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九環配信の澪 〜誰も帰らない絶景を〜  作者: 妄幽
第五章

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第七話 第三層第九環 《星祭郷》


 配信画面は黒いままだった。


『深層干渉により映像信号を喪失しました。復旧を試行しています。』


 その文字だけが、アークラインの配信枠に残っている。コメント欄は流れ続けていた。祈るもの、騒ぐもの、公式情報を待つもの、ただ名前を呼ぶもの。映像は戻らない。音もない。けれど、配信枠は閉じられていなかった。


『復旧まだ?』

『信号は完全に切れてないんだよな?』

『公式、続報ください』

『黒画面のままなのが一番怖い』

『澪ちゃん、今どこにいるんだ』

『第三層第九環の中だろ』

『それが怖いんだよ』

『アークライン公式:端末周期反応は極微弱ながら継続しています。映像・音声の復旧を試行中です』

『完全に切れてない』

『それだけで待てる』

『待つしかない』


 白野詩乃は病室でその黒い画面を見ていた。


 治療の熱はまだ体に残っている。指先は震える。けれど以前より少しだけ動く。画面の中に澪はいない。白い髪も、青白い鎌も、猫の耳も見えない。ただ黒い画面と、復旧を試す文字だけがある。


 詩乃はゆっくりとコメントを打った。


『黒画面の端で、帰り道の余白だけを温めている』


 送信してから、息を吐く。

 今度は消されなかった。

 黒い画面の向こうで、澪は夜の中に立っていた。


 裂け目を越えた瞬間、足元の感覚が消えた。落ちる、と思った。けれど落ちなかった。澪の足は黒い石の道を踏んでいる。石の表面には細かな星の光が埋まっていて、踏むたびに淡く光った。上には夜空。足元にも夜空。村全体が、大きな星の海に浮いているようだった。


 空気は冷たくない。火を焚いた匂いと、甘い果実を煮る匂いが混ざっている。どこかで金属を打つ音がした。水に熱いものを落とす音もする。家がある。道がある。窓には橙色の灯りがあり、屋根からは骨飾りや布の札が下がっていた。


 澪は鎌を握ったまま、周囲を見る。


 村だった。


 ただし、人間の村ではない。


 扉の隙間から、小さな顔が覗いている。肌は灰色がかった青で、耳は細長い。額には硝子のような短い角があり、その中に小さな星が灯っていた。別の家から出てきた大柄な者は、背中に古い灯籠の殻を背負い、腰から細い尾を垂らしている。子供らしい小さな影は、角の星を布で隠しながら澪を見ていた。


 黒い猫は道の中央に座った。


 二本の尾がゆっくり揺れる。


「ここ」

 澪が言うと、猫は短く鳴いた。


 その声に反応したように、村の奥からひとりの老婆が歩いてきた。


 老婆、と見える。背は低く、腰は少し曲がっている。けれど人間ではない。灰青の肌は薄い夜の布のようで、額から生えた二本の硝子角には、細かな星砂が流れていた。耳は長く、肩には小さな灯籠の殻をいくつも縫いつけた布を羽織っている。瞳は黒く、その奥に青い光が点っていた。


 老婆は澪の前で止まり、杖についた鈴を一度鳴らした。


「白い、こども」

 老婆の声は少し掠れていた。日本語に聞こえる。けれど、言葉の形がところどころずれている。

「落ちた。歩いてきた。どちら」

「歩いた」

「裂け目から?」

「うん」

「なら、落ちたのと同じ」


 澪は少しだけ首を傾ける。


「ここ、どこ」

「星祭郷」

「ほしまつりごう」

「そう。星を灯す村。祭りを続ける村。外の言葉なら、たぶん、それで足りる」

「第三層第九環?」

「その数え方は知らない。ここは星祭郷」


 会話は通じる。だが、ぴったり噛み合ってはいない。老婆は澪の言葉を聞いて、村の言葉に置き換えて返しているようだった。澪はそれを面倒だと思わない。第三層で聞こえてきた偽物の声より、ずっと分かりやすい。


