第八話‐④
ぽたぽたと瞳から大粒の涙を流すシフォン。拭う事もなく大粒の涙を流しながらシフォンは静かに燃え盛る焚火を見つめている。その瞳はどこか遠くを見つめていて、悲し気だ。
…ようやく分かった。シフォンが謝っていた本当の意味がようやく、分かった。あれは……お姉さんに謝っていたんだ。
遺跡に入る時、酷く怯えて見えたのも緊張していた訳じゃなく……お姉さんがいなくなった場所だと分かっていたから…だからシフォンは怯えていたんだ。
…今思い返せばシフォンの頭を撫でた時も急に泣き出していた。
『はい。…昔…こうやって撫でられた事を思い出してしまって……兄さんにされてもこうならないのに……不思議ですね。女性だからでしょうか。』
あの時誰に撫でられたのだろうかと思っていたけれど……きっと撫でてくれたのはお姉さんで、シフォンはその事を思い出して泣いたんだ。
シフォンにとってお姉さんは…本当に大事で、大好きな家族だったんだ。大好きだったからこそ失った悲しみが大きく、成長した今も心の底で苦しんでいるんだ。
……こんな時、なんて言えばいいのだろうか。励ます言葉もシフォンを元気づける言葉も……出てこない。何か伝えたいとは思うけど……それでも言葉が出てこない。
どうすればと沈黙が流れる中「ちょっと待って」と切羽詰まった様な声を上げたのは、リリィだった。
「ねぇ、今の話…貴方のお姉さんは『風神様』の『儀式』で『生贄』になったのよね?」
「?…はい、そうです。」
「…それが本当なら、おかしいわ。ありえない。こんな事……、」
口元に手を当てながら動揺を隠しきれていないリリィに私は首を傾げた。何がおかしくて、何がありえないのだろうか……意味が分からないでいるとリリィは意を決した様に閉ざしていた口を再び開いた。
「…『儀式』は五十年に一度、目を覚ました『風神様』を再び眠らせる為に『生贄』を差し出すものよね。そして一番最後に行われた『儀式』がシフォンのお姉さん…シーナさんが『生贄』になった『儀式』。そして、これが何時行われたか…マツリ、分かるわよね。」
「!……十年前。」
「そう、十年前に行われた。…という事は十年経った今、私達が見た『風神様』は眠っている筈よね。けど私達が見た『風神様』は……、」
「……目覚めていた。いや、起きていた。起きて…私達を襲ってくる勢いだった。」
そうだ、おかしい。リリィの言う通りだ。五十年に一度、目覚める『風神様』を『生贄』を捧げて再び眠らせる。十年前、シフォンのお姉さんが『生贄』になり、『風神様』は再び眠りについた。だから…次に目覚めるとしたら五十年後…つまり今から四十年後の筈だ。
けど私達が見たのは眠っている所か目覚めている状態の『風神様』だ。『儀式』を行ったのなら『風神様』が目覚めているのは、おかしい。
「…前回行った『儀式』が失敗した…とかじゃないよね。」
「…失敗はしていません。姉さんが『生贄』になった『儀式』直後、眠っている『風神様』を確認しました。」
「なら…なんで目覚めているの?おかしいじゃない。」
「それは……、」
動揺するリリィにシフォンは押し黙った。再び訪れる沈黙に私の中で一つの可能性が過った。
「…もしかして、私…?」
「え、」
「私が勇者として召喚されたから……遺跡の奥の扉が開いて、それで目が覚めたとか…?」
「な…そんな事…!」
「それは、違う。アイツは…マツリが召喚される前から目覚めていた。」
「「!!」」
突然の声に私とリリィは反射的に声のした方へと視線を向けた。視線の先には夜の闇から浮き上がる様に近づいてくる一人の男性の姿があった。
「……ジーク。」
「よぉ、マツリ。少し顔色、良くなってるみたいだな。」
「う、うん…。」
いつもと変わらない態度のジークは私達のいる所に近づいてくるとそのまま私達の対面、クロトの隣に腰を下ろした。
「ふぅ」と小さく息をついたジークは長い指を擦り合わせては目の前にある焚火に手を当てた。
「慣れているとはいえ夜は冷えるな。指が冷えちまった。」
「ジーク…。」
「…そんな事より、さっきの話。どういう事よ。」
「ん?どういうって?」
「『風神様』が目覚めていた事よ!詳しく説明しなさい!」
苛立ちを見せているリリィに対してジークは顔色一つ変える事なく小さく息をついた。
「ハァ…なんだ。どうしてそこまで怒ってるんだ、魔術師殿は…、」
「どうして?どうしてもこうしてもムカつくからよ。アンタ……どこまで知ってるの。何を知ってるの。…何を、しようとしてるの。」
「………。」
リリィの問いかけにジークは応えない。そんなジークにリリィは睨みつけ、クロトも応えを待っているのか視線だけを向けていた。勿論、私もだ。
