第38話 新たなステージ
ソニックや桜、菜月等何名かが次のステップへと向かいます
2007年10月、ソニックと桜に待望の男の子が産まれた。名前はそれぞれ漢字一文字を出してくっ付けようと考えた。名前は「誠剛」。ソニックは真に正しい子になってほしいと、桜は強い子に育ってほしいという期待を込めていた。この子の出産時にソニックは立ち会ったが、ソニックは
「何も出来なかった。してあげられなかった。男って無力だなあ。」
と落胆していた。更に誠剛は、ソニックが抱くと大泣きする。
(やっぱこの面は凶悪に見えるんだろーな・・・)
と気にしていた。桜や緑、菜月や菫が抱くと喜んでおり尚更ショックだった。
また、年が明け5月には唯一の弟子、達斗が進学の為、弟子入りを解いた。微弱ながら「Sonic」を出せるようになった達斗は、アーバインの大学で犯罪学を学び、将来はインターポールを目指すと話していた。
ソニック達Watts Towersは、2008年のリーマンショック後から、大きなプロジェクトを3つ始動する事になる。
1つ目は、乗員定員7000人の超大型クルーザーを購入。この年大統領が代わり、ソニックはアメリカ国内の渡航をハワイ、アラスカまで範囲を広げていいとの通達を受けた。このクルーザーで移動しながらハワイやアラスカまで船内ライブを行うというもの。30組ほどのアーティストも同乗し、交流しながら旅をするという企画だ。購入したクルーザーは普段、ロングビーチに停泊しており、移動ライブハウスとして日本からアメリカを経由し、ヨーロッパへの航行を予定し、日本やヨーロッパの才能あるミュージシャンを海外進出されるつもりだ。本当は軍艦が欲しかったが、規定や値段の驚愕さに断念した。船長には、船舶免許のあるパイレーツが指名された。この船の名前はパイレーツの本名「アーチボルト・ロウ号」である。
2つ目は、LA郊外のサンバーナーディノに、野外のロックフェスティバルを開ける広い野外音楽堂がいくつも設置出来る公園を作る事。ソニック達Watts Towersは月2で通っているラス・ベガスのような世界中のミュージシャンが集まる場所をLAに作りたいと随分前から熱望していた。そして今、実行しようとしている。このプロジェクトには、世界中の音楽家に声をかけており、ロックに限らず、ジャズ、ブルース、ダンス、クラシックやカントリーミュージックも参加可能なシステムになっている。敷地内なら路上ライブも可能。東西南北にそれぞれ大きなステージを設け、年中自由に音楽を楽しめる空間を作る予定である。
3つ目は、LA とNY 、ブルースの聖地シカゴ、ジャズの聖地ニューオリンズ、そしてラス・ベガスに5階建てのビルを建設し、ジャンルに関係なく若手ミュージシャンの溜まり場を作る事。1階に100のライブハウス型ステージ、2階に50、3階に10、4階に3、そして5階に収容人数3万のドーム型大型ステージを設置。上の階に行けば行くほどメジャーデビューに繋がるいわば「音楽の登竜門」を作りたかったのである。このプロジェクトには、世界中の音楽関係者やレコード会社が集まるよう触れ込んでいた。自分達の腕1つで最上階の大型ステージまで「成り上がる」「のしあがる」場所である。LAのビルはダウンタウン郊外のエルモンテに建設している。
菜月も立派な女性に成長し、ソニックも刺激を受け、更に1歩前に踏み出したかった。また、グラミー賞に選ばれ続けており。
「若手が育たないんじゃないか?」
という側面を持っていた。ソニックは「一番」のなるために音楽をやっていない。金銭感覚など物欲がないせいか庶民的である。重要なのは
「最高の曲を作り、一曲でも世界中に響かせること」
である。それは、「Sonic Los Angeles」の楽曲に限らず、誰でもいいのである。その多くのミュージシャンが奏でる最高の楽曲で世の中が幸せに、豊かに、平和になれればということがソニックにとって重要だったのだ。
この御時世、辛いことがいっぱいある。だからこそ音楽が必要だ。聴くのにはコストがかかる場合もあるが、歌う分にはただである。誰の歌でもいいから、元気に歌って辛いことを吹き飛ばそうという狙いがこの企画にはあった。
