第五幕 第十場
おっぱい王国の劇場のホールに一人の男が姿を現した。それはちょびヒゲを生やしたタキシード姿の男で、そいつはティーア劇団の座長クレープスだった。
クレープスは舞台にあがると集まった人々に向かってお辞儀をした。
「みなさま大変長らくお待たせしました。わたくしティーア劇団の座長をつとめさせていただいておりますクレープスと申します。このたびは——」
壇上のクレープスの挨拶を、舞台の屋根裏に潜み見下ろすバニーガールの女の姿があった。それは巨乳派の工作員マルタだった。
マルタは胸の谷間に手を入れると、そこからナイフを取り出した。
「こいつを隠し持っててよかったよ。おかげであの動物どもから逃げ出せた」
クレープスの挨拶は続いている。
「いつ殺る?」マルタは自問自答する。「マルタ落ち着いて考えるのよ。今は得策ではないわ。あせらずともチャンスは来る。それまではここで大人しく待機するのよ」
「——と言うわけです」クレープスが言った。「それではみなさま、これより演劇を始めたいと思います」
お辞儀をして舞台から去る。
クレープスが舞台を降りると同時に幕があがった。人々が期待に胸を膨らませ拍手を送る。
三階の豪華な観客席の中央に座る二人も拍手を送った。それは巨乳姫マンスロートに扮した鵞鳥番のリーゼルにシュヴァンツ王国第二王子ローラントだった。
舞台では演劇が始まり、人々が食い入るようにして見入っている。
ローラントがリーゼルの耳元でささやいた。
「大事なお話よろしでしょうか?」
リーゼルはローラントに顔を向ける。
「はい。なんでしょうか?」
ローラントは舞台を見据えて言う。
「本物の巨乳姫様はどこにいらっしゃるのですか?」
リーゼルは瞠目する。
「ロ、ローラント王子様。そ、それはいったい……」
「とぼけなくても結構ですよ」
ローラントは舞台を見据えたまま微笑んだ。
「あ、あの、わ、私は本当にマンスロートです」
リーゼルは動揺を隠しきれずに狼狽する。
ローラントはリーゼルの胸を指差した。
「その胸で巨乳姫を名乗るのですか」
リーゼルは指差された自分の胸に視線を落とした。そこには嘘偽りのない、普通の大きさの自分の胸が存在していた。
「しまった。パッド入れ忘れた」思わず胸を押さえる。
「面白い人だ」ローラントは楽しげに笑う。「どうしてあなたが巨乳姫マンスロート姫様のふりをしているのかは、あえて問いただしません。ですけど僕以外のシュヴァンツ王国側の人間はみな、あなたのことを怪しんでますよ」
そう言うとシュヴァンツ王国関係者が座る観客席左側を顎で示す。
「気をつけてくださいね」
リーゼルはおろおろとする。
「あ、あの、そ、その、わ、私は、その、あの、えっと……」
「落ち着いてください」ローラントはやさしい口調になる。「あなたが動揺しているのを他の者に感づかれては、僕もやっかいなことになる」
「ロ、ローラント様……」
リーゼルは気持ちを落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。
「先ほども言いましたが、僕はあなたがなぜマンスロート姫様のふりをしているのかを問いただすつもりはありません。けれど僕の臣下達は違います。偽物あなたを見て、酷く苛立っています。これはシュヴァンツ王国に対する侮辱だとね」
「そ、そんなつもりはないんです。私は、私たちは……」
「大丈夫です。わかっていますよ。巨乳姫に変装にするために胸の詰め物をし忘れるなんて失態、普通じゃ考えられません。それに気づかぬほどせっぱ詰まった状況なのでしょ?」
「……はい」リーゼルはうなずいた。
「なるほどね。今このおっぱい王国は非常にまずい状況下に置かれている、そうですね?」
リーゼルは無言でうなずく。
「その事情を僕ら、シュヴァンツ王国側に知られるとまずい、そうですね?」
リーゼルはまたもや無言でうなずく。
「正直な方だ。その誠意に僕も報いたい。だからこそあなたにお願いしたい。この劇が終わるまでに本物の巨乳姫であるマンスロート姫を連れて来てはくれませんか」
