65話 『棚の端の三つの壺』
工房の中へ駆け込むと、外よりもひどくはないものの、あちこちに地震の跡が残っていた。
棚に並べられていた道具がいくつも床に落ち、木箱の蓋が開いている。壁際に立てかけてあった板も倒れ、床には細かな土埃が積もっていた。
「……ブルナ、大丈夫?」
アリエスが声をかける。
けれど、ブルナは答えなかった。工房の中を見渡している。その目が、何かを探していることに気づいた。
「……あ」
ブルナが小さく声を漏らした。
その視線の先に、棚があった。そこには、色も形もバラバラの三つの壺が並んでいる。
地震の揺れで、三つとも棚の端へ大きくずれていた。一つは横を向き、もう一つは隣の壺に寄りかかるようになっている。
そして、そのうちの一つが――今にも棚から落ちそうなところまで来ていた。
「……っ」
ブルナが駆け寄る。両手を伸ばし、壺をそっと抱き上げた。ひびはない。欠けてもいない。壊れてもいない。
ブルナはしばらく、その壺を胸の前で抱えたまま動かなかった。
「……よかった」
その声は、震えていた。
ブルナが愛おしそうに見つめているのは、お父さんや弟さんの形見じゃない。この前、僕とアリエスとブルナの三人で作った、あの三つの壺だった。
横を向いた僕の壺と、アリエスの壺に、ブルナの壺が寄り添うようにして棚の端で耐えていた。
「……アリエスのも」
ブルナが小さく呟いた。
「うん。大丈夫」
アリエスが自分の壺を持ち上げる。
「ラッサルのも、割れてないよ」
「……そっか」
ブルナはそう言って、ようやく少しだけ息を吐いた。
その顔を見て、胸の奥が静かに熱くなった。本人がどこまで分かっているのかは分からない。ただ、大切なものを大切にしている姿が胸に強く残った。
ブルナは自分の壺を棚に戻すと、しばらくその場にしゃがみ込んだまま、工房の中を見回していた。
さっきまで三つの壺しか見えていなかった視界が、少しずつ広がっていく。
倒れた木箱。床に散らばった道具。棚から落ちた布や、転がった粘土の塊。壁際には、地震の揺れで崩れた器がいくつか重なっていた。
「……ひどいね」
アリエスが小さく呟いた。工房は倒壊してはいなかった。けれど、地震が来る前まできちんと整えられていた場所は、今では見る影もない。
壁には新しい亀裂が走っている。棚も少し傾いていて、さっき確認した三つの壺以外にも、まだ危うい場所がいくつもあった。
ブルナは立ち上がると、まず一番近くの棚へ向かった。
「これ……」
棚の端に置かれていた小さな器を手に取る。表面を指先でなぞり、裏返して底を見る。
「大丈夫」
そう言って、元の場所へ戻した。次に、その隣の少し大きな器。
「これも……大丈夫」
さらに奥へ手を伸ばす。
「これは……」
少しだけ眉を寄せた。器の縁に、小さな欠けができている。
「……割れてる」
ブルナの声が、ほんの少しだけ沈んだ。アリエスが近づいてくる。
「直せないの?」
「……」
ブルナは欠けた器を両手で持ったまま、しばらく眺めていた。そして、静かに言った。
「……直せる」
「ほんと?」
「うん。これくらいなら」
ブルナは器の欠けた部分を親指でそっと撫でた。
「完全に元の形にはならないかもしれないけど……ちゃんと直せば、使えると思う」
その言葉を聞いて、僕は以前見た光景を思い出した。
夜の工房で、ブルナが壊れた器の欠片を一つずつ拾い集めていたこと。
割れてしまった器を、時間をかけて繋ぎ合わせていたこと。
ひびが残っていても、使えるように直していたこと。
だから、今も同じなんだと思った。地震で壊れたからといって、すぐに捨てるわけじゃない。ブルナは器を壊れたままにしておかない。
「これは置いとこう」
ブルナは欠けた器を、割れたものをまとめて置く場所へ運んだ。その途中で、床に落ちていた道具を一つ拾い上げる。
「これは……大丈夫」
次は木箱。蓋が外れて、中身が床に散らばっている。
「……こっちは片付けないと」
ブルナは一つずつ拾い始めた。僕もその隣にしゃがみ込む。
「手伝うよ」
「……うん」
アリエスもすぐに続いた。
「私も!」
アリエスは次々と床に落ちた木の道具を拾って、元の場所へ戻していく。
僕は倒れた箱を起こし、散らばった道具を集めた。バルドも何も言わず、傾いた棚を持ち上げて位置を直している。
さっきまで地面があれほど激しく揺れていたのに、今は四人で黙々と手を動かしている。
ブルナは落ちている器を一つずつ拾い上げて、割れたものと、まだ使えるものを分けていった。
その横顔は、いつもと変わらなかった。きっと、悲しくないわけじゃない。それでも、手を止めない。
「……これも直せる」
また一つ、ブルナが壊れた器を手に取った。今度は、少しだけ笑っていた。
「こっちも……たぶん、大丈夫」
僕はその言葉を聞きながら、さっき棚の端で耐えていた三つの壺を見た。
僕の壺。アリエスの壺。そして、ブルナの壺。三つとも、まだそこにある。
壊れたものもある。失われたものもある。それでも、残ったものもある。
そしてブルナは、その一つ一つを確かめるように、また手を動かしていた。