 老婆の視線が、澪の鎌へ落ちた。


 青白い刃。刃の奥に沈む黒と緑の線。鎖の形。老婆は目を細め、少しだけ体を引いた。


「その刃、たくさん覚えている」

「メイ」

「名がある刃」

「うん」

「なら、乱さない。村の中では、刃を眠らせる。できるか」

「敵がいなければ」

「正しい」


 老婆は頷いた。


 その時、黒い猫が老婆の杖を尾で叩いた。老婆は猫を見下ろし、深く息を吐いた。


「お前が連れてきた」

 猫は鳴く。

「やはり」

 猫はもう一度鳴く。

「分かった。白い子。腹は空いているか」

「空いてない」

「体ではなく、道が空く。ここへ来たものは、みな道が乾く」

「帰る」

「今は帰れない」

「やってみる」


 澪は左手を少し動かした。


 転移の感覚を伸ばす。アークライン本部。七瀬家。朱音。結衣。弁当包み。知っている場所へ繋ごうとする。だが、伸ばした感覚は夜空の途中でほどけた。壁に当たるのではない。穴がない。向こうへ続く形そのものが、ここにはまだ見つからない。


 魔力も足りない。


 澪は手を下ろした。


「今は、無理」

「今は、そう」

「あとで帰る」

「なら、夜を覚える。星祭郷で迷わないことから始める」


 老婆はそう言って、道の横にある小さな店を指した。


 店先には板が並び、その上に小瓶、布、骨片、透明な石、 dried meat のようなものが置かれている。値札の代わりに、小さな皿があった。皿には魔物の爪、鱗、角の欠片、光る砂が少しずつ入っている。品物ごとに置かれている素材が違う。


 澪はそれを見て、何となく理解した。


 ここでは、素材を置いて物と交換する。


「素材」

 澪が言うと、老婆は頷く。

「魔のかけら。獣の残り。灯りを持つ骨。そういうもの」

「ある」

「少し出す。大きすぎるものは出さない。村が騒ぐ」


 澪はインベントリの中を確認した。


 出せるものはいくつもある。だが、どれがこの村にとって大きすぎるのか分からない。澪は一度、第三層で倒した灯籠胎の膜片を出した。薄い透明な膜で、端に小さな火の粒が残っている。


 老婆はそれを見て、店先の皿を指した。


「それで湯。寝床は、もう一つ」

「これ?」

「足りる」

「じゃあ、湯」


 澪が膜片を皿へ置くと、店の奥から灰青の肌をした若い女が出てきた。角の中に淡い星が二つ灯っている。女は澪をちらちら見ながら、木の湯呑みを差し出した。


 中には黒い湯が入っていた。


 湯気が、夜空のように見える。小さな星が湯気の中で瞬き、湯呑みの縁から淡い光がこぼれている。澪が少し口をつけると、温かかった。味は薄い。けれど喉を通ると、足元の揺れが少しだけ静かになる。


「これ、いい」

「夜湯」

 老婆が言う。

「道が乾いた時に飲む」

「もっとある?」

「湯を出す器がある。ずっと出る。高い」

「高い」

「星喰いの杯、三つ。灯籠胎の膜なら山ほど」

「ふぅん」


 澪は店の奥を見た。


 棚には不思議なものが並んでいた。手のひらほどの絵。絵の中には夜空と小さな家だけが描かれている。見ていると胸の奥がふわりと軽くなる。澪はすぐに目を逸らした。


「それ」

「笑い絵」

「危ない?」

「見すぎると、笑ったまま眠る。起こすのが大変」

「いらない」

「賢い」


 別の棚には、小さなポットがあった。腹の丸い黒い器で、注ぎ口からは何も出ていないのに、周囲だけが少し温かい。老婆が指で叩くと、中から星の混じった湯気が漏れた。


「夜湯の器。旅に使う」

「便利」

「高い」

「あとで」


 澪は頷いた。


 そこで、何を出せば買えるのか知りたくなった。大きすぎるものは駄目だと言われている。だが、どれくらいが大きいのか分からない。澪は少し迷ってから、白鯨の骨片をほんの小さく削って出した。爪の先より小さい欠片だった。


 店の空気が止まった。


 若い女が湯呑みを落としかける。老婆の角の中の星砂が一瞬だけ逆流した。近くの家から覗いていた子供が、親に引っ張られて奥へ消える。店先の皿に乗っていた小さな素材が、欠片の方へ吸い寄せられるように震えた。


