第三十四話 お料理配信②
チャンネル《九環》の帰還後初配信は、開始三時間前から待機欄が壊れていた。
画面には、アークラインの白い待機画面が映っているだけだった。中央に《危険素材処理検証配信》の文字。その下に、協会とアークラインの連名で、模倣禁止、素材摂取禁止、未承認素材の売買禁止、天瀬澪への個人接触禁止、帰還不能事案に関する憶測拡散への注意が並んでいる。普通の配信なら視聴者が読まない長さだった。けれど、誰も閉じなかった。十一ヶ月帰ってこなかった少女が帰還し、帰還直前に三体のボス素材を食べ、《不老》と口にした。その後、数兆円規模の一部売却が協会から発表された。見るなという方が無理だった。
『待機』
『もう三時間前だぞ』
『寝れなかったンゴ』
『九環帰還後初配信がお料理なの意味分からん』
『意味分からんけど澪らしい』
『料理タグ付いてるの草』
『災害素材処理タグも付けろ』
『【協会広報】本配信は専門管理下で行われる危険素材処理検証です。絶対に模倣しないでください』
『広報お疲れ』
『もうその文面百回見た』
『百一回目も見ろ』
『不老の件どうなった?』
『未確定扱い』
『未確定(世界中の医療機関が徹夜)』
『数兆円の焦げ片って何』
『焦げ片って言うな』
『【企業公式】北辰素材研究所:本日は純粋な学術的関心から視聴しております』
『嘘つけ』
『帰れ』
『【海外クラン公式】Valkyrie Gate:We are watching respectfully.』
『海外も敬語になってて草』
『俺も敬語で見るわ』
『澪様おかえりくださいませ』
『もう帰ってるだろ』
『澪ちゃんの鍋になりたい』
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『早い』
『ミナトさんもよう仕事してる』
アークライン本部地下、封鎖調理室。
名前だけなら料理教室に見えるが、中身は違う。白い調理台は封鎖術式を刻んだ合金製で、まな板に見える板は素材反応を遮断する工房品。換気設備は三重。火元は通常のガスでも電熱でもなく、魔力燃焼と隔離結界を組み合わせた管理炉。壁の向こうには医療班、封鎖工房、配信管理、協会鑑定士、法務、警備が詰めていた。料理番組にしては物々しすぎる。だが、扱うものを考えれば足りないくらいだった。
澪は椅子に座っていた。
まだ立って長く作業する許可は出ていない。髪は短く整えられ、身体には医療用の白いインナーと、アークラインが用意した柔らかい上着。右腕には神経補助用の薄い固定具が巻かれている。顔色は帰還直後よりましになったが、眠そうな目は変わらない。膝の上には毛布。足元には封鎖ケースへ収められた空骨鎖鎌がある。完全封鎖ではない。澪から遠ざけすぎると、鎌が低く震えるからだ。榊原がそのたびに胃を押さえた。
朱音は隣に立っていた。
白と黒を基調にしたアークライン研修生制服。羽はしまっている。輪も出していない。けれど、以前より白い。柔らかいというより、近くにいるだけで空気が落ち着く。澪は時々、何も言わずに朱音の袖を掴む。朱音も何も言わず、そのままにしている。医療班は最初だけ何か言いかけたが、黒瀬に見られて黙った。
「澪、疲れたらすぐ止める」
「うん」
「食べる量は決めた分だけ」
「うん」
「変なものを追加で入れない」
「たぶん」
「そこは、うん」
「うん」
朱音は小さく息を吐いた。
ミナトの声が室内スピーカーに入る。
『配信開始十秒前。コメント制限、最大。危険ワード自動削除、稼働。企業公式、海外公式、認証済みクランは別枠監視。七瀬さん、天瀬さん、聞こえますか』
「聞こえます」
「うん」
『開始します』
待機画面が切り替わった。
配信画面には、澪と朱音、白い調理台、そして中央に置かれた小さな封鎖皿が映った。皿の中には、素材が四つ。鐘骸鳥の喉鐘骨粉。白鯨膜片。黒い重骨片。逆墓王の骨核片。どれも米粒ほどしかない。だが、その周囲だけ映像がわずかに乱れている。小さすぎる量なのに、部屋の術式が反応していた。
