そうなってしまったなら、仕方ない
夜。
藍里は火の前にひとりで座っていた。
揺れる炎をぼんやり見つめる。
それでも、頭の中は少しも静かにならなかった。
綾のため。
その言葉は、いつの間にか自分の中で癖みたいになっていた。
神谷に向ける言葉も。
佐伯に見せる態度も。
全部、綾のため。
そう思っていれば、自分はまだ正しい側に立っていられる気がした。
最初は本当にそうだった。
ここで生き残るためには必要だった。
誰かひとりでも見捨てられたら終わるかもしれない場所で、綾を守るためには、使えるものは使うしかなかった。
神谷の優しさも、佐伯の軽さも。
けれど、今はもう違う。
神谷も佐伯も、綾を見捨てるような人間じゃないと、もう分かっている。
それなのに、自分は同じことを続けていた。
理由は、もう綾だけじゃないのかもしれない。
向けられる好意に、思ったより心が緩む。
必要とされているような気になれることが、少しだけ心地いい。
それを失うのが怖いのかもしれない、とふと思う。
綾のためのはずだった。
そう思っていたのに、いつの間にか、それだけでは説明がつかなくなっていた。
ぐるぐると考えが回る。
答えは出ないまま、火だけが小さく揺れた。
―――
「そろそろ交代だ」
和泉の声がして、藍里は顔を上げた。
和泉はいつも通りだった。
初日から何ひとつ変わらない顔で、そこに立っている。
藍里が何をしても、和泉だけはずっと変わらなかった。
その変わらなさが、なぜか少しだけ息をつきやすくさせた。
答えがほしかったわけじゃない。
ただ、何を言っても揺れなさそうなその横顔を見ていたら、胸の奥に溜まっていたものが、ふと口をついて出そうになった。
「和泉さんって」
呼びかけた声は、思ったより掠れていた。
和泉がわずかに視線を向ける。
「迷うことってありますか」
言った瞬間、藍里は自分で何を聞いているんだろうと思った。
和泉の動きが止まる。
ぱち、と火のはぜる音だけが、やけに大きく耳に残った。
返事はない。
沈黙がじわじわと落ちてきて、藍里はたまらず視線を伏せる。
やめればよかった。
「……やっぱいいです」
逃げるみたいにそう言って、立ち上がろうとした。
そのときだった。
「ある」
和泉が言った。
短い声に、藍里は立ち上がりかけた動きを止める。
和泉は火を見たまま、しばらく黙っていた。
横顔はいつもと変わらない。
けれど、次に落ちた声は、どこか独り言みたいだった。
「いつもだ」
和泉が小さく息を吐く。
「自分は間違ってる。そう思いながら生きてる」
藍里はなぜか目を逸らせなかった。
和泉は視線を火から外さないまま、一度言葉を切る。
「でも、そうなってしまったなら、もう仕方ないと思ってる」
藍里は戸惑った。
それが、自分に向けられた言葉なのかどうかも分からなかった。
「それって……」
口を開いた瞬間、和泉が遮る。
「忘れろ」
短い声だった。
それ以上は何も言わせない、というように。
藍里は小さく頷く。
「……はい」
それ以上は何も聞けなかった。
藍里はそのまま寝床へ向かい、静かに横になった。
目を閉じても、すぐには眠れなかった。
和泉が何を言いたかったのかは、よく分からない。
けれど、あの言葉だけが頭の奥に残っていた。
――そうなってしまったなら、もう仕方ない。
それが救いなのか、ただの逃げなのかは分からなかった。
けれど今は、そう思うことでしか立っていられない気がした。
仕方ない。
そう心の中で繰り返しながら、藍里の意識はゆっくりと眠りの底へ沈んでいった。




