セラフィーナの親交会①
本編前日譚
私の名前は、セラフィーナ・ルヴェリエ。
ルヴェリエ侯爵家の長女であり、
王都でもそれなりに名の通った、由緒正しき令嬢である。
そして本日、私は人生最大級の気合いを入れている。
なぜなら——
あのアラン・クレスティア殿下との親交会があるからだ。
冷酷。
寡黙。
若くして政務を裁き、戦場では無双し、貴族たちを震え上がらせる王太子。
同時に。
顔がいい。
とにかく顔がいい。
びっくりするほど顔がいい。
おまけに王太子。
父は朝からずっと上機嫌だった。
「よいか、セラフィーナ!」
「はい、お父様」
「お前ほどの器量と教養があれば、殿下のお気に召されぬはずがない!」
「まあ、お父様ったら」
「ハートをつかめば、我が家の将来は安泰だ!」
「まあまあ」
「安泰どころか盤石だ!!」
父は朝食の席で、焼きたてのパンをちぎりながら拳を握りしめていた。
娘としては少々複雑である。
私の将来より家の安泰が前に来ていないか。
いや、来ている。
完全に来ている。
だが、それはそれ。
相手がアラン・クレスティア殿下ともなれば、悪い話ばかりでもない。
冷たくても寡黙でも、少しくらいなら許容範囲だ。
顔がいいし。
王太子だし。
顔がいいし。
私は侍女たち総出で髪を整えさせ、淡い青のドレスを纏い、香りもきつすぎず上品にまとめ、完璧な仕上がりで王城へ向かった。
親交会は、令嬢が一人ずつ順番に殿下と顔を合わせる形式だった。
控えの間には、年頃の令嬢たちがずらりと並んでいる。
皆、緊張していた。
同時に、夢も見ていた。
もしかしたら、と。
冷酷と噂される殿下も、実は心を許した相手には違う顔を見せるのではないか。
一輪の花に気づくような繊細さがあるのではないか。
散歩に誘ってくれたり、ティーカップをそっと差し出してくれたりする、白馬の王子様の一面が隠れているのではないか。
私も、そう思っていた。
少なくとも、この時までは。
「次の方、どうぞ」
侍従に促され、私は小さく息を吸った。
行くわよ、セラフィーナ・ルヴェリエ。
侯爵家の娘として、ここで美しく決めるのよ。
扉の前で一度だけ姿勢を整え、入室する。
そこに、アラン・クレスティアはいた。
窓辺から差す光の中に立つ姿は、思わず息を呑むほど整っていた。
長身。
端正な横顔。
淡い光すら切り取ってしまいそうな静けさ。
ああ、これは確かにすごい。
父が大喜びするのも分かる。
王都の令嬢たちが夢を見るのも分かる。
殿下は私に気づき、こちらへ向き直った。
「本日はお越しいただき、ありがとうございます」
低い声。
落ち着いていて、耳に心地よい。
私も優雅に礼をする。
「お招きいただき光栄ですわ。セラフィーナ・ルヴェリエにございます」
殿下は軽く頷いた。
「セラフィーナ嬢。どうぞ」
そこで私は、一瞬待った。
腕を。
そう、普通はここで、部屋の中央や席まで、軽くでも案内するというものがある。
いや別に腕を組みたいわけではない。
組みたい気持ちはまあ少しあるが、今はそういうことではない。
形式として。
礼儀として。
だが、ない。
殿下はただ立っている。
席へ導くそぶりすらない。
えっ。
手も差し出さないの!?
普通なら、ここで手を差し出し、席へ導くものではなくて?
