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Episode 79. 冬の訓練場



朝から真っ白な空は、昼を過ぎても晴れる気配を見せなかった。

城壁の上も、訓練場の柵も、庭の低木も、薄く、あるいは深く、静かに雪を積もらせていく。


街道は鈍り、外から入ってくる報せも以前ほど早くはない。

医務室へ慌ただしく運び込まれる急患も、本格的に雪が深くなってからは目に見えて減っていた。


クレスティアは、北に山、南に海洋国家サンダレイン、西にエルニア、東に帝国を抱えている。

雪に閉ざされる季節、特に警戒が強められるのは東だ。

帝国に面した見張りだけは決して緩めず、そのほかは静かに冬を越える備えへ回す。


食糧。薪。薬草。書状。人の手。

動けるうちに整え、動けぬ季節を耐え抜く。

それがクレスティアの長い冬だった。


三国同盟の詳細も、いまは各国と書状を交わしながら詰めている。

正式な締結は、雪が解け、春を迎えてから。

いまはまだ、言葉と意志をつなぐ時間だった。


そうして城全体に静かな時間が増えた。


落ち着いた、穏やかな時間でもある。

アランの私室で本を読み、雪を見て、温かいものを飲む。

そんなひとときは確かに心をほどいてくれた。


それでも、胸の底には別の落ち着かなさが残っていた。


エルニアの炎の夜。

追い詰められ、咄嗟に放った雷。


あの時は出せた。

ただ、出せたというだけだった。


感情に押され、必要に迫られ、ただ放っただけ。

もし次に同じことが起きた時、また偶然に頼るしかないのだとしたら、それは恐ろしい。


使わずに済むなら、それがいちばんいい。

それでも、いざという時のために、少しでも制御できるようになっておきたい。


そう思うようになった時点で、ミュレットはもう以前の自分ではなかった。


エルニアへ行く前なら、きっと誰にも言わず、ひとりで試していた。

見つかれば困るから。

失敗しても、迷惑をかけたくないから。


今は違う。


頼れる人がいる。

頼ってもいい人がいる。


その事実を、ミュレットは少しずつ覚えはじめていた。


昼下がり、ミュレットは訓練場へ向かった。


雪のため外での本格的な鍛錬は減っている。

それでも屋根のある一角では、近衛や騎士たちが軽い打ち合いをしていた。

端のほうでは魔導士が結界や補助魔法の確認をしている。


その中に、セレスティアの姿もあった。


剣を佩いた印象が強い。

だからつい、剣の人だと思ってしまう。

だが実際には、セレスティアは剣術以上に魔法の扱いが巧みな、優秀な騎士だった。

散った魔力を弾き、暴れかけた術の向きを変えるくらいは、彼女にとって難しいことではない。


だからこそ、ミュレットは彼女を選んだ。


「セレスティア」


声をかけると、セレスティアは木剣を肩へ担いだまま振り向いた。


「どうしたの?」

「……折り入って、お願いがあって」

「こわっ!」


セレスティアが即座に眉を寄せる。


「その言い方、ろくでもないお願いな気がするんだけど……」


ミュレットは少しだけ口ごもる。

セレスティアはそれだけで半分くらい察した顔になった。


「それ、私じゃないとだめなの?」

「……うん」

「殿下は?」

「言ったら、絶対だめって言うから……」

「ほらぁ! ろくでもないお願いじゃない!」


そう言いながらも、突き放しはしなかった。

ミュレットが本気で頼っているのを分かっているからだろう。


ミュレットは小さく息を吸ってから言った。


「雷魔法を……制御できるようになりたくて」

「……それは殿下に言ったら却下されるわ」

「そうでしょ? だから、セレスティアなら……」

「……ろくでもなさすぎるわ……」


セレスティアは本気で頭を抱えた。


「確かに、人選は間違ってない……私が適任の案件なのはそう。そうなんだけど、それはつまり、私が巻き添え枠ってことよね?」

「そんなことないと思うけれど」

「どうかしら」


そこでセレスティアは盛大に顔をしかめた。


「殿下にばれた時、私が殺されないようにだけしてくれるなら……付き合う」

「そんなことしないと思うけれど」

「どうかしら」


ミュレットは少し考えてから、こくりと頷いた。


「セレスティアが嫌なら、大丈夫」

「えっ!? 嫌って言ったらしなくていいの!?」


ぱっと顔を上げるセレスティアに、ミュレットは静かに背を向ける。


「他の方にお願いするから」


そう言って、近くにいた騎士と魔導士たちへ視線を向けた。


