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九環配信の澪 〜誰も帰らない絶景を〜  作者: 妄幽
第四章

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第六話 公式フライパン


 昼前、医療区画に小さな通信端末が運び込まれた。


 アークラインの閉鎖回線用端末だった。外部とは直接繋がらず、中継をいくつも挟み、場所も端末情報も残さない。


「七瀬さん、ご家族からの連絡です。位置情報は出ません。録画も残しません」

「ありがとうございます。お願いします」


 澪は朱音の隣に座り、端末をじっと見ていた。


「結衣ちゃん?」

「うん。いると思うよ」

「制服?」

「たぶんね。普通科高校、始まったって言ってたから」


 画面が明るくなる。


 最初に映ったのは朱音の母で、その奥に父がいた。少し遅れて、真新しい制服を着た七瀬結衣が画面の前に入ってくる。まだ襟元が硬そうで、着慣れていない感じが少し残っている。けれど顔は、澪が七瀬家で一緒に暮らしていた頃と同じように明るかった。


『お姉ちゃん、澪ちゃん!』

「結衣」

「結衣ちゃん」

『澪ちゃん、ちゃんとご飯食べてる?』

「食べた」

『何食べた?』

「粥。卵焼き」

『卵焼きならよし』

「結衣ちゃんは?」

『今日はお弁当。普通科高校、朝けっこう早い』

「普通科」

『うん。ダンジョンじゃない方。宿題が出る方』

「宿題」

『そんな珍しいものを見る顔しないでよ〜』


 朱音が小さく笑う。


「結衣、制服似合ってるよ」

『ほんと? まだ変じゃない?』

「大丈夫。ちゃんと高校生に見える」

『それ、褒めてる?』

「褒めてる」

「似合ってる」

『澪ちゃんに言われると信じる』

「朱音先輩は?」

『お姉ちゃんはたまに甘いから』

「結衣」

『はいはい、分かってる。心配してくれてありがと』


 澪は画面を見つめていた。


 七瀬家の食卓。卵焼き。結衣の声。玄関の匂い。朱音の家で過ごした時間が、フラッシュバックする。


「また、行く」

『来て。お母さんも待ってるし、私も澪ちゃんとまたご飯食べたい』

「うん」

『今度は私も卵焼き作れるから』

「見る」

『食べてよ』

「最初は見る」

『じゃあ二回目は食べて』

「うん」


 通信は長く続かなかった。


 画面が暗くなると、澪は少しだけ残念そうに端末を見ていた。朱音はその横顔を見て、そっと手を重ねる。


「また会えるよ」

「うん」

「結衣も待ってる」

「制服、似合ってた」

「次に会った時、本人にも言ってあげて」

「言う」


 同じ頃、配信管理部では別の画面が真っ赤に染まっていた。

 ミナトは椅子の背もたれに体を預け、天井を見上げる。


「仮告知ページ、落ちました」


 佐伯は一瞬だけ目を閉じた。

「まだ予約開始前です」

「はい。予約開始前です。商品画像も仮です。価格も未定です。販売時期も未定です」

「では、なぜ落ちたんですか」

「世界登録者数十七億人のチャンネルで、公式グッズの候補にフライパンがあると漏れたからです」


 配信管理室のモニターには、世界地図が表示されていた。日本、北米、欧州、中東、東南アジア、南米。アクセスが地域ごとに赤く染まり、秒単位で増えていく。国内サーバーはすでに応答を諦め、海外向けキャッシュも悲鳴を上げていた。


『九環公式グッズ仮告知ページ接続不能』

『まだ予約開始してないのに落ちた』

『十七億人を舐めるな』

『澪ちゃんのフライパンを出すなら世界規模で備えろ』

『九環フライパン待機列、概念だけで百万超えてそう』

『白猫の通り道アクスタ欲しい』

『九環ロゴのマグカップは買う』

『マシロ風ブランケットは慎重に頼む』

『本人の顔面プリントじゃないの分かってる』

『フライパンが一番澪ちゃん本人に近いの笑う』

『不老薬素材を持って帰った子が一番欲しいの調理器具なの好き』

『まずサーバーを蘇生しろ』

『澪ちゃんに頼むな』


 ミナトは机に額を落とした。


「サーバーを蘇生しろ、が世界トレンド入りしました」

「冗談でもやめてください」

「技術部からは、先着販売は不可能、抽選方式必須とのことです」

「当然です。限定商法も禁止します。転売を招きます」

「フライパンで国際問題を起こしたくないです」

「もう半分起きています」


 神楽坂が横から画面を見る。


「オークション側は?」

「そっちはそっちで地獄です。不老薬権利の追加分、若返り薬の初期ロット候補、第二層第九環ドロップ武具。問い合わせ元の格が違います。国家、王族、財閥、医療連合、老探索者の後援組織、表に出せない団体。全部来ています」

