第七話‐⑤
『ハァ……ハァ……、』
風の魔力が濃い。こんなに濃いのはきっとここが神聖な場所だからだろう。
結界も張られ、魔物も寄り付かない穢れのない場所。そしてその神聖な場の主にして谷を守る尊き存在がいる場所。
『もうすぐ…もうすぐだ……。』
手入れのされていない石造りの道を壁を伝いながら歩いていく。どんどん風の魔力が強くなっている。目的の場所まで後少しだ。
~……~~~……、
『何か……聞こえる……?』
耳に入る音。聞き慣れない音はまるで自分を呼んでいる様に思えて歩く速度が自然と上がる。
身体に当たる風も段々と強くなっている様に感じる。音も段々と大きくなっている。
角を曲がり、狭く暗かった道に光が入る。開かれた場所に繋がる場所に出たのだ。
『この先に……風神様が……。』
身体全身に感じる風と音、そして魔力。導かれる様にその場所へと足を踏み入れる。
『え…、』
その瞬間、身体に衝撃が走った。
●●●
「……リ、マツリ!!」
「ッ!!」
大声で呼ばれハッと我に返った。目の前には心配そうにのぞき込むシフォンとリリィがいた。あまりにも切羽詰まった様な顔つきに思わず私は茫然としてしまった。
「ど、どうしたの…?」
「どうしたのって……それはコッチの台詞よ!いきなり立ち止まったかと思ったら動かないし、返事もしないし…!」
「目も虚ろで、まるで意識がなかった様でした。大丈夫ですか?」
「……うん、大丈夫。」
「大丈夫な訳ないでしょ。遺跡に入る前も変だったけど……入ってからはもっと変よ。ねぇ、本当に大丈夫なの?」
「それは……、」
「話の途中で悪いが、目的地まで後少しだ。そこまでは辛抱してくれないか。」
話を遮る様にしてジークが言う。ジークの言葉にリリィは睨みつけるがジークには効いていないのか平然とした面持ちで言葉を続けた。
「後少しなんだ。辛いのは分かるが、そこまでは行ってくれ、マツリ。」
「そ、それは勿論…行くつもりではあるけど……。」
「兄さん。」
今度はシフォンが話を遮る様にして入ってきた。シフォンは私の向けていた視線をジークに向けると少し躊躇いながら口を開いた。
「…本当に、行くの?」
「……当たり前だ。その為に来たんだ。」
「でも…マツリさんの状態が……、」
「あそこはここより更に神聖な場所だ。空気も澄んでいて魔力の穢れもない。きっとマツリの状態も良くなる筈だ。」
「………、」
強く言い切るジークにシフォンはそれ以上言葉を返す事はなく、クロトも静かに聞き、リリィも只々睨みつけるだけだった。
場の空気が重たくなり、居た堪れない。けどその原因を作っているのが自分だと分かると申し訳ない気持ちになる。ここで体調が良ければ「さぁ、行こう!」と拳を突き上げ進もうとするのだが……それも出来ない位身体が言う事を聞かない。
むしろ行きたくないというのが本音だ。何故行きたくないのか……明確な理由は分からないけれど、この遺跡に入ってから身体の底から思った…いや、感じた。
この先には行ってはならない。行っては後悔する。……そう感じるのだ。
「あの角を曲がれば勇者の力が眠る最奥の扉に近くなる。行くぞ。」
そう言うとジークは再び進み始める。クロトも続けて進んでいく。ただ、リリィとシフォンは動こうとしない。そんな二人に私は首を傾げた。
「…どうしたの?二人共。私達も行こう?」
「けど…マツリがこんな状態じゃ……、」
「そうです…無理して倒れたら……。」
「ここにいるよりこれから行く場所の方が神聖な場所なんでしょ?だったらきっと大丈夫だよ。ね、行こう。」
「………分かったわ。」
私の言葉にリリィは歩き出そうとする。けれどもう一人であるシフォンはまだ躊躇っていた。その表情はどこか悲し気で怯えていた。
何故そこまで悲し気なのか、何故そこまで怯えているのか……明確な理由は分からない。分からないからこそ、私は自分の力でシフォンの手を引くしかなかった。
「シフォン……行こう?」
「……はい。」
諦めた様に歩きだすシフォン。握られた手は冷たく、すり抜けてしまいそうな位力がない。私より体調が悪いのではないのか……そう思っても仕方ない位、顔色が悪い。
先を歩いていったジークとクロトを追いかける様にして私達も角を曲がる。遺跡に入った記憶はあるけれど、入ってからここまでの道のりを歩いた記憶は朦朧としている。
歩いてはいた…けれど、どうやってここまで来たのかは思い出せない。手入れのされていない道は歩きにくく、二人に支えられていなかったら転んでいてもおかしくない状態だ。
薄暗い道を歩いていると先に歩いていたジークとクロトが立っていた。その先には別の空間に繋がっているのだろうか薄暗い道に光が入り、光の元には入り口らしい場所がある。
けれど二人はそこから先に行こうとしない。私達を待っていた……にしてはどうも様子がおかしい。
