7話:フラグは立てるもの、勝ち取るものであり、折ったら失格なのはむしろ明白
長らくお待たせしてすみません。そして重ねて謝罪申し上げます。実はこれ、繋ぎ回なんだ。
―――シュタットフェルト様、ごきげんよう
「ごきげんよう。いやですわ、リリィと呼んでくださいな。他人行儀で寂しいではございませんの」
―――リリィ様、おはようございます
「ええ、おはよう。お母様のお加減は良くなりまして? 季節の変わり目ですもの、リリィがお見舞い申し上げていたとお伝えくださる?」
―――リリィ様、お昼を一緒に如何ですか? この頃殿下とばかりではありませんの、寂しゅうございます
「嗚呼、ごめんなさい。今日はもう先約があるの。明日でどうかしら? お詫びにお菓子を持っていくから」
只今、リリィ・シュタットフェルトに空前のモテ期が来た―――――というわけでは全くなく。誰も彼も目の笑っていないその最中で、生きることにしただけの話だった。
嘘は昔から得意なのが幸いした。仮面を被るのはもっと得意。そっと囁いて自白させるのは特技の域だ。
「ナナちゃん。私の記憶違いでなければ、私は今生のフラグとやらを折るために頑張ろうかなとか思ってたはずなんですけど、どうしてこうなったのかな」
「シオに乗せられたからだろ」
「ですよねーーーー!」
わっ、と顔を覆って涙をこらえるが、ナナちゃんは憐れんで私の背をポンポンと撫でるだけだった。いやそれ以上を望んでいるわけでもないので別に良いけれど、もうちょっとこう、物には言いようがあるというか、つまりもう少しぼやかすくらいはしてほしかった。そんな、そんなド直球に言わなくても良いじゃないか。
「死にたくないだなんて、今更傲慢なことは言いませんけど……こんな、こんな面倒なことにならなくたっていいじゃないですか……日々を穏やかに過ごすくらい、良いじゃないですか……」
「敬語。それこそ今更だろ。『あっち』でも天使みたいな顔してキ〇ガイ共に懺悔されて狂信されてた癖に」
「またそういう乱暴な言葉遣いするー! それと、あの人達をそんな風に呼ばないで下さい」
「何と呼ぼうが同じことだろうが。民草を臣民と呼ぼうが家畜と呼ぼうが、本質は変わらん」
「露悪的が過ぎると言ってるのです。もう、そんなこと思ってもないくせに!」
「どーだかな」
ナナちゃんはケッ、と喉の浅いところでわざと音を鳴らして息を吐いたあと、八つ当たりばかりに口にサンドイッチを詰め込んだ。
擦り切れるような校舎内の振る舞いを忘れ、こうして屋上にいられる時間は、今や私にとってたたひとつの得難い場所となっていた。何もかもを脅し、締め付け、平伏させるのは疲れる。だが、そうあれかしと望まれているのなら、リリィはそうするだけだ。
一番最初に堕としたエメリーなんてその最たるもので、従者のように私にくっつく彼女は、リリィを恐れていると同時にリリィを失う事にも恐れている。一度自分で他のお嬢様方と戦うことを放棄したら、その怠惰さに浸ってしまうのは人間として避けられないことだ。誰かの下に従いて動くのは楽なことこの上ないだろう、自分で考えなくても良い懶惰はひどく甘美だろう。要は依存だ。それこそ人を堕落させる最も手っ取り早い手法。それを私は、嫌になるほど理解している。
「ま、困ったことがあったら言え。物理で解決してやる」
「頼もしい事この上ないですね……他国と戦争とかになったら考えます」
「他国との戦争ならそれこそナナを頼るのは止めておきたまえ! 彼女が出撃してみろ、相手国は一ヵ月もたないよ! 戦争だって外交だ、彼女のようなバーサーカーに出張られて人の住めない土地にされても困る」
「わあ! シオさん、いつの間に……」
「今さっきさ!」
「お前はアタシをなんだと思ってンだ」
「ABC兵器よりひどいと思ってる」
「NBCじゃなかったか?」
「ABCの方が字面が冗談みたいで愉快じゃないか」