皆からの視線にジークは耐えかねたのか今度は大きく溜め息をつくと諦めた様に話し始めた。
「ハァ……まずは質問に対して答える。えーっと…『風神様』が目覚めた事、だったな。さっきも言ったがアレはマツリが召喚される前…つまり、最奥の扉が開かれる前から目覚めていた。何故目覚めたかは分からないが、とにかく眠りから覚めた。」
「私が召喚される前から…、」
「あぁ。だからアレはマツリが召喚されたから目を覚めた訳じゃない。そう不安そうな顔をしなくていい。安心しろ、お前のせいじゃない。」
「じゃ、じゃあなんで……なんで目覚めてるの。」
「それも言ったろ。分からないって。こんな事今までに起こった事はない。つまり異常事態だ。だからマツリ達が来る前は結構大騒ぎしてたんだぜ?『天災が訪れる』だの『前の儀式が失敗した』だの…騒がしいったらありゃしねぇ。」
「…という事はピネーの人達は『風神様』が目覚めているのは知ってるの?」
「勿論。風の遺跡には異変がないか毎日様子を見に行くのが決まりだからな。アイツが目覚めた事は一瞬で谷全体に広がったもんだ。」
「それで…どうなったの?」
「どうなった?……どうなったと思う?」
私の問いかけにジークは更に重ねて問いかける。どうなったって……そんなの私が知りたいのに答えられる訳がない。
返答に困惑している私にジークは「ハハハ」と短い空笑いをした。
「困らせたな、すまん。…アイツが目覚めた事が知れ渡り、異常事態を受け入れた…その日の夜。谷の偉い者達が集まって会合を開いた。そして話し合いが行われ、ある結論に至った。」
「結論…?」
「あぁ。目覚めた『風神様』を眠らせる為には『生贄』が必要だ。…つまり、再び『儀式』を行うと決めたんだよ。」
「!!」
「ぎ、『儀式』を行うって…今までにない事象なんでしょう?なんでそんな解決方法しかない訳?」
「そんなの俺だって知りたい。だが、お偉いさん達が考えた結果がそれだった。…シフォンから話を聞いてると思うが、『儀式』には『生贄』が必要だ。『生贄』の条件はなんだったか覚えてるか?」
「『生贄』の条件……ピネーに住んでいる…ピネーで一番魔力の扱いが上手い人物…だったよね?」
「そうだ。じゃあ、今回の『生贄』に選ばれたのは誰だか分かるか?マツリ。」
「誰って……、」
そんなのピネーの人達全員を知っている訳じゃないから、分かる訳ない。…そう言葉にしようとした所で止まった。
ある記憶が私の中で流れたのだ。
『期待に応える回答が出来なくて悪いな。如何せん俺はあまり店で買い物はしないからな。買い物は専ら妹に任せてる。』
『妹…っていうとさっきの子?』
『あぁ。この谷の魔法使いにして谷で一番の魔力の使い手だ。頭も良くて、器量もいい。まぁ、怒らせると痛い目にあうが…俺には勿体ない位出来た妹だ。』
『へぇ…。』
「……え、まさか……、」
私は静かに隣に座るシフォンに視線を向けた。視線を向けられたシフォンは焚火を見つめたまま微動だにしない。まるでそれは…私の答えを否定しない様にも見える。
そんな…でも、まさか……お姉さんに引き続いて……、
「そう…。今、ピネーで一番魔力を扱える人物は……シフォンだ。そして今回の『儀式』に『生贄』として選ばれていた。」
「!!」
「笑えるだろ。身内から二人も『生贄』として選ばれたんだ。こんな事…笑うしかない。」
「な…アンタ…!」
「リリィ!」
今にも飛び掛かりそうになるリリィに私は声で制した。私の制止にリリィは悔しそうに唇を噛みしめると上げかけていた腰を再び下ろした。
リリィが怒りたい気持ちは分かる。姉だけじゃなく妹が『生贄』として選ばれたのに笑うしかないと答えたジークはあまりにも無神経だと思う。けど…ジークの顔を見ていると怒りが湧き上がらない。
全て負けた様な、どこか諦めた様な……けれど悔し気な様な複雑な表情。口元は笑っているけれど目は全然笑っていない。…笑える訳ない。こんな事……本当は笑える訳ないのに……、
「本来なら『儀式』はすぐにでも行われる予定だった。けど…有難い事にそれは延期になった。」
「…最奥の扉が開いたからか。」
「流石クロト。よく分かってるじゃないか。……そう、遺跡にある最奥の扉…言い伝えで守られてきた勇者の力が眠る扉が開かれた。勇者が召喚された事で『儀式』は延期になった。」
「…私が召喚された事で…、」
「そうだ。だが、延期といっても数日だ。だから俺は『儀式』を進めたがっている奴等に抗議をして、勇者が来るまで『儀式』を待ってもらった。毎日谷の入り口で勇者が来るのを待っていた。あそこだってちゃんとした道なりじゃないとピネーにたどり着けないからな。案内人として待っていた。」
