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九環配信の澪 〜誰も帰らない絶景を〜  作者: 妄幽
第二章

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第二十三話 鐘骸鳥②

 次の断片配信が繋がったのは、地上時間で一ヶ月後だった。


 その一ヶ月の間、アークラインは澪の生存を断定できなかった。断定できないまま、否定もできなかった。最後に残ったのは、白い墓標群の中で鐘骸鳥と交戦し、短距離《転移》を繰り返し、空骨鎖鎌が鐘骸鳥の骨質を取り込み始めた二十一秒の断片映像だけだった。そこから先は、何も届かなかった。映像も、音声も、魔力反応も、地上側の観測網が拾うのは空葬原の白い残響ばかりだった。


 配信欄には、ずっと同じ文字が残っていた。


『深層干渉により映像信号を喪失しました。復旧を試行しています。』


 最初の三日は、コメント欄が荒れ続けた。生きている。もう駄目だ。アークラインは何をしている。救助を出せ。出せるわけがない。未成年を九環へ行かせた責任を取れ。澪なら戻る。戻るわけがない。心配も、怒りも、煽りも、便乗も、距離感のおかしい好意も、全部が同じ場所へ流れ込んだ。ミナトは危険コメントを消し続け、佐伯は外部への発表文を何度も書き直し、神楽坂は協会との協議を重ねた。


 一週間が過ぎると、騒ぎは別の形になった。


 考察動画が増えた。断片映像の一秒ごとに線が引かれ、鎌の形状変化、鐘骸鳥の翼の欠損、澪の転移距離、墓標群の位置、深層時間補正の表示が解析された。アークラインが何かを隠しているという陰謀論も出た。澪はすでに帰還しているという噂も出た。死亡説も、神格化も、気持ち悪いガチ恋風の書き込みも、まとめて増えた。


 二週間目に、朱音は学校へ戻った。


 戻ったと言っても、普通に戻れたわけではない。授業を受け、実技をこなし、放課後にアークラインへ向かう。その繰り返しだった。朱音は監視室に泊まり込むことを何度も止められた。ミナトにも、神楽坂にも、母にも、父にも言われた。朱音が倒れても、澪は戻らない。分かっている。分かっているから、朱音は倒れないように学校へ行った。食べ、眠り、訓練し、また監視室へ行った。


 朱音はもう、戦闘中に細かな指示を出そうとはしていなかった。


 九環の映像は遅れる。音声は途切れる。断片配信では、過去の澪へ未来の指示を投げることになるかもしれない。足場の右左を告げても、それが届く頃には足場そのものが消えているかもしれない。戦うのは澪だ。判断するのも澪だ。朱音にできることは、澪が一瞬でも地上側を思い出せる声を残すことだけだった。


 だから、朱音は短い言葉だけを録音した。


『澪、聞こえてる』


『見てる』


『返事はいらない』


『生きて』


『鎌を離してもいい』


『帰ってきて』


『ご飯、作って待ってる』


 最後の一つだけ、結衣に笑われた。


 それでも、朱音は消さなかった。


 一ヶ月目の夜、配信が戻った。


 最初に気づいたのは、夜勤の配信管理部員だった。警報が鳴る。仮眠室にいたミナトが起き上がり、神楽坂と黒瀬へ緊急連絡が飛ぶ。榊原とユイカは封鎖工房から直接上がってきた。セレスとアカリには断片復旧通知。佐伯は外部発表用の文面を開いた。朱音はその時、帰宅途中だった。駅のホームで通知を受け、電車へ乗らず、その場でアークラインへ引き返した。


 画面に、白い光が走る。


 映ったのは、空葬原の奥だった。


 そこは、これまでのどの断片よりも美しかった。白い墓標群は塔の森になり、地面は水晶のように透き通り、その下に別の空が沈んでいる。下に雲があり、上に星があり、空膜は無数の薄布となって墓標の間を流れていた。青白い光が波のように揺れ、墓標の表面をなぞるたび、景色全体が巨大な聖堂の内側のように輝く。死の気配があるのに、目を逸らせない。綺麗すぎて、怖い。怖すぎて、綺麗だった。