全員がぎくっとした。


目が合った騎士が一歩下がる。

魔導士のひとりは露骨に首を横へ振った。


「だめよ! わかった、わかった、私が見るから! 危ないからほんとに!」


げっそりした顔でそう言う。

それでも断らないのが、セレスティアらしかった。


「ちょっとだけよ」

「はい」

「訓練場を吹き飛ばしたら、私は全力で殿下にミュレットを売るから」

「煮るなり焼くなり好きにして」

「……たちが悪いわほんと……」


冗談に聞こえないところがひどい。


二人は訓練場の奥まった一角へ移った。

屋根はあるが、横から吹きこむ雪のせいで床の端はうっすら白い。

訓練用の木製標的がいくつか並び、普段ならもっと人がいる場所だ。

今日は雪のせいでまばらだった。


それでも完全に無人ではない。


端で槍を合わせていた騎士たちがこちらを見る。

結界の確認をしていた魔導士たちも、ミュレットとセレスティアの組み合わせに少し首を傾げた。


セレスティアは吊るされた訓練用の的を指した。


「まず、あれの右上だけ」

「右上」

「真ん中じゃなくて右上」

「はい」

「広げない。散らさない。小さく」


ミュレットはこくりと頷いた。


「もし散ったら、私が弾く」


そう言って、セレスティアは指先に薄い防御膜をつくる。

淡い光が揺れ、冷えた空気の中で小さく張りつめた。


ミュレットは目を閉じる。

エルニアで走った感覚を、薄く思い出す。

ただし、あの時と同じではいけない。

もっと小さく。

一点だけ。

散らさずに。


指先へ、熱ではない何かが集まる。

青白い感覚。

空気が細く震えた。


次の瞬間、ミュレットの手元に魔法陣が浮かび上がった。


小さな術式ではなかった。

直径は、ミュレットの身長ほどもある。

幾重もの円環が青白く重なり、その内側を細かな文字列と幾何学模様が絶えず走り続ける。

ひと目で読み取れるような単純な陣ではない。

層になった術式が幾つも噛み合い、回転し、明滅し、ひとつの巨大な魔法陣として空間へ展開されていた。


訓練場の空気が、一瞬で張りつめる。


騎士たちが息を呑む。

魔導士たちの顔色が変わる。

その場にいた者は皆、見たことのないものを見た顔になっていた。


雷魔法の使い手は、他にもいる。

軍にも、城にも、当然いる。


だが――違う。


魔力の濃さ。

術式の密度。

展開された魔法陣の複雑さ。

そのどれもが、ただの雷魔法という言葉では収まらない。


青白い巨大な陣の中心が、眩く脈打つ。


びり、と空気そのものが震えた。


そして次の瞬間、その魔法陣の中心から一本の光が迸る。


雷というより、青白い閃光の奔流だった。

光線のように真っ直ぐ走りながら、途中で細く枝分かれし、空気を灼き、訓練場を裂く。

轟音と呼ぶには鋭すぎる音が遅れて響き、床の石までびりびりと震えた。


「っ、うそでしょ……!」


セレスティアが反射的に防御障壁を展開する。

近くへ散りかけた光を弾き返しながら、完全に顔を引きつらせている。


だが、散った雷はその障壁だけでは抑えきれなかった。


青白い枝がさらに広がり、床と壁、訓練具へ散りかける。

その瞬間、白金の新たな障壁が訓練場の空間を横切るように立ち上がった。


訓練場の破損を防ぐように、精密に。

必要な場所だけを塞ぐ、無駄のない障壁だった。


同時に、的が大きな音を立てて大破する。


訓練場の空気がさらに冷えた。

誰かが息を呑む。

騎士たちの背筋が揃って伸びる。


低い声が落ちた。


「何をしている」


振り向くまでもない。

アランだった。


雪の明るさを背負って、訓練場の入口に立っている。

外套の肩にはまだ細かな雪が残っていた。

怒鳴るような色はない。

だが、静かすぎるぶんだけ怖い。


セレスティアはものすごく遠い目をした。


「ああ……」


終わった。

という顔だった。


ミュレットはおそるおそる口を開いた。


「わたしが、お願いしました」

「だろうな」

「……」

「セレスティアが自分からこんな面倒を背負うとは思えない」

「ひどくない?」


セレスティアが抗議するが、アランは取り合わなかった。


アランはミュレットの顔を数秒じっと見て、浅くため息を吐く。


「……やめろと言っても聞かないのはもう分かっている」

「……はい」

「人選は間違っていないが、最善ではない」


その視線が、ミュレットへ向く。


「いきなり的に当てようとするな」

「……はい」

「問題はそこではない」

