第十一話‐④
「はぁ~…身体の疲れが一気に抜けていく~…!」
部屋に敷かれたふかふかの布団にリリィはお風呂で濡らした髪を乾かさないまま倒れ込んだ。そんな様子を部屋の主であるシフォンはクスクスと楽しそうに笑いながら眺めていた。
「お疲れ様です、リリィさん。けど髪の毛を乾かさないと風邪ひいちゃいますよ?」
「分かってる…分かってるけど……今はこのまま寝転びたい気分……。」
「もう!何言ってんの!ほら、起き上がって。拭いてあげるから…!」
ジーク達の家に帰って来て、疲れているのに作ってくれたシフォンの美味しいご飯を食べ、温かいお風呂に入ったら、積み重なった疲労もあってかそれはそれは眠くなる。そういう状態になるのも分からないでもないけれど……只でさえリリィの髪の毛は長いのだ。このまま濡らしたままでは本当に風邪をひいてしまう。私は倒れているリリィの腕をとり、無理やり起こした。
「少し位いいじゃない~…、」
「それで風邪ひかれたら困るから言ってんの。明日出発するって言ってるのに……。」
自分の肩にかけていたタオルをリリィの髪の毛にあてては水をふき取る様にして拭いた。悔しいがリリィの髪質は驚くほど綺麗で繊細だ。一体どうしたらこうなるのだろうか……悔しさを通り越して羨ましいとすら思える。
「そういえばさっきからシフォンは何をしてるの?お風呂から出てからずっと家の中ウロウロしてたみたいだけど……、」
「あ…えっと……荷物の整理をしていたんです。明日にはここから出ないといけませんから……、」
恥ずかしそうに声音を小さくしながらシフォンは答えた。手には旅に持っていこうとしていたのだろうか一冊の本を抱えていた。よく見ればシフォンの周りには数冊の本や着替え、タオル等様々な物で溢れかえっている。一つの荷物にしたら大荷物だ。
そんなシフォンにリリィはハァ、と大きく溜め息をつくと「あのねぇ」と口を開いた。
「そんな大荷物でどうすんのよ。それだと谷を出るまでにへばるわよ。必要最低限にしなさい。」
「こ、これでも頑張って減らしてはいるんですが……ま、まだダメですかね?」
「着替えやタオル、食材とかは現地で調達すればどうにでもなるわ。消耗品も同じよ。本当に大事な物だけ持って行きなさい。ね、マツリ。」
「い、いや…私はリリィ程経験者じゃないから同意を求められても困るというか……でもいざとなれば私が合成するし、リリィの言う通り本当に大事な物だけ選んで持っていけばいいんじゃないかな。」
「……本当に大事な物……。そうですね。あ、それなら……、」
何か持っていく物を思い出したのだろうか何か閃いた様に顔を上げるとシフォンはそのまま部屋の中をぐるぐると歩き始めた。何かを探しているようだけど……、
「何か探し物?」
「は、はい。昔念写機で撮ったものを持っていこうかと……、」
「念写、機…?何、それ…。」
初めて聞く単語に首を傾げていると髪を拭かれていたリリィが振り返った。
「マツリが知らないという事はマツリの世界にはない代物なのね。念写機っていうのは特殊な構造の魔術機で、魔力を取り込む事によって特殊な陣が機械の中で発生して、レンズに映し出していたものを紙に複製出来るの。」
「何だか難しそうな機械……って、ちょっと待って……レンズに映し出したものを紙に複製……それってまるで、写真みたいだね。」
「しゃ、しん?…そういえば昨日も同じ事言ってたわね。何なのそれ。」
「リリィがさっき言ってたやつと似ているものだよ。私の世界ではカメラっていうやつで撮るんだけど……それこそレンズ越しに映した景色とか人物をカメラっていう機械でとって一枚の紙に映し出すの。」
「へぇ…似た様なものがあるのね。……で、シフォンは何の念写を探してるの?」
