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第17話 宣戦布告と恩人への手紙/Battle&Destroy

Sonic Los Angelesが本格的に世に出る話です

 1995年11月、ソニック達Watts Towersは、ワッツ・タワーがあるイングルウッドから、南のレイクウッドに土地を買って移り住んだ。買った土地は更地であったが、これから皆で建物を作ろうと盛り上がっていた。本当はダウンタウンやUCLAのある北の方へ移りたかったのだが、土地代が高く手が出せなかった。また、レイクウッドには図書館があり、毎日のように通って勉強しながら音楽活動を行った。


 この時期にソニック達Watts Towersは、史郎の薦めでネバダ州ラス・ベガスに音楽の勉強のために大型トレーラーに全員乗って通うようになる。


この街は、あらゆる意味で衝撃的だった。砂漠のど真ん中にどでかいビルや建物が存在し、オアシスのようだった。この街には世界中から多くのミュージシャンが訪れライブを行っていた。そこに混ざるよう史郎に言われ、各自街を巡り歩く。ソニックは知らない道端で路上ライブを行っていた。すると知らない人間が何も言わずセッションをして混ざってきた。ソニックにとってそれは大きな刺激となり、彼らと触れ合うことで多くの楽曲が次々と完成していった。まだ駆け出しのソニックだったが、持ち曲は250を超えていた。ソニックは帰り際、鉄治と史郎に相談する。


「そろそろCD売りたい。スタジオもあるし、エデンに来る連中も早く出せって言ってるし、塚原のおっさんに頼んでくんねーかな?」


鉄治と史郎は取り敢えずシングル1枚から始めようと提案するが、ソニックは


「散々曲貯めたんだ。アルバム3枚出させてくれ。宣戦布告ってやつよ。顔出さない以上これくらいやんなきゃやってけないからよ。」


鉄治と史郎は


「それはやり過ぎだろ。コストがかかるし、購入者も金なくて買えないと思うよ。」


と諭すがソニックは応じない。


「皆と同じじゃダメだ。だったら一ヶ月おきにリリースすればいいじゃん。誰かが買って回して皆で聴けばいいだろ?」


ソニックは頑なだった。1995年ももう11月。この国に来てもうすぐ1年になる。そろそろ結果を出さないと契約が打ち切られる。焦っているわけではないが、ソニックはうずうずしていた。


 鉄治と史郎は翌日、日本にいる「Burning Gear」社長の塚原と連絡を取り、ソニックの旨を伝えた。すると塚原は


「2週間後にLAに行く。所属アーティストが何名かレコーディングに行ってるので、様子を見に行くついでに彼のライブに行く。それから決める。」


と伝えた。


 そして2週間が経過した。ソニックは相変わらずライブ三昧。住居は今はプレハブを建てており、建設中の建物はまだ基礎工事を行っている最中だった。11月下旬、ライブハウス「エデン」に鉄治と史郎に連れられて塚原がやってくる。だが、ソニックやWatts Towersには知らせていない。そんな中、「Sonic Los Angeles」のライブが始まった。いつも通りの「Sonic」が音に乗り、塚原の身体に「Jet」「Volt」「Burst」が次々と放たれた。実際に現地に赴いた塚原社長は仰天した。


(想像以上だ。未だかつてこんな感覚は体験したことがない。)


また、ソニックの歌詞には「裏歌詞」という秘密がある。これに気付く者は少数だが、ソニックの普段の歌詞は英語で、歌詞カードも英語なのだが、裏歌詞というのは、英語で歌っているだけでなく、聴きようによってはスペイン語にも聞こえる。その裏歌詞で歌っているスペイン語は、本来リリース中止なくらいやばい歌詞で歌っている。例えば、英語で歌っていればRock'n'rollなのだが、スペイン語での裏歌詞はまるで、社会に喧嘩を売るような歌に聞こえる。塚原はスペイン語もわかるので、この裏歌詞の意味が直ぐにわかった。


(こいつ、本当に社会と戦ってやがる・・・)


(曲も見事だが、あいつの音に乗ってる不思議な力は何なんだ?)


(Rock'n'rollを超えてやがる。これはBattle Music?いや、Destroy Music だ!)


ライブ終了後、鉄治と史郎に最高の曲とライブだと賛辞を送ると


「合格だ。3枚出していいよ。」


と許可を貰った。まるで世の中に喧嘩を売るようなソニックの音楽を、塚原は「Battle Music」と呼んだ。大喜びしたソニックは塚原に


「毎日毎日ライブやってるって、生きてる実感湧くんですよね。」


と笑って返した。そして


「こいつらが俺の最高のローディー達です。彼らがいなきゃ今頃俺は生きてませんでした。このライブもこいつらのおかげでやれてるんです。彼らとこれからもずっとやっていきたいんです。いいですか?」


とWatts Towersの面々を紹介した。塚原はにっこり笑って


「君もこの国に来ていい仲間持てたじゃないか。彼らと一緒にこれからも頑張れよ。」


とWatts Towersを受け入れた。彼らは「Burning Gear」の預かりとして所属することになった。こうしてこの日から、彼らのレコーディングがエデンの裏にあるスタジオで開始された。当面の間は史郎が機材を操り、ロケット、ゴッグ、エディ、シャフト、ルークの中からエンジニアを選んだ。今回はルークが覚えが早かったので、ルーク主導で教えながら行った。