「……」

「ミュレットの雷魔法について、分かっていないことが多すぎる」


セレスティアが腕を組んだまま頷く。


「出せることしか分かっていない」

アランは続ける。

「どの程度散るのか」

「……」

「どこまで威力を絞れるのか」

「……」

「発動までにどれだけ感情が影響するのか」

「……」

「何もかも曖昧なままで、いきなり標的を狙うな」


ミュレットは返す言葉を失った。


正しい。

その通りだった。

当てることばかり考えていた。

その前に知らなければならないことが、こんなにもあるのだ。


アランは訓練場の中央へ進み、壁際に立てかけられていた木刀を一本取った。


そのまま肩の外套を脱ぎ捨てる。

濃色のシャツ姿になった肩と腕があらわになる。

無駄のない動きだった。

それだけで、訓練場の空気がさらに張る。


ミュレットは目を見開いた。


「……アラン様?」

「一度見る」

「え」

「私に向けて、全力で放て」


訓練場が静まり返った。


セレスティアが真顔になる。

騎士たちの顔色が、さっきより悪くなった。

魔導士のひとりなど、明らかに息を止めている。


ミュレットは一歩ぶん、たじろいだ。


「で、できません」

「なぜだ」

「危ないからです……!」

「問題ない」

「問題あります」

「ない」

「あります!」


あまりにも真顔で言い切られて、ミュレットはかえって言葉に詰まる。


セレスティアが横から半ば呆れた声を出した。


「殿下、それ説得になってないです」

「説得する必要はない」

「いや、ありますよね?」

「必要なのは確認だ」


アランは木刀を軽く振って感触を確かめる。

木でできた刃身に、うっすらと白金の光が沿った。

防御と補助の魔法が、薄く、しかし確かに重ねられていく。


さらにアランは天井へ片手を翳した。

白金の術式が空間へ広がり、訓練場全体の結界がさらに補強される。

先ほどよりも密度の高い守りが、静かにその場を包んだ。


それを見て、セレスティアが小さく息を吐く。


「……まあ、殿下にしか無理か」


ミュレットはまだ動けなかった。


アランへ雷を向けるなど、考えただけで指先が冷える。

もし散ったら。

もし制御できなかったら。

もし――。


そんなミュレットの迷いを見抜いたように、アランの声が低く落ちる。


「できないなら諦めろ」


訓練場の空気が、ぴんと張った。


ミュレットが目を見開く。

セレスティアまで一瞬だけ息を止めた。


アランは表情を変えない。


「半端なまま抱えるほうが危険だ」

「……」

「怖いなら、触れるな」

「……」

「だが、触れると決めるなら」

木刀の切っ先が、わずかに上がる。

「自分の力から目を逸らすな」


その一言一言が、冷えた訓練場へまっすぐ落ちていく。


指輪を差し出した夜と、よく似ていた。

優しいだけではない。

現実と条件を、容赦なく突きつける。

逃げ道を残したまま、逃げるか進むかは自分で決めろと迫る。


ミュレットは左手の薬指へ、ほんの一瞬だけ視線を落とした。


あの夜、返させないと言ってはめ直された指輪が、淡く光る。

守られるだけではなく、隣に立つと決めた証だった。


怖い。

けれど、逃げたくはない。


ミュレットはゆっくり息を吸い、もう一度アランを見た。

胸の奥で揺れていた迷いが、少しずつ一本へ細く絞られていく。


「……お願いします」


掠れた声だった。

だが、目は逸らさなかった。


指先へ、青白い気配が集まる。

再び、巨大な魔法陣が手元へ展開する。


訓練場の空気がびり、と鳴った。


その瞬間、周囲の騎士と魔導士たちがまた一斉に青ざめる。

セレスティアは半歩下がりながら、小さく呟いた。


「だから言ったのよ……案件が重いって……」


ミュレットはアランだけを見た。


逃げない。

揺らがない。

木刀を構えたまま、ただまっすぐにこちらを見ている。


その姿が、怖さより先に妙な安心をくれた。


次の瞬間、ミュレットは雷を放った。


青白い閃光が、魔法陣の中心から一筋、訓練場を裂く。

だが途中で細く散り、枝分かれするように広がる。


アランの木刀が閃いた。


白金の光がその軌道に沿って走り、アランの断界魔法が、青白い雷の流れを正面から裂いた。

散った閃光が左右へ弾け、遅れて消える。


眩さが引いたあとも、訓練場にはなお焦げた匂いと、びりつくような魔力の余韻が残っていた。


アランは木刀を下ろした。


何でもないことのような顔だった。

