第五話 公式グッズ会議
白い器に入った粥。柔らかく煮た野菜。少し甘い卵焼き。医療区画の食事としては悪くない。けれど、澪は盆の上を見て、ほんの少しだけ目を細めた。
「朱音先輩のじゃない」
「厨房の人が作ってくれたご飯だよ」
「朱音先輩のじゃない」
「今日は私も作れないからね」
「……そう」
「でも卵焼きあるよ。甘いやつ」
「食べる」
澪は箸を持った。朱音は隣のベッドで同じ朝食を前にしている。顔色は昨日より戻っていた。
澪は卵焼きを口に入れてから、朱音の背中を見た。
「羽、出てない」
「出てないね。ベッドで出たら邪魔だし」
「きれいだった」
「……そう言われると、ちょっと照れる」
「好き」
「うん。ありがと」
朱音は柔らかく笑った。
澪はそれで満足したように、また卵焼きを食べる。メイはベッド脇で鎖を丸め、朝食にはまったく興味を示さない。マシロは澪の肩に白く落ち、粥の湯気が近づいても汚れる気配ひとつなかった。
扉が控えめに叩かれた。
入ってきたのは、佐伯とミナトだった。二人とも手元に端末を持っている。佐伯はいつも通りに見えたが、ミナトの顔には明らかな疲労があった。
「食事中にすみません。昨日の声明後の件で、確認があります」
「短くお願いします。澪、食べてるので」
「はい。短くします」
「本当に短くね」
「七瀬さんの圧、ちゃんと届いてます」
ミナトが端末を操作すると、壁面モニターに画像一覧が出た。
九環の名を勝手に使った護符。澪の配信映像から切り抜いた顔を印刷した缶バッジ。鎖を模した黒いアクセサリー。白い布にマシロ風と書いただけの商品。朱音の防壁映像から抜き出した翼を使ったペンダント。生命反応再取得と書かれた悪趣味なステッカー。
澪は最初、自分の顔が使われている画像にはあまり反応しなかった。
けれど、メイ風アクセサリーの画面で目が止まった。
「メイ?」
「勝手に似せた商品です」
「だめ」
「マシロの布もあります」
「だめ」
「七瀬さんの羽モチーフも」
「だめ」
即答だった。
佐伯が淡々と端末へ記録する。
「メイ、マシロ、七瀬さんの翼モチーフについて、本人確認で無断利用不可」
「澪さん自身の画像は?」
ミナトが聞いた。
澪は少しだけ考えて、朱音を見た。
「朱音先輩、嫌?」
「私は嫌かな。澪が知らないところで、勝手に使われるのは」
「じゃあ、だめ。んぐ」
朱音は澪の口元についた粥を、紙ナプキンでそっと拭いた。
「ついてた?」
「少しだけ」
「ありがと」
「どういたしまして」
ミナトはその自然なやり取りを見ないふりで端末へ戻った。今の一瞬を配信に乗せたら、それだけで切り抜きが大量に出る。けれど、今ここで言ったら朱音に怒られる。
「違法品は止めます。ただ、全部を潰しても次が出ます。なので、公式監修品を出して、買うならこっち、という流れを作りたいです」
「公式」
「アークラインが確認して、澪さんや七瀬さんが嫌がらない形で出すものです」
「メイ、噛まない?」
「噛ませません」
「マシロ、汚れない?」
「汚しません」
「朱音先輩の羽、勝手にしない?」
「しません」
「なら、聞く」
その返事だけで、ミナトは少し救われた顔をした。
佐伯が候補一覧を出す。
九環ロゴのマグカップ。鎖そのものではなく、黒い輪を控えめに配置したキーホルダー。白い装束を連想させるだけのハンカチ。朱音の翼を直接写さず、白い羽根を一枚だけ抽象化した栞。配信画面風ではなく、九環の文字だけを使ったステッカー。探索者支援用のピンバッジ。
最後に、黒い取っ手のフライパンが出た。
澪の箸が止まる。
「フライパン」
「候補です」
「使える?」
「実用品にするなら、普通に卵が焼ける品質で作ります」
「メイが噛んでも?」
「それは家庭用品の範囲を超えます」
「そう」
「普通の料理用です」
「いる」
