第三話 変態詩人
変態詩人ニキ、きっと好きなリスナーは多いはず。
沢山のコメントありがとうございます。
AI君が暴れて言い回しや内容が少し変なところが増えますが許してください。何周もして修正してますが、漏れがあるかもです。
5章は少し長めなので、お付き合いいただけると幸いです。
翌朝、朱音たちの遠征隊はアークライン本部から出発した。
夜明け前の本部中庭には、白い照明が低く落ちていた。大型車両も、積み上がった荷箱もない。遠征隊の装備は驚くほど少なく見える。最上位戦闘者四人は全員がインベントリを持っている。セレスやアカリも専用の収納具を備え、朱音もアイテム袋を所持している。外から見える荷物は、各自の武器、身体に合わせた遠征服、腰の小袋、手首や首元についた補助具程度だった。
それでも、軽装には見えない。
身に着けたものの一つ一つが重い。金額の話ではない。役割の重さだ。静華の腰には、昨日澪が作り直した刀がある。淡い青白い刃は鞘の中に隠れているのに、近くにいるだけで空気が澄む。真央は巨大な戦斧を肩に乗せず、今はインベントリへしまっていた。小夜は掌ほどの医療箱をいくつも確認し、透子は受付嬢の姿に近い控えめな服装で笑っている。朱音は自分の槍を握り、深呼吸した。
「緊張してるね」
小夜が横から声をかけた。
「はい。してます」
「うん。していていいよ。怖くない遠征の方が危ないからね」
「怖がってもいいんですか」
「いいよ。怖いって分かっている人の方が、ちゃんと帰ってくるの」
「……はい」
小夜の声は柔らかい。治療室で聞く声と同じだった。けれど、その小さな体に収まった魔力の密度は、朱音が知る治療者とはまるで違う。朱音が聖域で周囲を支えるなら、小夜は指先一つで崩れかけた命を縫い止める。遠征隊に彼女がいるだけで、隊の呼吸が落ち着くのが分かった。
佐伯が端末を確認し、隊長役の静華へ頷く。
「第四層第七環での素材採取、第八環入口の外縁調査。目的は重奏晶、嵐核砂、鳴骨材の採取と、現地環境記録です。危険域に入った場合、採取より帰還を優先してください」
「承知しました」
静華が静かに答える。
「朱音さん」
「はい」
「聖域は無理に広げないでください。今回は支配ではなく維持です」
「分かっています」
「小夜さん、朱音さんの状態確認をお願いします」
「任せてね。朱音さん、無理しそうになったら止めるからね」
「お願いします」
アカリが笑いながら、朱音の背を軽く叩いた。
「止められる前に自分で止まるのが一番だけどね」
「努力します」
「そこは、はいって言っておきなよ」
「はい」
「よし」
セレスは弓を背負い、淡々と空を見ていた。
「天候は安定しています。第一層、第二層の通過に問題はないでしょう」
「第三層からは?」
朱音が聞く。
「時間が変わります。速度ではなく、判断の層です」
「判断」
「急ぐほど、遠回りになることがあります」
「……嫌な言い方ですね」
「事実です」
朱音は苦笑する。澪なら、そういう場所でも歩いていくのだろう。迷っても、傷ついても、戻れなくなっても、進む。朱音は同じ道を行けない。行くべきでもない。だから自分は、自分の隊で、自分にできる役割を果たす。
中庭の端に、澪がいた。
白い深層戦闘服に包まれ、眠そうな目で朱音たちを見ている。メイは出していない。マシロが風で乱れた袖を直していた。結衣は学校があるため来ていない。代わりに、朱音のアイテム袋には、結衣が朝早く詰めた出発前用の弁当が入っている。
「朱音先輩」
「行ってくるね」
「うん」
「澪も、無茶しすぎないこと」
「分かった」
「本当に?」
「たぶん」
「そこは自信持って」
「できるだけ」
「よし。妥協点として受け取る」
朱音が手を伸ばすと、澪は少しだけ近づいた。朱音は澪を抱きしめた。強くではない。遠征服の硬い感触越しに、澪の小さな体温がある。澪は一拍遅れて、朱音の背中に手を置いた。
「帰って」
「帰るよ」
「絶対」
「絶対」
離れると、澪は小さく頷いた。
遠征隊が動き出す。アークライン本部の地下通路へ降り、管理された進入路からダンジョンへ向かう。最初の歩みは速かった。最上位戦闘者を含む遠征隊にとって、浅い環は通過する場所でしかない。第一層の風は薄く、墓標の群れも、骨鳥の影も、隊の足を止められない。出発からそう時間が経たないうちに、第五環通過の記録が本部へ送られた。
地上の中庭には、澪だけが残った。
佐伯が隣へ来る。
「澪さんも準備を進めますか」
「うん」