「始める」
澪が言った。
『始まった!』
『おかえり澪』
『生きてる』
『顔色ましになってる?』
『まだ細いな』
『朱音さんいる』
『朱音さん白い』
『羽しまってる?』
『しまってるけどなんか聖属性出てる』
『澪が袖掴んでる』
『かわいい』
『かわいいけど扱ってる素材が可愛くない』
『料理台が研究施設なんよ』
『量ちっさ』
『あれで数兆円?』
『一部どころか粉じゃん』
『俺は粉以下かよ』
『金銭感覚死ぬ』
『【公式】アークライン配信管理部:本配信の素材量、処理手順、術式詳細は安全上の理由により一部制限されています』
『見せられない料理番組』
『料理番組とは』
澪はまず、普通の白粥を見た。
朱音が作ったものだった。米、水、少しの塩。アークラインの医療班が許可した、胃に優しい食事。湯気が静かに上がっている。危険素材より先に、それを一口食べるよう言われていた。澪は匙を持ち、少しだけ口に入れる。
「普通」
「普通が大事」
「……おいしい」
「ならよし」
コメント欄の速度が一瞬だけ跳ねた。
『普通の粥食っただけで泣ける』
『白鯨の膜食ってた子が米食ってる』
『朱音さんのご飯……hshs』
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『これが本当の料理』
『もう危険素材いらないだろ』
『いや帰還後検証だからいる』
『普通の粥で数万人泣いてるの草』
『どうせヤラセだろと、逆張りをしてみる』
澪は粥の端に、白鯨膜片をほんの少し落とした。
朱音が止める。
「澪」
「まだ食べない」
「うん」
白鯨膜片は湯に触れた瞬間、薄く広がった。油ではない。膜がほどけ、粥の表面に青白い光が一瞬だけ走る。医療班の計器が小さく鳴る。ユイカが別室で息を止める。榊原が「量」とだけ呟いた。澪はその上から、喉鐘骨粉を爪の先ほど振る。青白い光が静かに沈んだ。白鯨膜片だけなら胃を覆いすぎる。喉鐘骨粉を入れると、震えが止まる。白鯨の膜が、食べ物の端に寄る。
「白鯨だけだと、広がりすぎる」
「喉鐘骨で止めてる?」
「たぶん」
「たぶん……」
「前より分かる」
澪は小さく混ぜた。粥はほとんど白いまま。けれど、匙で持ち上げると、ほんの一瞬だけ膜が糸のように伸びた。澪はそれを見て、黒い重骨片の粉をほんの少し足す。粒より細かい量。入れた瞬間、匙が重くなった。澪の手首が下がる。朱音がすぐに支えようとするが、澪は首を振った。
「大丈夫」
「無理しない」
「これ、重さを食べる」
「意味は分からないけど、分かった」
コメント欄に解説勢が湧いた。
『白鯨膜で胃壁保護、喉鐘粉で反応抑制、黒い重骨片で魔力燃料化?』
『重さを食べるって何』
『重力魔法に馴染んだ骨片をエネルギーにしてるんだろ』
『分かるようで分からん』
『指示厨だけど黒い重骨片先に入れるのは怖い』
『指示厨名乗るな』
『いやそこで逆墓王核入れたら死ぬだろ』
『死ぬだろって言える素材を粥に入れてて草』
『【公式】黒鋼旅団:この処理は耐性、再生、悪食、調理が同時に成立して初めて可能です。模倣不可』
『黒鋼の解説助かる』
『助かるけど模倣不可だから意味ねーや』
『【海外クラン公式】North Crown:We cannot classify this as food.』
『海外公式、正しい』
『これは食べ物ではない』
『でも粥だぞ』
『粥がかわいそう』
最後に、逆墓王の骨核片。
澪はそれを見て、少しだけ黙った。米粒より小さい。けれど、見ているだけで胸の奥が冷える。魂の位置が半歩ずれる感覚が戻りかける。朱音が澪の肩に触れた。
「やめる?」
「少しだけ……」
「わかったよ」
「うん」
澪は骨核片を直接入れなかった。鎌の刃元を封鎖ケースから少しだけ出し、刃の背に骨核片を当てる。鎌が低く震える。白い粥の上に、冷たい光が落ちた。骨核片そのものではなく、反応だけを移した。澪はそれを見て、頷く。
「これなら、食べ物に近い」
「近いだけ?」
「うん」
