第四話 公式声明
アークラインの公式声明が出たのは、澪と朱音が医療区画で眠っている間だった。
午前三時四十二分。普段なら人の少ない時間帯。けれど、アークライン本部の配信管理室だけは昼間より明るかった。壁一面のモニターに、配信アーカイブ、切り抜き、海外翻訳、協会問い合わせ、政府系照会、医療機関からの要請、悪質な偽情報の一覧が流れている。
藍沢ミナトは、冷めた缶コーヒーを片手に画面を睨んでいた。
「死者蘇生、断定記事が二百超え。海外翻訳込みで拡散中。不老薬、若返り薬、黒胎袋、白鯨、第二層九環武具、全部混ざってます」
佐伯は隣で文面を確認していた。目の下に疲労はあるが、声は崩れない。
「声明では死者蘇生という言葉を使いません。生命反応の消失および再取得、未知の回復現象、現段階で検証中。これで統一します」
「分かってます。でも、コメント欄はもう蘇生で統一されてますよ」
「コメント欄は法的文書ではありません」
「強い」
神楽坂美冬は椅子に座らず、立ったまま全体を見ていた。端末には声明案が映っている。
「出しましょう。遅らせるほど、澪さんが誰かの都合で語られます」
佐伯が頷いた。
「では、公開します」
声明は短かった。
天瀬澪の帰還。七瀬朱音の生命反応再取得。黒胎袋および第二層第九環回収品の所有権は天瀬澪本人にあること。不老薬関連については、本人同意のもと安全確認と研究を進めること。若返り薬と呼ばれているものは、現時点では研究候補であり、完成品ではないこと。第二層第九環由来の武具・アイテムは、安全性確認前に流通させないこと。
そして最後に、短い一文。
天瀬澪本人への過剰な接触、無断利用、虚偽の商品化、親族・関係者への接触を固く禁じます。
公開から三秒で、コメント欄が跳ねた。
『生きてた。まずそれだけでいい』
『朱音さんの生命反応再取得って言い方、公式が限界まで言葉選んでる』
『死者蘇生って言わないの逆に重い』
『澪ちゃん寝てる? 寝ててくれ』
『黒胎袋の所有権は本人、ここ大事』
『勝手に国が持っていくなよって公式が釘刺してる』
『若返り薬はまだ候補、まだ候補、でも候補って言った』
『不老薬の次に若返り薬候補って世界が壊れる音がする』
『澪ちゃん本人はたぶんフライパン何個分かでしか理解してない』
『メイのご飯分は守れ』
『マシロちゃんの白さも守れ』
『いやマシロちゃんって呼ぶな装備だぞ』
『でも装備が澪ちゃんに布団かける世界だぞ』
ミナトは流れを見ながら、悪質なものだけを拾っていく。
「反応、思ったより怖がってはいないですね」
「怖がるより、守れが多いです」
「はい。あと、可愛いが多いです。非常に多いです」
モニターの別窓に、切り抜きが並んでいた。
朱音の手を握る澪。メイを押さえる澪。オークションという言葉に耳を動かす澪。黒胎袋を出す澪。朱音に「いる?」と聞く澪。どれも再生数が異常な速度で伸びている。
『澪ちゃんが「いる?」って聞くたび心臓がやられる』
『朱音さんの「いるよ」が世界で一番必要な返事』
『この二人、恋愛とかじゃなくて、もっと生活に近い何か』
『家の電気ついてるか確認するみたいに生存確認するのやめて泣く』
『メイがご飯扱いされてるのに、あの白鯨斬る武器なの温度差』
『澪ちゃん、世界を揺らす素材より朱音さんの手見てる』
『そこがいい』
『神様じゃない。帰ってきた子なんだよ』
ミナトの手が一瞬だけ止まった。
「……このコメント、残します」
「どれですか」
「神様じゃない。帰ってきた子なんだよ、ってやつ」
「残してください」
佐伯の声も少しだけ柔らかくなった。
次の瞬間、画面の端が赤く点滅した。
「来ました。変態詩人」
ミナトが姿勢を正す。
『澪ちゃんが握った手と手の間に挟まった空気になって、朝まで誰にも見つからず温度だけ覚えていたい』
部屋が一瞬、沈黙した。
「削除します」
「お願いします」
ミナトが削除した。
『このコメントは削除されました。』
『変態詩人、寝ろ』
