表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
九環配信の澪 〜誰も帰らない絶景を〜  作者: 妄幽
第四章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

102/147

第十六話 約束


 結衣は、忘れないように名前を繰り返していた。


 澪ちゃん。


 白くて綺麗な子。お姉ちゃんの大切な子。自分のために泣いていた子。昨日、初めて会ったような気がしたのに、周りの反応を見る限り、本当は初めてではないらしい。

そこだけが変だった。


母のことも、父のことも、お姉ちゃんのことも覚えている。家のことも、学校のことも、卵焼きを練習しようとしていたことも覚えている。なのに、澪ちゃんのことだけ、霧がかかったみたいに抜けている。


「澪ちゃん」

「うん」

「合ってる?」

「合ってる」

「よかった。起きたら忘れてたらどうしようって思った」

「覚えてた」

「名前はね。昨日、すごく泣いてたことも覚えてる。でも、なんでそんなに泣いてくれたのか、まだ分からない」

「……うん」

「ごめんね」

「結衣ちゃん、悪くない」

「うん。お姉ちゃんにもそう言われた」


 結衣が笑うと、澪は泣きそうな顔で頷いた。泣かせたいわけではない。けれど、何を言えば泣かせずに済むのか分からない。

結衣が困っていると、澪の肩にかかっていた白い布がそっと動き、澪の目元を拭った。


「その子、マシロちゃんだよね」

「うん」

「覚えた。澪ちゃん、マシロちゃん、メイちゃん」

 足元で丸まっていた鎖が、ちり、と鳴った。

「あ、返事した」

「メイ、えらい」

 鎖がもう一度、小さく鳴る。

「分かりやすいね」


 結衣は笑った。澪はその笑顔を見て、また少しだけ残念そうな顔をした。結衣にはその理由が分からない。分からないけれど、その顔は嫌だった。だから結衣は、点滴の管に気をつけながら手を伸ばし、澪の袖を軽く掴んだ。


「忘れてたら、また教えてね」

「うん」

「何回でも覚えるから」

「……うん」


 澪は、壊れ物に触れるみたいに結衣の手を握り返した。


 同じ頃、外の世界には何も詳しい情報が出ていなかった。


 襲撃を受けたのが誰の家なのか。誰が死に、誰が戻り、何が欠けたのか。七瀬家という名前は出ていない。朱音の家族も、結衣の名前も、公開されていない。アークラインは徹底して伏せた。出したのは、たった一つの事実だけだった。


 澪の周辺警備対象に対する攻撃があった。


 それだけで、世界は十分に黙った。


『公式、情報少なすぎる』

『周辺警備対象って何』

『名前出てない時点で察しろ』

『詮索するなってことだろ』

『アークラインの声明、温度がおかしい』

『国際探索者協議会も同時声明出してる』

『白紡工業、黒鉄旅団、海外大手クランまで並んでるんだけど』

『これ一企業の対応じゃない』

『いやアークラインはもう一企業ではない』

『某国の探索者庁サイト落ちてる?』

『落ちてるんじゃなくて権限剥がれてるっぽい』

『地図アプリのダンジョン管理色変わったぞ』

『は?』

『国境じゃなくて管理区域の色が変わってる』

『澪にちょっかい出すと国が消えるってこと?』

『消えるというか、ダンジョン利権が剥がされてる』

『それ国家としては死ぬやつでは』

『誰も詳細言わないのが一番怖い』


 コメント欄の流れは速かったが、軽口は少なかった。誰も名前を出さない。誰も対象者を探ろうとしない。何かがあった。アークラインが伏せている。伏せたまま、国家機関と世界大手クランと国際組織が同時に動いている。それだけで、触れてはいけない線がどこにあるのか分かった。


『【公式】アークライン:非公開警備対象への攻撃に関与した組織、資金源、情報経路、支援者、隠蔽者、ならびに関係する国家機関・探索者クラン・企業について、提携各機関と共同で完全措置を実施しています。末端のみの処理、名義変更、組織再編による逃避は認めません。関係構造は、探索者社会および国際深層素材流通から抹消されます』

『非公開警備対象』

『名前出さないの徹底してる』

『抹消って公式文で使う単語か?』

『アークラインが使ったならそういう意味だろ』

『某国、ダンジョン管理区域が国際管理に切り替わってる』

『国が半分死んだ』

『半分で済むのかこれ』

『澪本人に手を出せないから周り狙ったんだろ』

『それで世界全部敵に回したのか』

『馬鹿すぎる』

『馬鹿って言葉ですませられない』


 ある国の国家探索者庁では、夜が明けても誰も帰れなかった。


 端末は黒い画面を返し続けている。国内の主要ダンジョン管理区域は、国際探索者協議会の暫定管理へ移行した。最大クランの登録は消え、政府系の探索者部隊は装備補給を失い、医療薬剤の優先供給枠も止まっている。庁舎そのものは残っている。国旗も掲げられている。だが、ダンジョンで成り立つ国にとって、管理権限の喪失は血管を抜かれるのと同じだった。


