【第四章 大地のそばで】 五十九話 『戻ってきた理由』
町へ戻る道を、一人で歩いていた。
さっきまで追いかけていたアリエスの背中は、もう見えない。何度か振り返った。戻ってきているかもしれないと思ったからだ。
けれど、そこには誰もいなかった。土の道が続いているだけだった。
「……はぁ」
僕は小さく息を吐いた。
……これでよかったんだ。そう思おうとした。アリエスにはアリエスの気持ちがある。ブルナにも、ブルナの理由がある。
僕はそのどちらも、まだちゃんと分かっていない。だから、自分で戻ると決めた。
なのに。胸の奥には、ずっと落ち着かないものが残っていた。
アリエスは、今どこにいるんだろう。町の中にいるんだろうか。それとも、もっと遠くまで行ってしまったんだろうか。考えても答えは出ない。前を向いて、歩き続けた。
工房が見えてくる。石造りの建物の間から、細い煙が上がっている。
いつもと同じ景色だった。どこかで金属を叩く音がしている。土を踏む足音がする。窯の中で火が燃えているのか、少しだけ暖かい空気が流れてきた。
その景色を見ていると、ほんの少しだけ気持ちが落ち着いた。
工房の前まで来ると、僕は足を止めた。中から物音が聞こえる。誰かが作業をしている音だった。扉を開ける。
棚の前で、ブルナが作業をしていた。深い緑色のエプロンをつけて、道具を一つずつ確認している。
「……ブルナ」
僕が声をかけると、ブルナの手が止まった。
「……ラッサル……どうして」
ブルナは僕の後ろを見る。その視線が、僕の肩越しに外へ向いた。少し待ってから、静かに聞く。
「……アリエスは?」
その言葉に、僕は答えられなかった。どう説明すればいいのか分からなかった。
アリエスと喧嘩した。そのあと、追いかけた。でも、途中で戻ってきた。
そんなことを順番に話そうとすると、胸の中にあった迷いまで全部見られてしまうような気がした。
「……アリエスは」
一度、言葉を切る。
「どっか行った」
ブルナの顔が少し曇った。
「どっかって……どこに行ったの?」
「……分からない」
ブルナは黙った。手に持っていた道具を、そっと作業台の上へ置く。
「……あの後、何かあったの?」
「うん」
僕は頷いた。
「ちょっと、喧嘩して……」
「喧嘩?」
「戻ろうよって言ったら、アリエスが、ラッサルはブルナの味方なんだねって。ちょっと怒って……」
そこまで話して、僕は言葉を止めた。あのときのアリエスの顔を思い出す。怒っていた。でも、それだけじゃなかった。
「それで、走ってどっか行った」
ブルナが窓の外に視線を向ける。
「……追いかけなかったの?」
「最初は追いかけたんだけど……」
そこから先を話すのに、少し時間がかかった。
「でも、戻ってきた」
「……どうして?」
ブルナが聞いた。僕は少し考えた。
「……分からない」
本当は、分かっているような気もした。アリエスについていくことだけが正しいわけじゃないと思った。だから、自分で戻ると決めた。
でも、その選択が本当に正しかったのかは、まだ分からない。だけど。
「ただ……ブルナのところに戻ろうと思った」
ブルナが僕を見る。深い緑色の瞳が、少しだけ揺れた。
「……私のところに?」
「うん」
「どうして」
「このままじゃよくない気がして……」
「……」
「それに、ブルナも……一人だったから」
言ってから、自分でも変なことを言ったと思った。ブルナは少し目を伏せた。
「……そう」
それだけだった。
工房の中に、外から風が入ってくる。棚に並んだ器が、かすかに揺れた。僕はその音を聞きながら、アリエスのことを考えていた。
今ごろ、どこにいるんだろう。怒っているだろうか。泣いているだろうか。それとも、もう歩き出しているだろうか。分からない。分からないけれど。
僕は、ここへ戻ってきた。
しばらくして、ブルナが小さな声で言った。
「アリエス、大丈夫かな」
「……うん」
二人とも、それ以上は何も言えなかった。ただ、薄く曇った窓の向こうを、何度も見ていた。