「第三層第九環は前人未到です。第七環、第八環の時点で危険度は跳ね上がります」
「知ってる」
「配信は第八環までは通常予定。第九環突入時は、通信断絶の可能性を前提にします」
「記録は?」
「マシロさんと端末側で継続予定です。昨日渡した刻差計も装着してください」
「時計」
「時計より面倒なものです」
「いらない?」
「いります」
「分かった」
澪は手首の細いアクセサリを見た。銀色の輪に、針のない小さな文字盤が三つ並んでいる。地上の時間、澪の主観時間、魔力周期。それぞれを別々に記録するためのものだと説明された。澪には難しい。ただ、佐伯が必要と言ったのでつけている。
その日の昼、澪は短い準備配信を開いた。
正式な攻略開始ではない。装備確認と、第三層へ向かう前の軽い告知。配信枠が開いた瞬間、コメントはいつものように流れ出した。
『九環きた』
『白い』
『今日は準備配信?』
『朱音先輩たちは遠征出たって公式出てた』
『第四層遠征やばい』
『アークライン最上位勢揃いって聞いた』
『澪ちゃんは三層?』
『三層九環行くの?』
『前人未到だぞ』
『第七環から普通に化け物しかいないって話』
『刻憶層、名前からして怖い』
『澪ちゃん、時計ついてる?』
『かわいい』
『時計じゃないらしいぞ』
『なんでもいい、かわいい』
澪は机の上に並べたものを順番に確認していた。メイはまだインベントリの中。マシロは澪の服の上で白く揺れ、時間停止のアイテム袋には結衣の弁当が入っている。甘い卵焼きは冷めない。澪はそれだけ何度も確認した。
「弁当、ある」
『大事』
『最重要』
『結衣ちゃん弁当は深層装備』
『時間停止袋の最上位用途が卵焼きなの好き』
『澪ちゃんらしい』
『卵焼きは命綱』
『実際そうかも』
『帰る理由だからな』
コメントを見ていた澪の視線が、ふと止まった。
流れている文字の中に、いつもの長い文章がない。
白い君がどうとか、夜がどうとか、温もりがどうとか、時々少し気持ち悪くて、それでも綺麗な言葉。澪は全部を覚えているわけではない。けれど、その人がいると画面の流れが少し違った。見守っていたい。温もりを感じていたい。白い髪が夜を裂く。そんな言葉が、今日もどこかにあると思っていた。
ない。
「詩の人、いない」
澪が言った。
コメント欄の流れが一瞬だけ変わる。
『詩の人?』
『ああ、あの変態詩人ニキか』
『最近見ないよな』
『言われてみれば』
『一週間くらい?』
『もっとじゃない?』
『入院してるって噂見た』
『やめろ、そういうの確定じゃないだろ』
『本人が前に治療中って書いてた気がする』
『末期ってコメントあったけどデマだと思ってた』
『詩人ニキ、いつもいたのに』
『澪ちゃん覚えてたの?』
『あの長文覚えてたのかわいい』
『いや、心配になるな』
澪は流れる文字を見ていた。目が少しだけ細くなる。表情は大きく変わらない。けれど、佐伯はすぐに気づいた。澪が何かを決める時の顔だった。
「佐伯さん」
「はい」
「詩の人、探せる?」
「公開情報だけでは難しいです。個人情報になります」
「そう」
「ただ、本人または家族からアークラインに医療支援申請が出ている場合は確認できます」
「見て」
「分かりました」
配信はそこで一度、雑談へ戻った。澪は弁当袋を確認し、マシロが袖を直し、コメント欄は第三層の話と詩人の話で揺れた。澪はそれ以上、何も言わなかった。
夕方、朱音たちの遠征隊は第二層を抜けていた。
第一層より空気が濃い。第二層は生命と森の層だ。巨大な根が道を割り、葉の隙間から青い光が落ちる。魔物の気配は多いが、遠征隊の歩みはまだ乱れない。小夜が時々朱音の腕に触れ、呼吸と魔力の乱れを確かめる。
「大丈夫だよ。まだ疲れは浅いね」
「ありがとうございます」
「でも、次からは休む時間を先に決めようね。疲れてから休むと遅いよ」
「はい」
「朱音さんは真面目だから、頑張れちゃうのが危ないの」
「気をつけます」
「うん。気をつけようね」
朱音は頷いた。聖域はまだ広げていない。使えば楽になる場面もある。だが、今は温存する。第四層に入ってからが本番だ。そこでは立っているだけで削られる。小夜がそう説明してくれた時、朱音は少しだけ手のひらに汗をかいた。
真央が前方の枝を片手で払う。
「浅いな」
「真央さん基準で言わないでください」
アカリが呆れる。
「第二層までは散歩だろ」
「それを普通の探索者の前で言うと嫌われます」
「ここに普通の探索者いないだろ」
「朱音がいます」
