


『細胞活性上昇。炎症反応なし。魔力循環、増加。異常な拒絶反応なし』

「外見変化は」

『まだです。いや、始まりました』


 エルンストの白髪の根元に、灰色が戻る。


 皺が浅くなる。


 背筋が伸びる。


 痩せていた頬に肉が戻り、手の甲の血管が沈み、肩幅が少しだけ張った。老人が青年になるような乱暴な変化ではない。時間を巻き戻すのではなく、老いで削れた部分を、身体が思い出すような変化だった。


 五分後。


 投与室の椅子に座っていたのは、老英雄ではなく、初老に差しかかる前の戦士に見えた。


 白かった髪は銀灰に戻り、深い皺は薄くなり、眼光が明らかに変わっていた。立ち上がる時、杖を使わなかった。


 医療班の一人が息を呑む。

 エルンストは自分の手を見る。


『……握れる』


 その声は、投与前より太かった。


 彼はゆっくり拳を握り、開く。もう一度握る。指が震えていない。節々の痛みを確かめるように手首を回し、肩を上げる。


『剣を』


 医療班がすぐに止めた。


「検証中です。運動試験は段階を踏みます」

『分かっている。分かっているが』


 エルンストは笑った。


『これは、なるほど。世界が狂う』


 その一言で、検証室の空気が変わった。


 若返りの薬は、若返った。


 曖昧な希望ではない。噂でも、解析上の可能性でもない。不老薬使用済みの老英雄に投与し、外見、身体機能、魔力循環に明確な変化が出た。


 信憑性が、跳ねた。


 オークション準備室では、神楽坂が資料を見ていた。佐伯は検証結果をまとめ、公開可能範囲を選別していく。名前は出さない。投与前後の数値も一部だけ。だが、老化停止済みの被験者に若返り効果が確認されたという事実は出せる。


 ミナトが端末を見ていた。


「公式発表文、準備できています」

「読んでください」

「若返りの薬について、アークライン管理下における検証投与を実施。対象者は不老薬使用済みの高齢男性探索者。投与後、身体年齢指標、魔力循環、筋出力、外見的老化指標に改善を確認。長期経過観察を継続。なお、個人名および詳細な医療情報は非公開」

「よいです」

「出したら予備入札が跳ねます」

「出してください」

「はい」


 発表は短かった。


 それで十分だった。


 世界は、待っていたように反応した。


『若返り、検証成功』

『不老薬使用済み被験者で効果あり』

『つまり老化停止後でも戻る?』

『身体年齢指標改善って書いてある』

『名前非公開だけど高齢男性探索者って誰だ』

『前回の不老薬被験者だろ』

『エルンストじゃないのか』

『名前を出すな』

『いや分かるだろ』

『分かっても言うな』

『若返り薬二瓶、これもう金額壊れる』

『オークション本番前に信憑性が上がりすぎた』

『世界の老人資産家が全員起きた音がする』

『探索者界隈も起きてる』

『老英雄が戻れるなら高位探索者は全員欲しい』

『若返り二瓶しかないの?』

『二瓶しかないから殴り合いになる』


 予備入札画面が更新される。


 若返りの薬、一瓶目。


 それまでの最高予備額は二百八十兆だった。


 公式発表後、最初の更新で三百五十兆。


 次に四百二十兆。


 五百兆。


 六百八十兆。


 ミナトが小さく呻いた。


「出した瞬間に二倍近く跳ねました」

「想定内です」

「想定内の顔をしていますが、端末が警告を出しています」

「表示上の警告です。処理は続けてください」


 若返りの薬、二瓶目。


 三百兆。


 四百九十兆。


 七百兆。


 九百兆。


 佐伯の端末が震える。


「一件、千兆に乗りました」

「どちらですか」

「二瓶目です」

「早いですね」

「検証結果込みですから」


 数十兆、数百兆、そして千兆。国家、王家、財閥、医療連合、探索者支援組織が、無理をすれば届いてしまうかもしれない場所。そのぎりぎりのラインで、世界が本気で殴っている。


 神楽坂が言った。


「不老薬は」

「一瓶目、百九十兆。二瓶目、二百六十兆。若返り発表の影響で、こちらも少し上がっています」

「第二層九環アイテム類は」

「短槍と盾片中心に、最高で八十兆。全体枠で百五十兆まで伸びました」

「《蘇帰札》は」

「特別枠として、現在三百二十兆。探索者組織と要人警護系が強いです」


 ミナトは画面を見上げる。


「若返り薬が突出しましたね」

「検証結果を出しましたから」

「エルンストさん、名前出していないのに存在感が強すぎます」


 医療区画の澪にも、結果だけが共有された。

 端末には、簡単な言葉で表示されている。

 若返りの薬、本部保管分で検証。

 不老薬使用済みの高齢探索者に効果確認。

 身体年齢指標、改善。

 澪はそれを読んだ。


「若くなった?」

「みたいだね」

 朱音が答える。

「前の薬、飲んだ人?」

「うん。その人」

「ちょうどよかった」

「佐伯さんたちも、そう判断したみたい」

「じゃあ、売れる?」

「かなり」

「高い?」

「すごく高い」

「ふうん」


 澪は数字を見る。

 若返りの薬二瓶目、千兆。

 不老薬二瓶目、二百六十兆。

 蘇帰札、三百二十兆。

 第二層九環アイテム類、百五十兆。


「増えた」

「増えたね」

「オークション、面白い」

「数字が?」

「うん。勝手に増える」

「勝手ではないと思うけど、そう見えるね」

「エルンスト」

「名前、覚えた?」

「前の薬の人」

「そう」

「若くなった」

「うん」

「よかった?」

「本人は、たぶん」

「じゃあ、いい」


 澪の反応は薄かった。


 誰かが若返った。検証できた。薬の値段が上がった。それは理解している。けれど、そこに強い感情はない。澪にとっては、回収した素材が役に立ち、アークラインが必要な検証をして、オークションの数字が増えたというだけだった。