「普通の食べ物には?」
「遠い」
「でしょうね」
澪は匙を持った。
部屋が静かになる。
九環室も、封鎖工房も、医療班も、コメント欄も、一瞬だけ音を失った。
澪は食べた。
白粥が口の中でほどける。普通の米の甘さ。少しの塩。朱音が作った温度。その奥から、白鯨膜片が広がる。喉鐘骨粉が震えを抑える。黒い重骨片が胃の底へ沈み、魔力に変わる。逆墓王の冷たさが胸の奥に触れる。魂異常耐性が反応する。悪食が食べられないものを食べられる形へ変え、調理がそれを食事としてまとめる。
澪は目を閉じた。
倒れない。
吐かない。
魔力が増える。
わずかに、けれど確実に。
「いける」
その一言で、九環室の空気が緩んだ。
『食った!』
『いけないいけない』
『倒れてない』
『普通に食レポしろ』
『普通にできる味じゃないだろ』
『おいしい?』
『聞 く なw』
『澪、味は?』
『味聞いてる奴ら強すぎ』
『【公式】アークライン配信管理部:味や摂取感に関する質問も模倣を誘発する可能性があるため一部制限します』
『味も制限される料理配信』
『新ジャンルすぎる』
『九環産お粥』
『嫌すぎる』
『でも魔力回復してるっぽい?』
『計器見たい』
『見せるわけない』
『【企業公式】北辰素材研究所:魔力回復曲線の共有について――』
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『北辰また消えた』
『もうギャグだろ笑』
澪は二口目を食べた。
今度は少しだけ早い。身体が覚えた。白鯨膜片が胃を守る。黒い重骨片が沈む。逆墓王の冷たさが来る前に喉鐘骨粉が震えを止める。魔力が戻る。三口目。澪の顔色が少しだけ戻る。右手の震えが減る。魂の半歩遅れが、ほんのわずか縮まる。
朱音はその様子を見ていた。ほっとして、すぐに表情を締め直す。まだ終わっていない。検証は成功に見える。けれど、世界がすでにざわついている。《不老》という言葉は消えない。三ボス素材の食事は、医療でも、軍事でも、企業でも、国家でも欲しがる。澪はただ帰るために食べた。けれど、地上では値段がつく。信仰もつく。嫉妬もつく。
佐伯が別室で言った。
「コメント欄、不老関連を抑えても無理です」
「でしょうね」
「政府窓口から再照会。海外研究機関から正式照会。北辰は三回目」
「北辰は黙らせてください」
「黙らせています」
黒瀬は腕を組んだまま画面を見ていた。
「戦闘より面倒だな」
「戦闘なら殴れますからね」
「これも殴れないか」
「法務で殴ります」
朱音が澪へ水を差し出した。
「飲んで」
「うん」
「もう危ないのは終わり?」
「少しだけ」
「何が」
「最後、確認」
澪は粥を混ぜた。残った危険素材はもうほとんどない。皿の端に、白い膜の薄い光と、鐘骨粉の白さが残っているだけ。澪はそこへ普通の粥を足す。危険素材を薄めるのではなく、普通の食事へ戻すように。調理スキルが静かに働く。素材の尖りが丸くなる。魔力の流れが穏やかになる。
『料理されたい』
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『今ので?』
『おいしそう??』
『三ボス粥とか腹壊しそう』
『料理人ギルド泣くぞ』
『料理人ギルドってあるの?』
『探索者向け調理研究会ならある』
『今日解散するだろ』
『【公式】王都調理研究会:解散しません。学びます』
『いたw』
『料理界隈まで来たw』
『九環お料理配信、層が広すぎる』
『スレが速すぎて追えん』
『2スレ目どころか20超えたぞ』
『祭りだこれ』
澪は最後の粥を食べ終えた。
匙を置く。
小さく息を吐く。
「ごちそうさま」
「お粗末さまでした……でいいのかな」
「おいしかった」
「本当?」
「普通のところ」
「危ないところは?」
「薬」
「うん」
朱音は苦笑した。
澪は少しだけ朱音の袖を引いた。
「あとで、普通のご飯」
「作る」
「大盛り」
「分かってる」
「卵」
「卵粥?」
「違う。卵焼き」
「はいはい」