「末端を拘束したと発表しろ」

「発表権限がありません」

「なら大統領府経由で」

「大統領府の探索者関連回線も遮断されています」

「外交窓口は」

「アークライン側が受けていません」

「国際協議会は」

「議席停止の審議に入っています」

「最大クランを動かせ」

「登録抹消済みです」

「再登録させろ」

「再登録審査の権限が、こちらにありません」


 大統領補佐官は、ようやく椅子に座った。疲れていたのではない。立っている意味がなくなったからだ。末端を差し出せば済むと思っていた。資金を流した財団を切れば済むと思っていた。輸出許可を出した役人を処分すれば、国家としては距離を置けると思っていた。


 違った…距離を置く時間は、もう終わっていた。


 壁の端末に、ダンジョン管理地図が表示されている。昨日まで自国色だった区域が、灰色と青に塗り替えられていた。国境線は変わっていない。けれど、国の価値を支えていた線は、すでに変わっている。


「我々は、何を敵に回した」

 補佐官が呟いた。

 誰も答えなかった。


 アークライン本部の地下会議室では、その答えが壁一面に広がっていた。


 赤い線は実行犯。黒い線は資金。青い線は情報。線は企業を通り、財団を通り、大手クランを通り、国家探索者庁へ入り、閣僚の補佐官を経由して古い利権団体へ繋がっている。末端など、全体から見れば入口にすぎなかった。


「当該国の第一管理区域から第四管理区域まで、国際暫定管理へ移行。隣接国との共同監視案、第一稿が届いています」

「利権団体が残る線を消してください」

「国境線ではなく、管理区域の再編です」

「それで構いません」

「歴史に残ります」

「残すためにやっています」


 佐伯の声は淡々としていた。眠っていないはずなのに、乱れがない。神楽坂は壁の系統図を見上げ、ミナトは無言で端末を操作している。榊原は公式声明とコメント監視を同時に処理していた。


「世界十位圏の大手クラン、海外支部を含め全登録抹消。関与なしを主張する所属者は個別審査へ」

「高レベル探索者の抵抗は」

「三大クラン合同部隊が沈黙させました」

「死亡は」

「最小限」

「十分です」

「国外スポンサー四系統、最上位まで到達。二系統は企業連合、二系統は国家機関」

「すべて同一案件として処理」

「国家機関の片方が交渉を求めています」

「拒否」

「もう片方は、関与者の単独犯を主張」

「単独で国の輸出許可とクラン資金洗浄と護衛情報流出が繋がるなら、その国に管理能力はありません。どちらにせよ処理対象です」


 法務責任者が息を詰めた。


「国家主権を理由に抵抗する可能性があります」

「抵抗できる線を消しています」

「戦争ではないと?」

「戦争ではありません。相手を国として扱う段階は過ぎています。これは、非公開警備対象への攻撃を可能にした構造の除去です」


 会議室の空気が重くなる。けれど誰も止めなかった。アークラインは資本も人員も世界最高レベルにある。澪由来の素材と資産が流れ込んだ今、その規模はすでに一国を凌駕していた。国家が相手でも、世界大手クランが相手でも、高レベル探索者が相手でも、関係はない。七瀬家を狙った線に乗った時点で、同じ処理対象だった。


「公開情報に、七瀬家の名前は出しません」

 榊原が言った。

「当然です」

「ただ、伏せたままでも世界は理解しています。澪さん周辺への攻撃だと」

「理解させてください」

「澪さんの名前も最小限にしますか」

「はい。ただし事実は残します」

「澪さんに手を出すと国が消える」

「澪さん本人ではなく、周囲に手を出しても同じです」


 佐伯は壁の地図を見た。


「次に同じことを考える者が、考える前に止まるところまで」





 医療室では、結衣が澪の袖を握ったまま、卵焼きの話をしていた。


「私、卵焼き作るって言ってたんだよね?」

「うん」

「どんなのが好き?」

「甘い」

「甘いのね。お姉ちゃんは少ししょっぱい方が好きなんだけど」

「結衣ちゃんの、好き」

「まだ食べてないんでしょ?」

「前、食べた」

「あ、そっか。私が忘れてるんだ!」

「うん」

「じゃあ、もう一回作るね。前より上手く作れるかも?」

「すごい」

「まだ作ってないよ〜」

「でも、すごい」


 結衣は笑った。澪は泣きそうになったが、今度は少しだけ耐えた。マシロの裾がそっと目元に近づいて、涙が落ちる前に受け止める。メイの鎖は静かに丸まっていたが、結衣が「メイちゃんも食べる?」と聞くと、ちり、と鳴った。