 コメント欄が遅れて流れ始める。


『繋がった』

『一ヶ月ぶりだぞ』

『生きてるのか?』

『どこだここ』

『綺麗すぎる』

『もう別世界じゃん』

『九環って本当に絶景なんだな』

『絶景に閉じ込められてるの地獄すぎる』

『澪どこ』

『いた』

『立ってる』

『生きてる』

『装備変わりすぎだろ』

『鎌が別物になってる』

『一ヶ月何してたんだよ』

『澪側の時間は分からん』

『朱音さん間に合ってる?』

『見ててくれ頼む』

『変なコメントする奴は今日だけ黙れ』

『いや今日だけじゃなくずっと黙れ』


 澪は画面の中央にいた。


 立っている。だが、状態は悪かった。探索ジャケットは何度も破れては補修された跡があり、左肩から胸元にかけて白い空膜布が巻かれている。右腕には鐘骸鳥の骨片を薄く削ったような板が添えられ、包帯ではなく、応急の補強具として固定されていた。外傷は少ない。再生が塞いだのだろう。だが、目の下の影、呼吸の浅さ、重心のわずかな乱れが、傷がないことと無事であることは違うと告げていた。


 髪には白い粒子が混じり、黒に近い深藍だったはずの色が、光を受けて銀を帯びて見えた。眠たげだった目は、今はほとんど瞬きをしない。疲労ではなく、見落とせば死ぬ場所に長くいすぎた目だった。


 空骨鎖鎌も、もはや第一改修型と同じ形ではなかった。


 刃元には白い線が増え、小さな骨翼の模様のように広がっている。鎌刃の内側には鐘骸鳥の骨質が薄く重なり、青白い鐘核片が刃元にひとつ沈んでいた。鎖の根元に吊るされた鐘骨片は三つ。動くたびに音を鳴らすのではなく、周囲の音を吸うように震え、澪の周囲だけ一瞬、音の輪郭が薄くなる。先端鉤の表面にも白い膜が張り、地形や空膜へ掛けるたび、以前よりも短い時間で戻ってくる。


 ミナトが解析を走らせる。


「映像復旧。魔力反応、天瀬さん生存。空骨鎖鎌、鐘骸鳥由来素材の同化が複数箇所で進行。転移反応の残滓、多数。魔力消耗、高。精神汚染反応は映像越しでは不明」

「澪のレベルは?」

「見えません。ログは本人にしか出ません。ただし、動きは一ヶ月前とは明らかに違います」


 黒瀬が目を細める。


「一ヶ月前じゃない。あいつの中でどれだけ経ったかだ」

「はい」


 画面の中で、澪は鎌を地面へ置いた。


 鐘骨片が震える。


 音は鳴らない。だが、周囲の墓標群がわずかに同じ方向へ揺れた。鎌が、鐘骸鳥の領域音を真似ている。完全ではない。弱く、短く、歪だ。だが、墓標群を騙すには足りていた。


 ユイカが息を呑んだ。


「鎌が領域音を再現しています」

「機能として組んでいません」

「今、発現しました」

「その言い方でも十分に頭が痛いです」

「鐘骸鳥由来素材の取り込みにより、限定的な音響干渉反応が発現。記録表現はこれでいきます」

「そうしてください」


 榊原は眉間を押さえた。


 鐘骸鳥が、空の高みから降りてくる。


 最初に見た時の優雅な姿は、もうない。右の翼端は半分失われ、左翼にも大きな亀裂が入っている。胸郭の鐘核は欠け、そこから空膜の糸が垂れて墓標群へ繋がっていた。だが、弱っているというより、領域そのものへ広がっているように見えた。翼から落ちた骨片は墓標へ入り、墓標は鐘骸鳥の代わりに鳴る。鳥は傷つきながら、空葬原の一部になっていた。


 澪が呟いた。


「七本目、折った」


 音声はノイズ混じりだったが、拾えた。


 朱音はまだ観測室に着いていない。けれど、ミナトが事前に登録していた朱音の録音音声を優先同期に乗せた。


『澪、聞こえてる』


 澪の目が、ほんの少しだけ動いた。


 返事はない。


 けれど、聞こえたのだと、観測室の誰もが分かった。


『見てる』

『返事はいらない』

『生きて』


 澪は鎌を握り直した。

 それだけで十分だった。

 鐘骸鳥が鳴いた。

 澪は動かない。


 今までなら避けていた。止まり、見極め、ずれを読んで、影へ移った。だが今回は違う。鎌を地面へ置き、鐘骸鳥の音を待ち、空骨鎖鎌の小さな無音をその中へ混ぜる。鐘骸鳥の音が空葬原を走る。墓標群が応える。その中に、鎌が作った偽の反響が混ざる。