呼吸も乱れていない。

立ち姿にも少しの崩れもない。


「思ったより散る」

「……はい」

「魔法陣が複雑だ。出力が大きいぶん、まずは絞り方を覚える必要があるな」


ミュレットは目を瞬く。


「……アラン様?」


不安げな声に、アランは顔を上げた。

その目に迷いはない。


始まりの合図のように、低く言う。


「基礎から始める」


そこから訓練が始まった。


アランはミュレットの後ろにつき、まず姿勢を正させた。

足の向き。

肩の力。

呼吸。

視線。

そして、ぶれない体幹を保ちながら、指先へ雷を集める意識を持てと教える。


「肩に力が入っている」

「はい」


指先へ集めた小さな雷が、ばちい、とミュレットの前で弾けた。


「きゃっ!」

「これくらいで動揺するな」


後ろから落ちてくる声は、いつもの私室よりよほど容赦がない。

少ししゅんとした。


危ないから驚いたのに。

そう思うミュレットの横で、アランはびくともしない。

少し雷が乱れて手元で火花を散らそうが、その表情は少しも揺れなかった。


「……はい」

「……落ち込むな」


少し間を置いて、今度は低く続ける。


「もう一度だ」


アランの手がミュレットの背へそっと添えられる。

不安で意識が逸れると、すぐそばから「ここだ」と声が落ちる。

迷いなく伸びた人差し指が、ミュレットの指先の先を示した。


「……難しいです」

「最初から上手くやる必要はない」


横でセレスティアが、唖然とした顔をしていた。


止めると思っていた。

少なくとも、今日は中断だと。

それなのに、当の主君は婚約者へ熱心な指導をしている。


たぶん諦めもあるのだろう。

このたちの悪い頑固者は、止めてもやる。

ならば、危険を減らすほうが先だとアランは判断したのだ。


「……自分の力を恐れるな」


その声に導かれるように、ミュレットは何度もやり直した。


小さく。

一点に。

散らさず。

最初から百を出そうとしない。


途中で空間内に散った火花を、セレスティアが軽く弾く。

アランはミュレットのすぐそばで、その魔力の流れを整えるように見守った。


やがて、ようやくひと筋の細い雷が走る。


今度は巨大な魔法陣も、さっきよりずっと静かだった。

青白い光が一点へ絞られ、うねるように細く収束しながら、訓練用標的の端へ狙い澄ましたように突き刺さる。


最初に焦がした場所よりも、もっと狭い一点だけが黒く焼けた。


訓練場がしんと静まる。


セレスティアが最初に口を開いた。


「……今の、いいじゃない!」

騎士のひとりも思わずというように呟く。

「すごいな……」

魔導士はまだ半分青ざめたままだったが、それでも小さく息をついた。


アランは焦げ跡を見て、それからミュレットを見た。


ミュレット自身も驚いていた。

アランの指導は的確だった。

そしてその的確さの通りに、確かに制御が前へ進んでいる。


「……雷をまっすぐ当てるのは難しい」

「……はい」

「今日はこれくらいにしておけ」

「はい」


派手ではない。

だが、今の一撃は初めて“出ただけ”ではなかった。


セレスティアは肩の力を抜いて、大きく息を吐いた。


「よかった……ほんとによかった……」

「何がよかったの?」

「訓練場が焼け野原にならなくて」

「……え?」

「あと、私も」


ミュレットは思わず笑ってしまう。

アランはその小さな笑いを見て、ごくわずかに目元をやわらげた。


その後も少しだけ繰り返した。


小さく。

一点に。

散らさず。

最初から百を出そうとしない。


何度か失敗もした。

それでも最初の暴発よりはずっとましだった。


やがてアランが「戻るぞ」と、脱ぎ捨てた外套を手に取る。


ところが当のミュレットは、生まれて初めて制御できたことに興奮して、セレスティアと話し込んでいた。


「今の見た!?」

「見たわよ、見てたから!」

「ちゃんと一点に……!」

「行った行った、私もびっくりした」


二人が興奮したまま言葉を交わすのを、アランはしばらく無言で見ていた。


それからわずかに息を吐き、ようやく低く呼ぶ。


「ミュレット」

「……はい?」


振り向いたところで、アランはごく自然にその手首を取った。

止めるためというより、これ以上話し込ませず連れていくための手つきだった。


セレスティアは横で「わあ」と声にならない声を漏らし、すぐに口元を押さえる。


アランはミュレットの手首を取ったまま、低く言う。


「昼食は一緒に食べるだろう?」

 

