五十四話 『地の国の化石卵』
朝の町は、まだ少し静かだった。
店を開け始めている人がいて、道の向こうから焼いたパンの匂いが流れてくる。アリエスがその匂いに反応して、そっちを見る。
「ねえ。何か食べていかない?」
ブルナは少し考えてから頷いた。
「……まだ時間あるし、軽くなら」
「やった!」
アリエスは飛び跳ねる。僕たちは町の通りへ歩いていった。ブルナが抱えている器の箱だけは、揺らさないように、いつもよりずっとゆっくり運ばれていた。
通りを少し進んだところに、小さな店があった。軒先には木の板が一枚だけ掛かっている。そこには、丸い卵の絵と、簡単な文字が書かれていた。
「ここでいい?」
アリエスが店を覗き込む。
「うん。ここならすぐ食べられるよ」
ブルナが答えた。店の中は広くなかった。小さな棚があって、籠がいくつか並んでいる。奥では若い女性が湯気の立つ鍋を見ていた。
「いらっしゃいませ」
女性は顔を上げて、静かに頭を下げた。
壁際に小さな木の板が掛かっていた。今日の朝食らしいものが、いくつか書かれている。
アリエスが板を覗き込んだ。
「……ん」
「どうしたの?」
「これ、なに?」
アリエスが指をさした。そこには、少し大きな文字でこう書かれていた。――地の国名物・化石卵。
「化石卵?」
僕も板を見る。
「卵なの?」
「そうだよ」
ブルナが答えた。
「香草とかを使って煮た卵なの。殻をむくと、白身に模様が出るんだよ」
「模様?」
「うん。石の中の化石みたいに見えるから、そう呼ばれてるの」
アリエスは目を輝かせた。
「食べてみたい!」
「じゃあ、これにする?」
「する!」
アリエスがすぐに答えた。
「じゃあ、僕もそれで……」
僕が言うと、ブルナは店の人に声をかけた。
「すみません。化石卵、三つください」
「はい。少々お待ちくださいね」
女性は籠から卵を三つ取り出した。普通の卵より少しだけ色が濃い。表面には細かな模様が浮かんでいる。
「これが化石卵?」
アリエスが身を乗り出す。
「そうですよ」
女性が微笑んだ。
「殻をむいてみてください」
卵を受け取る。僕は机の上で殻を割った。ぱき、と小さな音がした。殻を少しずつ剥いていくと、中から白い卵が出てくる。
「……わ」
白身には、細い茶色の模様が入っていた。まっすぐじゃない。歪な細い線がいくつも重なって、石の中に残った模様みたいに見える。
「すごい!」
アリエスが自分の卵を覗き込む。
「これ、全部違うの?」
「ええ。煮るときに使うものによって、少しずつ変わります」
「へえ……」
アリエスは楽しそうに卵を回した。
「じゃあ、同じものはないんだ」
「そうだね」
ブルナが答えた。
「全部、少しずつ違うよ」
その言葉を聞いて、僕はさっき見た器を思い出した。
僕が卵を眺めている間に、ブルナはもう一口食べていた。アリエスがブルナの顔を覗き込む。
「どう?」
「……うん。いつもと同じ」
「つまんない!」
「味が変わったら困るでしょ」
ブルナはそう言って、もう一口食べた。
僕も卵を口に入れる。少し塩気があって、香草のような匂いがした。白身は固すぎず、噛むと中まで味が染みている。
「おいしい」
「でしょう?」
女性が嬉しそうに言った。
「朝はこれくらいがちょうどいいんですよ」
アリエスはもう食べ終わりそうだった。
「もう一個食べてもいい?」
「え、まだ食べるの?」
僕が聞くと、アリエスは残っていた卵を食べながら言った。
「だっておいしいんだもん」
「これから器売らなきゃいけないんだから、食べすぎないでよ」
「分かってるって」
ブルナは、少し心配そうにアリエスを見つめている。
店の中には、他にも何人か客がいた。誰も大きな声を出さない。店の人も、必要なことだけ話している。
静かだ。すごく落ち着く。外から朝の光が差し込んで、棚に並んだ籠の影が床に落ちていた。
「ごちそうさまでした」
ブルナが立ち上がる。
「ありがとうございました。気をつけて行ってらっしゃい」
「はい」
僕たちは店を出た。朝の空気はまだ少し冷たかった。アリエスが歩きながら、さっきの卵を思い出すように呟いた。
「また食べたいな、あれ」
「いつでも来れるよ」
ブルナが答える。
「うん!」
アリエスが笑う。僕たちはそのまま、器を売る場所へ向かって歩き始めた。