月日は過ぎ、菜月は6月に高校を卒業し大学生になる。大学はソニックと同じUCLAへの進学が決まった。また、20歳は日本へ帰国し、向こうで成人式に参加したいと話していた。師匠の黒澤からも
「もう教えることはほとんどないからなあ。日本で俺の立ち上げたアクションクラブがあるから、日本にいる間はそこに通いなさい。和風のアクションを身につけるんだ。それと菜月は受け身がまだなってないからそれも修徳するように。」
と薦められていた。ソニックは
(菜っちゃんももうすぐ大人かあ、時が過ぎるのって早いなあ。そういや菜っちゃんおっぱいでっかくなったなあ。あの顔とスタイルと性格なら日本に帰ったらぜってーモテんだろーなあ。)
と思いに浸っていた。
クリスマス休暇の12月下旬、パイレーツが船長を務める「アーチボルト・ロウ号」がハワイに向けて出港した。乗員規定は100名弱、この船でのライブは2班に分かれ、現ツアーの戦力64名が32人ずつ。雇った船員が30名。参加アーティストが30組、残りの乗客6000名あまりがオーディエンスになる。船内にはライブハウスを設置し、食堂や売店、バーも作った。「Sonic Los Angeles」も含めた各アーティスト達は、乗員と共に飯を食べ、友達のようになっていく感覚も魅力だ。ソニックが9・11で言い放った
「俺はお前らと同じヒトだよ。オメ-らと同じ赤い血流れてんよ。」
という言葉が体現できる最高の旅となった。ソニックもアーティスト達もまた、ヒトなのである。同じ物を食べ、同じ屋根の下で眠る。そこに神はいない。境界線のない交流の中で参加者達は大いに満足した。
ハワイに着くと、今度はワイキキビーチやハワイのライブハウスで初めてライブや音楽活動を行った。常夏の気温にソニックのスカジャンはあっという間に汗でびしょぬれになったが、ここはLAのように銃を持った人間が少なくソニックは珍しく上裸でライブをすることも増えていった。ハワイには日本人も多く住んでおり、彼らとの交流も新鮮だった。ソニックが日本人と会うのはトーランスの町だけであった事もあり、ハワイ在住の日本人と交流を持ち、ハワイでのライブは大成功を収めた。2往復するため、1週間後に再び別のアーティストとオーディエンス、スタッフを連れてやっており、ハワイのオーディエンス達に
「また頻繁に来てくれよ。」
と頼まれたほどである。今後は規定のツアーにこのハワイも組み込まれていく。
2007年2月から着工を開始したサンバーナーディノの野外音楽堂は、規模がアナハイムのディズニーランドほどの大きさで、2009年5月に竣工式を迎えた。この竣工式で「Sonic Los Angeles」はこけらおどしにライブを開催。世界中のアーティストに声をかけ、7月に「ワールド・ローラー・ハウス・ロックフェスティバル」と銘打って、約200組のアーティストが参加した。世界中のローラー(音楽家)とライブハウスで活動しているハウス(バンド)という意味合いでのこの新しいロックフェスにサンバーナーディノの街は活気に湧いた。プロアマ問わなかった事も大きかった。敷地の路上では弾き語りも多く、アマチュア同士の交流が増え、ここからバンドを組む者も増えていったのである。以降このロックフェスは、「Sonic Los Angeles」が西部を回る6月の最終週に組み込まれていった。因みにこの音楽堂は劇場も兼ねており、菜月の劇団など劇団員達の集いの場としても重宝されていった。
ソニックが考える新しいステージがいよいよ本格的に動き出した。この年の8月、ソニックと桜の間に長女が誕生した。名前は「真優」。ソニックは真っ直ぐな子になってほしいと、桜は菜月のような優しい子に育ってほしいという期待を込めていた。この子の出産時に再びソニックは立ち会ったが、ソニックは10時間もの間何も出来なかった。また、長男同様ソニックが抱くと大声で泣き出してしまう。菜月が
「兄ちゃん、あたしに抱かせて。」
と渡すと上機嫌になる。再びソニックに戻すと大泣きするというパターンに
(俺って子供に嫌われ過ぎじゃねーか?)
と不安を覚えていた。後年、この真優は菜月に憧れ、べったりくっついて歩く女の子に成長していった。菜月も「子供が憧れる人物」として成長していったのである。
菜月や達斗等、ソニックに影響を受けた子供達が成長し、ソニックも更に先を行く話でした。達斗は物語終盤に出てきます




