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九環配信の澪 〜誰も帰らない絶景を〜  作者: 妄幽
第四章

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第十七話 九環王国

この物語はフィクションです。

物語内の国は実在しません。



 レムリアス連邦という国名は、その日の昼まで探索者用の地図に残っていた。


 一般地図から国境線が消えたわけではない。首都の名前も、空港も、港も、山脈も、国旗も、画面の上にはまだあった。けれど探索者が使う管理地図では違った。ダンジョン管理色が変わっていた。第一管理区域から第四管理区域まで、灰色と青に塗り替えられている。国際探索者協議会の暫定管理、アークライン主導監査、隣接管理圏との共同監視。昨日までレムリアスの色だった部分は、どこにも残っていない。


 国家はそこにある。ダンジョン国家としては、もう死んでいた。


「最大クランの全支部、登録抹消を確認」

「旧探索者庁上層、通信権限停止。関係端末は押収済み」

「国外逃亡支援網、残存十二地点を封鎖」

「資金源第四系統、最上位到達。企業連合側の理事会が解散を発表」

「連邦府関係者三名、保護要請。受理圏なし」

「レムリアス北部第九環監視網に不自然な欠損。旧政権側の隠蔽ログを復元中」

「後で詳しく。今は管理移行を優先してください」


 アークライン本部の地下会議室で、佐伯は壁一面の地図を見ていた。眠っていない。けれど声は乱れない。壁にはレムリアス連邦の輪郭と、国内ダンジョンの管理区域が重ねられている。線が多すぎて、もはや国土ではなく血管の図に近い。金融、素材、薬剤、装備、通信、護衛情報、クラン登録。すべてが一つの襲撃に繋がっていた。


 榊原が公式発表の文面を読み上げる。


「旧レムリアス連邦ダンジョン管理区域の一部を、国際探索者協議会暫定管理下へ移行。アークラインは提携各機関と連携し、深層素材流通、探索者安全保障、関連被害補償の安定化に協力する」

「旧レムリアス連邦、ではなく」

 法務責任者が口を挟んだ。

「現時点では国名として残っています」

「探索者管理上は旧扱いで構いません」

 佐伯は言った。

「この地図で生きていない国を、探索者社会が国として扱う理由はありません」


 誰も反論しなかった。法務責任者も、それ以上は言わない。現実の国境線より先に、ダンジョンの管理地図が変わる。この世界では、それだけで歴史が変わる。


「新名称は」

「九環国際管理区。第一稿ではそうしています」

「通りますか」

「通します」


 神楽坂が壁の地図を見上げた。灰色と青で塗られた旧レムリアスの中央に、暫定名称が表示される。


 九環国際管理区。


 その文字を見た瞬間、会議室の何人かがわずかに息を止めた。澪の配信名。誰も帰らない絶景を歩く少女の名。その名が、一つの国の跡地に置かれている。


「澪さんの許可は」

 ミナトが言った。

「政治的主体ではありません。管理区名称です」

「本人は嫌がりそうですが」

「嫌がるでしょうね」

 佐伯は初めて、少しだけ疲れたような顔をした。

「ですが、世界には分かりやすい名前が必要です。澪さんの周辺に手を出した結果、国の管理名が変わった。その事実を隠さない方がいい」


 榊原の端末が震えた。公式発表が流れた直後だった。


「コメント欄、反応が早いです」

「監視を」

「はい」


『九環国際管理区?』

『名前やば』

『旧レムリアス、国じゃなくて管理区扱いになってる』

『国境は残ってるけどダンジョン管理色が消えた』

『実質終わりじゃん』

『九環の名前ついたぞ』

『九環王国じゃん』

『王国とか言うな怖い』

『いやもう九環王国だろ』

『王、本人絶対知らなそう』

『澪ちゃん今たぶん病院でぼーっとしてる』

『国消してる間に本人が卵焼きの話してそうなのが一番怖い』

『澪に喧嘩売ると地図変わるの、もう世界常識だな』

『本人じゃなくて周辺に手を出してこれ』

『じゃあ本人に手を出したら何が起きるんだよ』

『考えるな』

『考えた国が消えた』


 榊原が目を細めた。


「九環王国、という呼称が伸びています」

「止めますか」

「止めなくていい」

 佐伯は壁の地図を見たまま答えた。

「正式名称ではありません。ですが、勝手に広がる通称ほど抑止力になるものはありません」


 旧レムリアス連邦の首都では、発表から十分で銀行前に人が集まり始めた。一般市民はまだ何も理解していない。国が消えたわけではない。店は開いている。電車も動いている。役所の建物もそこにある。だが、探索者関連の窓口だけはすべて閉じていた。国内最大クランの本部ビルには、もうクラン名が表示されていない。壁面の巨大な紋章は黒く消灯し、入口には国際探索者協議会の封鎖札が貼られていた。


