第二十九話 黒樹龍③ 討伐
黒樹龍の瞳が、初めて揺れた。
メイの刃が、黒緑の息を真正面から裂いている。ただ斬っているだけではない。刃の奥で、龍の息に混じる濁った流れを喰っている。青白い刃に黒緑の線が絡み、さらに巨人から得た根のような節が鎖へ浮かぶ。澪の左腕に入り込んでいた細い筋が、逆向きに震えた。
龍が、息を止めた。
止めさせられた。
澪は刃を押し込む。黒緑の奔流が左右へ割れ、割れた端から細い根になって澪へ戻ろうとする。マシロが白く広がり、その根を弾いた。白い布の縁が黒く染まり、すぐに吐き出す。吐き出された染みは地面へ落ち、ぱちぱちと小さな白煙を上げた。
「食べてる」
澪はメイを見た。
メイが低く鳴る。
黒樹龍が翼を打った。葉脈の膜から胞子が散る。散った胞子は空中で針に変わり、澪の背中へ回り込む。澪は見ていない。だが、猫耳が拾っていた。針が空気を裂く音。マシロの布が先に反応し、背中を包む。数本が白い布に刺さり、布の表面で黒い花を咲かせようとした。
澪はメイを引き抜いた。
刃に黒緑の残光が残る。
振る。
鎌の風圧が、青白い斬撃になって龍の喉元へ走った。今までより遅い。けれど、重い。斬撃の中に、黒樹龍の息から喰った濁りが混じっている。外殻へ届いた瞬間、斬撃は表面を削るだけで止まらなかった。濡れた膜を裂き、硬化した樹皮へ食い込み、奥の樹液の流れを乱す。
黒樹龍の首が大きく跳ねた。
龍は後ろへ下がる。森がそれに合わせて動いた。幹が曲がり、根が持ち上がり、澪との間に壁を作る。壁の表面には花の口がいくつも開き、甘く腐った息を吐いた。
澪は笑った。
小さく、楽しそうに。
「隠れた」
転移。
壁の前ではない。上。根の壁の頂点へ出る。足元の根がすぐに澪を絡め取ろうとする。マシロが足首を包む。メイの鎖が枝分かれし、根の壁へ深く食い込む。澪は鎖を支点にして身体を落とし、壁の向こう側へ飛び込んだ。
黒樹龍が口を開いていた。
近い。
喉の奥に、次の息が溜まっている。黒緑の光が細く圧縮され、花の香りが一気に濃くなる。澪は避けない。避けると追ってくる。避けた先を読まれる。なら、近い方がいい。
澪はメイの刃を、開いた口の縁へ叩き込んだ。
龍の顎がずれた。
息が口の中で弾ける。
黒緑の霞が龍自身の喉へ逆流し、首の内側が膨らんだ。龍の目が揺れる。澪はその瞬間、喉の奥へ向かって手を伸ばした。直接触れるわけではない。触れれば手が使えなくなる。けれど、そこにある流れは分かる。息が生まれる場所。樹液が魔力へ変わる場所。龍が森から吸い上げたものを、自分の力として吐き出す芯。
そこへ、メイの刃を置く。
刃が鳴る。
澪の視界の端に文字が浮いた。
《魔力操作》Lv9→Lv10
《魔力感知》Lv9→Lv10
《魔力循環》Lv9→Lv10
《条件を満たしました》
《魔力系統スキルを統合します》
通常スキル《魔道の心得》NEW Lv1 を獲得しました。
澪はログを読む暇もなく、刃を引いた。
ただの引き斬りではない。刃を通した場所から、龍の喉奥の流れが一緒に剥がれる。黒緑の光が千切れ、青白い刃の中へ吸い込まれる。メイが、歓ぶように鳴った。
黒樹龍が咆えた。
音ではなく、森全体が震えた。
『口の中で弾けた!?』
『龍、自分の息食らった?』
『澪ちゃん、脳筋過ぎるw』
『喉に刃入れたぞ』
『いや近い近い近い』
『笑ってた』
『完全に楽しくなってる』
『メイの音が変わった』
『鎌が喜んでるみたいで怖い』
『その鎌に喜ばれたい』
このコメントは削除されました。
『喜ばれ方がたぶん違う』
