表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
九環配信の澪 〜誰も帰らない絶景を〜  作者: 妄幽
第二章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/39

第七話 装備代を取りに行く

 翌朝、澪は協会支部の中古装備カウンターにいた。七瀬家の朝食は普通に食べた。母の白湯を飲み、結衣に「行ってらっしゃい」と送り出され、父に「高い物を買う時ほど安い物の使い道を考えろ」と言われた。その意味は、協会の装備カウンターに並んだ品を見た瞬間、少し分かった気がした。


 ここにあるのは、一流探索者が使うような名品ではない。中古の鎖、量産品の短剣、傷の入った軽防具、旧式の測位具、補修済みの素材袋。どれも強い装備ではない。だが、壊れても替えが効く。今日の澪に必要なのは、まさにそれだった。


 昨日の仮査定三百四十二万円のうち、即時仮払いは七割。そこから税金、協会手数料、素材袋や消耗品の補充費、朱音との取り分を分けると、澪の手元に残る額は思ったほど大きくない。探索者の報酬は、素材を倒した者だけのものではない。同行者が前を押さえ、逃げ道を見て、素材を傷つけないように立ち回り、撤退判断をする。昨日の風裂鹿も、朱音が角を守りながら動きを止めなければ完品にはならなかった。だから報酬は折半。澪もそこに疑問は持たなかった。


「安いのに、高い」

「探索者用品だからね。命を預ける物は、安物でも普通の道具より高い」

「昨日稼いだのに、減る」

「それが探索者」

「稼ぐ。減る。また稼ぐ」

「そう。だから帰ってくるのが大事」


 澪はその言葉を聞いて、値札から朱音へ視線を移した。反論はなかった。昨日、ちゃんと帰ってきたから、今日またここに立っている。それだけは分かっている。


 学生時代の澪は、稼げなかったわけではない。だが、学生探索者の収益は学園経由の共同精算になりやすく、装備レンタル、引率費、保険料、鑑定料、工房使用料が差し引かれる。そもそも低環で安全に訓練しているうちは、生活を変えるほどの利益にはならない。澪が本当に稼げる場所へ踏み込み始めた頃には、すでに九環へ落ちる道が近くにあった。金策の形が整う前に、一年消えたのだ。


 水瀬は端末を操作しながら、昨日の配信コメントで出ていた疑問について説明した。未成年学生の収益管理、失踪中の口座保留、九環素材の査定待ち。視聴者向けにも、今日の配信では協会の公式解説を流すらしい。


「短く」

「澪さんは、稼ぐ前に消えました。今から稼ぎます」

「分かりやすい」


 澪は頷いた。


 久遠は少し離れた場所で腕を組んでいた。昨日と同じように渋い顔はしているが、今日は止めない。条件は出た。第一層第六環外縁から第七環境界手前。滞在上限三時間。第七環そのものには入らない。骨鎌の使用禁止。転移は短距離戦闘補助まで。素材回収後は欲張らず帰還。昨日より少しだけ緩い。だが、その分、澪が自分で判断する余地も増えていた。


「今日は昨日より危ない場所へ寄る。第七環境界手前は、普通の学生パーティが行けば撤退どころじゃない。判断が遅れればその場で全滅する。お前らはそれを分かった上で行け」

「分かってます」

「死ぬ場所は、稼げる」

「正しくはないが、間違ってもいない。だが死んだら終わりだ」

「帰るまでが稼ぎ」

「それだけは忘れるな」


 配信タイトルは、昨日より少しだけ変わった。


『第一層。装備代を取りに行く』


 開始直後から視聴者数は昨日より速く増えた。昨日の切り抜きが探索者界隈に広がったのだろう。一歩だけ消えるような短距離転移、風裂鹿の角を残した討伐、肉が裂けてもすぐ戻る高位再生、仮査定三百四十二万円。十分すぎる話題だった。澪の視界にはコメントを出さない。朱音の端末にも戦闘中は流さない。だが配信画面の下では、読者へ向けるようにコメントが流れ続けていた。