『いや表現だけは綺麗なの腹立つ』
『場所を選べ』
『でも温度だけ覚えていたいは少し分かる』
『分かるな』
『分かるな管理部が困る』
『詩人、澪ちゃんの周囲半径五十メートル立入禁止で』
『五十メートルで足りるか?』
『精神的には地球の裏側まで離れてほしい』
ミナトは頭を抱えた。
「消しても消しても文化になっていく」
「文化にしないでください」
「努力しています」
神楽坂が別のモニターへ視線を移した。
「違法商品は?」
「増えています。澪さんの名前入り護符、メイ風アクセサリー、マシロ風白布、朱音さんの翼モチーフペンダント。あと最悪なのが、生命反応再取得の映像を使ったステッカー」
「即時対応」
「もう法務へ回しています」
「佐伯さん」
「動いています。商標、肖像、配信映像の無断使用、虚偽効能、医療誤認表示。まとめて止めます」
「公式側で出す必要が出てきましたね」
「不本意ですが」
配信管理室の空気が変わった。
澪を商品にしたいわけではない。だが、放置すれば勝手に商品にされる。悪質な業者は、澪が眠っている間にも増える。ならば、アークラインが窓口になり、澪の嫌がるものを避け、メイやマシロを変な形で使わせず、売上の扱いも澪本人の意思に合わせるしかない。
佐伯が静かに言った。
「公式監修品の検討に入ります。本人確認は起床後です」
「澪さん、興味ありますかね」
「自分のグッズには薄いでしょう。ですが、メイとマシロを勝手に使われるのは嫌がると思います」
「そこから説明しますか」
ミナトは端末に新しいメモを作った。
公式声明の反応は、さらに広がっていた。
『違法グッズ出てるってマジ?』
『澪ちゃんを勝手に売るな』
『メイ風アクセって何。噛みつかれろ』
『マシロ風白布はちょっと欲しいけど公式待つ』
『朱音さんの翼モチーフは公式なら欲しい』
『公式で出して。変なの買わないから』
『売上は澪ちゃんの生活費とメイご飯とマシロ手入れにして』
『澪ちゃん、もう数兆円あるんだよな』
『数兆円ある女の子がフライパン欲しがってるの、令和最大のバグ』
『フライパン公式グッズ化しろ』
『九環フライパン』
『メイが噛んでも壊れないフライパン』
『伝熱効率悪そう……』
『朱音さん監修の朝ごはん皿セットください』
『急に生活感出すな泣くだろ』
ミナトはその流れを見て、少し笑った。
「怖がられてはいませんね」
「怖がられる要素は十分あります」
佐伯が言う。
「でも、今見られているのはそこだけではない。アークラインは、その見られ方を守る必要があります」
「頑張って帰ってきた、可愛くて、すごい女の子」
「はい。雑な言い方ですが、かなり正確です」
医療区画では、澪が目を開けていた。
朱音はまだ手を握っている。眠っていたはずなのに、澪が動くとすぐ気づいた。
「起きた?」
「うん」
「お腹すいた?」
「少し」
「じゃあ、勝ち」
「勝ち?」
「澪がお腹すいたって思えるなら、少し安心ってこと」
澪はよく分からない顔をしたが、朱音が嬉しそうなので頷いた。
「勝ち」
そこへ佐伯とミナトが来た。
ミナトはいつもより慎重な顔をしていた。佐伯はいつも通りに見えるが、手元の端末には大量の通知が残っている。
「天瀬さん。起床直後に申し訳ありません。短く確認したいことがあります」
「うん」
「澪、朝ごはんの後でもいいよ?」
「短いなら」
「本当に短くします」
ミナトが端末を見せた。
「澪さんの名前や姿、メイ、マシロを勝手に使った商品が出ています」
「商品」
「はい。グッズです」
「私の?」
「はい」
「メイも?」
「出ています」
「だめ」
即答だった。
ミナトが少しだけ目を丸くする。
「メイはだめ?」
「だめ」
「マシロは?」
「だめ」
「澪さん自身は?」
澪は少し考えた。
「朱音先輩、嫌?」
「私は、澪が勝手に使われるのは嫌かな」
「じゃあ、だめ」
朱音は澪の髪を軽く撫でた。
佐伯が頷く。
「では、違法商品は止めます。その上で、公式監修品を出すかどうかを検討します」