ミナトが小さく拳を握った。
「九環フライパン、本人反応良好です」
「まだ決定ではありません」
佐伯がすぐに言う。
「でも一番反応いいですよ」
「それは否定しません」
「フライパンが勝ちましたね」
「勝敗ではありません」
朱音が笑った。
「澪、公式グッズの第一候補がフライパンでいいの?」
「使う」
「うん。澪らしい」
「朱音先輩、卵焼く?」
「退院したらね。一緒にやろうか」
「見る」
「見るところからね」
「うん」
その頃、配信管理部の画面では、公式声明後のコメント欄から拾われた反応が流れていた。声明そのものへの反応はもう別の部署がまとめている。今、ミナトが見ているのは違法グッズと公式監修品の話題だけだった。
『違法グッズ出すやつ、澪ちゃんの前にメイ置きたい』
『メイに噛まれろとは言わない。言わないけど噛まれてほしい』
『マシロ風白布とか雑すぎて逆に腹立つ』
『公式で白くて丈夫なハンカチ出して』
『朱音さんの羽根は公式でも慎重に頼む』
『翼そのものじゃなくて羽根一枚の意匠なら欲しい』
『澪ちゃんの顔を勝手に缶バッジにするな』
『九環ロゴだけでいいんだよ』
『本人を印刷するより、生活に近いものが欲しい』
『つまりフライパン』
『なぜそうなる』
『いや、なるだろ』
『九環フライパンで卵焼いたら澪ちゃんが喜びそう』
『澪ちゃん本人はたぶん一番それを使う』
『メイが噛んでも壊れない仕様は家庭用じゃないって言われてそう』
『言われてそうじゃなくて言われてると思う』
ミナトが画面を見て、苦いような嬉しいような顔をした。
「流れは悪くないです。本人の顔を使わない方向に、視聴者側も納得しています」
「違法商品への誘導は?」
「かなり叩かれています。公式待ちの空気が強いですね」
「なら急ぎましょう。遅いほど、偽物が増えます」
佐伯は次の資料を出した。
「収益の扱いです。天瀬さん個人に入れることもできますが、資産規模を考えると、そのまま積むだけでは管理上の意味が薄い。公式監修品の収益は、一部を支援基金へ回す案があります」
「支援」
澪が聞く。
「探索者の遺族、未帰還者の家族、若手探索者の装備補助などです」
「帰れない人の家族」
「はい」
「装備ない人」
「はい」
「減る?」
「何を、ですか」
「死ぬの」
佐伯は一度だけ言葉を選んだ。
「すべては無理です。でも、装備や救助、生活支援があれば、減らせる可能性はあります」
「じゃあ、それ」
「基金として始め、将来的に財団化もできます」
「財団」
「お金を勝手に使われないように、ルールを決めた大きな箱だと思ってください」
「箱」
「はい」
「九環の箱」
「名称は後日検討します」
「うん」
ミナトが小声で言う。
「フライパンから財団が生えました」
「言い方」
朱音が笑う。
「でも、澪らしいかも。自分のグッズにはあまり興味ないのに、帰れない人の家族って言われたら、そっちを見る」
「未帰還者リストにいた本人ですから」
佐伯が静かに言った。
「そこは、外には雑に出さないでください」
「もちろんです」
澪はまた粥を食べ始めていた。大きな話になっていることは分かっているようで、分かっていない。だが、必要なところだけは聞いている。
「メイのご飯は?」
「グッズ収益とは別です。白鯨素材、不老薬用の分とは別に、メイ優先分は確保済みです」
「うん」
「マシロは?」
「マシロ関連の無断商品は止めます。公式品にする場合も、本人、いえ、本装備の性質を損なわない形にします」
「マシロ、汚さない」
「汚しません」
「朱音先輩の羽」
「七瀬さん本人の許可なしでは使いません」
「うん」
朱音は少しだけ照れた顔をした。
「澪、私の羽のことも気にしてくれるんだね」
「好きだから」
「……そっか」
「だめ?」
「だめじゃないよ。ありがと」