『また来た』

『タイトルがもう金策』

『昨日の342万の子?』

『復帰二日目でまた潜るのか』

『無理すんなって言いたいけど本人コメント見てない』

『【探索者協会・解説】未成年学生の探索収益は管理口座、共同精算、装備費控除の対象です。天瀬澪氏は失踪期間があり、一部手続き確認中です』

『公式が金欠理由を説明してて草』

『つまり稼ぐ前に九環落ちしたのか』

『そりゃ金ないわ』

『【白楼工房・素材部】第六環以降の良品素材であれば短時間でも数百万円級はあり得ます。変異個体や希少部位完品は桁が変わります』

『命懸けなら安いくらい』

『【暁ノ盾・公式】本配信の戦闘は高位再生と短距離転移を前提にしています。模倣は全滅につながります』

『公式、全滅って言い切った』

『撤退じゃなく全滅か』

『ダンジョンは優しくないからな』


 第一層《零れ空の庭》は、昨日と同じように澪を迎えた。門前環から浅環を抜け、協会の短距離搬送路で第四環手前まで進み、そこから徒歩で第五環を越える。第六環外縁に入ると、空の色が変わった。青いはずの空が水面のように揺れ、遠くにある白い雲の影が足元の草へ落ちる。綺麗だが、まともではない。風の音も一定ではなく、近くで鳴った音が遠くから戻ってくる。


 澪は昨日買った鎖を腰から外し、指で節を確かめた。安い鎖だ。骨鎌の鎖とは比べ物にならない。魔力の通りも悪い。だが、壊れていい。澪はそれを不満ではなく、使い道として受け取っていた。


「今日の目標は?」

「風裂鹿。できれば二体。変異が出たら、倒せるなら倒す」

「変異は値段が高いけど、死ぬ確率も高い」

「死なない範囲で倒す」

「その範囲を私が見てる」


 澪は小さく頷いた。


 最初の戦闘は早かった。雲喉狐三匹。昨日より一匹多い。三方向から喉袋を膨らませ、鳴き声で距離感を狂わせようとしてくる。朱音が正面を槍で押さえ、澪は横へ走った。鎖が草を切り、短杭が一匹の喉袋を潰す。二匹目の鳴き声が空気を歪ませる。朱音の槍先が一瞬だけ遠く見えた。だが澪はその歪みの中で足を止めない。音ではなく、狐が踏んだ草の沈み方を見ていた。


 一匹目を蹴り倒し、二匹目の喉へ鎖を巻く。三匹目の爪が澪の肩を深く裂いた。布が破れ、白い肌の下に赤い肉が見える。傷はすぐに塞がった。皮膚が盛り上がり、裂け目が閉じる。血が流れる前に赤い線だけが残り、それも数秒で薄くなる。澪は痛みに少し息を詰めたが、動きは止まらない。肩を裂いた狐へ、そのまま短剣を突き込んだ。戦闘は終わった。


『三匹を普通に処理した』

『肩裂けたよな?』

『もう塞がってる』

『再生速度が怖い』

『痛みはあるっぽいのに止まらない』

『雲喉狐三匹は学生なら全滅するぞ』

『【北辰探索団・戦術班】雲喉狐三方向は距離感を失った時点で隊列が崩れます。七瀬氏が正面を押さえているため成立している戦闘です』

『朱音先輩やっぱ強い』

『澪だけじゃなくて朱音もやばい』

『素材は?』

『喉袋三つならうまい』


 澪は喉袋の状態だけ見た。三つとも大きな損傷はない。昨日より手際がいい。朱音が素材袋へ入れる間、澪はもう奥を見ていた。第七環境界に近づくほど、草の色が薄くなる。風が細くなり、耳の奥に引っかかるような音が増える。朱音はその音が好きではなかった。何かを切る前の刃の音に似ている。


 次に現れたのは、風裂鹿ではなかった。


 透明な角を持つ鹿。だが、昨日の個体より大きい。体高は朱音の肩より高く、角は二本ではなく四本。前方へ伸びる主角と、横へ広がる副角。その角の内側で、青白い風が細い糸のように回っている。周囲の草が、触れてもいないのに短く切れて落ちた。朱音の顔から血の気が引いた。