ジークは平然としているがクロトは鋭い眼光でジークと入り口を睨みつけている。
「ど、どうしたの…?二人共……。」
「俺は何もしてないんだがな…。」
「……何故黙っていた。」
「何の事だ?」
「とぼけるな。」
「聞かれていないのに答える訳ないだろ。」
二人の意図の読み取れない会話に私とリリィは顔を見合わせた。どうしたというのだろうか。
「ちょっと、ちょっと……私が言えた口じゃないけど、何こんな所で言い争ってんのよ。もうすぐ目的地なんでしょ?」
「まぁ、な。」
「……アレを見てもか。」
「「アレ?」」
クロトに促され私とリリィは入り口から見える景色を視界に捉えた。
天が吹き抜けられ雨粒が入る広い空間。石畳の広い空間の向こう側には別の入り口があり、更にその奥へと続く道が見える。もしかしたらあれが勇者の力が眠る最奥の扉、というものかもしれない。
けれど……それ以上に目がいき、驚いたのはその広い空間を覆いつくす程の巨大な『生物』の存在だった。
空間の中心に四本足で立つ巨大な生物。前脚には鳥の様な鋭い鉤爪が伸びており、後ろ脚は肉食動物の様な鋭い鈎爪がついている。鋭利な嘴とキョロキョロと獲物を探す鋭い眼光、吹き抜けになっている空から降り注ぐ雨粒をその身体を覆いつくす程の巨大な黒い羽根が雨粒を弾く。
長く鞭の様にしなやかな尾と背にある黒い羽根の下には羽根のない白い肌が見える。羽根で覆われ鳥の様な出で立ちである上半身に比べ、猫の様な…いえ、ライオンの様なしなやかに伸びた身体を持つ下半身はアンバランスで不気味だ。
「な、何よ……何よ!アレ!?」
ピギャアアアアアアアア!!!!
リリィの叫ぶような声に同調する様に巨大生物の鳴き声が轟く。轟く鳴き声は空気を振動し、ありとあらゆるものを揺らす。耳に入るものも音というより空気の振動に近くて痛い。鼓膜が破れそうだ。
背にある黒い羽根を動かそうとしているのだろうか何度も身を動かそうとしているが、羽根が壁に当たり広げようにも広げられない。あの生き物にとってこの場は酷く狭いものらしい。
「い、一体何よアレ……どういう事!?魔物は遺跡の結界で入ってこれないんじゃないの!?」
「魔物じゃない。」
「は?何言って……、」
「あれは魔物じゃない。『風神様』だ。」
「『風神様』…?」
戸惑うリリィの言葉にジークは淡々と静かに巨大生物を見つめては答えた。一方、傍にいるシフォンは薄暗い道でも分かる位顔を真っ青にしては怯える様にして震えている。兄妹なのに全く真逆だ。
二人の様子にリリィは一瞬狼狽えるが、再びジークを睨んでは口を開いた。
「『風神様』って何?もしかしてアレの事を言ってんの?」
「あぁ、そうだ。この遺跡が作られてからしばらくとして現れた…遺跡の守り神にして俺達の谷に吹く風の神の化身。崇め奉るべき尊い存在……それが『風神様』だ。」
「冗談じゃないわ。なんで黙ってたの!?」
「聞かれなかったからな。」
「白々しい…!あんなのがいたら先に進めないじゃない!!」
「まぁ、落ち着け。……見てみろ、アイツの足元。」
ジークに言われ視線を前脚を動かして暴れている巨大生物…『風神様』の足元に視線を向けた。暴れる前脚と対極的に後ろ脚は動かしていない。というより動かしたいのに動けていないという状態だ。
よく見ると後ろ脚の両足首には鉄製の太い枷がついており、そこからは更に太い鎖が出ており、鎖の先は『風神様』では手の届かない壁に繋がっていた。
「……あの枷がある以上、アイツはあそこから動けない。あの枷もそこから繋がる鎖も強固な物で正当な手順じゃないと外れない。壁に固定された鎖も特殊なまじないが施されているからアイツが暴れた所で外れもしなければ壊れもしない。」
「そうは言っても……この巨大さであの鋭い爪がある前脚は健在よ?動けないにしても簡単に通らせくれないわ。」
「だろうな。まぁ、そう簡単に渡してくれんというやつだ。力を得る為の試練というやつだろうさ。」
「試練って……そんなの文献には何も……!」
「…………。」
ぐるぐるする。
ジークとリリィの声が頭の中で反響して、渦の様にぐるぐると回る。ぐるぐると回る声はそのまま意識の向こう側へと飛んでいき、『何か』が私の意識を覆いつくす。
黒い、無数の『何か』が……、
「ぐっ……ぁあ…!」
「マツリさん…?」
「!……おい、」
シフォンとクロトの声が聞こえた気がした。けど、今はそれに応えられる余裕はない。
「い、痛い……!痛い…!」
「マ、マツリさん…!ど、どこが痛いんですか…!?」
「痛い…痛いの……あちこち、痛い……!痛くて、死にそう……!」
「おい……落ち着け。」
「痛い…!痛い…!!」
全身に走る痛み。電撃の様に走る痛み。頭や肩、腕に腹、背、腰、足……全部痛い。怪我をした訳でもないのに、痛い。
身を引き裂かれそうな痛みに立つ事が出来ない……!
