その14の1「アムとカゲトラ」
やはり虐待なのではと、アムは猫のほうを見た。
兜で覆われた猫の顔からは、感情らしきものは読み取れなかった。
猫の愛護者となることは断念し、アムはさらに先へと進んだ。
すると今まででいちばん大きな水槽に、色とりどりの魚が泳いでいるのが見えた。
「この大水槽は、国内ではいちばんの大きさらしいですね」
「ああ。魚ども、のんきに泳いでやがるなぁ。
もし魚になったら、
脚がダメでも泳げるかな?」
……妙なたとえ話だなと、アムは思った。
ちょっと無神経なようにも思える。
だが、べつに不快にも思わなかったと気付き、アムは話題に乗っかってみた。
「はて。魚にとっての脚を、
どことみなすのかにもよるでしょうけど。
私は胴体もダメですから、
魚になってもどうせ泳げないでしょうね。
泳ぐと言えば、海なんかに行ってみたくありませんか?
夏休みになったらですけど」
「夏休み……か。ずいぶんと先の話だな」
「きっとすぐですよ」
「そうかな。泳げないのに海に行きたいのか?」
レグはふしぎそうにアムを見てきた。
奇異の視線を気にした様子もなく、アムはレグに微笑んだ。
「私は見てますから、レグは泳ぎを楽しんでください」
「俺の水着姿を見たいのか? スケベなやつめ」
「そういうことではないです……!
それでどうです? 行きませんか?」
「セクシー水着を見せてやりたい気持ちもあるが、
俺もカナヅチだぞ」
「えっそうなのですか?」
「意外か?」
「そうですね。
なんとなく、スポーツ万能かと思っていました」
これまでレグは、何度も優れた身体能力を披露している。
単純に力があるというだけではない。
レッティにおみまいした殺人サーブや、暴漢への対処。
それらの際に見せたキレのある動きは、決して力まかせではなかった。
体を動かすということ自体が得意なのだろう。
アムはレグのことを、そう捉えていた。
泳げないというのは普通に意外だ。
ひょっとして彼の学校には、プールがなかったのかなと思った。
貧相な平民向けの学校であれば、そういうこともあるのかもしれない。
さておき。
「……それでは海はやめておきましょうか」
ちょっぴりがっかりして、アムはそう言った。
「ああ。悪いな」
話に区切りがついた。
引っ張るような話題でもない。
話題を切り替えて、一行は水族館を進んでいった。
やがて出口にたどり着き、アムたちは水族館から出た。
まだ日は高い。
レグのプランに任せて、アムはあちこちと遊び回った。
たっぷりと日中をたんのうすると、アムたちはオーウェイル邸に戻った。
猫小屋に入ると、アムは車椅子に移された。
そのときレグが、アムの前に立ってこう言った。
「今日はどうだった?」
「……まぁまぁでしたね」
レグの前だったので、アムは取り繕ってそう言った。
するとレグは、わざとらしい残念顔で、猫に声をかけた。
「そうか。まぁまぁだってよ」
「みゃぁ」
猫を傷つけたいわけではない。
アムは見栄を捨て、すぐに猫にフォローを入れた。
「あっ嘘です。とても楽しかったです。
ありがとうございました。猫さん」
そのときレグの表情が、穏やかな笑みに変わった。
「だってよ。良かったな。カゲトラ」
「えっ……」
予想外の名前を聞いて、アムは絶句した。
固まったアムの視界の中で、レグが猫の防具に手をかけた。
大量の重い防具が、一つずつ地面に落とされていった。
やがて猫は丸裸になった。
アムの前に、真っ黒なサーベル猫が姿を見せた。
「カゲトラ……?」
アムが猫の名を呼ぶと、黒猫は気まずそうに鳴いた。
「みゃぁ……」
「っ……」
理屈ではない衝動が、アムを逃避へと誘った。
アムは車椅子を後退させようとした。
そのときレグがしっかりと、アムの肩をおさえた。
彼は真剣な顔で、アムにこう問いかけた。
「何が怖い?
おまえは今日ずっとあいつに乗ってて、
お出かけを楽しんでたっていうのに、
いったい何が怖いっていうんだよ?」
「何って……それは……わかりません……」
カゲトラは優しい猫だ。
自分から人を傷つけるようなことは決してない。
無害だ。危険はない。
そんなこと、理屈ではわかっている。
何が怖いというのか。
むしろアムのほうが教えてもらいたいくらいだ。
それなのにやはり、アムは声を震えさせてしまう。
「死ぬほど怖いか? 耐えられないか?
もしちょっとでも耐えられるって思うなら、
あいつを見てやれ。
飼い主のことが好きな猫を見てやってくれ」