「ジョークにしてもブラック過ぎると思いますよ……」
一番最後に見た時は確か爆発物や放射能も付け加えられてCBRNEとかになってたはずなので、最早字面がどうのという問題ではない。
「ところで、今日は遅かったですけど、何かあったんですか?」
「ああ、そうだったそうだった。これを見給え、二人とも」
パチンと指を鳴らしたシオさんは、お弁当箱を包んだレースを解く手を止め、制服のジャケットの内側に入れていたらしい折りたたまれたA4の紙を広げて私とナナちゃんに見せてくれた。生徒用に作られた配布される書類のようだが、肝心のその内容はと言うと。
「春の武闘大会、ですか」
「希望制だけどね、ナナはどうせ強制参加だろう?」
「……チッ、面倒な事を」
堅苦しい文章で綴られたそれには、一か月後に開かれる武闘大会についての概要が大雑把に書かれていた。それを更に簡略化すれば、この学園に所属している者なら誰もが参加可能で、全試合徹底して一対一のトーナメント戦、かつ剣技だけでなく弓、槍、杖と得物の制限はなし、魔法の使用も禁呪以外ならば全面的に許すというものだった。使い魔については明言されていないが、使い魔と主人は一心同体なのでおそらく許可範囲内だろう。そもそも、ここ八世紀ほど使い魔を持つ魔導士などこの国では現れていないらしいが。
「ナナちゃん参加するのですか?」
「家の都合上仕方なくな」
「私も参加するとも、おそらくリリィちゃんも参加させられるんじゃないかな」
「えぇー……わたし、人を傷つける魔法はちょっと……」
「安心し給え、参加者はダメージは食らうが傷はつかないよ、血が出ることもない。所詮貴族のおあそびだ」
「それに付き合わされるアタシの身にもなれっての」
「そっか、ナナちゃんの家は『カンナビヒ』ですもんね」
ナナちゃんの生家、カンナビヒ家は、『剣聖』の家系だ。代々、国で最も剣技に秀でた者が承る勲章を、あろうことか一族で踏襲している家系。他の誰の才能も、研鑽も、努力も苦悩もを寄せ付けず、ただただ絶対的な剣技を持つ子が産み落とされる家。メカニズムは解明されてない、魔術的な何かを行使しているわけでもない、ただ呪いのように、美しいまでの剣技を持つ子供はその家で産まれるのだ。あんまりにもあんまりにその家から剣聖が輩出されるので、五代前の国王が遂に諦めて爵位を与えたらしい。粘った方だよな、とナナちゃんは呆気からんと笑ったけど、次代で十五代目らしいので、むしろ国王が頑固すぎる方だ。
「まーた兄弟共がうるせーよ」
「五人兄弟だろう? 最近じゃ珍しいよね」
「アタシが中々産まれなかったんだからしゃーねぇだろうよ」
「……あ、あのー、もしかしてーですけど、もしかして次代の剣聖って」
「アタシだけど?」
明日の日直誰だっけ、と聞かれた時だってもうちょっとリアクションある、というレベルの平然さで、ナナちゃんは鼻で笑いながら言った。
道理でシオさんがナナちゃんを戦争に投入するなと宣うわけだ。剣聖の逸話は、インド神話とタメを張る豪快さと笑えなさに満ち満ちている。もしあれが本当ならば、ナナちゃんはマジで一ヵ月かからずに国を亡ぼせるに違いない。
知らなかった、とショックを受ける私に、ナナちゃんは話してなかったっけか、悪いなと軽く謝った。
「今度モーセごっこでもやるか?」
「……良いんですか?」
「どこでやる気だい君たち……プールでやったら水泳部員が泣くぞ」
自宅プールはほんとうに遊べる程度の広さしかないので、迫力を求めるならやはり学園の百メートルプール、と思ったのだが、あきれ顔のシオさんにストップをかけられてしまった。確かに、学園のプールでやったら水泳部員さんに迷惑がかかることは間違いなしだ。いくら浅慮な私とは言え、プールの水が大変なことになる程度の予想はつく。
「そういえばリリィちゃん、今日殿下は?」
「公務でお休みだそうです。今春の収穫物による四半期決算を片付けてくるとか」
