50話 『心がほどける温度』
それから、しばらくして――
「できた!」
アリエスの声が工房に響いた。僕が顔を上げると、アリエスが嬉しそうに自分の器を持ち上げていた。
「もうできたの?」
「うん! ほら!」
まだ少し歪んでいるところはあるけれど、ちゃんと器の形になっている。
「早いな……」
「でしょ?」
アリエスは得意そうに笑った。
「私が一番!」
「まあ……そうだね」
僕も手元の器を見た。
「僕も、できた」
アリエスほどではないけれど、僕もなんとか形にすることができた。
「ラッサルもできたんだ!」
「うん。思ったより難しかったけど」
「私のほうが早かったね!」
「それはもう分かったって」
そんなやり取りをしていると、アリエスがふと隣を見る。
「……あれ?」
ブルナはまだ作業を続けていた。黙ったまま、器の形を少しずつ整えている。
「ブルナ、まだ?」
「うん」
「遅いよ!」
アリエスが笑う。けれど、ブルナは気にした様子もなく、ただ自分の器を見つめていた。
「うん」
それだけ答えて、また手を動かす。それから少しして――
「できた」
ブルナが静かに手を止めた。三人の器が、作業台の上に並んだ。
「おお……」
僕は思わず声を漏らした。
アリエスの器も、ちゃんと器になっている。僕のものも、特に変なところはない。そしてブルナの器は――まだ焼いていないから、完成した姿は分からない。
どれも、まだ土の色をしていて、少し湿ったような匂いが残っている。
「これ、どうするの?」
アリエスが自分の器を覗き込む。
「焼くんだよ」
バルドが答えた。
「焼いたら、使えるようになるの?」
「ああ。ただし、ちゃんと焼ければな」
「ちゃんと?」
「土ってのは、焼けば何でも器になるわけじゃねえ。乾かし方とか、土の状態とか、いろいろある」
そう言って、バルドは三人の器を一つずつ手に取った。アリエスの器。僕の器。そして、ブルナの器。
「……どうなるかは、出来てからのお楽しみだ」
バルドが呟く。そしてそのまま焼くための場所へ運んでいく。僕たちも手伝った。器は、工房の奥にある窯の中へ入れられた。扉が閉じられる。
しばらくすると、窯の周りにじんわりと熱が広がってきた。
「これで、あとは待つだけ?」
アリエスが聞く。
「ああ」
バルドが頷く。
「すぐには出せねえぞ。冷めるまで時間がかかる」
「そっか……」
アリエスが窯をじっと見つめる。
「ちゃんとできてるかな」
「たぶん大丈夫だよ」
僕が言うと、アリエスが笑顔を見せた。バルドが横目で見ながら大きく伸びをする。
「よし。まだ時間かかるし、いったん休憩にするか」
そう言って、工房の隅に置いてあった袋を持ってくる。
「そういや、買い出しのついでに菓子も買ってきたんだった」
「お菓子!?」
アリエスが椅子から身を乗り出す。
「ちょっと待てって。まだ出してねえだろ」
「だって気になるじゃん!」
バルドは苦笑しながら袋を開いた。中から出てきたのは、小さな紙袋だった。
「地の国の菓子だ。こがね実っていう」
「……こがね実?」
僕が覗き込む。紙袋の中には、丸い木の実や細長いものがいくつか入っていた。表面には薄く蜜が絡んでいて、ところどころ砂糖が焼けて固まっている。
「甘そう……」
アリエスの目が輝いた。
「まだ食べるなよ」
「えー」
「茶が先だ」
「お茶?」
バルドの言葉で、ブルナが立ち上がった。
「待って。今淹れる」
ブルナは作業台の端に置いてあった小さな箱を持ってきた。蓋を開けると、中には乾いた茶葉が入っている。
僕には、どれも同じように見えた。
けれどブルナは少しだけ顔を近づけて、その匂いを確かめた。それから小さな匙で茶葉をすくう。一杯。もう一度。今度は少しだけ量を減らした。
「……そんなに変わるの?」
思わず聞くと、ブルナがこっちを見る。
「何が?」
「その……量」
「変わるよ」
ブルナは当然のように答えた。
「多いと苦くなるし、少ないと香りが弱くなるから」
「へえ……」
ブルナはそれ以上説明せず、茶葉を急須のような器に入れた。それから湯を注ぐ。トトト、と小気味よい音を立てて湯が注がれ、じわりと茶葉がひらいていく。
白い湯気がゆっくり立ち上った。さっきまで土の匂いが残っていた工房に、今度は柔らかな香りが広がっていく。草のような、木のような――少し甘くて、落ち着く匂いだった。
ブルナは器をじっと見ている。すぐには動かない。何かを待っているようだった。
「まだー?」
アリエスが小声で聞く。
「まだ」