 老婆は澪の手を布で覆った。


「しまう」

「小さい」

「小さいが、重い。ここでは、見せるものではない」

「買える?」

「たくさん。よくないほど」

「そう」

「白い子、それは夜の底の骨。軽く出すと、悪い目が集まる」


 澪は骨片をインベントリへ戻した。


 村の空気が少しずつ動き出す。だが、視線はもう澪から離れなかった。白い少女。猫耳。青白い鎌。夜の底の骨を、小石のように取り出す客。星祭郷の住人たちは、警戒と好奇心の混ざった目で澪を見ていた。


「小さいのにする」

「そうしろ」

「寝床」

「案内する」


 老婆が歩き出そうとした時、村の端で鐘が鳴った。


 低い音だった。


 それまで家の窓から漏れていた橙色の灯りが、一つ消えた。次に道端の星が消える。黒い染みが、村の端からゆっくり広がっていた。


 老婆の表情が変わる。


「星喰い」

「敵?」

「灯りを食べる。家の火も、道の星も、眠る子の夢も」

「倒す?」

「狩人を呼ぶ」

「どこ」

「向こうの棟。来るまでに、三つは食われる」


 澪は湯呑みを置いた。


「行く」

「白い子、客は」

「邪魔」

「何の」

「帰る準備」


 老婆はそれ以上止めなかった。


 澪は走った。


 村の端に、細長いものがいた。蛇に似ている。だが鱗はない。体は夜そのもので、輪郭だけが星の欠片で縁取られていた。頭は透明な杯のような形をしていて、中にはいくつもの小さな灯りが閉じ込められている。灯りは揺れ、消えかけていた。


 星喰いが口を開く。


 口の中には、さらに暗い空があった。


 澪は鎌を振った。


 青白い斬撃が飛び、星喰いの輪郭を裂く。閉じ込められていた灯りの一つが外へこぼれた。だが、体の奥までは通りにくい。星喰いは夜へ溶け、裂けた輪郭をまた繋げる。遠くから削れる。けれど、決め手にならない。


 星喰いの尾が振られた。


 暗さの塊が澪の脇腹をかすめる。白い服に黒い煤のような跡がつき、皮膚が裂ける。血が流れる。傷はすぐ塞がった。だが、冷たい痛みが残る。マシロの布が煤を吸い、白い服の表面を整えた。


「汚い」


 澪は低く言った。


 メイの鎌が鳴る。


 鎖が地面に沈み、道に埋まった星の光を拾うように走る。澪は星喰いの動きに合わせて斬撃を重ねた。星喰いの輪郭が削れる。だが、また繋がる。離れたままでは長引く。近づけば、あの口に吸われる。


 澪は踏み込んだ。


 星喰いの口が開く。口の中の空が、澪の鎌を吸おうとした。刃の青白い光が歪み、黒緑の線が口の奥へ引かれる。澪は抵抗せず、さらに一歩だけ近づいた。


 鎌がほどける。

 大剣が現れた。


 青白い大刃が星喰いの口の前で重く落ちる。吸い込もうとする暗さごと、刃の質量が押し返した。澪は柄を両手で握る。細い腕には大きすぎる。けれど、刃は動いた。


 大剣が振り下ろされる。

 近い距離で、夜が割れた。


 星喰いの頭が杯ごと砕け、中に閉じ込められていた灯りが一斉に飛び出した。橙、青、白、薄紅。小さな光が村の屋根へ戻り、窓へ戻り、道の星へ戻っていく。星喰いの体はまだ逃げようとした。澪は大剣を鎌へ戻し、逃げる夜の胴を青白い刃で裂いた。


 星喰いは声もなく崩れた。


 夜の体は黒い砂になり、透明な杯の破片だけが地面に残る。澪はそれを拾い、少し見た。破片の中で、さっきの灯りが一つだけまだ瞬いている。


 澪の視界の端に、本人にしか見えない文字が浮かぶ。


《レベルが134→135》


 澪は何も言わなかった。


 村の住人たちは、誰もすぐには声を出さなかった。扉の隙間から、窓の奥から、屋根の上から、無数の目が澪を見ている。怖がっている者もいる。助かったと分かっている者もいる。小さな子供は、隠れながらも角の布を少しだけ上げて、澪を見ていた。


