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Episode 36. 朝が来る



結局ミュレットは、最後まで押し切られる形で、アランの私室に残ることになった。


「一回だけです」

と、何度も念を押したのに、

アランは静かに「分かった」と答えただけだった。


その“分かった”が、どこまで本当に分かっているのかは怪しかったけれど、

あのまま自室へ戻れるほど、もうミュレットの心も落ち着いてはいなかった。


広い寝台の端へ、できるだけ小さくなるように身を寄せる。

どうしていいか分からず固まっていると、やがて背へ、そっと大きな手が触れた。


「眠れ」

低い声が落ちる。


「……むりです」

「眠れる」

「……」

「俺がいるからか」

「……はい」


正直に答えると、少しだけ沈黙が落ちた。

そのあと、背を撫でる手つきがほんの少しだけやわらかくなる。


「すまない」

「……」

「だが、今夜はひとりにしたくない」


その言葉に、それ以上は何も言えなくなった。


髪を撫でられ、

背をゆっくりさすられ、

ときどき額へ触れる指先の熱を感じているうちに、

張りつめていた心も身体も、少しずつほどけていく。


そうしてミュレットは、いつの間にか眠っていた。


朝、最初に目を覚ました時、ミュレットはまだ半分夢の中にいた。


まぶたの裏に残っているのは、昨夜の熱だ。


アランにたくさん触れられて、

何度も口づけられて、

髪を撫でられて、

大好きなあの微笑みを、何度も、何度も見せてもらった。


「……夢か」


ぼんやりしたまま、小さくつぶやく。


夢にしては、あまりにも幸せだった。

胸の奥がじんわりあたたかくて、苦しいくらい満たされている。


しあわせだった。


また、みたい。


そう思いながら、ミュレットはそっと隣へ視線を向けた。


そこに、アランがいた。


「……」


寝顔だった。


本物の。

現実の。

初めて見る、アランの寝顔だった。


白いカーテンを透かして差し込む朝日が、その横顔へやわらかく落ちている。

長い睫毛の影。

静かな呼吸。

起きている時よりわずかに無防備で、それなのに、やはり整いすぎている顔立ち。


あまりに綺麗で、ミュレットは目を細めた。


「……まぶしい」


それが朝日のことなのか、

目の前の人そのもののことなのか、

自分でもよく分からなかった。


まだ寝ぼけていた。


現実感が薄いまま、ミュレットはそっと上半身を寄せる。

寝台がわずかに沈む。

それでもアランは起きない。


近い。


こんなに近くで見る寝顔は、胸が苦しくなるほどだった。


「あらんさま」


返事はない。


だから夢の続きをなぞるみたいに、

ミュレットは小さく、やわらかく囁いた。


「……すき」


そのまま、そっと唇へ口づける。


深くはない。

触れるだけの、やさしい口づけだった。


それで満足したみたいに、ミュレットはそのままアランの胸元へもぐりこんだ。

あたたかい。

安心する。

心地よい匂いがして、胸の奥までほどけていく。


しあわせだと思いながら、ミュレットは再び目を閉じた。


それから、ほんの数秒後。


アランが目を開けた。


静かな天井を見つめたまま、

深く、深く息を吐く。

それから手の甲を額へ当てた。


心臓がうるさいほど鳴っていた。


今のは夢ではない。

完全に起きていたわけではないにせよ、唇の感触も、耳に落ちた「すき」も、はっきり覚えている。

しかもそのあと、何の疑いもなく胸元へもぐりこんできた。


あまりにも無防備だった。


起こすべきかと、一瞬だけ考える。

だが、ようやく安らいだ顔で眠っているミュレットを見て、その考えはすぐに消えた。


代わりにアランは、できるだけ起こさないよう静かに腕を回し、その身体を抱き寄せる。


「……それは反則だ」


掠れた声でそうつぶやいても、当然返事はない。


眠っている。

何も知らずに。

何をしたのか、たぶん分かってもいない。


それがまた、どうしようもなく理性に悪かった。


しばらくして、ミュレットがもう一度目を覚ました。


今度は意識がはっきりしている。


最初に見えたのは、目の前すぐにある夜着の胸元だった。

その向こうから伝わる規則正しい鼓動。


「……」


数秒、止まる。


ここはアランの寝台で。

自分はその胸元にもぐりこんでいて。

しかも腕まで回されている。


昨夜のことは夢ではなかった。


そこまで理解した瞬間、さっきの記憶まで一気に押し寄せた。


口づけた。

自分から。

寝ぼけたまま。

「すき」とまで言って。


「――っ」


ミュレットは目を見開いたまま固まった。


すると頭上から、低い声が落ちてくる。


「起きたか」


終わった、と思った。


ミュレットは顔を上げられないまま、布へくるまるみたいに身を縮めた。


「……」

「ミュレット」

「……ゆ、夢だと」

「何?」

「夢だと、思っていて……」


声がどんどん小さくなる。


しばらく沈黙が落ちた。

それからアランは、静かに言う。


「そうか」

「……」

「では、夢ではないと分かった今、どうする」

「…………忘れてください」

「無理だ」


即答だった。


ミュレットはかっと顔を熱くする。

けれどもう、布へくるまって赤くなることしかできない。


「む、無理って」

「忘れられると思うな」

「……っ」


あまりにも真面目な声音で言うものだから、余計に逃げ場がない。


ミュレットが布の中へ隠れるようにうずまると、アランはようやく、ほんの少しだけ機嫌よく息をついた。


明らかに、機嫌がいい。


しかも静かに余裕ぶっている。


けれど、その実、内心ではまだまったく落ち着いていなかった。

たった今、自分の唇へ触れたやわらかな感触も、

胸元へもぐりこんできたあたたかさも、

ぜんぶ鮮明に残っている。

心臓だけが、まだ少しもうるさいままだった。


それを表へ出さないまま、アランは布にくるまったミュレットの頭へ手を伸ばす。


やわらかく、髪を撫でる。


ミュレットはますます赤くなる。

けれど、もう逃げなかった。

布の中から、恥ずかしそうに小さく息をするだけだった。


白いカーテンを透かした朝日が、寝台の上へやわらかく落ちている。


夢の続きみたいだった。

けれど、これは夢ではない。


昨夜の告白も、

交わした口づけも、

朝の寝ぼけた「すき」も。


ぜんぶ、本当だ。


そのやさしい光の中で、ミュレットは布の中へ半分隠れたまま目を伏せた。

アランの手は、変わらず静かにその頭を撫でている。


夢じゃない朝が、はじまっていた。


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