ミナトは天井を見た。見てはいけないものを見た気分だった。
「藍沢さん」
佐伯が呼ぶ。
「見てません」
「ならいいです」
「はい」
コメント欄では、支援基金の話も拾われ始めていた。
『九環基金?』
『未帰還者家族支援は刺さる』
『澪ちゃん本人が未帰還リストにいたからな』
『公式グッズ買ったら支援に回るなら買う』
『フライパン買って支援になるの意味分からないけど良い』
『九環フライパンで朝食作るたびに救助研究費になるなら最高では』
『白いハンカチも買う』
『メイのご飯代にはならないの?』
『メイのご飯は素材単位が違うからグッズ収益では無理』
『白鯨素材=不老薬=メイご飯候補なの世界観が強すぎる』
『普通のファングッズで賄える武器じゃない』
『澪ちゃんの近く、生活と世界史が同じ机に乗ってる』
そこへ、赤い警告が出た。
ミナトは無言で開く。
『澪ちゃんのフライパンで焼かれる卵の端になって、朱音さんの箸で半分に分けられたい』
ミナトは迷わず削除した。
『このコメントは削除されました。』
『出た』
『変態詩人、朝から焼かれるな』
『卵の端は意味分からないのに情景だけ浮かぶのやめろ』
『朱音さんの箸を巻き込むな』
『公式フライパンが汚れる』
『削除速度が職人芸』
『変態詩人対策班あるだろ』
『管理部、詩人専用の隔離台を用意して』
『素材扱いで草』
『危険度分類しろ』
澪は画面の端を見て、首を傾げた。
「卵?」
「澪、そこは読まなくていいよ」
朱音がすぐに遮る。
「変な卵?」
「うん。変な卵」
「食べない」
「食べなくていい」
ミナトが肩を震わせた。
「変な卵で処理された」
「笑ってないで削除してください」
佐伯が言う。
「削除済みです」
「追加で監視」
「はい」
朝食が終わる頃には、候補はかなり絞られていた。
九環ロゴの実用品。白いハンカチ。羽根の栞。支援ピンバッジ。フライパン。メイとマシロを直接模したものは、いったん保留。澪の顔を大きく使う商品は却下。朱音の翼は本人確認必須。
佐伯が端末を閉じる。
「本日の確認は以上です。公式監修品の第一案を作成します。天瀬さん、最後に一言だけ、方針を確認させてください」
「うん」
「無断商品は不可。公式品は事前確認。メイ、マシロ、七瀬さんの翼は特に慎重に扱う。収益の一部は支援基金へ。フライパンは候補。これでよろしいですか」
「うん」
「ありがとうございます」
「長い」
「短くすると?」
澪は少し考えた。
「勝手に、だめ。聞いてから。フライパンは、いる」
「……完璧です」
ミナトが真顔で言った。
「本当に?」
「はい。澪さんの言葉としては、そのまま出したいくらいです」
「整えすぎないようにします」
佐伯が言う。
「お願いします。整えすぎると、澪さんじゃなくなるので」
朱音は澪の頭を軽く撫でた。
「ちゃんと言えたね」
「うん」
「えらい」
「子どもじゃない」
「知ってるよ。でも、えらいのは本当」
「……そう」
「そう」
澪は少しだけ目を伏せて、最後の卵焼きを食べた。
不老薬。若返り薬。第二層第九環の武具。黒胎袋。オークション。財団。世界を動かす言葉は、すでにいくつも並んでいる。
その中心にいる澪が、この朝いちばんはっきり欲しがったものは、フライパンだった。
ミナトは端末を抱えて、小さく呟いた。
「売れるな、これ」
「藍沢さん」
「はい。仕事にします」
「お願いします」
朱音が笑うと、澪もほんの少しだけ口元を緩めた。
扉の外では、世界がまだ騒いでいる。
けれど医療区画の中では、朝食が終わり、フライパンと支援基金の話が始まっていた。
この基金から過去の第一層九環へ後追い遠征をしたご家族に多大な支援をしたのはまた別のお話。
澪と朱音先輩が甘々な感じなんかいいですね。
大丈夫。しっかり関係の棲み分けはしているつもり。
…たぶん