 老婆が遅れて歩いてきた。


 杖の鈴が、さっきより静かに鳴る。


「白い子」

「なに」

「強い」

「うん」

「だが、痛む」

「少し」

「強いものも、寝る」

「寝る」

「よい」


 老婆は星喰いの杯の破片を指した。


「それ、二つに分ける。ひとつは村。ひとつは白い子」

「使う?」

「灯りを溜める。道で役に立つ」

「分かった」


 澪は破片を二つに割った。片方を老婆に渡し、片方をインベントリへしまう。老婆は受け取った破片を布に包み、胸元の灯籠殻へ入れた。殻の中に小さな火が灯る。


 黒い猫が足元で鳴いた。


 澪は猫を見る。


「まだ先」

 猫は尾で村の奥を指した。

「今日は?」

 猫は黙った。

「寝る」

 猫は目を細めた。


 老婆が頷いた。


「今夜は、白い子に小部屋を貸す。星が三つ落ちるまで外へ出るな」

「星、落ちる?」

「見れば分かる。三つ落ちる前に歩くと、昨日と今日が混ざる」

「面倒」

「ここでは普通」


 茶屋の奥に、小さな部屋が用意された。


 床は木ではなく、黒い石を薄く磨いたものだった。中に星の粒が混ざっている。布団に似たものは灰色で、触ると温かい。窓の外には村の屋根と夜空が見えた。遠くで、さっき消えた灯りを戻す歌が続いている。低く、静かで、眠気を誘う歌だった。


 澪はインベントリから結衣の弁当包みを取り出した。


 包みを開く。


 卵焼きがある。


 甘い匂いがした。星祭郷の料理ではない。祭りの綿飴でも、夜湯でも、星喰いの灯りでもない。地上の匂い。結衣が作った匂い。


 澪は一つ食べた。


「おいしい」


 小さく言ってから、少しだけ黙る。


 おいしいと分かる。好きだとも分かる。けれど、なぜここまで安心するのか、言葉にしようとすると薄くなる。澪はもう一つ食べず、弁当を包み直した。マシロの袖が、澪の口元を軽く拭う。


 メイは鎌の形のまま、部屋の端に青白い光を落としている。黒い猫は窓枠に座り、二本の尾を揺らしていた。まだ名前はない。


 澪は布団に横になった。


 目を閉じる直前、窓の外で星が一つ落ちた。


 地上では、黒い画面が続いている。


『深層干渉により映像信号を喪失しました。復旧を試行しています。』


『まだ戻らない』

『信号は?』

『公式、更新して』

『アークライン公式:端末周期反応は継続中。映像信号の復旧を試行しています』

『完全に切れてないなら待つ』

『澪ちゃん、今どこで何してるんだろ』

『寝ててくれ』

『それが一番いい』

『怪我してても治るけど、疲れはあるだろ』

『戻ってきてくれ』


 白野詩乃は、黒い画面を見ながら、もう一度だけコメントを打った。


『黒い画面の奥で、白い子が眠れる余白だけは残っていてほしい』


 送信する。


 コメントは流れて、すぐに見えなくなった。


 アークライン本部では、佐伯が観測室の椅子に座ったまま夜を越していた。信号は切れていない。だが映像にはならない。音声にもならない。ただ、周期反応だけが、細く、遠く、途切れそうで途切れずに残っている。


「澪さん」

 佐伯は誰にも聞こえない声で呟いた。

「記録だけは、残してください」


 星祭郷の小さな部屋で、澪は眠っている。


 黒い猫は窓枠から夜空を見ていた。

 二本の尾は、まだ村の奥を指している。

今回の9環は友好的な存在がいます。

そして転移で帰ることが出来ません。

もちろん帰還札も使えないです。


引き続きよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
なんだここ 澪ちゃんの故郷か? 会話のテンポが同じだわ
既に2回更新された!? 果たして、残り4回の更新があるか!? それはそうと、 敵を中心に読み方が分からない物がちらほら・・・・・
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