その声はいつも通り低い。

なのに妙に、褒美を求めるような響きがあった。

本当はさせたくなかったことに加担したのだから、そのぶん構ってほしい――そんな気配が、わずかに滲んでいる。


ミュレットは初めて見る甘い表情に、思わず固まった。


「今日は、お約束をしていませんでしたし、厨房もわたしの分は用意されていないかと……」

「嫌なのか」

「え! そういうわけではなくて」


嫌とかそういう話ではない。

厨房の都合の話をしているのに。

ミュレットが慌てて同じ説明をもう一度すると、アランは短く考えてから言った。


「……なら食堂で食べるか」


騎士や魔導士たちが一般的に使う食堂である。

あんな場所でアランがミュレットと昼食を取ったら、周囲は落ち着いて食事どころではない。


セレスティアは慌てて、ミュレットにしか見えない位置で両手をぶんぶん振った。


「い、いえ! アラン様のお部屋で、食べます」

「では行こう」


アランはミュレットの手首を放したあと、今度は当然のように隣へ並んだ。

放っておけば、また朝から晩までここに居座ると考えたからだ。


訓練場の外には雪が積もっている。

空はまだ白い。

風は強くないが、冷たさだけは容赦がなかった。


二人は並んで歩く。


アランはミュレットの隣を歩きながら、低く言った。


「幸い、時間がある」

「……そうですね」

「春が来て騒がしくなる前に、制御を学びたいなら呼べ」

「はい」


ミュレットは少しだけ視線を落とす。


「でも、ひとりでしようとは、思いませんでした」

「そうだな」

「前なら、たぶん……誰にも言わなかったと思います」


その言葉に、アランはすぐには返さなかった。

ただ、歩調だけが少しゆるむ。


訓練場から離れ、回廊へ入る。

人の目が薄くなったところで、アランの声がわずかにやわらぐ。


「……いつごろなら、お願いしていいのでしょうか」


ミュレットが小さくそう問うと、アランは足を止めた。


雪明かりが回廊の石床へ淡く落ちている。


「いつでも」


短く、迷いなく答える。


それから、今度ははっきりと私的な声音で続けた。


「何をしていても、ミュレットの声は必ず聞く」


その一言だけで、胸の奥があたたかくなる。


「怒ったりはしない」

「……」

「また炎の中へ飛び込んだりしたら、怒るかもしれないが」


そう言いながら、雪に冷えたミュレットの指先を、今度は軽く包むように取った。


今だけは、こうして備えることができる。

並んで立つ練習ができる。

誰にも急かされず、奪われず、次のために力を整えることができる。


ミュレットはそっと息を吐いた。


「どうして、止めなかったの……?」


雪は冷たい。

だが、その冷たさの中でアランの隣を歩く今は、不思議と寒くなかった。


アランは前を見たまま答える。


「昔、父は俺に、秘匿と制御を教えた」

「……」

「使うべき時に、何かを守るために必要だと」

「……」

「ミュレットを止めたら、父の教えに背くことになる」


亡き父王からアランへ渡った教え。

それが今度は自分へ渡されたのだと思う。

その重さとあたたかさを、ミュレットはまだうまく言葉にできない。


アランは、ほんのわずかに口元を動かした。


「父に叱られるのは御免だ」


それでも、ひとつだけはっきりしていた。


もう、ひとりではない。


白い冬の訓練場で、小さな雷はようやく一点へ落ちた。

それはささやかな一歩だったが、確かに次へ繋がる一歩でもあった。


そして数日もすると、訓練場にはミュレットとアラン、セレスティアによる実用的な訓練を見学しようとする騎士たちが、あきれるほど集まるようになる。


青ざめながら見守る者。

感嘆を隠せない者。

少しでも技術を盗もうと目を凝らす者。


雪に閉ざされた季節の中で、城の者たちは静かに知っていく。

クレスティアの冬は、ただ籠もるためのものではない。

次に備え、守るべきものを守るための、静かな鍛錬の季節でもあるのだと。



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