そういう悪いところも含めて、好きだったよ
藍里は洗濯物を抱え、和泉へ声をかけた。
「和泉さん、手伝ってもらってもいいですか」
和泉が顔を上げる。
「ああ」
それだけ言って立ち上がり、藍里の後をついてきた。
あの時から、和泉にはずいぶん話しかけやすくなっていた。
以前みたいな遠さは、もうあまり感じない。
ちらりと向けられる視線の意味を知ってしまってからは、時々気分が悪くなることもあるけれど、それを言えば自分だって人のことは言えなかった。
最初のうちは、和泉もそんな藍里の変化に少し戸惑っているようだった。
けれど最近は、藍里が前より雑に話しかけても、和泉は以前みたいに距離を取らなかった。
―――
川へ向かう。
藍里は衣類を水に浸し、平たい石の上で踏んで汚れを落とす。
それを和泉が受け取って絞り、木に蔦を巻きつけて作った物干しへ干していく。
「そこ、皺になってます」
藍里が指摘すると、和泉は手元の布へ目を落とす。
「分かった」
大きな手が思いのほか慎重に動き、皺を伸ばして干し直す。
藍里は額の汗を拭い、最後の一枚を和泉へ渡した。
「お願いします」
和泉がそれを受け取る。
絞られた布から水滴がぽたぽたと落ち、足元の土に小さな染みを作った。
しばらくは水の音だけが続いていたが、やがて和泉が不意に口を開く。
「俺が気持ち悪くないのか」
藍里は眉を寄せた。
「何ですか急に」
「俺は自分の嗜好が異常だと自覚している」
真面目な顔のまま、和泉は言う。
「何でそんなに普通に接する」
藍里はため息をついた。
「気持ち悪いですよ」
和泉がわずかに固まる。
「でも、今さらじゃないですか」
そう言って藍里は、和泉の手から布をひったくった。
「私だって大概ですし」
そのまま自分で絞ろうとする。
けれど、思った以上に固くてうまくいかない。
力を込めても、水はぽたぽたと頼りなく落ちるばかりだった。
やっと終わった、と思った瞬間だった。
「まだだ」
和泉が布を奪い返した。
手でぐっと捻ると、さっきとは比べものにならない量の水が一気に落ちる。
藍里は思わず目を丸くした。
「馬鹿力ですね」
「普通だ」
「絶対違います」
藍里が言うと、和泉は何も答えなかった。
けれど、その横顔は少しだけ晴れやかに見えた。
―――
和泉と並んで洞窟へ戻る途中、山の奥から神谷が歩いてくるのが見えた。
どうやら水汲みから戻ったばかりらしく、手には容器が下がっている。
その姿を認めた途端、和泉がふいに口を開いた。
「忘れ物をした」
それだけ言うと、和泉はくるりと踵を返し、川の方へ歩き出す。
藍里はその背中を睨んだ。
下手すぎる。
どう考えても嘘だった。
けれど和泉は振り返りもせず、そのまま行ってしまう。
取り残されたみたいに、その場に藍里と神谷だけが残った。
途端に、空気が気まずくなる。
何を言えばいいのか分からないまま、藍里は神谷を見られずにいた。
しばらく沈黙が落ちたあと、神谷が困ったように笑う。
「戻ろっか」
その声に顔を上げると、久しぶりに視線が合った。
「……うん」
藍里は小さく頷く。
二人で並んで、洞窟へ向かって歩き出した。
何を言えばいいのか分からない。
足音だけが、妙にはっきり耳に残る。
先に口を開いたのは神谷だった。
「俺さ」
神谷は前を向いたまま言う。
「途中から気づいてたんだ」
その言葉に、藍里の足が止まりそうになる。
「でも、気づかないふりをしてた」
神谷は苦く笑った。
「頼られることで、自分が必要とされてる気になってた」
一度だけ視線を落とす。
「だから、あえて気づかないふりをした」
ほんの少し間を置いてから、神谷が小さく息を吐く。
「ごめんね」
藍里はすぐに言葉を返せなかった。
神谷がそんなふうに思っていたなんて、考えもしなかった。
「違うよ」
ようやく絞り出した声は、思ったより小さかった。
「神谷くんは悪くない」
「私は、自分が安心したくて甘えてたの。だから悪いのは私だよ」
神谷も首を振る。
「俺だって同じだよ」
ふと、視線が合う。
「だから、お互い様」
神谷がそう言って、少しだけ笑う。
藍里は何も返せなかった。
しばらくは、二人の歩く音だけが続いた。
やがて神谷が、またぽつりと口を開く。
「俺さ」
藍里が顔を上げると、神谷は少しだけ目を細めた。
「そういう悪いところも含めて、藍里ちゃんのこと好きだったよ」
穏やかな声だった。
前みたいな熱は、もうそこにはない。
それでも、優しさだけは変わらなかった。
「でも今は」
一度言葉を切る。
「男としてじゃなくていい」
神谷が微笑む。
「一人の人間として頼ってほしいな」
藍里の胸の奥が、じわりと熱くなる。
困る、と思った。
そういうことを言われると、ずるい。
「神谷くん」
「うん?」
「ずるいよ」
神谷が吹き出した。
「そう?」
「そう」
藍里も少しだけ笑う。
それから小さく息を吐いて、神谷を見た。
「何かあったら頼ります」
「うん」
神谷はゆっくり頷いた。
二人でまた歩き出す。
以前みたいに肩が触れる距離ではなかった。
手を繋ぐことも、もうない。
それでも、不思議と前より息はしやすかった。
やがて洞窟が見えてくる。
神谷が少しだけ先を歩き、藍里はその背中を追った。
前みたいな距離には戻らない。
それでも、もう十分だと思えた。




