9話 『優しく弾ける火の花』
僕は歩きながら、まわりに目を向けた。赤土の道に朝日が差して、商人たちが声を上げている。子どもたちがその間を走り回っていた。
――なんだか、少しだけ気が楽になる。
「……ん、なんか、いい匂いする……」
思わず目を細めて、深く息を吸った。
「アリエスちゃーん、朝から元気だねえ。焼き蜜パン、持ってきな!」
パン屋のおばさんが、大きく手を振った。粉のついたエプロンも、丸い頬も、朝の光を受けてほんのり赤く染まる。
アリエスはおばさんを見て、にっこり微笑んだ。
「ありがとう!」
「ほら、君の分も。手を出して」
熱々の丸い蜜パンが、紙袋ごと僕の手にも渡される。
「えっ、あ、ありがとうございます……」
僕の分まで、何も言わずに当たり前のように添えてくれる。そのさりげないやさしさが、心にじわっと広がった。
手に取ったパンの重み。立ち上るほのかな湯気。包まれた紙の感触。――それだけで、少し気持ちが落ち着いた。
「やったね、ラッサルっ。これ、めっちゃ美味しいんだよ!」
ひと口かじる。外はかりっと香ばしく、中はふんわり柔らかい。ほんの少しの塩気と、蜂蜜の甘さが舌に広がり、体の奥までじんわりくる。
「……美味しい」
「だよね!」
アリエスが笑った。朝日の中で、その金色の髪が強く光る。思わず目を奪われた。
向こうから、子どもたちが笑いながら駆け抜けてくる。そして、勢いのままアリエスに飛びついた。
「アリエスおねえちゃん! 火の花、もう一回みたい!」
「しょうがないなあ。朝だけ特別ね!」
アリエスが指先を軽く鳴らすと、ぱちん、と小さな火花が弧を描いて宙に弾けた。
「わぁ、すごい!」
「ねぇ、もう一回やって!」
朝日の中で、光が一瞬きらめいた。子どもたちの歓声が弾けて、思わずそっちを見る。
……いいな。誰かを喜ばせる火って、こんなにやわらかいんだ。僕にも、こんな火が灯せたら。そんなことを、ふと思った瞬間――
「おにいちゃんは魔法ないの?」
突然そう聞かれて、言葉が出なかった。口の中が少し乾く。
「僕は……魔法、使えないから」
声がうまく出なかった。子どもたちはすぐに別の遊びに走っていく。さっきまでの騒がしさだけが、少し遠くに残った。
「やっぱり、僕は……」
アリエスがパッと振り返る。その目はまっすぐで、迷いがなかった。
「何言ってんの」
短く、はっきり言った。
「ラッサルはラッサルでしょ」
あっさり言われて、うまく返せなかった。何かが引っかかったまま、言葉にならない。
……僕にも、何かできるのかな。そんなことを考えていると、いつのまにか右手が少し汗ばんでいた。