「あとどれくらい?」
「もう少し」
「少しってどのくらい?」
「少しは少し」
「むー」
アリエスが頬を膨らませる。ブルナはそんなアリエスを気にすることなく、湯気の向こうでじっと待っていた。やがて、小さく頷く。
「……うん」
ブルナが茶を四つのカップに注いでいく。薄い湯気が、それぞれのカップから立ち上った。
「はい」
僕の前にも一つ置かれる。
「ありがとう」
両手でカップを持つ。じんわりとした温かさが、手のひらに伝わってきた。指先まで冷えていたわけじゃない。それでも、その温度が妙に心地よかった。
「いただきます!」
アリエスがこがね実を一つ手に取った。
「……いい匂い」
鼻を近づけて、少しだけ匂いを嗅ぐ。
「これ、甘そうだね」
「お茶と一緒に食べると、もっといいぞ」
バルドが言った。
「へえ」
アリエスが嬉しそうに笑って、こがね実を口に入れる。カリッと木の実が割れる音。
「……おいしい!」
アリエスの顔がぱっと明るくなった。僕も一つ取って口に入れる。
甘い。でも、くどくない。焼かれた蜜の香ばしさと、木の実の少しだけほろ苦い味が混ざっている。噛むたびに、じんわりと甘さが広がっていく。
お茶を一口飲む。さっきまで口の中に残っていた甘さが、すっと流れていった。
「……これ、合うな」
つい、声に出る。
「だろ?」
バルドが満足そうに笑う。僕はもう一度、カップを口に運んだ。温かい。香りも柔らかい。
それに、さっきまで粘土を触っていたせいか、土の匂いがまだ指先に残っている。その匂いと、お茶の香りが混ざって、不思議なくらい落ち着いた。
向かいを見ると、ブルナもゆっくりとお茶を飲んでいた。仕事をしているときとは、少しだけ違う。肩の力が抜けている。
こがね実を一つつまんで、ゆっくり噛む。そのあと、もう一度お茶を飲む。急がない。何かを確認するように、味わっている。
「……いいね」
「ん?」
「こういうの、なんか落ち着く」
僕が言うと、ブルナはカップを両手で持ったまま、少しだけ考えた。
「うん」
短い返事。でも、その声はいつもより柔らかかった。ブルナはこがね実を見つめる。
「私も、こういう時間好き」
そう言って、ほんの少しだけ口元を緩めた。僕は、その表情を見ていた。
昨日までのブルナは、壊れた器を前にしていた。触れることを怖がっていて、何かを失うことを恐れているように見えた。でも今は――
温かいカップを手に持って、甘いこがね実をゆっくり味わっている。ほんの小さな時間なのに、それを大切にしている。
「そういえば」
僕はカップを置いた。
「ブルナって、この工房でずっと働いてるの?」
「うん」
「ここで器を作って、売ってる?」
「そう」
ブルナは答えながら、テーブルナの端に置かれていた小さな紙を手に取った。
「作って、焼いて、売る。売ったら材料を買って、また作る」
「ちゃんと全部、自分で管理してるんだ」
「うん」
「大変じゃない?」
「慣れてるから」
ブルナは紙に書かれた数字を一度見て、それから小さく頷いた。
「材料がどれだけあるか分かってると安心するし。売れた数も、お金も、ちゃんと分かってたほうがいいから」
「……安心、か」
「うん」
ブルナは何でもないことのように答える。その言葉を聞いて、僕は朝に見た棚を思い出した。
ぎっしり並んだ予備の道具。たくさんの粘土。同じものが何個も並んでいた棚。そして、さっきの陶器作り。
ブルナは、何でも自分の中で分かるようにしている。同じ手順で作って。必要なものを前もって用意して。作ったものを数えて。売ったものを記録する。
そうしておけば、ブルナは安心できるのかもしれない。
「ブルナって、きっちりしてるよね」
「そう?」
「うん」
「普通だと思うけど」
「いやいや」
アリエスが木の実を食べながら首を振る。
「私はそんなに数えたりしないよ」
「知ってる」
ブルナが即答した。
「え、なんで!?」
「見てれば分かるから」
アリエスが頬を膨らませる。
「失礼だな!」
バルドが声を上げて笑った。僕もつられて笑う。工房の中に、明るい声が響いた。
さっきまで粘土をこねていた手は、今は温かいカップを包んでいる。土の匂い。焼けた蜜の香り。口の中に残る、ほんのりした甘さ。そして、手のひらに伝わる温かさ。
何か特別なことをしているわけじゃない。ただ、お茶を飲んで、お菓子を食べているだけ。それなのに――不思議と、心がゆっくりほどけていくような気がした。
僕はもう一つだけ、こがね実をつまんだ。