「……だから森を抜けた先にジークがいたんだね。」
「あぁ。……勇者が来れば『儀式』は延期される。いや、もしかしたら勇者が『儀式』の主である『風神様』を何とかしてくれるかもしれない。そうなれば妹…シフォンを『生贄』に捧げなくてすむかもしれない。……そう思った。だから俺はお前達を出迎えた。勇者として『風神様』を何とかしてもらう為に、」
「…話は凡そ理解出来たわ。…けど、だからこそ教えてほしかった。何故『風神様』の事を黙っていたの?話していれば何か対策でも立てて…、」
「無理だろう。…外界の事は詳しく分からないが俺にだってわかる。マツリは……あまりにも勇者として未熟過ぎる。」
「ッ!」
「別に愚弄している訳じゃない。だが…アイツをどうにかするにしてはマツリはあまりにも未熟で弱い。俺が予めアイツの事を話していたら恐怖で逃げだすかもしれない。対策なんて考える余地すらないかもしれない。…俺がそう判断した。だから話さなかった。」
「そんな……何勝手に…、」
「なら今、アイツをどうにかする方法を考えられるか。勇者としても商人としてもレベルが低いマツリに魔術師レベルも低いお前、現状風の魔術しか扱えないシフォンに今までアイツを倒そうにも倒せなかった俺。唯一戦えそうなクロトも一人でアイツを倒せるかどうか分からない。そんな俺達でアイツをどうにかする方法があるのか?」
「そ、れは…、」
「俺だって考えた。眠っている間にアイツを倒そうともした。レベルだってあげて、この辺でも十分戦える力も得た筈だった。だが俺の力ではアイツを倒す所かアイツを繋ぐ鎖ですら破壊する事は出来なかった。俺には無理だ。だからこそ勇者の存在が必要だった。俺にとって勇者の力が…最後の方法だった。」
「ジーク…。」
「……ハァ、悪い。きつく言い過ぎた。どうも俺は、俺が思う以上に焦ってるのかもしれないな。……少し、頭を冷やしてくる。」
そう言うとジークは立ち上がり、そのまま私達の元から離れてどこかに行ってしまった。夜の闇へと再び消えていくジークの背に私は、何も言えなかった。
隣にいるシフォンは申し訳なさそうに、悲しそうに瞳を揺らがせながら焚火を見つめ、対面に座るクロトも何も話す事もなく静かに焚火を眺めていた。けれど一人だけ焚火を見ずに、拳を握りしめながら震えている人物がいた。
「…馬鹿じゃないの……アイツ…。」
「リリィ…。」
「そんなに妹を『生贄』にさせたくなければ、谷から出れば良かったじゃない。シフォンと一緒にピネーを出て、外界に行けば良かったじゃない。そうしたらシフォンだって『生贄』にならずに済むし、『風神様』を倒そうだなんて思わないし……苦しむ必要なんてなかったじゃない。」
「…でも、それだと『儀式』は終わらない。シフォンの代わりにピネーの誰かが『生贄』になる。それに…大事だからこそ、出れなかったんじゃないかな。」
「…どういう意味…?」
「ジークはシフォンの事を大事にしていた。今だってそう。シフォンの事を話す時ジークは本当に嬉しそうに話していた。それだけ家族の事を大事に思っているからこそ、家族と過ごした…この場所を捨てる事は出来なかったんじゃないかな。」
「……マツリさん…。」
「この谷から出たら永久に追放されちゃうんでしょ?…という事はもう、戻れないっていう事。確かにリリィの言う通りシフォンを連れて谷から出れば『儀式』はしなくて済む。けど…けどさ、家族と過ごした思い出や記憶を捨てる事なんて出来なかったんじゃないかな。だってお父さんもお母さんもお姉さんも…今はいなくても、思い出や記憶の中ではここにしかいないんだから……大事だから捨てられないんだよ。」
そんなに割り切れないんだ。大事に思えば思う程…割り切れない。だから必死に考えて、考えて……ジークはもがいていたんだ。シフォンや家族と過ごした思い出や記憶を守る為にもがいていたんだ。
「それに……それだけじゃないと思う。」
「え?」
「ジークが考えて、思っている事は…それだけじゃないと思う。……話さないと、」
私の中で何かが突き動かす。私は立ち上がり、ジークの向かった方へと視線を向けた。そうだ、話さないと……『そうしないといけない』気がする。
「ちょっと行ってくる。」
「い、行ってくるって…どこに、」
「ジークの所!すぐに戻るから!」
「え!?ちょ、マツリ!一人じゃ危険よ!あ…マツリ!!」
リリィの叫ぶ様な制止を振り切り、私はジークが向かった方へと歩き出す。焚火から離れた夜の闇はとても冷たく、とても寂しい。
それでも…私は行かないといけない。ジークと話さないといけない。
私はジークを追って、広がる夜の闇へと突き進んだ。