「金額だけでは済みませんね」

「済みません。兆単位で殴ってくるだけならまだ分かりやすいですが、優先投与権、研究参加権、独占権、政治保証、軍事転用禁止条項の抜け道探しまで混ざっています」

「抜け道は塞ぎます」

「お願いします。こっちはフライパンで手一杯です」


 赤い警告が出た。


 ミナトは表情を変えずに開く。


『澪ちゃんのフライパンの底に刻まれた九環ロゴになって、火に炙られながら朝の卵だけを見上げていたい』


 削除。


『このコメントは削除されました。』


『悲報、変態詩人、サーバー落ちても湧く』

『火に炙られるな』

『九環ロゴになるな』

『朝の卵だけを見上げるな』

『でも情景だけは浮かぶのやめろ』

『好きになるな』

『詩人の予約枠だけ弾いて』

『公式フライパンを詩にするな』

『もう遅い』


 ミナトは無言で削除ログを保存した。


「詩人だけはサーバー落ちても生きています」

「生存確認しないでください」

「はい」


 午後、澪の医療区画にも仮告知ページの話が届いた。


 佐伯はかなり言葉を選んだ。ミナトは隣で端末を抱えている。朱音はベッドの上で、澪の肩に毛布を掛け直していた。


「天瀬さん。公式グッズの件で報告です」

「うん」

「まだ予約開始前ですが、仮告知ページへのアクセスが集中し、システムが一時停止しました」

「停止」

「見たい人が多すぎた、という意味です」

「フライパン?」

「主にフライパンです」


 澪の耳が少し動いた。


「人気?」

「非常に」

「ちゃんと焼ける?」

「そこは最優先条件に入れます」

「じゃあ、いい」


 澪の中では、重要な判断が終わったらしい。


 佐伯は真面目に頷いた。


「抽選方式にします。限定品ではなく、必要数を段階的に生産します。転売対策も入れます」

「転売?」

「買えない人に高く売る悪い人です」

「だめ」

「はい。だめです」


 朱音が佐伯へ軽く頭を下げる。


「対応していただいて、ありがとうございます。こちらでも澪に確認できることはします」

「助かります。七瀬さんにも負担が出ない範囲でお願いします」

「はい」


 澪は端末を見ていた。


「十七億人」

「はい」

「多い?」

「とても多いです。あれからさらに増えました。世界で一番多いです」

「一番」

「澪さんの《九環》は、世界登録者数でぶっちぎりの一位です」

「そう」

「反応、薄いですね」

「卵焼ける方が大事」


 朱音が口元を押さえて笑う。


「澪らしい」

「だめ?」

「ううん。そういうところ、私は好き」

「うん」


 そこへ、通信端末が小さく震えた。


 七瀬家からではない。結衣から、アークライン経由で許可された短いメッセージだった。文章だけ。位置情報も端末情報も消されている。


『澪ちゃん、九環フライパン出たら私も欲しい。普通科高校の友達にも聞かれた。すごいことになってるよ』


 澪は画面を見た。


「結衣ちゃんも、いる」

「欲しいって言ってるね」

「結衣ちゃんに、あげる?」

「公式で買ってもらうより、澪が一本選んで渡したら喜ぶと思うよ」

「選ぶ」

「ちゃんと焼けるやつね」

「うん」


 佐伯が端末に記録した。


「七瀬結衣さん向け贈答用一本。本人確認後、別枠。転売不可」

「結衣さん、世界で最初の九環フライパン保有者になる可能性がありますね」

 ミナトが小声で言う。

「外へ漏らさないでください」

「もちろんです」


 朱音は少し困ったように笑った。


「結衣、たぶんすごく喜ぶけど、学校で言いふらさないように言わないと」

「普通科高校」

「うん。普通科高校」

「友達、いる?」

「いると思うよ。結衣はそういうの、ちゃんとできる子だから」

「すごい」

「今度会ったら、そう言ってあげて」

「言う」


 医療区画の空気は穏やかだった。


 外ではサーバーが落ち、世界中で九環フライパンが話題になり、不老薬の権利をめぐって兆を超える金と条件が飛び交っている。若返り薬の初期ロット候補には、形もないのに国家級の問い合わせが来ている。第二層第九環の武具については、鑑定前から名を出せない買い手が増えていた。