「えっと……私と兄さん、姉さんが写った念写です。昔、念写機を持っている行商人の方がいらして、記念に撮ってもらったものなんです。…思い出のものなので旅に持って行きたいと思って……、」
シフォンとジーク、そして姉であるシーナさんが写った念写……あれ?それってもしかして私見た事あるよね。
「シフォン、その念写なら……、」
●●●
「あ!ありました!!」
机の上にあった一枚の紙を手にしては嬉しそうに声を上げるシフォン。その様子を私とリリィは眺めては自然と笑みを零した。
シフォンの探していた念写は…一昨日の夜、私がシフォンの部屋の隣の部屋で見つけたものだった。あの時はじっくりと眺める余裕なんてなかったけれど……、
「いざ、こうして見てみると三人とも似てるね。」
「この時はまだ背格好が似ていましたからね。兄さんや姉さんの話曰く、髪色は母親似、瞳の色は父親似だそうです。」
「へぇ、そうなの。」
「私は生まれた時に母さんを亡くして、母さんの顔を知りません。父さんも小さかった頃に亡くなったので、あまり覚えていません。念写があればいいんですけど、念写機は珍しいので両親の念写は残っていないんですよね。だから、両親がいるという実感はなかったんです。けど、」
「けど?」
「けど…兄さんや姉さんがいたから私は不幸とか不安とか両親がいない悲しみとか…そういうのをあまり感じずに育つ事が出来ました。親不孝と思われてしまいますけど…でも二人のおかげで私はここまで生きてこれたんです。」
「シフォン…。」
愛おしそうに念写を見つめるシフォン。その視線の先にある念写の中には楽しそうに並んで映る三人の仲睦まじい兄妹の姿があった。……あぁ、まただ。また胸がざわついている。
パヌさんの屋敷でも感じたこの不安感……あの時は何故不安に思ったのか理解出来なかったけれど……今なら、何となく分かる気がする。
「ねぇ、シフォン。」
「はい、なんですか?マツリさん。」
「……私から誘っておいてなんだけどさ……本当にここから出ていいの?」
「え?」
「マツリ?何言ってるの…?」
「その……変な事聞いてるっていうのは分かるよ。けど……ここはシフォンやジーク、そしてシーナさん達と過ごした場所でしょ?この部屋だって使われてないにしろ、お姉さんの部屋として割り振られている。ここでの生活だって、二人は大事にしていたんでしょ?思い出の場所なんでしょ?」
「それは……、」
「ここを出るという事は……それらと離れるっていう事でしょ?大切な場所から出ていく事でしょ?…そんな事、させていいのかなって今更ながら思って……ごめん。」
「そんな…マツリさんが謝る事じゃありませんよ。むしろ……私達の事を思っての発言、ありがとうございます。ですが、大丈夫ですよ。」
「え、」
シフォンの発言に少し伏し目がちだった視線を上げた。するとシフォンは念写から私に視線を向けて、ニコリと微笑んだ。
「確かに、ここには沢山の思い出があります。姉さんや兄さんの過ごした大切な時間、大切な場所、大切な思い出……目を閉じれば、それらは思い出されます。楽しかった事も嬉しかった事も怒った事も悲しかった事も全部、全部大切です。」
「……、」
「大切で、かけがえのないものばかりです。けどそれは場所や物だけに留まっている訳ではありません。全て、私の中にあります。」
「シフォンの中に…?」
「はい。マツリのさんの言う通り、ここから離れるのは確かに寂しいです。けれどそれ以上に大切な思い出や大切な時間はずっと私の記憶の中で生きています。離れていても思い出せます。だから不安になる事なんて何もないですよ。」
「シフォン…、」
「私には兄さんも風になった姉さんも、一緒に旅をしてくれるマツリさんやリリィさん、クロトさんもいます。怖い事なんてないですよ。それに、少しワクワクしているんです。」
「ワクワク?」