 そのビルの地下で、一人の男が叫んでいた。


「登録が消えただけだろうが! 俺はレベル百三十八だぞ!」


 男は旧レムリアス最大クランの副団長だった。二次進化済み。国内では英雄扱い。過去に二度、都市防衛を成功させている。政治家は彼の機嫌を取り、企業は彼に装備を献上し、庁の幹部は彼と同じ席で酒を飲んだ。


 その端末は黒かった。所属も、資格も、素材売買権も、ダンジョン入場許可も、すべて消えている。


「ここは俺の拠点だ。俺の装備を返せ」

「封鎖対象です」

 黒鉄旅団の隊員が答える。

「誰の命令だ」

「共同措置です」

「俺と戦う気か」

「抵抗と判断します」


 男は剣を抜こうとした。その瞬間、床が沈んだ。重力系の拘束符、影縫い、神経阻害の短槍、遠隔結界、そして背後から踏み込んだ別の大手クランの剣士。どれも単独では男を止められない。だが、十二人が一拍もずらさず重ねた。男の膝が砕けるように床へ落ち、剣は鞘から半分も抜けずに止まった。


「ふざけるな……俺は、この国を守ってきた……」

「その国は、もうあなたを守りません」


 隊員は淡々と言った。


 男は初めて、周りを見た。同じクランの幹部たちは誰も助けない。助けるどころか、目を逸らしている。彼の背後にある資金経路が、非公開警備対象への攻撃支援網に繋がった時点で、彼は高レベル探索者ではなく処理対象になっていた。


 地位も、実績も、レベルも、庇護も、何も残らなかった。


 別大陸の港湾都市では、レムリアス系の情報屋がホテルの一室で端末を叩き割っていた。


「住所を売っただけだ。護衛の周期を流しただけだ。殺すなんて聞いてない」


 狭い部屋だった。窓の外には濡れた路地が見える。偽名の予約、偽造身分証、暗号資産の予備口座、逃亡用の別端末。全部用意してあった。これまで何度もそれで逃げてきた。


 今回は、何も動かなかった。口座は開かない。偽名は照合で弾かれる。連絡役は応答しない。いつもなら保護を売る相手が、今回は最初に切った。情報屋は端末の残骸を踏みつけ、荷物を掴んで部屋を出ようとした。


 扉の外に、誰もいなかった。


 それが一番怖かった。追手がいない。怒鳴り声もない。足音もない。ただ、ホテルの鍵が開かない。エレベーターが動かない。非常階段の扉も開かない。窓の外に見える路地には、人通りがない。


 自分だけが、世界から切り離されていた。


 壁のスピーカーが鳴った。


『あなたの身柄は、国際探索者安全保障案件として保全されています。抵抗しないでください』


「ふざけるな。俺は誰も殺してない」


 返事はなかった。


 情報屋はその場に座り込んだ。誰も買わない。誰も匿わない。誰も名前を呼ばない。住所を売っただけの男は、住所を持たない者になった。


 アークライン本部の医療区画では、結衣が卵焼きの話をしていた。


「甘いやつね」

「うん」

「砂糖多め?」

「多め」

「お姉ちゃん、甘すぎるの苦手じゃなかった?」

「澪用ならいいよ」

 朱音が言う。

「お姉ちゃん、澪ちゃんに甘い」

「結衣にも甘いでしょ」

「うん。でも澪ちゃんには、もっと甘い」

「それは……うん」


 結衣は楽しそうに笑った。澪は椅子の上で膝を抱え、少しだけ首を傾げている。結衣は、澪のことをほとんど思い出していない。けれど、名前はもう自然に呼べる。昨日よりも怖がらない。袖も掴む。マシロが動いても笑う。メイが鳴っても驚くだけで、離れない。


 それで十分だった。


 引きずり続けるものではない。欠けたものはある。でも、今ここで新しく積むことはできる。澪はそれを、少しずつ理解し始めていた。


 佐伯が入ってきたのは、その少し後だった。表情は整っているが、目元の疲労は隠しきれていない。朱音が立とうとすると、佐伯は手で制した。


「そのままで構いません」

「進展が?」

「主要系統は消えました。残りは追跡と監査です」

「消えた?」

 結衣が聞き返す。

 佐伯は一瞬だけ言葉を選んだ。

「二度と同じことができない状態になりました」

「そっか」


 結衣はそれ以上聞かなかった。朱音が教えたからだ。外の怖い話を、ここに持ち込みすぎない。澪ちゃんが怖い顔になるから、と。


 澪は佐伯を見た。


「国」

「九環国際管理区になります。正式には暫定管理名です」

「ふぅん、そっか」

「世間では、すでに別の呼び方が出ています」

「なに?」

「九環王国、と」

「いらない」

 即答だった。


 結衣が目を丸くして、それから笑った。


「澪ちゃんの国?」

「いらない」

「王様?」

「しない」

「でも、名前ついてるんでしょ?」

「知らない」

「王様、卵焼き食べる?」

「食べる」

「じゃあ王様じゃなくて、お客さんだね」

「うん」


 朱音が吹き出しかけて、口元を押さえた。佐伯も、わずかに目を伏せる。笑ったわけではない。ただ、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。