リーゼルの表情に焦りの色が浮かぶ。
「これが僕に出来る最大の譲歩です。できれば僕もおっぱい王国とは争いを起こしたくはありません。ですが臣下達をなだめるのも限界があります。だからこの劇が終わるまでに、必ず本物の巨乳姫を連れて来てください。頼みましたよ」
リーゼルは気持ちを落ち着かせようと深呼吸すると、ローラントに微笑んでみせる。
「ありがとうございますローラント王子様。私たちおっぱい王国の人間が、シュヴァンツ王国の人間を騙していると知ってなお、我が国の事を思ってくれているのですね」
「当然ですよ」ローラントも微笑む。「いずれこの国の王となる人間ですから」
「わかりました。けれどその前にローラント王子様」
リーゼルはそこで言葉を切ると、うかない顔つきになる。
「……一つ質問してもよろしいでしょうか?」
「なんでしょうか偽乳姫?」
「偽乳?」リーゼルは胸を押さえ顔を赤らめる。「そ、そんな事言わないで。私だって——」
「冗談ですよ。そんなに興奮しないでください」
ローラントはなだめるような口調でリーゼルに言った。
「それに僕はあなたのような形のよい美乳は好きですよ」
リーゼルはさらに顔を真っ赤にさせた。
「こ、こ、こんな時にふざけないでください」
「やっぱり面白い人だ」ローラントは楽しげに笑った。
リーゼルは真っ赤な顔を下に向けた。「か、からかわないでくさだい……」
「大変申し訳ない。こんな時に非常識でしたね」
ローラントはそう言うと真面目ぶった表情に変わる。
「それで、あなたの質問とはいったいなんですか?」
リーゼルが顔をあげた。
「ローラント王子様はマレーン姫様の事は好きですか?」
「ええ、もちろん好きですよ」ローラントは即答した。
「え、本当に?」
「はい、もちろん。それと同じようにマンスロート姫様の事も好きですけどね」
それを聞いてリーゼルの表情が曇った。
「……ローラント王子様は、まだ見ぬマンスロート姫様の事を好きだと言いましたね。その言葉を信じていいのでしょうか?」
ローラントは力強くうなずいた。
「もちろんですとも。それが僕の役割ですから」
「……ローラント王子様」
リーゼルの表情がさらに曇る。
「ご自身の立場とか役割なんてないものだとしてお考えください」
そこで間を置く。
「もしもマンスロート姫様とマレーン姫様、二人があなたに求婚なさったら、あなたはどちらを選びますか?」
ローラントは押し黙る。
「ローラント王子様。答えてくれませんか?」リーゼルが催促する。
「……難しい質問ですね。すぐに答えを出せるような問題じゃない」
「……確かにそうですよね。すぐに答えを出せるような問題じゃないですよね」
「その質問はまさかと思いますが——」
「それ以上口にしないで」リーゼルがローラントの言葉を押しとどめた。「どうかこの答えは私にではなく、直接本人にお伝えください」
「なるほど」ローラントは全てを悟ったかのような顔つきで言った。「そういうことですか」
「ローラント王子様。私はこの劇が終わるまでにマンスロート姫様とマレーン姫様をお連れします。だから答えをだしといてください」
しばしの間があった。「……わかりました」
「それじゃあ私行ってきますね」リーゼルが席を立とうとする。
「まってください」ローラントが呼び止める。「その前にあなたの名前を聞かせてください」
「私ですか。私はただの鵞鳥番で、名はリーゼルと言います」
「リーゼルですね。覚えておきます。それではあたなが帰るのをお待ちしておりますよ」
リーゼルはローラントに一礼をすると席を立つ。
「おい、どこに行くのだマンスロート」離れた席に座っていた王様がリーゼルを呼び止めた。
「ごめんなさいお父様」リーゼルは言った。「私すこしばかりお花を摘んで参ります」
トイレに行くと思った王様は言う。「そうであったか。呼び止めてすまぬ」
リーゼルは観客席を出て廊下に出るとあたりを見回し焦りだす。
「無理よ。巨乳姫様がどこにいるかなんか私知らない。っていうかキュルトヘンはどこよ。私どうしたらいいのよ?」