「OH……春は作物の種類が豊富だから大変だ。ウチも納税リストが書斎に溢れかえって大変だからってお父様がリビングでやり始めたよ。せめてさー収穫量から税摂取物がどれくらいになるかとか、電卓があればまだマシなんだけどねぇ」
「作れませんかね、電卓」
「まず電池だよね……待て、魔法で代用できるな」
「アタシは手伝わねぇぞ」
「えーっ、その無駄に知識が詰まった脳を貸してくれよぅ! 割かし切実なんだぞ!」
「PICがあるなら考えないこともない」
「……無理だなー」
「そろばん片手に頑張れ」
「あー、魔法が発達してるって言うのにこんな原始的な手法に頼らなきゃならないなんてー……」
不便極まりない、とシオさんはパックの野菜ジュースのストローを咥えながら後ろに倒れて天を仰いだ。プラスチックストローはあるのにね、この世界。
「大体誰が作ったんだいこの世界は。粗が多すぎることこの上ないよ。ここで生きる人々の身にでもなってほしいもんだね」
「一週間で作ったんだろ」
「それ実質六日じゃないか!」
「しかも文明は勘定に入れてませんしね……そう言えば、宗教ないですねこの国」
「ああ、我らが日本もびっくりの無宗教、だのにクリスマスはある」
「一体誰の生誕を祝ってるんですか……」
「サンタの誕生日なんだろ、多分」
まさしく神も仏もないと言うわけだ。ちなみに幽霊ならいる。無害なものをゴースト、有害なものをファントムと呼称しているらしい。霊を一度も見たことがない私としては、有害な霊とかいるんだ、という感じである。精霊も聖獣も魔物もいるのに神はいないなんて、不思議な世界だ。
閑話休題。
「それよりも、だ。ナナ、君どうするんだい、トーナメントでリリィちゃんと当たったら」
「降伏させる」
「即答ですか!? というか降伏する方じゃないんですか!?」
「お前、アタシに勝てるのか?」
「無理です!」
ナナちゃんと同じくらいの即答だった。元のナナちゃんでもレベル1と勇者とラスボス並みに力量差があるのに、この世界での次代剣聖が内定してるナナちゃんと戦えとか、控えめに言って無理。ウサギと獅子なんて甘っちょろい例えじゃない、蜻蛉がゴジラに喧嘩売るようなものだ。
「でも私のイメージ的にさっさと降伏するのはダメな気がします!」
「それなんだよなぁ。仕方ないから、私とやることにしようか」
「やることにしようか、って……そんな体育の組み分けみたいな」
「トーナメント戦なら、端と端に君らが入れば決勝戦まで合わないだろう?」
「え、ランダムじゃないんですか」
「まさか。拮抗しなきゃ面白くないだろう。運営委員会の方々が毎年決めてるんだよ。そして幸いなことに、今年の運営委員会の会長は希望者ゼロにより生徒会長が兼任だ」
「……それの、何処が幸いなのでしょうか」
「聞いて驚け、なんと、生徒会長はこの私の婚約者なのさっ!」
一度顔合わせすると良い、と放課後シオさんに連れられ、私は生徒会室の扉の前まで案内されることになった。ちなみにナナちゃんは生徒会長さんは無害だから勝手にしろ、と私たちを見送り家に帰った。素でいるべきか皮を被っているべきか迷ったので、エメリーにも帰ってもらっている。
シオさんは一度私を振り返った後、ノックを4回して返事も待たずに押し入った。
「やぁユーリ! 私だよ!」
「やあ、シオン。今日も元気そうで良かった」
生徒会室の表札が掲げられた部屋の中には、大きな長机と5つの椅子、机上に積まれた書類や本、ファイリングされた資料に溢れ、その隙間に眠気覚ましらしいコーヒーが入れられた大き目マグカップ。それらの一番奥に、穏やかに微笑む青年の姿があった。後ろの窓から降り注ぐ太陽光を反射してきらきら光る金糸の髪、青空を映したような眼を柔らかく緩め、すらりと長い腕をこちらへ伸ばす。
「そちらのお客さんは?」
「私の親友その2、リリィ嬢だよ。可愛いだろう?」