「食べるの?」

「メイは、違うの食べる」

「違うの?」

「武器と素材」

「武器?」

「うん」

「……すごいね?」

「すごい」

 澪が頷くと、メイの鎖が少しだけ得意げに揺れた。


 朱音は二人を見ていた。結衣は澪を忘れている。でも、怖がっていない。名前を覚えようとしている。新しい約束を作ろうとしている。完全には戻らなかった。それでも、空っぽになったわけではない。


 扉が開き、佐伯が入ってきた。


 結衣は少し身構えたが、朱音が「佐伯さん」と言うと、袖を握る力を少し緩めた。


「偉い人?」

「かなり」

「怖い人?」

「今日は、怖いかも」

 朱音が答えると、佐伯は否定しなかった。


「体調はいかがですか」

「…元気です」

 結衣が答えた。

「澪ちゃんのこと、覚え直してます」

「そうですか」

「はい。綺麗な子で、お姉ちゃんの大切な子で、私の大切なお友達」

「……はい」


 佐伯は一度、深く頭を下げた。


「守りきれませんでした。申し訳ありません」

「でも、生きてます」

「それでもです」

「じゃあ、次は守ってください」

「はい」

「あと、澪ちゃんを泣かせないでください」

「努力します」


 澪は佐伯を見た。


「終わった?」

「進行中です」

「どこ」

「言いません」

「佐伯さん」

「言いません。ですが、残しません」

「全部?」

「関わったものは全部です」

「上の人も?」

「上もです」

「クランも?」

「クランもです」

「国も?」

「必要なら、地図から消します」


 結衣が息を飲んだ。朱音は佐伯から目を逸らせなかった。澪だけが、静かに頷いた。


「結衣ちゃん、忘れた」

「はい」

「戻らないの、あった」

「はい」

「だから、残さないで」

「承知しています」


 壁の端末に短い報告が走る。


『当該国の暫定管理移行、第一段階完了』

『旧探索者庁、解体』

『関与大手クラン、海外支部を含め全登録抹消』

『抵抗勢力、全拠点沈黙』

『逃亡支援網、残存三十七地点を同時封鎖』


 佐伯は短く言った。


「続行」


 通信が切れる。医療室はまた静かになった。外では国境の意味が変わり、クランが消え、権力者が保護を失い、資産家が名前を失い、情報屋が網ごと剥がされている。非公開のまま、七瀬家を襲った構造は世界から削られていた。


 結衣は澪の袖をもう一度引いた。


「澪ちゃん」

「なに」

「怖い顔してる」

「そう?」

「うん」

「ごめん」

「怒ってる?」

「うん」

「私のため?」

「うん」

「じゃあ、ありがとう。でも、ちょっとやめよ」

「うん」

「私、澪ちゃんのこと覚えたいから。最初の顔が怖いと困る」

「……うん」


 澪はぎこちなく口元を緩めた。笑顔には届かなかった。けれど、結衣は満足したように頷いた。


「よし。綺麗な子、少し笑った!」

「……ふぅん」

「今のかわいい」

「かわいい?」

「うん」


 メイの鎖がちり、と鳴った。マシロの裾も小さく揺れる。朱音は泣きながら笑った。


 昨日までの約束は欠けた。


 だから、新しい約束を置く。


「澪ちゃん」

「なに」

「卵焼き、退院したら作るね」

「うん」

「甘いやつ」

「うん」

「約束」

「約束」


 結衣は元気に笑った。

結衣は最初から聡い子でしたね。


私の最推しです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
誰も帰ることのできないはずの九環を自由に行き来する存在を軽く考えすぎたな
あ、やっぱり本当に死んでたらヤバかったんですね 守る約束を履行できなかったアークライトの警備部に突撃したろうし 消しますの信用度が下がるから私が殺しに行くで譲らなかったろうし アークライトの主力の何人…
結局何を敵にしたか理解してないからこうなった 愚者の集まりであるSNSが自重するレベルで手を出しちゃいけないことも理解できなかった 今七瀬家の名前出して動画上げたバカとか一瞬でアカウント消されて処理対…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