 けれど澪は、結衣にフライパンを一本選ぶことを考えていた。


 メイが床を小さく鳴らす。


「メイのは、フライパンじゃないよ」

「白鯨?」

 メイが低く鳴った。

「白鯨は、不老薬」


 澪は少しだけ考える。


「でも、メイのご飯もいる」

「メイ優先分は確保しています」

 佐伯が答える。

「残りを不老薬の追加生産と権利管理へ回します」

「うん」

「若返り薬候補は第二層九環素材側です」

「黒い根」

「はい」

「それは、メイじゃない?」

 メイが興味なさそうに鳴った。

「じゃあ、研究」


 佐伯は頷いた。


「そのように進めます」


 澪は朱音の手を握る。


「朱音先輩」

「なに?」

「結衣ちゃん、また会う」

「うん。落ち着いたら会おうね」

「フライパン持って」

「それ、結衣びっくりするよ」

「だめ?」

「だめじゃない。たぶん、すごく喜ぶ」

「じゃあ、持つ」


 朱音は柔らかく笑った。


 その会話を聞きながら、ミナトは端末を見た。仮告知ページはまだ復旧していない。技術部のチャットには、世界各地からのアクセスをどう捌くか、転売対策をどう組むか、多言語ページをどう分けるか、悲鳴のような文章が並んでいる。


 さらに別窓では、オークション準備室から佐伯へ新しい照会が届いていた。


 不老薬権利。若返り薬初期ロット候補。第二層第九環武具。


 金額欄は、もう普通の単位で見るものではない。桁の横に、条件、連合名、代理人名、国家保証、匿名財団、旧王族、医療同盟、探索者組合、裏で繋がっているらしい資金の流れが並ぶ。


 数千億円など、入口の敷居にもならない。


 金で殴る世界が、もう扉の向こうにいた。


 その中心にいる少女は、粥の残りを食べ、結衣に渡すフライパンのことを考え、メイのご飯とマシロの白さを気にしている。


 ミナトは小さく呟いた。


「この温度差、配信に乗せたらまた落ちますね」

「乗せないでください」

 朱音が穏やかに言った。

「澪、まだ休ませたいので」

「もちろんです」


 ミナトはすぐに頷いた。


 朱音は礼を言うように少しだけ頭を下げる。


「ありがとうございます」


 澪はそのやり取りを見て、首を傾げた。


「休む?」

「うん。少し休も。結衣に会う時、眠そうな顔だと笑われるよ」

「笑う?」

「たぶんね」

「じゃあ、寝る」


 澪は素直に目を閉じた。


 メイがベッドの下で丸くなり、マシロが毛布の端を静かに整える。朱音はその手を握ったまま、端末の暗くなった画面を見た。


 結衣の制服姿が、まだ目に残っている。


 普通科高校。宿題。電車。友達。卵焼き。九環フライパン。

 世界はおかしいほど大きくなっているのに、澪が戻りたい場所は、まだそういう小さなものの近くにあった。

 扉の外で、技術部の悲鳴がまた一つ増えた。


『仮告知ページ、再起動直後に再落ちしました』


 佐伯は端末を見て、静かに言った。


「抽選受付ページは、別サーバー群で組み直してください」

「了解です。十七億人向けに、フライパン売ります」

「言い方を整えてください」

「九環公式監修実用品第一弾、調理器具です」

「それでお願いします」


 医療区画の中で、澪はもう眠っていた。


 世界一位のチャンネル登録者数を持つ少女の、最初の公式実用品。


 その予約ページは、公開前に二度落ちた。

凛ちゃんが黒鉄旅団へ入社したのと同時に、実はゆいちゃん高校生になってました。

なんか感慨深いですね。


メイの食費だけで国が買えますね。

ただ修復しない時はメイのご飯は趣味みたいなものです。

まぁ、食べる度にメイが強くなっていることはここだけの話。

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受注生産でいいのでわ?
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