「裂角鹿」


 水瀬の声が通信越しに入った。


『第七環境界側の変異個体です。通常の第六環パーティでは交戦不可。遭遇時点で全滅率が高い個体です。撤退経路を確保してください』


 朱音は後ろを見る。退路はある。だが、裂角鹿はこちらを見ていた。逃げれば追ってくる距離だ。しかも背後には、昨日より浅い場所へ向かう探索者の反応がある。ここで逃げて擦りつければ、その誰かが死ぬ。


「澪」

「倒す。逃げても追いつかれる」


『裂角鹿!?』

『これ第六環に出るやつじゃない』

『普通なら全滅』

『逃げても追いつかれるってマジ?』

『【探索者協会・注意喚起】第一層第六環外縁の探索者は即時退避してください。映像個体との交戦は一般探索者では不可能です』

『公式が退避出した』

『澪たちは逃げないの?』

『後ろに他の探索者いるっぽい』

『【暁ノ盾・公式】これは撤退判断が成立しない距離です。足を止めて戦える者以外は初撃で崩されます』

『怖すぎる』


 裂角鹿が地面を蹴った。速さは昨日の風裂鹿とは別物だった。姿が消えたように見え、次の瞬間には横から風の刃が飛んでくる。朱音は槍を立てた。受けるのではなく、逸らす。だが風は槍の金属部分を削り、柄を震わせた。まともに受ければ折れる。朱音の足元の草が斜めに裂け、遅れて地面に細い溝が走った。


 澪は低く走った。真正面から行けば角に切られる。横へ逃げれば、風の刃で足を取られる。だから澪は、裂角鹿が踏んだ直後の地面を選んだ。そこだけ風の流れが一瞬遅れる。鎖を投げる。主角を狙わない。角に絡めれば素材が傷むし、鎖の方が切れる。澪が狙ったのは前脚だった。


 鎖が脚に触れる寸前、裂角鹿の副角が光った。見えない刃が走り、澪の左腕を肘の下から深く裂いた。肉が開き、血が飛ぶ。骨まではいかない。だが普通なら武器を落とす傷だ。澪は顔をしかめた。痛みはある。だが、腕はすぐに塞がっていく。裂けた肉が盛り上がり、皮膚が戻る。数秒後には血の線だけが残った。その数秒の間も、澪は鎖を離さなかった。


「朱音先輩、右脚」

「見えてる」


 朱音が踏み込む。槍の刃ではなく柄で、裂角鹿の右前脚を打つ。角を折らないためではない。刃で受ければ風に削られる。柄で打って、骨ではなく筋を狙う。裂角鹿が体勢を崩しかけた瞬間、澪が鎖を引いた。安い鎖が悲鳴のような音を立てる。節が一つ飛ぶ。だが脚の動きは止まった。


 裂角鹿が跳ねた。澪の身体が浮く。鎖ごと引き上げられ、空中で振られる。朱音が息を呑むより先に、澪は短距離転移を使った。空中から地面へ、一歩分だけ位置がずれる。着地は乱れた。膝が地面にぶつかり、足首が変な角度で曲がる。骨が鳴った。次の瞬間には戻り始めるが、痛みで澪の呼吸が荒くなる。


『腕裂けた』

『足首いった?』

『戻ってるけど痛そう』

『再生あっても痛みは消えないんだな』

『あれ普通なら左腕使えなくなって終わり』

『鎖壊れたぞ』

『安物って言ってたやつ?』

『壊していい装備、マジで壊してる』

『【白楼工房・素材部】角への直接接触を避けているため素材価値が残ります。ただし戦闘難度は極めて高いです』

『素材部、冷静すぎる』

『命と角を同時に見てるの怖い』


 裂角鹿が再び角を光らせる。朱音の位置からは、澪が狙われているのが分かった。避けるには遅い。朱音は槍を投げなかった。槍を投げれば次の防御が消える。代わりに、自分が前へ出た。裂角鹿と澪の間に入る。風の刃が来る。槍の柄で逸らす。完全には逸らせない。朱音の肩に深い裂傷が入り、制服の上着が裂けた。