『【アークライン公認解説/Noah Vale】She disrupted the formation point of the breath from inside the mouth. It is extremely dangerous, but it worked.(息が形成される場所を口内側から乱しました。極めて危険ですが、成功しています)』
『解説ニキも危険って言った』
『【黒鉄旅団公式】今の踏み込みは真似するな。人がやる動きじゃない』
『黒鉄が釘刺してる』
『【アークライン装備開発部】メイの反応値が跳ねています。記録しています』
『工房組、また胃が痛そう』
黒樹龍の動きが変わった。
怒りではない。防御だ。
龍は距離を取ろうとした。翼が葉脈を広げ、森の上へ上がる。胞子が散り、澪との間に黒緑の霞を置く。森の根も、今度は澪を捕まえるのではなく、龍の足元を支えるように動いた。逃げようとしている。
「逃げるの?」
澪は首を傾げた。
その声が楽しそうで、コメント欄が一瞬止まった。
澪は地面を蹴る。
マシロが白い足場を作る。澪はそれを踏み、さらに転移する。龍の背中へ出る。黒い枝のような突起が並ぶ背へ、メイの鎖を走らせる。鎖が枝分かれし、硬化した樹皮の隙間へ食い込む。黒樹巨人から喰った固定の性質が、ここで効いた。龍が翼を打っても、鎖は外れない。
澪は背中を走る。
足元の濡れた膜が靴へ絡む。無視する。黒い花が咲く。踏み潰す。胞子針が横から来る。メイの柄で弾く。龍の背骨に沿って、青白い刃を滑らせる。
浅い。
まだ浅い。
けれど、斬った場所から龍の流れが乱れる。再び塞がろうとした樹液が、途中で止まる。メイがそこへ噛みつき、ほんの少しずつ喰う。
龍の翼が大きく跳ねた。
澪の身体が空へ放り出される。鎖は繋がったまま。澪はその鎖を引き、振り子のように龍の腹側へ回った。腹の外殻は背より薄い。だが、そこには袋状の器官がいくつも並んでいる。ひとつひとつが脈打ち、黒緑の霞を溜めていた。
「ここ」
澪はメイを逆手に持つ。
突き入れる。
器官のひとつが破れた。中身が噴き出す。甘く腐った香りが濃くなり、澪の喉が痺れる。マシロが口元を覆う。澪は構わず、刃を横へ抜いた。破れた器官の奥で、龍の魔力が一瞬だけ途切れる。
龍が落ちた。
完全にではない。翼で姿勢を戻そうとする。だが、その一拍が遅れる。澪はその遅れへ転移した。龍の顎下。喉の付け根。さっき喰った場所。
メイを構える。
今度は、龍も読んでいた。
黒い花が澪の転移先に咲く。花の口が開き、澪の右肩へ噛みついた。鋭い歯ではない。柔らかい花弁が肉へ貼りつき、そこから細い根を入れてくる。マシロが引き剥がそうとする。根の方が早い。肩の奥へ入る。
澪の右腕が一瞬、鈍った。
龍の爪が来る。
避けきれない。
澪は左腕で受けた。
黒く乾いたままの左腕。戻りが遅く、重く、動きの悪い腕。それを盾にした。爪が当たり、乾いた皮膚が割れる。中に入り込んでいた黒緑の筋ごと、肉が裂ける。
その瞬間、澪は左腕の中にあった濁りを掴んだ。
手で掴んだのではない。感覚で、奥の流れを引っ掛けた。自分の再生を邪魔していた細い根。龍と同じ匂い。同じ流れ。それをメイへ渡す。
メイの刃が、黒く鳴った。
澪は右肩に咲いた花を、肩ごと切るように刃で払った。花が裂け、根が引きずり出される。その根をメイが喰う。龍の体内へ繋がっていた小さな道が、刃の中へ引き込まれた。
澪の左腕が、一気に軽くなる。
完全には戻らない。だが、再生の流れが通った。
「抜けた」
澪は嬉しそうに言った。
『逃げた?』
『龍が距離取った』
『澪ちゃん、逃げるの?って言った』
『怖い』
『白猫が追う側になってる』
『背中走った』
