表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/78

Episode 02. 期待と勇気



翌朝、ミュレットはいつもより早く目を覚ました。


薄い光の差す部屋で身支度を整えながら、昨日見た荒れた庭のことを思い出す。

伸び放題の草、乱れた枝、季節に置き去りにされた花壇。

一晩経っても、その景色は頭から離れなかった。


医務室の手伝いを終えると、ミュレットは人目を避けるように庭へ向かった。

朝の庭はまだ静かで、冷えた空気の中に、わずかに土の匂いが混じっている。


昨日立ち止まった一角の前で、ミュレットはそっと息をついた。


荒れてはいるけれど、土そのものが死んでいるわけではない。

きちんと手を入れれば、この場所はまだ息を吹き返せるはずだ。


しゃがみ込み、視線を巡らせる。

低い花々が淡く並び、その奥に枝ぶりのきれいな草木が揃う。

寒い季節でも色を失いにくい葉を添えれば、寂しさは減るはずだ。

薬草の区画は目立ちすぎないようにまとめて、使いやすい導線を作る。


頭の中で形ができていく。

その鮮やかさに、ミュレットははっとした。


考えるだけでは、何も変わらない。

けれど、思いつきのまま口にして許される相手でもない。


アラン・クレスティア。

王国の中枢を支える人。

曖昧な願いごとだけで時間を割かせるわけにはいかない。


それなら、少しでも形にして見せるしかない。


ミュレットは荒れた花壇の中でも、まだ土が崩れきっていない小さな区画を選んだ。

ほんの少し手を入れるだけでも、違いはきっと伝わる。


伸びすぎた草を抜き、枯れた茎を取り除き、表面の土をやさしくほぐす。

残っていた小さな苗を生かせる位置へ移し、薬草の中でも丈夫なものを端へ寄せ、色味のやわらかな花を前へ、少し背のある草木は奥へ置き直した。


ほんのわずかな区画だった。

それでも、荒れた庭の中にひとつだけ、整った呼吸をする場所が生まれる。


「……これなら」


小さく呟いた、そのときだった。


「何をしている」


背後から落ちた声に、ミュレットの肩が大きく揺れた。


振り返ると、石畳の上にアランが立っていた。


胸が一気に高鳴る。

どうしてここにいるのか。偶然なのか、それとも少し前から見られていたのか。

分からない。ただ、その姿が目に入った瞬間、庭の空気まで張りつめた気がした。


「アラン、殿下……」


慌てて立ち上がり、裾を整える。

逃げてしまいたいと思う。

けれど、ここで言葉を飲み込んだら、この小さな花壇まで自分勝手な振る舞いとして終わってしまう。


「その、これは……庭のことを、少しだけ考えておりました」


アランは何も言わず、ミュレットと足元の小さな区画を見ていた。

その沈黙が怖かった。

差し出がましいと切り捨てられるかもしれない。

勝手なことをしたと叱られるかもしれない。


それでもミュレットは、震える息をのみ込みながら続けた。


「このままでは惜しいと思ったのです。少し整えるだけでも、ここはずいぶん変わるのではないかと……」


アランが一歩近づく。

視線は花壇に落ちたままだった。


「なぜ薬草を端へ寄せた」


問いが落ちた瞬間、ミュレットは少しだけ目を見開いた。

否定ではない。

見てくれているのだと分かる問いだった。


「景色を散らさないためです。薬草は実用のために必要ですが、中央に混ざりすぎると、どうしても花壇全体が落ち着かなく見えます。端にまとめれば使うときにも取りやすくなります」

「冬は」

「葉の色が沈みすぎないものを選べば、花が少なくても寂しくなりません。背の高いものを奥、低いものを前に置けば、季節が変わっても見栄えが保ちやすいかと」


アランは黙って聞いていた。

視線だけが、花壇の並びを静かに追う。


「それから、ここは医務室へ向かう導線にも近いので、見るための庭と使うための庭を無理なく繋げられます。薬草だけを並べるより、景色の中に馴染ませたほうが、通る方も……少しは、息をつきやすいかもしれません」


言い終えて、ミュレットはおそるおそる黙った。

風が吹き、整えたばかりの花々がかすかに揺れる。


しばらくの沈黙のあと、アランが低く言った。


「……よく考えられている。だが、甘い」


その一言に、胸がひやりと冷える。


「……そんな」

「思いつきではない。だが、この程度で形になるほど、簡単な話でもない」


ミュレットは思わず顔を上げた。

アランは花壇ではなく、今度はまっすぐミュレットを見ていた。


「小さいが、十分だ。ここから先を考えていることも分かる」


責められなかった。

それどころか、見て、考えたことまで受け取られてしまった。


「だめ、でしょうか」


俯いて問う声は、わずかにかすれ、最後の音が頼りなく萎んだ。

先ほどまで懸命に説明していたのに、最後の最後で心細さが顔を出す。


短い沈黙のあと、アランは言った。


「だめだとは言っていない」


ミュレットがはっと顔を上げる。


アランはわずかに目を細めた。

厳しい顔立ちはそのままだったが、先ほどまでよりも声はすこしだけ落ち着いていた。


「期待している」


それだけなのに、胸の奥が大きく揺れた。


まっすぐな言葉だった。

その一言は、重く冷たい意識をほんの少しだけ宥め、かりそめの救いで満たしてくれるような気がした。


思わずアランを見つめると、彼は確かにミュレットへ顔を向けていた。


「は、はい……!」


声が裏返りそうになるのをこらえながら、深くうなずく。


アランはそれ以上多くを語らず立ち上がる。

けれど去っていく背は、昨日より少しだけ遠く感じなかった。


ミュレットはしばらくその場にしゃがんだまま、整えた花壇を見つめていた。


期待している。


たった一言なのに、その響きは胸の奥に長く残った。


その日から、彼女の時間は少しずつ変わり始める。


医務室の補助の合間に、庭に使えそうな草木や花、薬草について調べるようになった。

寒さに強いもの、土地に合うもの、香りがやさしいもの。

見た目の美しさだけでなく、育てやすさや実用性まで考えながら、一つひとつ理解を深めていく。


城外から雇い入れられた庭師たちの知恵を借り、古い記録を読み、力仕事を担う者たちにも手を借りた。

伸び放題だった草木は整理され、区画には意味が生まれる。

季節を感じられる草木が選ばれ、医務室で使う薬草も、景色を損なわぬよう端にまとめて植えられていく。


ただ美しいだけではない庭を。

人が足を止め、ほんの少しでも心を休められる庭を。


まだここが完全な居場所だとは言えない。

それでも、自分の手で変えていける景色があるのだと知ったことは、ミュレットの世界を確かに少しずつ変え始めていた。


整えられていく庭の奥、朝の光がやわらかく落ちる一角には、クレスティアにしか咲かない、名のない花が静かに根を張っていた。

それは華やかに誇るためではなく、この国に息づくものとして、ただそこに在るように咲いていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