「朱音先輩」

「見てないで、脚」


 澪の目が変わった。朱音の傷は澪ほど早く治らない。血が出る。腕が鈍る。それを見た瞬間、澪の動きから迷いが消えた。澪は壊れかけた鎖を捨て、新しい鎖を抜いた。腰から外す動作の途中で、裂角鹿の風が頬を切る。皮膚が裂ける。塞がる。澪は目を閉じない。


 地面へ短杭を三本打つ。一本目は浅い。二本目は裂角鹿の踏み込みで弾ける。三本目だけが残った。澪はその杭に鎖を通し、自分の身体ではなく地面を支点にした。裂角鹿が突っ込む。鎖が張る。杭が軋む。地面が割れる。だが、一瞬だけ裂角鹿の胸が下がった。


 その一瞬に、澪が消えた。短距離転移。今度は背後ではない。裂角鹿の腹の下。普通なら自殺に近い位置だった。だが角は届かない。風の刃も出にくい。澪は腹の下へ入り込み、短剣を心臓ではなく、前脚の内側へ突き込んだ。深く、捻る。裂角鹿が跳ねる。澪の背中が踏まれ、肩の肉が大きくえぐれる。服が赤く染まる。傷はすぐに塞がるが、衝撃までは消えない。澪の息が詰まった。それでも、短剣は抜かない。


「朱音先輩、首」


 朱音は血の出る肩を押さえず、槍を構え直した。裂角鹿の首が下がっている。角は無事。首の根元が見える。朱音はそこへ踏み込んだ。槍の刃が一瞬だけ光り、裂角鹿の喉を深く貫く。魔石の位置を外し、角を傷つけず、確実に息を止める一撃だった。


 裂角鹿が暴れた。風が周囲の草を切り飛ばす。澪の髪が白と黒に散り、朱音の頬にも細い傷が入る。だが、動きは弱まっていく。魔石の反応が落ち、角の光が薄れる。最後に大きく身体を震わせ、裂角鹿は崩れた。


 沈黙が来た。


 朱音は槍を抜く前に、呼吸を整えた。澪は腹の下から這い出し、背中を一度伸ばす。肩の傷はもう塞がっている。左腕も動く。足首も戻っている。だが、顔色は悪い。再生は傷を塞ぐ。痛みや疲労や魔力消耗まで消してくれるわけではない。


「角」

「無事。四本とも」

「よかった」

「まず自分の心配をしなさい」

「塞がった」

「痛いでしょ」

「痛い」


 澪は素直に言った。朱音はそれ以上怒れなかった。


『倒した』

『マジで倒した』

『普通に全滅案件だろ今の』

『朱音先輩、肩いったぞ』

『澪の再生速度怖すぎ』

『でも痛みはあるんだな』

『腹下に転移するの頭おかしい』

『【暁ノ盾・公式】裂角鹿変異個体の討伐を確認。一般パーティなら初撃後に前衛崩壊、後衛壊滅の可能性が高いです』

『全滅ってはっきり言った』

『【北辰探索団・戦術班】七瀬朱音氏が首根元を正確に抜いています。角と魔石を傷つけない処理は上位探索者の技術です』

『朱音先輩評価されてる』

『【白楼工房・素材部】裂角鹿変異個体、四角完品、風筋欠損なし。保管状態次第で三千万円以上の査定もあり得ます』

『三千万!?』

『命懸けってそういうことか』

『四角完品えぐい』

『【探索者協会・注意喚起】周辺探索者は職員誘導に従い退避してください。該当区域は一時封鎖されます』

『区域封鎖きた』

『配信で区域封鎖は初めて見た』


 澪はコメントを知らない。朱音も今は見ない。二人は黙って素材処理を始めた。角を折らないように、根元へ保護布を巻く。魔石を傷つけないよう、朱音が位置を確認する。裂風腱は状態が良い。皮も一部使える。鎖は一本完全に駄目になった。短杭は五本失った。槍の柄にも深い傷が入っている。稼いだが、装備も減った。これが探索者の収支だった。