『龍の背中を走るな』
『腹の袋破ったぞ』
『落ちた』
『右肩に花が咲いた』
『いや咲かせるな』
『肩ごと払った!?』
『左腕、今戻り始めた?』
『黒い筋が消えた』
『メイが喰った』
『鎌が治療した?』
『治療というより食事』
『澪ちゃんの怪我に住んでたものを食べたい』
このコメントは削除されました。
『住むな』
『【アークライン公認解説/Noah Vale】She used the foreign trace inside her own wound as a path back to the dragon. That is not ordinary healing.(自身の傷に残った異物の痕跡を、龍へ戻る道として使いました。通常の治癒ではありません)』
『解説ニキ、言葉選んでる』
『【アークライン装備開発部】メイの捕食反応を確認。対象は龍体内由来の残留物と思われます』
『捕食反応って言った』
『メイご飯中』
一方第一層第九環では、救助班が撤退を始めていた。
救助対象は二名。片方は意識がある。片方は朦朧としていた。朱音は意識のある方を背中へ回し、黒鉄の隊員がもう一人を抱える。協会職員が帰還補助札を重ねるが、反応はまだ不安定だった。
白い墓標群の奥で、白鯨が向きを変えた。
遠い。だが、近づいている。空葬原の距離は信用できない。遠くに見えるものが、次の瞬間にはすぐ横にいることがある。朱音はそれを映像で何度も見ていた。だから、見上げすぎない。足元も見る。呼吸も聞く。隊員の位置も確認する。
「右の墓標、沈みます」
「了解」
「左から小型」
「止める」
朱音は槍を横へ振った。骨の鳥のような魔物が砕ける。胸の鐘が鳴る寸前、黒鉄の隊員が追撃で潰す。
救助対象の少年が震えていた。
「ごめ、なさ……」
「喋らないで」
「俺たち、戻れるって……」
「今は息して」
朱音は短く言い、前を見る。
胸元の端末から、澪の声が入る。
『抜けた』
朱音は一瞬だけ、目を伏せた。
「そっちは抜けたんだね」
こちらは、まだ抜けていない。
帰還補助札が点滅する。青白い光が広がる。だが、空葬原の空気がそれをねじる。墓標群が鳴り、足元の白い地面が波打つ。
黒鉄の隊員が叫んだ。
「白鯨、反応上がる!」
朱音は振り向きそうになった。
振り向かない。
振り向けば、足が止まる。
「帰還補助、あと何秒!」
「十秒!」
「長い」
「短くできません!」
白い影が、空葬原の奥で大きく揺れた。
次の瞬間、風ではない圧が来た。墓標の列がまとめて傾き、白い破片が空へ浮く。朱音は槍を地面へ突き立て、救助対象の少年を自分の背中側へ押し込んだ。
「伏せて!」
白い破片が降る。
黒鉄の隊員が盾を出す。協会職員が補助札を守る。朱音は槍の柄で飛んできた破片を弾いた。一本、二本、三本。四本目が速い。槍で弾く。腕が痺れる。五本目は避けられない。
朱音は左手を前へ出した。
手の甲に白い破片が突き刺さる。
痛みを無視して防壁を展開する。
帰還補助札の光が強くなる。
「転送、入ります!」
その声に、朱音は救助対象を押した。
自分より先に、二人を光の中へ。
その動きは、ほんの少しだけ早すぎた。
隊列の後ろに、影が落ちる。
骨の鳥でも、白鯨でもない。墓標の影から、白い獣が滑り出していた。鹿に似ている。だが首が長く、顔がない。腹の中に小さな鐘がいくつもある。朱音は気づいた。気づいた時には、もう跳んでいた。
訓練で洗礼されたバリアを前方へ最大出力で展開する。
「行って!」
白鯨の魔法がバリア越しに、朱音の脇腹を貫いた。と言うよりは消し飛んだ。
音が消えた。
胸元の端末から、澪の戦闘音だけが小さく漏れている。