「だって私、兄さんと違って外の世界に出た事ないですから…どんな景色が広がっているのか、どんな人達がいるのか、どういう風に生活しているのか……この目で見れるんですよ?本でしか知らなかった世界をこの目で見る事が出来る…こんなに楽しみな事、初めてです!」
念写を手に笑うシフォンは本当に楽しそうで嬉しそうだ。外の世界が……ピネーから出た世界が余程楽しみなんだろうな。
……そっか。シフォンはここから出る事を後悔、しないんだな。思い出を置いていくのが、大切な場所から出るのは嫌だったんじゃないか、無理やり引き離されて悲しいんじゃないか……そう思っていたけれど、そうじゃないんだな。
全部ひっくるめて、シフォンは思い出として記憶に残して持って行くんだ。……強いな、シフォンは。
「……安心した?マツリ。」
「リリィ。……うん、安心した。ずっとモヤモヤしてたけど、少し晴れたよ。」
「不安にさせてしまいましたね。すみません、マツリさん。」
「いやいや、シフォンが謝る事じゃないでしょ?…じゃあ、改めてだけど……よろしくね、シフォン。」
「!…はい!よろしくお願いします!」
満面の笑みを浮かべるシフォン。その表情は本当に晴れやかで念写に映っている時と同様、楽し気に見えた。
不安だった気持ちも杞憂だった。か弱そうな女の子だけど、強くて優しい…芯のある子だ。きっと…きっと私や皆の力になってくれる。
そう、思えるのだ。
●●●
「…本当、成長したよな、シフォン。昔なんて泣き喚いては「お兄ちゃ~ん」ってついてきてたんだぜ?」
「……覗きとは悪趣味な兄だな。」
「偶然だよ、偶然。偶然部屋から出ようとしたら偶然姉さんの部屋に入っていく三人がいて、偶然扉が少し開いていたからちょっと覗いただけだ。決して意図があって覗いている訳じゃない。」
「よく言う…、」
「そういうクロトはどうなんだよ。お前も結局話聞いてたじゃないか。」
「女の部屋に覗いている奴がいたら止めようともするだろ。…まぁ、その必要はなかったみたいだがな。部屋に戻る。」
「ちょいちょい待てよ…!ここまで来て単独で戻るとかないだろ!俺も戻る!」
「………ハァ、」
「……はは、」
「なんだ、気色悪い…。」
「人が笑っただけで気色悪いとかなんだよ。……いや、前話しかけた時は無視されっぱなしだったからなぁ……こうして会話してくれて正直感慨深いもんだ。お兄さんは嬉しいぞ。」
「…………、」
「そこで無視すんなよ。ていうか無言で部屋に戻ろうとすんな…!」
「…俺はまだ許した訳じゃない。アイツがお前を旅の同行者として選んだ、ただそれだけだ。」
「それでもいいさ。むしろそうしてくれ。お前が警戒してくれているおかげで俺はずっと気を抜かずにいられる。……俺のしようとした事は間違ってたからな。一人ぐらい、神経削ってくれる奴がいないと困る。」
「……変わった性癖だな。」
「自分でも思う。…互いに警戒し、互いに気が抜けないからこそ与えられた役目をきっちりこなす事が出来る。そういう意味では俺は、お前の事信頼してるんだぜ?クロト。」
「………お前の指示で動いているんじゃない。」
「そうだったな。全てはマツリの為だもんな。……でも、俺はお前を頼りにしてるぞ、クロト。」
「………、」
「明日から、よろしく頼むな。相棒!」
「……誰が相棒だ。」
長かった、深い深い闇の夜が明けていく。誤魔化されていた冷たい風がなくなり、谷に吹く強い風は弱く、柔らかなものに変わっていく。
谷に聳えるいくつもの風車が音を立てながらゆっくりと止まり、それに伴って動いていた機械たちも動きを止めた。
何もかもが変わっていく。生活も風習も文化も……変わり始めるものに最初は追いつかないだろう。苦労もするし、慣れるまでに時間が掛かる。
けれど……変化はきっと良い方向へと向かうだろう。不浄な風は止まり、谷に流れる小さく、柔らかな優しい風は……本物の清浄な風なのだから。