「公式?」
「アークラインが確認して、澪さんが嫌がらない形で出すものです」
「メイ、噛まない?」
「噛ませない商品にします」
「マシロ、汚れない?」
「汚しません」
「朱音先輩は?」
「私?」
「翼」
朱音は一瞬だけ止まり、それから苦笑した。
「……それも勝手に使われてるの?」
「一部、モチーフ化されています」
ミナトが言いづらそうに言った。
「防壁の映像から、翼っぽく見えたので」
「意識しないと出ちゃうんだよね」
朱音は少し困ったように笑った。
「守ろうとすると、どうしても」
「きれい」
澪が言う。
朱音の表情が柔らかくなる。
「ありがと。でも、勝手に売られるのはちょっと困るね」
「じゃあ、だめ」
佐伯は端末に記録した。
「本人および関係者モチーフの無断利用は不可。公式監修品については後日会議。メイ、マシロ、七瀬さんの翼モチーフは特に確認必須」
「会議」
「はい」
「めんどう」
「……はい」
「佐伯さんがやる」
「やります」
「えらい」
「ありがとうございます」
ミナトが少し笑った。
「公式で出すなら、澪さんが嫌じゃないものにしましょう。可愛いけど、勝手に消費しないもの」
「食べ物?」
「食べ物もありです」
「フライパン」
「出ましたね、フライパン」
「いる」
「では、候補に入れます」
朱音が笑いをこらえきれなかった。
「澪、公式グッズ第一候補がフライパンなの?」
「使う」
「うん。実用的だね」
医療区画の外では、公式声明のコメントがまだ流れている。
『公式グッズ会議きた?』
『違法品買わない。公式待つ』
『メイのご飯代になるなら買う』
『澪ちゃんのフライパン出たら買う』
『不老薬オークションの隣でフライパン売る女』
『強すぎる』
『でも澪ちゃん本人はたぶんそれが一番うれしい』
『朱音さん監修なら朝ごはん皿セットもマジで頼む』
『変態詩人は買うな』
『詩人は公式から弾かれろ』
『詩人、今ごろ壁になりたいとか言ってる』
『言うな召喚される』
そして、少し遅れて一つ流れた。
『澪ちゃんの公式フライパンで焼かれる卵の湯気になって、朝の光だけを覚えて消えたい』
『このコメントは削除されました。』
『召喚成功してて草』
『削除早すぎる』
『管理部、詩人専用結界張ってる?』
『卵の湯気はギリ綺麗なのやめろ』
『でも消えたいなら消えてくれ』
『変態詩人、公式声明の日に爪痕を残すな』
ミナトは無言で削除履歴を閉じた。
朱音は端末に映った流れを少しだけ見て、澪の手を握り直した。
「澪、世界は騒がしいね」
「うん」
「でも、悪い声ばかりじゃないよ」
「そう?」
「うん。澪が頑張ったの、ちゃんと見てる人もいる」
「頑張った?」
「頑張ったよ。すごく」
澪は少し目を伏せた。
「朱音先輩、生きてる」
「うん」
「メイもいる」
メイが鳴る。
「マシロも」
白い裾が澪の肩に触れる。
「じゃあ、いい」
佐伯とミナトは、それ以上何も言わなかった。
公式声明は、世界を完全に落ち着かせたわけではない。不老薬も、若返り薬候補も、第二層第九環武具も、黒胎袋も、死者を戻したかもしれない映像も、何ひとつ小さくなってはいない。
それでも、ひとつだけ線は引かれた。
澪は勝手に語られる素材ではない。
売られる名前でも、奪われる力でも、飾られる奇跡でもない。
朱音の手を握って、朝ごはんを少し気にして、メイのご飯とマシロの白さを大事にする、可愛くて、すごい女の子。
その線を守るために、アークラインの仕事は増えた。
澪はベッドの上で、少しだけ考えてから言った。
「朝ごはん」
「うん。食べよっか」
「フライパン?」
「今日は医療区画のごはん」
「……そう」
「そんなに残念そうな顔しないの」
「フライパン、あとで」
「あとでね」
朱音が笑うと、澪もほんの少しだけ口元を緩めた。
扉の外では、世界がまだ騒いでいる。
けれど医療区画の中には、朝ごはんの匂いが近づいていた。
一体澪はフライパン何個買うのでしょうか。
楽しみですね。