「本当に。噂に聞いてはいたが、本当に綺麗になられた」
「リリィ・シュタットフェルトと申します……えっと、お知り合い、でしたか?」
「君がまだうんと小さい頃だから、覚えてなくても仕方ないよ。暫くぶりですね、リリィお嬢様。私はユリウス・フェルマー。シュタットフェルト家の分家に当たる血筋の者です」
「フェルマー……ああ! けれど、確か辺境伯になられてからは独立されたのですよね?」
「よくご存じで。ええ、――――畏れ多くも我が家は功績を認められ、現在では弱小とは相成りますが侯爵まで爵位を上げさせて頂いております。本来ならばお嬢様に傅く立場にあった使命に御座いましたが、無遠慮にも大御爺様が鉱石の研究に口を出してしまったがばかりにこのような出過ぎた真似となってしまったことを、祖先に代わって陳謝致します」
「い、いいえ、そも原因の鉱石研究は我が家に伝わる封印式を改良しようと云う心遣いによるもの。感謝こそすれど謝罪される謂れはありません。これからはよき友、よき隣人、よく臣民として、国に仕えることこそシュタットフェルト家のからの最後の命令です、努々務めなさい」
「はっ。有難きお言葉。……良かった、お嬢様、ご立派になられましたね」
「びっくりしましたっ! 急に試さないで下さい!」
フェルマー家は4代前にシュタットフェルト家から独立した分家の一つだ。しかし、その内情は決して薄ら暗いものではない。リリィが昔叩き込まれた前文通り、フェルマー家の当時の当主、シュタットフェルト家の当時の当主に仕えていたその人が、なんとか主の負担を減らすべく鉱石研究に手を出したのが始まりだ。進めるうちにまだ足りない、まだ、まだ、としているうちにあわや巨大な富や権利、人脈を掴んでしまい、むしろかえって焦り倒したそうだ。このままではシュタットフェルト家で内乱が起きかねない、しかも本家たるシュタットフェルトと最たる密接なフェルマー家とがだ。ということでフェルマーは辺境伯の爵位をお上から割と無理矢理貰って分家から離脱。そこからもぐんぐんと勢力を伸ばし、今や侯爵家の末席にその家名を連ねているのだ。ちなみに主の負担を減らす鉱石は見つかり、今の結界にも用いられてるそうだ、良かったね。
ともかくそんなわけで、シュタットフェルト家とフェルマー家は面白いほど穏便に分裂したのだが、蚊帳の外の連中は当事者でもないくせして野次馬するのが好きなので、噂話に更に尾ひれが着くといった状態で、当時は大変だったらしい。そこで、当時から綿々と受け継がれた『自分たち仲良いですよアピール』が、先のやり取りというわけだった。当主にのみ口述で継がれるそれは、当然次期当主たる可能性が高いリリィにも継がれていた。
「今や分家という立場こそ捨てましたが、シュタットフェルト家への忠誠心は忘れていないのは事実です。僕の事はユーリとお呼び下さい、リリィお嬢様」
「い、いいですいいですっ! 友達の婚約者にお嬢様呼びをさせるとか、どんなプレイですかっ!」
「ぷれい?」
「あ、リリィちゃんこいつそこらへん純粋培養だから通じないよ。それと、私は特別気にしてないから安心してくれ給え」
「うーん、そこは少しは気にしてほしいところなんだけど」
「君が女の子になったら考えるよ」
「うーん難しいなー」
婚約者というよりも、幼馴染と表現する方が正しいような、そんな不思議な雰囲気の二人だった。
その後、ユーリはシオさんと私の身勝手なお願いを、快く受け入れてくれた。「わかった、そのように取り計らっておこう。こういったことはお手の物だから、安心してほしい」とにこやかに言ってくれたのである。イケメンは心までイケメンなのであった。
そして、一月後遂に、学園主催武闘大会が始まりを告げた―――
―――え? お前魔法使えるのかって? さあ、試したことはないですけど………
次回、武闘大会!ナナちゃんの人外っぷりをうまく書けたらいいなと思います(こなみ)