 ずれが濁った。


 鐘骸鳥の距離干渉が完全には発動しない。伸びるはずの距離が半分で止まり、ずれるはずの足場が一拍だけ遅れる。澪はその一拍を拾った。


 短距離《転移》。


 今回は三歩ではない。五歩。墓標の影から、鐘骸鳥の真下へ。以前なら座標が崩れていた距離だった。だが、鎌が領域の音を濁らせたことで、ほんの一瞬だけ道が開いた。


 澪は鎌を引き戻す。


 刃が地面から抜け、白い軌跡を描く。鐘骸鳥が翼を閉じる。胸の鐘核を守るため、骨翼が内側へ折り重なる。澪はそこへ行かない。守られた場所へ刃を入れても届かない。狙うのは、鐘核へ音を戻している首の奥の細い骨だった。


 投擲。


 骨杭が飛ぶ。澪の投擲は以前より速く、鋭い。まっすぐではない。鐘のずれで曲がることを前提に、最初から外して投げている。骨杭は正面から外れたように見え、次の瞬間、距離の戻りに乗って鐘骸鳥の首の下へ入った。


 刺さる。


 鐘骸鳥が初めて、鐘ではない声を出した。


 空葬原の白い塔群が震える。地面が星空のように割れ、空膜が滝のように落ちた。澪の身体が横へ流される。逃げるための転移は、今は使えない。鐘骸鳥の声が座標を乱している。ここで飛べば、空膜の中へ半身を置くことになる。


 澪は鎖を投げた。


 先端鉤が、刺さった骨杭の根元へ掛かる。敵でも地形でもない。自分が投げた目印へ、鎖を繋ぐ。澪は引かない。引けば持っていかれる。逆に鎖を緩め、鐘骸鳥が鳴いた瞬間の戻りを待つ。


 鐘が鳴る。

 距離が伸びる。

 戻る。


 その戻りに合わせて、澪は自分を前へ滑らせた。空間に投げ出された身体が、鎖に沿って鐘骸鳥の胸元へ飛ぶ。半拍遅れれば翼に潰される。半拍早ければ、距離が戻る前に空膜へ落ちる。澪はその半拍を、《空間把握》と《転移》の感覚と、鎌の重さで拾った。


 刃が胸郭へ入る。

 今度は深い。


 鐘骸鳥の骨質を取り込んだ空骨鎖鎌は、同じ骨の層を以前よりも深く裂いた。鎌が覚えている。硬さを。音の逃げ方を。骨の内側に隠れた鐘核への道を。刃を重ねるたび、鎌は鐘骸鳥への特攻を強めていた。澪の腕が痺れる。肩が軋む。だが、刃は止まらない。


 鐘骸鳥が翼を叩きつける。

 澪は避けられない。


 胸郭の内側に刃を入れたまま、身体が横から潰される。まともに食らえば、再生以前に骨格ごと崩される。澪は鎌を離さなかった。代わりに、刃元へ魔力を叩き込む。


 空骨鎖鎌が震えた。

 鐘骨片が一つ割れる。

 無音が広がる。


 それは防御ではなかった。鐘骸鳥の攻撃を止めたわけでもない。ただ、翼が叩きつけられる直前の空間の戻りを、一瞬だけ狂わせた。澪の身体は潰される位置から半歩ずれた場所へ落ちる。翼がすぐ横を通り、白い風圧が肌を裂いた。外傷は浅い。だが、衝撃で視界が揺れる。


 澪は地面へ落ちる途中で、身体を捻った。


 落下角度が悪い。このままでは肩から墓標へ叩きつけられる。再生で戻るとしても、その一瞬の硬直で次の鐘に捕まる。澪は鎖を引かず、引かれる力に身体を沿わせた。足首、膝、腰、肩。ずれていた重心を、一本の線に戻す。