「!?…ちょ、ちょっとどうしたの!?」
「リ、リリィさん!そ、それが……急に痛いと言って座ってしまって……。」
「痛い?……マツリ、どうしたの?どこが痛いの?」
「……痛い、痛い……痛いの……。」
痛みで涙が落ちる。それを誰かが指で拭ってくれるが目からは止めどなく涙が溢れてくる。これは……痛みだけの涙?
……ううん、違う。これは痛みだけで感じる涙じゃない。全身に感じる痛みの奥底から湧き出る寒さ、心細さ……これは純粋な……恐怖だ。
「痛い……怖い……怖い…!こんなの聞いてない…!!」
「マツリ…?」
「なんで私が……私達が……こんなの『風神様』じゃない……!!」
「…マツリ……お前、何を見て……、」
ピギャアアアアアアアア!!!
ジークの声が鳴き声で掻き消される。雄叫びの様に轟く鳴き声に私は重たい頭をそちらに向ける。
ギロリと向けられた瞳と目があった。
その瞬間、身体に衝撃が走った。
●●●
『え……、』
自分の腕が見えた。けど、不思議な事に腕から先は何もなかった。
まさかと思い視線を自分の腕に移す。……なくなっていた。
ピギャアアアアアアアア!!
『い、いやぁあああああああ!!!』
全身に激痛が走る。止めどなく溢れ流れる真っ赤な血は一瞬で身に纏っていた白い絹の衣装を赤く染め上げた。
痛みで意識が飛びそうになるが、そうはさせまいと目の前にいる『風神様』の鳴き声が轟く。
『ぅあ……、』
何度も遺跡に足を運んでは眺めていた『風神様』。崇拝していた風の神。
けれど今目の前にいる『風神様』は……自分の腕を鋭い嘴で引き千切り、血で口元を汚しながら必死に食らいついている。
その姿は神の姿ではなかった。一匹の……獣の姿だ。
…………、
『ヒッ……!』
腕を食べ終えたのかギロリと瞳をこちらに向ける。その瞳は餌を狙う獣の目。狩人の目だ。
『い、いや……嫌だ……こんなの……こんなの『風神様』じゃない……!』
目の前にいる巨大な生物に逃げようとするも恐怖で足がすくみ、動けない。全身が恐怖と痛みで震えだし、冷たい汗が流れる。
『だ、誰か…誰か助け……!』
周りに視線を移すも一人で遺跡の中に入ったのだから助けなんて当然いる訳がない。けれど…それでも助けを求めてしまう。
ここに来るまで覚悟していた筈だった。使命だからと覚悟していた。けれど……無理だ。
ピギャアアアアアアアア!!!!
迫りくる獣。逃げなくては……そう思っても動けない。
『誰か、助け………!』
意識が、途切れた。
●●●
「う……、」
湧き上がる気持ち悪さ。まただ。また、何かが私の中に流れ込んでくる。
「いや……嫌だ……なんで……痛い…痛い!!」
「マツリ!落ち着いて!」
「痛い…怖い、怖いよ…!」
流れ込んでくる。痛みも恐怖も不安も……全て流れ込んでくる。
あの『風神様』と対面した映像が頭の中に、いや全身に流れ込んでくる。それも一人だけじゃない。
沢山……沢山の人の何かが流れ込んでくる。
頭が……割れそう……!
『いやぁああああああ!!』
『何故、どうして……そん……ぁああああああ!!』
『痛い…痛い…!』
『こんな事なら逃げるべきだった……!』
沢山聞こえる女性の叫び声。目の前には叫び声と共に映像が流れていく。
身体の一部を食われる、吹き飛ばされる、真っ赤な血が流れていく、鋭い爪で身体を貫かれる、食い千切られる……もう、まともに見れない。
「ぅ……おぇえ……、」
「マツリ!!」
堪えられなくなり、胃から湧き出たものを吐いてしまった。けれど吐いた所で気持ち悪さは無くならない。むしろ増した様な気がした。
「なんで……、」
意識が朦朧とする。ぐらぐらと目の前が揺らいでる。
気のせいか、『風神様』の前には沢山の女性達が倒れているのが見えた。小さな少女、若い女性、年老いた女性……老若関係なく女性達が倒れている様に見えた。
女性達が身に着けていた白い衣装は血で真っ赤に染めあがり、花冠は無残に崩れ、花弁が吹き抜ける風で散っていく。
その姿があまりにも美しく、儚く、悲しく……虚しい。涙が、止まらない。
「ご、ごめんなさい……。」
「マツリ…?」
「ごめん、なさい……ジーク…シフォン……私、何も出来なかった……。」
「マツリさん…?」
「私、ダメだった……ごめんなさい……ごめんね……ダメな姉さんで……ごめん……。」
「!」
「マツリ!?」
皆の声が遠のいていく。何を言っているのか、自分自身でも分からない。
意識が、完全に落ちた。