「帰る」


 朱音の声は確認ではなく、決定だった。


「帰る。これ以上は、赤字になる」

「そういう理由でもいい」


 朱音は笑いそうになりながら、肩の傷を圧迫した。血は止まり始めている。澪がちらりと見た。


「朱音先輩の治療費も引く」

「それは経費」

「折半の前?」

「もちろん前」

「分かった」


 二人は来た道を戻った。途中、遠くにいた探索者パーティが協会職員に誘導されて後退しているのが見えた。彼らは澪たちを見て、言葉を失っていた。普通なら全滅する個体がいた場所から、二人が素材を持って戻ってくる。そこには、攻略サイトや安全講習では説明できない差があった。


 ゲートを抜けて協会支部へ戻ると、素材管理担当と医療班が待っていた。まず朱音の肩が処置され、澪は魔力消耗と再生負荷を測られた。外傷はほぼ残っていない。だが、再生反応の使用痕が強く、魔力の減りが大きい。久遠は結果を見て、澪の額を軽く小突いた。


「傷が塞がるから平気、ではない」

「分かってる」

「本当に分かっている顔をしろ」

「痛かった」

「ならいい」


 朱音は横で処置を受けながら、少し笑った。


 素材の仮査定は、支部の空気を変えた。雲喉狐の喉袋三つ、魔石三つ。裂角鹿変異個体の四角完品、変異魔石、裂風腱、風膜皮、その他素材。状態は極めて良好。角は欠けなし。魔石も無傷。危険区域の変異個体のため、協会研究部から追加調査費もつく。さらに戦闘記録と配信映像は、変異個体遭遇時の資料として協会が買い取ることになった。


 仮査定額、五千八百二十万円。


 澪は端末を見たまま、しばらく黙った。


「昨日より多い」

「裂角鹿の四角完品が大きいです。角だけで三千六百万円の仮値。変異魔石が九百万円前後。裂風腱と風膜皮、雲喉狐素材、協会の緊急調査加算、戦闘記録買い取りを合わせてこの額です。正式査定で上下しますが、即時仮払いは七割まで可能です」

「すごい稼いだ」

「はい。ただしパーティ報酬なので、経費を引いてから七瀬先輩と折半です。治療費、装備損耗、税金、保管費、今後の予備装備費を考えると、全部自由には使えません」

「探索者、難しい」

「短く言うと、稼げました。でも調子に乗ると死にます」

「分かった」


 澪は素直に頷いた。朱音は処置された肩を動かしながら、査定額を見て小さく息を吐いた。自分の取り分もある。それは当然だった。澪の補助ではなく、同行探索者として戦った報酬だ。澪もそこを当然のように受け入れている。朱音はそのことが少し嬉しかった。


「朱音先輩の分、半分」

「経費を引いてからね」

「槍の修理も経費」

「そこは絶対に経費」

「肩は?」

「治療費も経費」

「じゃあ、残りを半分」

「そう」


 澪は少しだけ考え、真面目な顔で言った。


「朱音先輩がいないと、角が折れてた」

「それは多分そう」

「なら、半分」


 朱音は一瞬だけ言葉に詰まった。澪はこういうところで、変に迷わない。自分の手柄だけを大きく見ない。素材を守った人間、退路を見た人間、首を抜いた人間。その働きを、ちゃんと価値として見ている。


 配信は素材カウンター前で終了することになった。朱音が端末を向けると、澪は少しだけ画面を見た。コメントはまだ流れている。公式も、大手クランも、工房も、一般視聴者も混ざっていた。


