第9話 最初の依頼
修道院の応接室は、朝の光に満ちていた。
石壁に反射した光が柔らかく揺れ、静けさの中にわずかな温もりを与えている。
修道院長は机の上に置かれた羊皮紙を指で押さえながら、俺たちを見た。
「……まずは、簡単な仕事をお願いしたいのです」
その声は穏やかだが、どこか慎重さを含んでいた。
「黒の顔料が不足していましてね。
聖画の補色や、写本の影付けに使う分が足りないのです。
あなた方に、これを調達していただきたい」
フランチェスカが小さく息を呑んだ。
「黒……ですか?」
「ええ。最も扱いやすく、危険も少ない。
ギルドとの摩擦も起きにくいでしょう」
修道院長は俺の方を見た。
「フランチェスカは顔料屋に奉公に出ていました。
彼女の知識を借りれば、黒の調達は可能でしょう」
俺は頷いた。
「やってみます」
修道院長は満足げに頷き、羊皮紙を差し出した。
「これは必要量と用途の一覧です。
まずは“試し”として少量で構いません。
品質を見て、次の依頼を考えましょう。
……三日後のミサが終わった翌日に持ってきてください」
その言葉は、“監督下での試験”であることを示していた。
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修道院を出ると、フランチェスカがほっと息をついた。
「……黒なら、私でも分かります。
煙の黒か、骨黒か……どちらにしますか?」
「どちらが作りやすい?」
「煙の黒です。
油を燃やして、出た煤を集めるだけですから。
……煤を集める手伝いなら、何度かしたことがあります」
彼女は少しだけ笑った。
その笑顔は、久しぶりに見る穏やかなものだった。
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借家に戻ると、俺たちは早速準備を始めた。
かまどの前に、皿と壺を並べる。
油を少しだけ注ぎ、火をつける。
黒い煙がゆっくりと立ち上り、
皿の裏に煤が薄く付着していく。
「……こんな感じで集めるんです」
フランチェスカが皿をそっと持ち上げる。
煤が均一に付いているが、どこか粗い。
俺は皿を覗き込み、思わず呟いた。
「……もっと細かくできるな」
「え?」
「火を弱めて、油を少しだけ薄める。
それと……皿を冷やしておくと、煤が均一に付くはずだ」
フランチェスカは目を瞬かせた。
「そんな方法……聞いたことありません」
「まあ、失敗しても時間はある。折角だから試してみよう」
俺は皿を水で冷やし、油を少し薄め、火を弱めた。
再び皿を煙にかざすと――
煤が、先ほどよりも細かく、均一に付着した。
「……すごい」
フランチェスカが小さく呟いた。
「こんなに綺麗に付くなんて……」
「たまたまだよ」
俺はそう言ったが、
フランチェスカは首を振った。
「違います。
あなたは……
ええ、私の選択は間違いではありませんでした」
その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなった。
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期日までに、小さな壺の底に、指先でつまめるほどの黒が溜まった。
量は多くない。
だが、粒が細かく、均一で、光を吸い込むような黒だった。
フランチェスカは壺を抱えて言った。
「これなら……修道院長も喜んでくれます」
「そうだな」
俺は頷いた。
これは、
“ただの黒い粉”ではない。
俺たちがこの街で生きていくための、
最初の一歩だった。
時代的に間違えているが呼び方はランプブラックの方がよかったかも。
細部の語彙は分かりやすさとトレードオフだろうけど、そもそもランプブラック自体もそこまでなのでここは大した差はないでしょう。
考えてみれば自警団や奉公の表現は時代的に厳しそうだし、山賊よりは傭兵崩れの方が時代にあいそうだけど…
まぁここは妥協。




