Episode 22. 食堂の恒例行事
彼女の目が、ひとり先に昼食を取り始めたミュレットを見つけた。
――また、見つかった。
食堂でセレスティアに目をつけられるのは、これで二度目だ。
もはや恒例行事に近い。
ミュレットはそう思って、そっと目を伏せた。
セレスティアは迷いなくこちらへ歩いてくる。
盆を持つ足取りに一切のためらいがない。
向かいの席へ腰を下ろすまでが早い。
ことん、と盆が卓へ置かれる。
「で、今度はなにされたの?」
あまりにも直球だった。
ミュレットは持っていた匙を危うく落としかける。
「……な、何も」
「ある顔」
「ない」
「ある」
「ないです」
「じゃあ、珍しくこんな早い時間に昼食を食べている理由を聞こうかしら」
ぎくり、と肩が跳ねた。
ミュレットはいつも、昼食をとるのが正午をかなり過ぎた時間だった。
医務室の仕事が長引けば、そのまま昼を抜くこともある。
夕方には疲れて食欲がなくなり、今度は夕食を抜く。
朝も慌ただしく済ませることが多く、朝昼夕きちんと三食食べる日など、思い返してもあまり多くはなかった。
そんな生活を続けていることを、アランには何度も指摘されていた。
食事を摂るように。
昼を抜くな。
せめて汁物くらいは飲め。
あの人は、そういう細かいところまで容赦なく見てくる。
セレスティアは半眼になる。
「やっぱり何かあったのね」
「……」
「しかも朝」
「……どうして」
「顔よ」
「顔で何でも分かるの、やめてほしい……」
「無理ね」
セレスティアはパンをちぎりながら、じとっとミュレットを見る。
「で?」
「……」
「今回は何をされたの」
「“された”って言い方はやめて」
「じゃあ何を“してこられた”の」
「全然変わってないわ……」
いつかとまったく同じやり取りだった。
少し離れた卓に座る騎士たちは、聞こえていないふりをしている。
だが、どう考えても耳はこっちを向いている。
ひとりはスープを飲むふりをしながら固まっているし、もうひとりに至ってはパンをちぎる手が止まったままだ。
「……ちょっと、朝、話しただけよ」
「溺愛ね」
「ち、ちがう!」
即座に否定すると、セレスティアはにこにこと、とても面白いものを見るような顔をした。
「城門の乱、生で見たかったわぁ」
「……」
「現場を目撃した騎士に聞いたら、それはもう大興奮だったもの」
「聞かないで……」
「“あのアラン様がミュレットに公開告白、ミュレットを狙っていた男たちは全員撃沈”ですって」
「セレスティア……!」
止めたい。
全力で止めたい。
けれど、もうその労力すら惜しかった。
ミュレットは黙って玉ねぎのスープを口に含む。
温かいはずなのに、ちっとも味がしない。
セレスティアは楽しげに続ける。
「それをきっぱりお断りするって、前代未聞よ」
「……」
「アラン様に逆らう人間なんていないのに」
「……」
「傷を見せようとしたら抵抗して」
「……」
「その上、“恋人でもないのに”」
「やめて……」
「しかも門前で」
「やめてってば……」
セレスティアはもう笑いを堪えきれていない。
肩を震わせ、目尻にうっすら涙まで浮かべている。
「……っ、ほんとうに、私にその話をしにきた騎士たちの顔、見せたかった」
「見たくないわよ……」
「見せたいわよ」
「いらない」
「いるわ」
「いらない!」
そのやりとりを耳の端で聞いていたらしい若い騎士が、ついに咳払いをひとつして席を立った。
たぶん耐えきれなくなったのだろう。
食堂の空気は、静かなようでいて、妙に落ち着かない。
セレスティアはまだ引く気がない。
「で、そのあと今朝は何を話したの」
「……」
「そこが本題よ」
「本題なの?」
「もちろん」
ミュレットは肉をかみかみしながら、観念したように息をついた。
「……今日は休むように、って。それだけ」
「根回しだ!」
「っ」
ぱちん、とセレスティアが指を鳴らす。
「完全に包囲に入ってるじゃない」
「包囲って何よ……」
「外廊下で待ち伏せ、医務室に通達、庭師まで抑えてる」
「……」
「もう逃がす気ないわね」
「……」
「時間の問題よ」
セレスティアはにやにやしながらパンを口へ運ぶ。
「ミュレットが根を上げるのが早いか、アラン様が壁を壊すのが先か」
その言葉に、ミュレットはゆっくりと口を開いた。
「……私、アラン様が離れてくれないなら、ここを出ることも考えてる」
食堂の空気が、ぴたりと止まった。
近くの卓で椅子を引こうとしていた女官の手が止まる。
遠くで食器を下げていた侍女も、わずかに振り返る。
そしてさっきまであれほど口達者だったセレスティアさえも、言葉を失った。
「ミュレット……」
「もう、失いたくないから」
ミュレットは、自分の声が静かすぎることに気づいていた。
静かすぎるのは、ここへ来るまでに何度も何度も考えてしまっていたからだ。
「戦争が、おきて」
「……」
「領地も、家族も」
「……」
「私には、なにもない」
言い切ってしまえば、胸の奥が少しだけ空っぽになる。
けれど、その空っぽさは楽ではなかった。
ミュレットは最後のひと口を飲み込み、静かに盆を持って立ち上がった。
「ごちそうさまでした」
それだけ言って、片付け口へ向かう。
誰も呼び止めなかった。
呼び止められない空気だった。
そうしてミュレットが食堂を去ったあとで、ようやくセレスティアは小さく息を吐く。
「……ばかね」
その声には、さっきまでの面白がる響きはもうなかった。
「それくらい、大事ってことじゃないの」
返事をする者はいない。
けれど、誰もがその言葉の意味だけは、痛いほど分かっていた。