「え、私ですか」
「朱音は普通じゃないが、比較対象としては一番まともだ」
「褒められてるんですか、それ」
「半分くらい」
「半分」
セレスが後方を確認した。
「二層第五環通過まで予定通り。ここから先は速度を落とします」
「三層に入る前に一度休止だな」
静華が言う。
「第四層までの距離は数字で見るより長い。急ぐ必要はありません」
「はい」
朱音は奥へ続く森を見た。深く、青く、湿った光の向こうに、第三層へ続く道がある。澪もやがてそこを通る。けれど、澪の行き先はさらに奥だ。第三層第九環。まだ誰も見ていない場所。
その頃、アークライン医療部では、佐伯が一件の申請記録を開いていた。
申請者名は、白野詩乃。
配信コメント上の名は、月下詩人。視聴者の間では、変態詩人と呼ばれている。本人も一度、否定せずに笑っていた記録があった。年齢は十七。難治性の魔力不全症と、複数臓器の進行性崩壊。通常治療では進行を止められない。毛髪は治療の副作用で失われ、体重は危険域。視力と意識は保たれているが、長時間の端末操作は困難。
それでも、彼女は毎回のようにコメントを送っていた。
震える指で。
時には音声入力で。
時には母親に代筆してもらって。
見守っていたい。
温もりを感じていたい。
君が帰る場所に灯りがあることを、画面のこちらで祈っている。
気持ち悪いと笑われることもあった。本人も分かっていた。けれど、それは彼女にとって、病室から伸ばせる唯一の手だった。
佐伯は記録を閉じる前に、医療部長へ確認を取った。
「例の副産物治験薬は」
『汎癒液のことですか』
「はい」
『まだ正式認可前です。安全域は広いですが、症例が特殊すぎる。治験枠なら可能です。ただし、優先順位は医療委員会判断になります』
「本人または保護者の同意は」
『すでに新規治療への同意書は提出されています。末期なので、選択肢がほとんどない』
「治験枠を一つ確保してください」
『佐伯さん判断ですか』
「いえ」
佐伯は少しだけ目を閉じた。
「澪さん判断です」
医療部長は一瞬黙った。
『理由は』
「詩的なコメントが好きだったそうです」
『……それは、医療委員会にどう書けばいいんですか』
「情緒面での継続視聴支援、とでも」
『無理があります』
「分かっています」
『ですが、枠は調整します。病状から見ても対象には入ります』
「お願いします」
夜、澪はアークライン医療棟へ向かった。
配信は切っている。メイはインベントリの中。マシロは澪の服を少し柔らかい外出用に変えていた。病棟は静かで、薬品と清潔な布の匂いがする。廊下の明かりは白すぎず、歩く音が響かないよう床材が柔らかい。扉の前で佐伯が立ち止まった。
「澪さん、体調の悪い方です。驚かせないようにお願いします」
「うん」
「長く話せません」
「分かった」
「それと、彼女は自分のコメントをかなり気にしています」
「なんで」
「変態詩人と呼ばれているので」
「詩、綺麗」
「そのまま伝えてあげてください」
澪は頷いた。
扉が開く。
病室は広くなかった。窓際に小さな端末台があり、ベッドの横には点滴と魔力補助装置が並んでいる。ベッドの上にいた少女は、最初、枕と布団に埋もれているように見えた。細い。顔色は白く、頭には柔らかい布が巻かれている。髪はない。けれど目は大きく、澄んでいた。もし健康で、髪が生えていて、頬に肉が戻れば、きっと人目を引く美少女だっただろう。
少女は澪を見た。
呼吸が止まりかけ、補助装置が小さく警告音を鳴らす。
「本物……」
「澪」
「知ってます……知って、ます。ずっと、見てました」
「詩の人?」
「……はい。ごめんなさい」
「なんで」
「変な、コメントばかり」
「好きだった」
「え」
「詩、綺麗だった」
白野詩乃は、目を見開いたまま涙をこぼした。
泣く力もあまり残っていないのか、声は小さい。けれど涙だけが、痩せた頬を伝って落ちた。
「見守っていたいって、言ったの」
「うん」
「本当は、私が、見ていたかっただけです。病室から、どこにも行けないから。あなたが歩くのを、ずっと」
「うん」
「温もりを感じていたいって、言ったのも」
「うん」
「寒かったから。ずっと、寒くて」
「うん」
澪はベッドの横に立った。何をすればいいのか、少し考えてから、細い手に触れた。詩乃の指は冷たかった。澪の手は温かい。マシロが澪の袖を少しだけ持ち上げ、詩乃の手に触れやすいようにした。
詩乃は震えた。
「本当に、温かい」
「寒い?」
「少し」
「助ける」
「……え?」