 朱音はそれを見て、少し安心した。


 澪は世界の中心に置かれているが、世界の欲望を自分の中に入れてはいない。


 メイが床で鎖を鳴らす。


「メイの分、ある」

 澪が言うとメイが落ち着く。


 マシロの白い裾が、澪の肩で静かに揺れた。

 端末には《蘇帰札》の説明も出ている。


「札」

「死亡時に指定場所へ転移して、蘇生するんだって」

「便利」

「探索者にはかなり便利だと思う」

「うん」


 澪はそれ以上、札に執着しなかった。


 必要なら誰かが買う。深く潜る人には使い道がある。指定場所に戻れるのは便利。澪にとっては、その程度だった。


 その頃、配信管理部では、若返り薬検証の発表と九環フライパン再告知が同じ時間帯に重なり、ミナトがかなり嫌な顔をしていた。


「若返り薬の信頼性発表と、フライパン抽選受付延期のお知らせが並んでいます」

「並べないでください」

 佐伯が言う。

「並んでしまったんです。世界が勝手に並べています」

「分けてください」

「分けています。でもコメント欄がぐちゃぐちゃです」


 画面には、次々にコメントが流れている。


『若返り薬、検証成功したのか』

『老化停止済みに効くなら本物じゃん』

『二瓶だけとか戦争になる』

『不老薬二瓶も普通に世界史級』

『蘇帰札もやばい』

『死んだら指定地点へ戻って蘇生って探索者全員欲しいだろ』

『第二層九環アイテム類、短槍だけ映像欲しい』

『出すな。榊原主任が怒る』

『九環フライパン抽選延期も忘れるな』

『若返り薬千兆の横でフライパン延期してるの温度差すごい』

『澪ちゃん、どっち見てるんだろ』

『たぶんフライパン』

『いやメイのご飯』


 赤い警告が出る。

 ミナトは開く前から眉を寄せた。


『若返り薬の検証結果を見て震える世界の片隅で、九環フライパンの取っ手になって澪ちゃんの朝を支えたい』


 削除。


『このコメントは削除されました。』


『変態詩人、取っ手になるな』

『朝を支えるな』

『若返り薬からフライパンへ着地するな』

『でも支えたい気持ちは少し分かる』

『分かるな』

『管理部、今日も早い』

『詩人は若返らなくていい』

『蘇帰札も持たせるな』

『草』


 ミナトは削除ログを保存し、椅子に深く座った。


「詩人だけは、どの品目にも対応してきます」

「対応力を評価しないでください」

「していません」

「では、次です」


 オークション準備室の壁面では、数字がまだ上がっていた。


 不老薬二瓶。


 若返りの薬二瓶。


 第二層九環由来アイテム類。


 蘇帰札。


 金額は無限には跳ねない。だが、十分に壊れている。国家予算を超える金額は世界の現実を歪ませるには足りていた。数十兆が前座になり、数百兆が競り合いになり、千兆が若返り薬の信頼性を示す数字として画面に残る。


 神楽坂は静かに言った。


「本番までに、表示と監視を増強してください」

「はい」

 佐伯が答える。

「あと、若返り薬の検証結果は、名前を出さない形を維持」

「維持します」

「エルンスト・ヴァルト本人から公開希望が出た場合は」

「別途協議します」

「澪さんには」

「結果だけを共有済みです。本人は、前の薬を飲んだ人が若くなった、くらいの認識です」

「それでいいです」


 その頃、澪は端末を朱音に返していた。


「もういいの?」

「うん」

「数字、まだ増えるよ」

「起きたら見る」

「休む?」

「うん」


 澪はメイの鎖を指先で一度撫で、マシロの白い裾を軽く整えた。それから毛布に潜る。


「朱音先輩」

「なに?」

「若返り、売れる」

「たぶん、すごく」

「フライパンは?」

「そっちも、すごく」

「ふぅん」


 澪はそれで目を閉じた。


 医療区画の外では、世界中の資産が音を立てて動いている。老人たちは若返り薬の検証結果を読み、探索者たちは蘇帰札の仕様を見つめ、国家は不老薬二瓶の入札枠を探り、武門は第二層九環の短槍に値を積む。


 その全部を、澪は半分眠りながら聞き流していた。


 若返り薬の信憑性は、爆発的に上がった。


 それでも澪にとって一番近い予定は、起きた後にもう一度、フライパンの絵を見ることだった。

若返りの薬は試作段階です。

年齢は5〜20歳ほど若返るそうですよ。

歳をとっているほど効果があるそうですね。


あと澪のふぅんが可愛いのでしばらく擦ります。

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