『5820万!?』

『桁が違う』

『昨日と合わせて六千万超え?』

『でも折半だよな』

『朱音先輩の取り分ちゃんとあるの安心した』

『命張ってるんだから当然』

『【白楼工房・素材部】四角完品の保管状態が非常に良好です。正式査定で上振れする可能性があります』

『【暁ノ盾・公式】撤退判断と素材保全を評価します。戦闘そのものは一般探索者の参考にはなりません』

『【北辰探索団・戦術班】七瀬朱音氏の同行価値が極めて高い。天瀬氏単独では素材保全と撤退判断に課題が残ります』

『朱音先輩めちゃ評価されてる』

『澪、コメント見て』

『見てない』

『見なくていい』

『おかえり』

『稼いだな』

『帰るまでが稼ぎ』


 澪は画面の端を少しだけ見て、言った。


「帰るまでが稼ぎ」


 昨日と同じ言葉だった。けれど、今日は重みが違った。配信が切れる。


 帰りの車で、朱音は肩に包帯を巻いたまま座っていた。深い傷ではなかったが、しばらく槍の稽古は控えるよう言われている。澪は隣で仮査定明細を見ていた。昨日の三百四十二万円、今日の五千八百二十万円。二日で六千万円を超えた。普通なら大成功だ。だが、経費を引いて折半し、九環素材の保管費、空骨鎖鎌の封鎖ケース、予備装備、生活再建費を考えれば、まだ安心できる額ではない。


「明日は」

「休み」

「装備買う」

「午前は休み。午後に装備を見る」

「明後日は?」

「状態次第」

「状態、よくする」

「そういう方向に努力して」


 澪は頷いた。今日は素直だった。全滅案件の変異個体を倒し、稼ぎ、帰ってきた。その事実が、澪の中の焦りを少しだけ減らしているのかもしれない。


 七瀬家の前に車が止まる。玄関の扉が開き、母が顔を出した。今日は少しだけ表情が硬い。配信を見ていたのだろう。澪の傷はもう塞がっている。だが、見た人間の心配までは消えない。


「おかえりなさい」

「ただいま。五千八百二十万円」


 母は一瞬だけ沈黙した。


「……まず、お風呂とご飯ね」

「お金より?」

「お金より」


 澪は少し考えて、頷いた。


 夕方、結衣が帰ってきた時、リビングのテーブルには昨日より厚い査定明細が置かれていた。結衣は「ただいま」と言い、澪の顔を見て、それから明細を見た。


「また鹿?」

「今日は、強い鹿」

「鹿ってそんなに社会を動かす生き物だった?」

「角が高い」

「角、すご〜い!」


 澪は少しだけ胸を張った。


「でも、朱音先輩の肩が裂けた」


 結衣の顔が変わった。朱音は台所からすぐに言う。


「ちゃんと処置済み。大丈夫」

「探索者だもんね…心配じゃないって言うと嘘になるけど頑張ってね。所で澪ちゃんは?」

「塞がった」

「そういう問題じゃないと思う」


 結衣は眉を寄せたが、それ以上は言わなかった。澪は少しだけ考え、帰る鈴を手元に寄せた。ころん、と一度鳴らす。


「帰った」


 結衣はその音を聞いて、少し表情を緩めた。


「うん。おかえり〜」

「ただいま」


 稼げた。戦った。傷もついた。朱音も怪我をした。配信は広がり、大手クランも工房も協会も見ている。面倒は増えるだろう。危険も減らない。けれど、澪は自分で潜り、自分で稼ぎ、自分で帰ってきた。


 七瀬家のリビングで査定明細を眺めながら、澪は小さく言った。


「次は、装備を増やす」

「その前に、ご飯」

「ご飯も装備?」

「ある意味そう」

「じゃあ食べる」


 結衣が笑い、母が台所で鍋の蓋を開ける。父が帰ってくるまで、あと少し。今日もまた、「おかえり」を言う相手が増える。


 食事を終えた際に、食費と生活費の100万円を朱音の両親へ渡した。最初は驚いてて受け取って貰えなかったが、朱音のフォローで何とか受け取って貰えた。

もう、ただの居候ではない。

この探索で1番メリットが大きかったのは朱音です。折半とはいえ大量のお金が貰えました。

さらにこの金銭については学校側から徴収されません。


税金関係が大変そうですね

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