「佐伯さん」
「はい」
佐伯が一歩前に出る。
「白野詩乃さん。アークライン医療部より、新規治験の提案があります。不老薬の研究過程で得られた副産物を基にした、汎用治癒系薬剤です。正式認可前ですが、あなたの病状は対象条件に入ります。ご本人と保護者の同意があれば、最短で投与準備に入れます」
「治る、んですか」
「断言はできません」
佐伯は正直に答えた。
「ですが、現行治療より可能性はあります」
「どうして、私に」
「澪さんが希望しました」
「澪さんが……?」
「コメント、好きだった」
澪が言った。
「まだ、見ててほしい」
「……そんな理由で」
「だめ?」
「だめじゃ、ないです。だめなわけ、ないです」
詩乃は泣いた。痩せた肩が震え、補助装置がまた小さく鳴る。澪はその手を離さなかった。
「死んでもいい」
詩乃がかすれた声で言った。
「今日、本物に会えたから」
「だめ」
「……はい」
「コメントする」
「また、してもいいですか」
「して」
「気持ち悪くても?」
「詩、綺麗」
「……はい」
病室の外で、詩乃の母親が泣いていた。声を殺して、何度も頭を下げている。佐伯はその母親へ説明を続けた。手続き、リスク、同意、投与準備。どれも現実的で、細かくて、冷静だった。澪はその横で、詩乃の手が少し温かくなるまで立っていた。
その夜、朱音たちの遠征隊は第三層へ入った。
空気が変わる。森の湿り気が遠ざかり、薄い夕暮れの光がどこからともなく差し込む。道の先には、古い鳥居の影がいくつも並び、灯籠の火が風もないのに揺れている。遠くで祭囃子に似た音がした。誰も笑わない。第三層《刻憶層》。時間と記憶がずれる層。美しいが、気を抜けば置いていかれる。
朱音の胸元の補助具が、小さく警告を鳴らした。
「記憶干渉、微弱」
セレスが言う。
「全員、合図確認」
「真央」
「いる」
「小夜」
「いるよ」
「透子」
「いるわ」
「静華」
「います」
「朱音」
「います」
朱音は聖域を薄く広げた。広げるというより、足元に灯りを置くような感覚だった。白い光が隊の内側を満たし、微かな頭痛が引いていく。小夜が頷く。
「いいね。そのくらいで大丈夫だよ」
「はい」
「頑張りすぎないで、呼吸に合わせてね」
「はい」
鳥居の向こうで、面を被った影が一つ、こちらを見ていた。敵かどうか分からない。分からないものほど危ない。静華の手が刀の柄に触れ、真央の肩がわずかに沈む。透子の目が夜色に変わった。
遠征は、まだ始まったばかりだった。
同じ夜、アークラインの公式回線に第三次オークションの事前反応が流れ続けていた。不老薬五本、若返り薬一瓶。その数字だけで世界は動いている。だが、内部資料では別の素材リストにも注目が集まり始めていた。
第四層第七環《鳴骨嵐原》で採取予定の、重奏晶と嵐核砂。
重奏晶は、重力負荷を制御し、深層装備や大型輸送機、都市防衛設備、人工義肢の核材に使える可能性がある。嵐核砂は、乱れた魔力循環を安定させ、長期遠征用の補助具や高度医療装置の基材になる。どちらも、不老や若返りほど分かりやすく命を延ばすものではない。だが、手に入れば国の深層技術が一段変わる。
世界中が欲しがる素材だった。
まだ採れるかどうかも分からない。採って帰れるかも分からない。だからこそ、アークラインは最上位を動かした。
翌朝、白野詩乃の治験準備が始まった。
澪は病室にはいなかった。代わりに、詩乃の端末へ短いメッセージが届いていた。
『見てて』
詩乃はそれを何度も見た。まだ薬は入っていない。体は痛い。寒さも残っている。けれど、指先だけは少し動いた。彼女は震える手で、久しぶりにコメントの下書きを開く。
白い君が、私の病室に夜明けを置いていった。
だから私は、もう少しだけ、画面のこちらで息をする。
送信はしなかった。まだ早いと思った。次に澪が配信を開いた時に送ろうと決めた。
その頃、澪は第三層へ向かう準備をしていた。時間停止のアイテム袋には、結衣の卵焼きが入っている。刻差計は手首にある。メイは静かで、マシロはいつもより丁寧に澪の襟を整えた。
朱音たちは遠くで歩いている。詩の人は病室で息をしている。世界は不老薬と若返り薬を奪い合う準備をしている。
澪は白い指で、配信開始の表示に触れた。
3層入口までは急げば2〜3時間くらいで行けますが、長期遠征は急げません。
なので4層に入るまでに1週間くらいかかると思います。
ちなみに、最上位組の4名は神楽坂や佐伯含むアークラインの創設メンバーです。




