第8話 閉ざされた工房
借家での最初の夜は、思ったより静かだった。
古い木の軋む音。
遠くで犬が吠える声。
かまどの灰の匂い。
眠れないほどの不便さはなかったが、
“ここで生きていく”という現実が、胸の奥に重く沈んでいた。
翌朝、フランチェスカが言った。
「……顔料屋に、行きませんか?」
その声は、どこか覚悟を含んでいた。
「店のこと……確かめておきたいんです」
俺は頷いた。
「行こう」
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街の職人街は、朝から活気に満ちていた。
木槌の音。
革を叩く音。
鍛冶場の火花。
パン屋の香ばしい匂い。
その中を歩きながら、フランチェスカはずっと俯いていた。
やがて、ある店の前に着いた。
灰色の石壁。
赤い屋根。
小さな看板。
だが――
扉には封蝋が押され、
その上にギルドの印章が貼られていた。
「……工房閉鎖の印だ」
俺が呟くと、フランチェスカは小さく震えた。
その時、隣の家の扉が開き、
中年の職人が顔を出した。
「……フランチェスカか。無事だったんだな」
その声には安堵と、少しの哀しみが混じっていた。
「ご主人のことは……?」
フランチェスカが震える声で尋ねると、
職人は静かに首を振った。
「ああ、聞いている。モンタニャーナで山賊に襲われたんだろう?
早馬の知らせじゃ、遺体は教会で見つかったらしい。これから回収に向かうそうだ。
……お前みたいに逃げ延びられていればよかったんだがな」
フランチェスカは唇を噛んだ。
職人は続けた。
「奥さんは……気丈な人だが、もう店は続けられないと言っていた。
徒弟もいないし、材料の仕入れも難しい。
ギルドにもそう伝えたらしい」
その時、店の奥から足音が聞こえた。
やつれた顔の女性――
顔料屋の寡婦が姿を現した。
「……フランチェスカ」
彼女は少女を抱きしめた。
「生きていてくれて……本当に良かった」
フランチェスカは震えながら答えた。
「……ごめんなさい。
私……何もできなくて……」
「いいのよ。あなたのせいじゃない」
寡婦は優しく頭を撫でた。
だが、次の言葉は重かった。
「……ごめんなさいね。
今の私には、あなたを預かる余裕はないの。
店も……もう畳むことにしたの」
フランチェスカは静かに頷いた。
その表情には、覚悟と哀しみが入り混じっていた。
寡婦の視線が、俺へ向けられる。
「あなたが……この子を助けてくれた方ですね。
本当に……ありがとうございます」
その声には感謝があったが、
同時に、見知らぬ男への警戒もあった。
「でも……工房はもう使えません。
道具も材料も、ギルドに返すことになっています。
あなた方の力になれなくて……ごめんなさい」
俺は首を振った。
「いえ……事情は分かります」
寡婦は深く頭を下げた。
「修道院には……私からもお礼を言っておきます。
あなた方のことも、修道院長から聞いています。
どうか……二人で、しっかり生きていってください」
その言葉は、別れのように静かだった。
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工房を後にすると、
フランチェスカはしばらく黙って歩いていた。
やがて、小さく呟いた。
「……やっぱり、そうだったんですね」
「知っていたのか?」
フランチェスカは頷いた。
「修道院長と……少しだけ話しました。
でも……ちゃんと自分の目で確かめたかったんです」
その横顔は、どこか大人びて見えた。
「……帰る場所が、なくなっちゃいましたね」
「いや」
俺は言った。
「これから作ればいい。
二人で、生きていく場所を」
フランチェスカは驚いたように俺を見て、
やがて、少しだけ微笑んだ。
「……はい」
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その日の夕方、修道院から使いが来た。
「修道院長がお呼びです。
あなた方に……仕事の依頼があるとのことです」
その言葉は、
暗闇の中に差し込む光のようだった。
• 5話の後、修道院長は寡婦に会っていた。
•その際、寡婦はすでに工房を畳む意思を修道院に伝えていた
• フランチェスカは第6話の前に、修道院長と話をしていた
•6話のフランチェスカの不安はそれによるもの
•しかし、それでもフランチェスカは主人公の面倒を見ると断言した
• 修道院長はその事情を踏まえて“条件付き同居”を許可した