私は内心の動揺を完璧な微笑みで押し隠し、自力で席へ向かった。
座る。
殿下も座る。
向かい合う。
しばし沈黙。
えっ。
いや、いい。
最初は緊張しているのかもしれない。
こちらから柔らかく場をほぐせばいいのだ。
私はにこやかにカップへ手を添えた。
「このお茶、とても美味しいですわ」
「ああ」
短い。
まあ、まだいい。
「香りが春らしくて素敵です。焼き菓子も、とても上品で」
「そうか」
短い。
まだだ。
まだ序盤。
ここから広げればいい。
私は笑みを深めた。
「この焼き菓子、父が贔屓にしている店のものに少し似ていますの。もしかして、王城でも評判のお店から?」
「ああ」
「まあ、そうでしたのね」
「そうか」
違う。
“そうか”はこっちの台詞ですわ。
私は一度、カップを置いた。
殿下はといえば、こちらを見ているのか見ていないのか分からない、ひどく静かな顔をしている。
失礼なわけではない。
だが、会話の球を投げ返す気配が驚くほどない。
ええい、もう少し踏み込む。
「殿下は、こうしたお茶の時間はお好きですか?」
「嫌いではない」
「まあ、ではお忙しい中でも、お好きなお茶の時間があるのですね」
「そうだな」
「最近はお忙しいのでしょう?」
「ああ」
「どのような政務を?」
「いろいろだ」
いろいろ。
いろいろ。
私は一瞬、天井を見上げそうになった。
だめよ、セラフィーナ。
侯爵令嬢たるもの、まだ崩れてはいけない。
もう少し。
あと少しで、たぶん何か手応えが出る。
そう信じたい。
私は焼き菓子へ視線を落とし、できる限りやわらかく言った。
「殿下は、甘いものはお好きですか?」
「あまり好きではない」
「では、今度また――」
そこで私は、にこやかさを最大限にして言った。
「ではまた、昼食でもご一緒するのはいかがでしょう!」
「分かった」
やったわ――と思った、その瞬間。
殿下は侍従へ向かって、静かに言った。
「親交会は茶だけでは短いそうだ」
「はい」
「今後は昼食も含めて組め」
私は固まった。
……今後は?
……昼食も含めて組め?
私との次の約束ではなく、
“令嬢対応の運営改善案”として採用されたの!?
私は人生で初めて、焼き菓子を見つめながら魂が抜ける音を聞いた。
その後の時間は、まさしく地獄だった。
殿下は失礼ではない。
むしろ礼儀はある。
だが、温度がない。
会話が育たない。
何を投げても「ああ」「そうか」「分かった」の三連打。
壁だ。
いや、壁のほうがまだ手応えがある。
こちらが話しかければ、少なくとも沈黙で圧迫してはこない。
親交会が終わり、私はどうにか笑顔のまま退出した。
控えの間を抜け、王城の外へ出た瞬間、父が飛びつくように寄ってくる。
「どうだった!?」
「……」
「お前が殿下に気に入られないわけが――」
「お父様」
私はにこにこしながら言った。
「壁と話している方がましだったわ……」
父の笑顔が凍る。
「な、何だと?」
「お父様!!」
私はついに父へしがみついた。
「私は嫌です!!」
「なっ」
「たとえ政略結婚でも、あのような男と一生を共にするのは……!!」
「せ、セラフィーナ」
「心が持ちません!!」
父は狼狽えた。
侯爵家当主らしからぬ狼狽ぶりだった。
だが私は止まらない。
「もう少しちゃんと相手を見て、話を合わせて、様子を見てはお茶を注いでくださったり、ではそろそろ庭でも歩きましょうかと散歩に誘ってくれる白馬の王子様のような男性の方がいいです!!!!」
「お、おお……」
「顔が良くても無理です!!!!」
「そこは認めるのか」
「認めますけれど無理です!!!!」
父はしばらくぽかんとしていたが、やがて遠い目をした。
「……そ、そんなにか」
「そんなにです!」
私は父の袖にしがみついたまま、きっぱり言った。
「お父様!」
「何だ」
「私は、もう少し人間味のある殿方がよろしいです」
「……そうかあ」
「ええ」
「では、殿下の件は」
「なかったことにしてくださいませ」
父は深く、深く息を吐いた。
そして呟く。
「顔だけでは、だめなのだな……」
「顔だけで一生は無理です」
その日の帰り道、私は心に誓った。
たとえ相手が王太子であっても、
たとえ顔がたいそう良くても、
会話の成立しない殿方は、絶対に無理。
後年、あのアラン・クレスティア殿下が、ある娘の前でだけ妙に人間らしい顔をするようになったと聞いた時、私は真っ先に思った。
——ああ、あの方にも、ようやく会話の通じる相手が現れたのね。
心の底から、そう思ったのである。