【スキル《身体操作》を獲得しました】


 表示が視界の端に浮かんだ。

 澪は読まなかった。

 次の鐘が来る。


 身体を丸め、墓標の側面を蹴り、短距離《転移》の着地点に合わせて膝を抜く。骨が軋む。だが、折れない。転移後の揺れが、さっきより少ない。


【《身体操作》Lv1 → Lv2】


 澪は表示を意識の外へ追いやり、鎌を引いた。


 地上側の配信は、そこで一度大きく乱れた。映像は飛び、音は潰れ、コメント欄も一瞬止まる。だが、完全には切れなかった。鎌が鐘骸鳥の領域音を乱しているせいか、配信補正が以前より少しだけ持ちこたえていた。


『今の何!?』

『鎌が音消した?』

『澪、潰されかけたぞ』

『半歩ずれた』

『転移じゃないよな?』

『鎌がずらした?』

『ボスの能力を逆利用してる?』

『チート武器すぎる』

『いや本人の使い方が狂ってる』

『鎌も澪もおかしい』

『綺麗な場所でやってる戦闘じゃない』

『これ、まだ生きてる?』

『生きてる!動いてる!』

『朱音さん来てる?』

『録音でもいいから声届けてくれ』


 録音の朱音の声が、また優先同期に乗った。


『鎌を離してもいい』


 澪の指が、一瞬だけ緩んだ。


 離してもいい。


 それは戦術指示ではなかった。澪を止める言葉でもない。ただ、鎌を失っても生きろという声だった。


 澪は鎌を離さなかった。


「嫌」


 声は小さかった。


 だが、配信に乗った。


『嫌って言った』

『鎌離さないのか』

『朱音さんの声でも駄目か』

『駄目じゃないだろ、聞こえてる』

『聞こえた上で選んでる』

『重すぎる』

『鎌が二番じゃなかったのかよ』

『命が一番なのは分かってる顔じゃない』

『いや分かってるからまだ生きてるんだろ』


 澪は左手を鎖から離した。


 右手だけで柄を押し込む。左手は短剣へ。折れかけた短剣ではない。九環で拾った墓標片を削り、鐘骸鳥の骨片で縁を固めた短い杭。長い時間をかけて作った、ただ一度だけ鐘核の吊り芯へ届かせるための杭だった。


 鐘骸鳥の胸の中は美しかった。


 白い骨の格子。青い空膜の糸。中央に揺れる、欠けた鐘核。そこには、殺意よりも静謐があった。触れれば死ぬ。聞けば狂う。だが、見てしまえば綺麗だと思わずにいられない。澪はその美しさに、一瞬だけ呼吸を忘れた。


 鐘核が鳴る。

 今までで一番近い音。


 澪の耳が聞こえなくなる。再生が始まる前に、音が再生の順序を乱す。鼓膜が戻り、また破れ、神経が繋がり直す途中で痺れる。目の奥が白くなる。魔力回路が震え、《転移》の座標が全部消える。


 それでも、澪は右手の感覚だけを残した。


 鎌の刃元が、鐘核の外殻を押さえている。完全には切れていない。だが、止めている。鐘の音を殺せなくても、鐘核の揺れをほんの少しだけ遅らせている。その遅れに、左手の杭を入れる。


 刺す。

 弾かれる。


 左手首が曲がる。骨が軋む。再生が追いつく前に、澪は杭を握り直した。痛みはある。あるが、手はまだ使える。再生が完全に終わるのを待つ時間はない。


【《身体操作》Lv2 → Lv3】


 澪は表示を見ずに、手首の角度だけを直した。


 二度目。

 杭が吊り芯へ掛かる。

 切れない。

 澪は鎌をさらに押し込んだ。


 空骨鎖鎌の刃元に入った鐘骸鳥の骨質が、青白く光る。敵の特性を取り込んだ鎌が、敵の芯へ入るための道を作る。相手を知り、相手に近づき、相手を殺すための性質へ変わる。澪はただ、そこが切れる場所だと理解した。