朱音の身体が、前へ倒れない。両手を突き出したまま、膝をつく。救助対象の少年は光の中へ消える。黒鉄の隊員が叫ぶ。協会職員が振り返る。帰還補助札の光が、朱音の横を素通りして閉じる。
朱音は、まだ両手を前に出していた。
朱音の胸元の端末から、澪の声がした。
『メイ、もう少し』
朱音の唇が、わずかに動いた。
「……ばか」
声にはならなかった。
空葬原の奥で、白鯨がゆっくりと近づいていた。
黒鉄の隊員の叫びが、通信に乗る。
『七瀬!』
『七瀬朱音、応答しろ!』
『医療札! 早く!』
『反応が落ちてる!』
『七瀬、聞こえるか!』
地上の観測室で、誰かが立ち上がった。
だが、その声が澪へ届くより先に、第二層第九環で黒樹龍が最後の息を吐いた。
澪はそれを、メイで受けた。
青白い刃に黒緑の線が絡み、さらに奥で銀にも似た小さな光が散る。メイが喰ったものが、刃の形を少しだけ変える。澪は左腕で柄を押さえ、右手で刃を返した。
龍の息が割れる。
その中を、澪が走った。
息の中に入る。黒緑の霞が肌を乾かし、マシロの白を焼き、メイの刃を濁らせる。けれど、もう道は見えている。息の奥、龍の喉、さらに奥の芯。澪はそこへ転移した。
喉元。
龍の瞳が澪を見る。
澪は笑っていた。
「綺麗だった」
メイを振り抜く。
刃は外殻を深く裂いたわけではない。けれど、龍の中の流れを断った。息が止まる。翼が落ちる。根が力を失う。黒樹龍の長い首が、ゆっくりと傾いだ。
龍は倒れた。
森が、鳴いた。
花が一斉に閉じ、胞子袋が乾き、根が地面へ戻っていく。黒緑の霞が薄くなり、龍の外殻から濃い樹液がゆっくり流れ出す。メイは低く鳴り、その一部を刃の奥へ沈めた。マシロは汚れを吐き出し、澪の左腕を包む。
左腕の再生が、ようやく通り始めた。
《探索者レベル》Lv112→Lv120
《スキルオーブを獲得しました》
スキルオーブを使用しますーーー
「終わり」
澪はそう言って、龍の素材を見た。
回収できるものは多い。各種装備品。硬い外殻。葉脈の翼膜。濃い樹液。喉の奥の器官。花のような袋。名前は分からない。澪はインベントリから出したアイテム袋に使えそうなものから突っ込んでいく。
メイが、まだ龍の喉元を見ている。
「そこも?」
澪は龍の喉奥に手を伸ばした。
その時だった。
胸の中で、何かが切れた。
音はなかった。
けれど、確かに切れた。
澪の手が止まる。
森の匂いも、龍の残骸も、メイの低い音も、遠くなる。胸の奥に、急に冷たい穴が開いたようだった。澪は息を吸う。吸えた。身体は動く。けれど、何かがない。
視界の前に、文字が浮かぶ。
《絆対象者の絶命を確認しました》
《対象:七瀬朱音》
《対象座標への転送が可能です》
《転送しますか?》
澪は、しばらく文字を見ていた。
メイが鳴る。
マシロが、澪の胸元をそっと締めた。
澪の口から、声が落ちる。
「……朱音先輩?」
返事はない。
《Tips》
黒樹龍の倒し方。はありません。リポップで弱い個体が出たらわんちゃん。
手順としては
・各種耐性スキルをカンスト。
・食べられないこと(食われると能力の一部が龍に加算されます)
・再生を阻害できるなんらかのスキルを使用すること。
・高火力が必須
・個体によっては増殖するのでその時は諦めましょう。
・このフロアの別ボスから入手出来る回復阻害アイテムが実は弱点だったりして……。
やはりレベル70そこらの朱音(天使)じゃあ……うぅ。
……惜しい人を無くしました。
ここまで読んでくれてる方、ありがとうございます。
あなた方は少数精鋭です。
ダンジョンができたらぜひパーティ組みましょう。