「それと、住居の件です」

 佐伯が続けた。

「七瀬家には、保護対象住居への移転を提案します。場所はアークライン管理区画内。外周三重警備、地下避難路、魔導防壁、医療連絡線、直通連絡用の開けた中庭があります」

「費用は」

 朱音が言いかけたところで、澪が答えた。

「買う」

「澪」

「買う」

「いや、待って。家って、そんな簡単に」

「危なかった」

「それは、そうだけど」

「新しい家、いる」

「でも」

「お金、ある」


 澪の声はいつも通りだった。自慢でもない。気負いもない。コンビニで水を買うくらいの温度で言っている。


 佐伯が補足した。


「澪さん個人資産、および澪さん名義の安全保障基金から支出可能です。基金の設立目的は、澪さんおよび周辺保護対象の安全確保です。用途としては適合します」

「基金って、家を買うものなんですか」

「今回は安全施設です」

「家ですよね」

「安全施設です」

 佐伯は真顔で言った。


 結衣が手を上げた。


「キッチンありますか」

「あります。広いです」

「卵焼き作れますか」

「作れます」

「じゃあ賛成」

「結衣」

「だって、お姉ちゃん。また襲われたら嫌だし。澪ちゃんも怖い顔になるし」

「……それは」

「あと広いキッチン、ちょっと見たい」

「そこが本音でしょ」

「半分」


 澪は結衣を見て、小さく頷いた。


「キッチン、いる」

「いるよね」

「うん」

「甘い卵焼き作るから」

「うん」


 朱音はしばらく黙っていた。受け取っていいものなのか分からない。家族を守るために必要だと分かっていても、澪から家を買ってもらうという事実が重すぎる。けれど、結衣が笑っている。父と母も安全な場所を必要としている。自分一人の遠慮で断れる話ではなかった。


「……ありがとう、澪」

「うん」

「ちゃんと、返せるものは返すから」

「いらない」

「そこは言わせてよ」

「うん」

「ありがとう」

「うん」


 メイの鎖が、澪の足元で小さく鳴った。マシロの裾が、なぜか少し誇らしげに揺れている。結衣がそれを見て笑った。


「マシロちゃんも新しい家、楽しみ?」

 白い裾がふわりと広がる。

「楽しみっぽい」

「メイちゃんは?」

 鎖がちり、と鳴る。

「楽しみ?」

「たぶん、広い床」

「床が好きなの?」

「絡まる」

「絡まるんだ!?」


 医療室の外では、まだ世界が動いていた。旧レムリアスのダンジョン管理区は九環国際管理区へ変わり、コメント欄では九環王国という言葉が広がり続けている。旧政権の関係者は保護を失い、大手クランは名簿から消え、情報屋は世界から切り離された。誰かが助けようとしても、その手ごと処理対象になる。だから、誰も手を伸ばさなかった。


『九環王国、公式じゃないのに定着早すぎ』

『旧レムリアス、探索者地図だともう国名出ない』

『澪ちゃん本人は多分いらないって言う』

『言いそう』

『王様というより白い鎌持った災害対策本部』

『喧嘩売る相手じゃなくて草』

『周りに手を出す相手でもない』

『今回で世界中が分からせられたね』


 佐伯は医療室を出る前に、一度だけ振り返った。


 澪は結衣と卵焼きの話をしている。朱音は疲れた顔で、それでも二人を見ている。マシロは白いまま、ベッドの端を整えている。メイは床で丸まり、時々小さく鳴る。


 外の地図は変わった。だが、ここにあるものは変えさせない。


 佐伯は扉を閉め、廊下へ出た。端末には新しい報告が届いている。旧レムリアス北部第九環、封鎖記録欠損。監視網破壊の痕跡。旧政権残党による嫌がらせの可能性。緊急性は、まだ低いと表示されていた。


 佐伯はその報告を見て、眉を動かした。


「監視を増やしてください」

『承知しました』

「第九環関連は、低緊急として扱わないでください」

『はい』


 通信を切る。


 廊下の窓の向こうには、朝の光が差していた。医療区画の白い床に、細い光が伸びている。長い夜は終わった。けれど、夜が残したものは、まだ世界のあちこちに沈んでいる。


 その一つが、半年後に牙を剥くことを、この時点ではまだ誰も知らなかった。

澪は王様だね。みおーさま?


ただ本人は全く興味ないので、多分もう出てこないです。

…たぶん?

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ドロップ量がある程度減少するとはいえ、レベル上げ制限超えた人でもボス素材の回収は可能なのだからそこまで澪にこだわらなくてもいいのではないかと思いますが? レベル150近い世界のトップ層が空葬原に挑めな…
IFの澪が人類虐殺しての人類滅亡記録も見てみたいです・・・・・・・・・・・・・・・・ 朱音死亡と朱音家族死亡と朱音家死亡の3パターンで
コメント欄の澪解像度が異様に高いw 動画でしか知らないはずなのに大体行動が当たってるし発言内容も正確に理解している 何故か仕掛けた側はその程度も理解できなかったらしいのに 強くても他者を害することに…
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