 杭を引く。

 鎌を押す。

 鐘核が歪む。

 鐘骸鳥が全身で鳴いた。


 空葬原の墓標群が一斉に応える。地面が消え、空膜が裂け、配信画面が白く崩れかける。澪の身体は胸郭の内側で揺さぶられ、肩から背中にかけて魔力が逆流した。意識が飛びそうになる。飛べば死ぬ。死なない。澪は歯を食いしばり、鎌の柄に額をぶつけるようにして、最後の魔力を流した。


【《身体操作》Lv3 → Lv4】


 今度は読めた。


 けれど、喜ぶ時間はなかった。鐘骸鳥の胸郭が閉じる。澪は崩れかけた姿勢を、次の踏み込みへ変えた。以前なら転がっていた。今は、転がる前に足が出る。


「切れろ」


 鎌が応えた。

 声ではない。

 ただ、刃が重くなった。


 その重さが、鐘核の外殻を押し潰す。杭が吊り芯を裂く。青白い鐘が、内側からひび割れた。音が止まる。いや、止まったのではない。世界中の音を一度吸い込むような、無音が落ちた。


 次の瞬間、鐘核が砕けた。

 鐘骸鳥の翼が広がる。


 白い骨膜が空へほどけ、青い光の粒となって降る。墓標群が次々に沈黙する。帰還阻害の輪が歪み、支点になっていた墓標鐘が内側から崩れていく。空葬原の一角に広がっていた領域が、薄い氷が割れるように崩壊した。


 澪は落ちた。

 胸郭の内側から、白い光の雨の中へ。


 鎌は手の中に戻っていた。どうやって戻ったのかは分からない。鎖が絡んだのか、澪が引いたのか、鎌が自分で戻ったのか。分からない。ただ、掌に柄があり、刃元には砕けた鐘核の欠片が刺さっていた。


 澪は地面へ叩きつけられる直前、短距離《転移》を使った。

 座標は、骨杭。


 朱音の声を聞いた日に残した、最初の目印。白銀墓標核片入りの杭。その影へ、澪は身体をずらした。移動は荒い。着地ではなく、墜落の角度を変えただけだった。肩から地面へ落ち、息が止まる。肺が潰れたような感覚。肋骨が何本か軋む。すぐに再生が始まる。骨が内側で整い、肺に空気が戻る。痛みは消えない。消えないが、身体は動く。


 視界に表示が浮かぶ。


【鐘骸鳥を討伐しました】


【レベルが上昇しました】


【Lv65 → Lv71】


【スキルオーブを取得しました】


【スキル《調理》を獲得しました】


 澪は地面に伏せたまま、しばらく表示を見ていた。


「……調理」


 配信は、奇跡的にその一言だけ拾った。


 コメント欄が爆発した。


『勝った!?』

『鐘骸鳥、消えた?』

『討伐したのか!?』

『ログ見えないのきつい』

『澪、何か言って』

『調理って言った?』

『今、調理って言ったよな?』

『命懸けで取ったのが調理?』

『笑っていいのか分からん』

『いや生きてるから笑える』

『生きてる!』

『澪、生きてる!!』

『鎌やばすぎる』

『ボス特攻武器じゃん』

『不死身みたいな澪に成長する鎌は反則』

『でもこれでもギリギリだったぞ』

『綺麗な地獄で鐘砕いた女』

『帰還できるのか?』

『帰ってこい』

『生きてるだけでいい』


 観測室では、誰も笑えなかった。


 朱音は扉を開けて入ってきたところだった。息が切れている。駅から戻り、車に乗り、エレベーターを待つ時間すら惜しんで走ってきたのだろう。画面の中で、澪は地面に伏せたまま動いていない。討伐したのかもしれない。レベルも上がっているのかもしれない。新しいスキルを得たのかもしれない。だが、地上側には見えない。分かるのは、澪がまだそこにいて、かろうじて息をしているということだけだった。