コメント欄が少しだけ穏やかになる。
『卵焼き』
『普通のご飯の話してる』
『泣く』
『いいお嫁さんになりそうだね。トゥンク』
このコメントは削除されました。
『朱音ママァ!アーンして!!』
このコメントは削除されました。
『朱音さんの卵焼き食べたい』
このコメントは削除されました。
『それも消えるのか』
『距離感が近すぎる奴は消える』
『澪が袖引いてるの良すぎる』
『帰ってきたんだな』
『本当に帰ってきたんだな』
配信はそこで終わる予定だった。
だが、佐伯が九環室から短く許可を出した。情報を隠しすぎれば、余計な憶測が増える。出すべきものは出す。出せないものは出せないと言う。神楽坂も頷いた。ミナトは配信画面に公式表示を重ねる。
『本日の検証結果』
『天瀬澪さん固有のスキル、耐性、装備、素材状態に依存』
『一般再現不可』
『危険素材の摂取・調理・保管は禁止』
『不老に関する情報は医療検査および協会確認後に発表』
『素材売却・研究提供については、本人意思確認および法務手続き後に一部のみ実施予定』
その表示を見て、澪は首を傾げた。
「売るの、少しだけ」
「うん。少しだけ」
「頼まれた分だけ」
「うん」
「鎌の分は残す」
「残す」
「料理の分も」
「残す」
「朱音先輩のご飯の分は?」
「それは普通の食材で作ります」
「うん」
朱音が答えると、澪は満足したように頷いた。
ミナトは最後の警告文を表示する。
『【公式】アークライン配信管理部:本配信は以上です。天瀬澪さんへの個人接触、素材取引勧誘、研究打診、居住地特定、模倣行為を誘導する投稿はすべて制限対象です』
澪はカメラを見た。
少しだけ考える。
「まねしないで」
短い一言だった。
コメント欄が爆発する。
『しません』
『できません』
『できるわけない』
『はい』
『良い子の返事欄になって草』
『まねしないで、の説得力が強すぎる』
『三ボス食べた本人に言われたら従うしかない』
『おかえり』
『おかえり澪』
『普通のご飯食べて寝ろ』
『大盛り食え』
『不老でも寝ろ』
『【公式】黒鋼旅団:模倣しません』
『黒鋼も返事してるw』
『【海外クラン公式】Valkyrie Gate:We will not imitate. Welcome back.』
『海外も返事してる』
『世界規模の「はい」』
『ええなぁ』
配信が終了した。
画面が暗くなる。
九環室に、ようやく呼吸が戻った。ミナトは椅子の背にもたれ、目元を押さえる。佐伯はすぐに外部対応へ戻る。遥はまだ不審コメントを処理している。水瀬は検証ログを保存し、榊原とユイカは素材の封鎖状態を確認する。黒瀬は一言だけ言った。
「飯食って寝かせろ」
朱音は澪の前の皿を下げた。
「寝る?」
「卵焼き」
「少しだけ」
「大盛り」
「それは元気になってから」
「不老なのに」
「不老でも胃はびっくりする」
「難しい」
澪は少し不満そうにしたが、椅子の背に身体を預けた。眠気が戻ってきている。三ボス素材を食べて魔力は回復した。けれど、疲労が消えたわけではない。魂のずれも、身体の傷も、十一ヶ月の空白も、全部がまだ残っている。
朱音は澪の肩に毛布をかけた。
羽はしまっている。けれど、近くにいると温かい。
澪は目を閉じる直前、小さく言った。
「あったかい」
「うん」
「天使、便利」
「便利扱いしない」
「ふわふわは?」
「元気になったら」
「うん」
澪は眠った。
配信の余波は、その日のうちに世界中へ広がった。三ボス素材料理。不老。数兆円規模の一部提供。模倣不可。アークライン管理下配信。協会の緊急通達。政府の非公開会議。海外クランの正式照会。企業公式の沈黙と削除。どれも大きな波だった。
けれど、封鎖調理室の中では、朱音が小さな卵焼きを作っていた。
普通の卵。
普通の油。
普通の塩。
九環の素材は入っていない。
澪が起きたら、一口だけ食べさせるためのものだった。
エピソード50です。
ここまで読んで頂きましてありがとうございます。
引き続きよろしくお願いします。