 このアルバム3枚はそれぞれ漢字で「紅蓮」「疾風」「雷電」と名付けた。オーディエンスがソニックの力を「Jet」「Volt」「Burst」と呼んでいた。音速のような風を放つような音「Jet」稲妻のように全身に電撃が走る「Volt」身体の内側から燃えるような炎が湧き上がってくる「Burst」という意味で、皆が漢字に興味があるとのことで、この名前になった。


 ソニックは更に「歌は10カ国語それぞれで歌いたい。」と要望をした。ソニックは英語、日本語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、フランス語、オランダ語、ドイツ語、ヒンディー語、中国語を話せるようになったいた。かなりしんどいことだったが、歌っているソニックは楽しくてしょうがなかった。ボーカルにはイビルとロブも加わった。「Sonic Los Angeles」とはそういうアーティストであるという意味であり、ソニック1人の事を指すものではないという新感覚のユニットであった。実際に彼らのライブはスタッフ全員で歌っていたのだから。レコーディングが進むにつれ


(人生ってやり直せるんだなあ。)


と実感した。こうして不良少年達が、音楽業界という戦場に立った。


 1995年12月20日、「Sonic Los Angeles」名義で3枚のアルバムが「Burning Gear」から世界30カ国に販売された。リリース前にソニックは、浪川家に3人分の手紙とCDを送っている。菜っちゃんはもう小学校に上がっただろうと、全てひらがなで書いた。


『おっちゃん、お元気ですか?俺はアメリカに来てもう1年になりますが、何とか精一杯生きています。相変わらずカメラを向けられるのは勘弁ですが、アメリカで出来た最高の仲間、Watts Towersと出会い、こうして生き延びられた次第です。それから俺に新しい名前が与えられました。今の俺の名前は「カタメ」ではなく「Sonic Los Angeles」」と命名されました。皆からは「ソニック」と呼ばれています。こっちでいろいろ事件を起こし、もう日本には滅多に帰れませんが、おっちゃんから受けた御恩は決して忘れません。俺が出所したばかりの頃「生きてりゃいい」と言う言葉に俺は救われました。本当に生きてればいいんだってこの国に来て初めて実感が持てました。この度3枚のCDを送ります。良かったら聴いて下さい。追伸 まだ住所が決まっていないので、決まったらこちらから電話します。カタメ改めSonic Los Angelesより。』


『なっちゃん、げんきですか?ちゃんといいこにしてるかな?にいちゃんはげんきです。なっちゃんはにいちゃんをたすけてくれたおんじんです。あのときはありがとう。なっちゃんがあのときぬいぐるみをなくさなかったら、にいちゃんここまでいきられなかったよ。なっちゃんのおかげでにいちゃんはこうしていきていられます。にいちゃんいまはいえがないからてがみしかだせないけど、いえとでんわあったらなっちゃんといっぱいはなしたいな。だからそれまでまっててね。なっちゃんももうすぐしょうがくいちねんせいかな?ともだちいっぱいつくってたのしくすごしてね。いっぱいないていいからなきながらつよくなってね。またてがみかきます。なっちゃんのにいちゃん そにっく ろす あんぜるす より。』


 この手紙が龍司に届いた直後、「なみや」ではソニックがリリースした3枚のアルバムが繰り返し流されていた。龍司が常連客に尋ねられる。いつもは自分のバンド「Try Flyers」の曲や、自分の持ってる曲しかかけていなかったが


「声思いっきり変わったから覚えてないか?去年までここで働いていたあの坊主だよ。」


と自慢げに語っていた。菜月はソニックの写真がないのと、この変わり果てたしゃがれた声に


「本当に兄ちゃんなの?」


と不思議に思っていた。この手紙から2年後、ソニックは携帯電話を購入し、浪川家と電話をするようになる。


 セールスは順調に進んでいた。ボスが事務所を立ち上げ、アポロが量産したCDをファルコンがアメリカ西部、ロッキーがアメリカ中部、ジェイジェイがアメリカ東部、マックがアメリカ北部、アレックスがアメリカ北東部、ロケットがアメリカ南部をそれぞれセールスに回った。ブライがUK,ジウとアル、ギャリーはヨーロッパへ渡り、パイレーツが日本へ来日。ジャッキーはラジオ局を回り、PVにはジャイロとブルを中心にソニック以外全員出演した。3枚それぞれでミリオンという異例の売り上げになった。突然現れた謎の新人、しかも素顔を現さないということで、別の意味でも話題を取った。彼らセールス組が自らを「Sonic Los Angeles」と名乗り出てくれたのだ。ソニックがアメリカに来て1年が経っていた。この楽曲を聴き、2組の家族がソニックの前に現れる。それは過去での因縁の相手と、これから共に幸せを掴む家族との出会いである。



RELIVEとは、「生き直す」という意味(本当はRELIFE)ですが、音楽をやるソニックだからこそRELIVEと、音楽で生き直すと引っ掛けました。

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