 朱音はマイクを掴んだ。


『澪』


 返事はすぐにはなかった。

 ミナトが小さく言う。


「音声、まだ通っています。ただし遅延あり」

『澪、返事はいらない。聞こえてたら、息して』


 画面の中で、澪の肩が少しだけ上下した。

 朱音の表情が崩れかける。

 それでも、声は荒げなかった。


『見てる。生きてる。今はそれでいい』


 澪の指が、鎌の柄を握り直した。

 それが返事だった。

 ミナトが震える声で報告する。


「生存反応あり。鐘骸鳥領域、崩壊中。ただし、帰還誘導はまだ不安定です」

「帰還札は?」

「一枚目、二枚目とも焼失確認。予備反応なし」

「外側から引けるか」

「まだ無理です。鐘骸鳥領域は崩れていますが、空膜が荒れています」


 澪はゆっくり顔を上げた。


 遠く、空膜の向こうで、白い鯨の影が動いていた。墓喰白鯨。鐘骸鳥の領域が崩れたことで、空葬原の奥にあった別の気配がこちらへ近づいてきている。鐘の音は消えた。だが、静かになったことで、今度は海の底のような低い声がはっきり聞こえるようになっていた。


 澪は鎌を抱え、ゆっくり座った。


 空骨鎖鎌の刃元には、砕けた鐘核の欠片が埋まり始めている。白い線の中に、小さな鐘の形をした青い光がひとつ増えていた。鎌は黙っている。だが、明らかに変わった。鐘骸鳥を倒したことで、音と距離と帰還阻害の一部を取り込んだ。完全ではない。けれど、次に同じ音が来た時、最初ほど無力ではない。


 澪は視界のステータスを開いた。


 当然、配信には映らない。地上側にも、コメント欄にも、アークラインの観測室にも、その表示は見えない。白い空葬原の中で、その数字と文字を読めるのは澪だけだった。


◇ ◇ ◇


【名前】天瀬 澪

【種族】境界人

【レベル】Lv71

【所属】アークライン仮所属/チャンネル《九環》

【状態】魔力消耗・空膜残響・鐘骸鳥領域汚染・帰還不可状態継続中


【ユニークスキル】

《適応》


【通常スキル】

《身体強化》Lv7

《身体操作》Lv4 NEW

《魔力操作》Lv8

《魔力強化》Lv6

《魔力感知》Lv6

《格闘術》Lv6

《短剣術》Lv5

《鎖術》Lv8 UP

《投擲》Lv6

《再生》Lv9

《状態異常耐性》Lv5

《精神汚染耐性》Lv4

《風属性耐性》Lv2

《空間把握》Lv6 UP

《空膜耐性》Lv4 UP

《転移》Lv4 UP

《調理》Lv1 NEW


【装備】

《空骨鎖鎌・第一改修型》

・鐘骸鳥骨質を吸収中

・鐘核片を同化中

・音響干渉への限定耐性を獲得

・距離干渉への反応補正を獲得

・自動修復反応、継続中

・対鐘骸鳥特性、形成中

・危険度:測定不能


◇ ◇ ◇


 澪はステータスを閉じた。


 調理。

 やはり、そこだけ少し変だった。


「お腹すいた」


 朱音は、泣きそうな顔で笑いそうになり、それでも笑えずにマイクを握った。


『帰ってきたら、作るから』

「……調理、使う?」

『使わない。今日は私が作る』

「うん」


 その短いやり取りだけで、観測室の空気が少しだけ揺れた。


 だが、安堵は長く続かなかった。


 白い鯨が、空膜の海を泳いで近づいている。鐘骸鳥は倒した。レベルは上がった。鎌は成長した。転移も伸びた。けれど、帰還にはまだ届かない。帰還札はない。空膜は荒れ、領域の崩壊が別のボスを呼び寄せている。


 澪はゆっくり立ち上がった。


 朱音が静かに言う。


『澪、聞こえてる』

「うん」

『見てる』

「うん」

『生きて』

「うん」


 澪は遠くの白鯨を見た。


 空葬原の絶景は、静かに次の敵を連れてくる。


 白い鯨が、空膜の海を泳いでいた。


《Tips》

鐘骸鳥の攻略方法。


優秀な6人1パーティーであれば攻略可能。


遠距離攻撃により反響墓標を全て破壊し、鐘の有効範囲を狭める。また、弓矢や魔法により胴体部分の鐘を集中攻撃。その際にタンク役が攻撃をいってに引き受ける。


鳴く素振りを見せたら喉元へ攻撃し、攻撃を遮断する。


これを徹底することにより、攻略自体は可能である。1層9環にて唯一1パーティーで攻略できるボス枠である。


鐘骸鳥 撃破。


スキルはハズレスキルの料理!?


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