【第六章 白羊の魔法使い】 三十話 『行かなきゃ、後悔する』
祭りの通りは、まだ夜の入り口だった。火の国の夜は早い。でも、この時間だけは、昼の名残が残っている。
人の流れに身を任せながら、僕はアリエスの少し後ろを歩いていた。屋台の明かりが、赤や橙に揺れて、砂の上に影を落とす。
「ね、楽しい?」
振り返って聞かれる。アリエスは、こういう夜が好きみたいだ。屋台の火を見るたび、目がきらきら輝いている。
「……うん。楽しい、と思う」
答えながら、少しだけ考える。音も、匂いも、光も、はっきりしていた。なのに、ひとつだけ、何かが足りない気がした。でも、それが何なのかは、まだ言葉にできなかった。
「願いランタンだよー。残り二つ」
商人が灯籠を揺らして近づいてくる。
「あっついねえ。恋人かい?」
「ち、違っ……!」
アリエスが赤くなって否定する。
「ラッサルは、旅の仲間!」
「そうかい。まあでも、ちょうど二つだし、君らにあげるよ」
「えっ、いいの!? ありがとう!」
そう言って、アリエスは笑顔で受け取る。その明るい顔を見ているのに、胸の中のざわつきは消えなかった。あの少年の言葉が、まだ離れない。
「アリエス……」
声が震える。言葉が出る前に、視線が地面に落ちた。
「僕、行かなきゃ」
アリエスの瞳が揺れた。
胸の奥で、小さな火種がかすかに燃えている。頭の中で思い返す。屋台の前。通りの奥。人の流れ。何度確認しても、昼間の少年の姿だけが抜け落ちている。
用がある。そう言っていた。祭りを見られない子だって、きっといる。そう思おうとするたび、心のどこかで何かが引っかかった。
「――あの子、行ったままなんだ」
そう言葉にした瞬間、もう引けない気がした。祭りの明かりが、やけに遠く見える。ランタンの光が、現実感を失っていく。
楽しいはずの夜に、自分だけが取り残されている気がした。足元の砂が、まだ昼の熱を残している。その感触が、妙に生々しくて、現実を突きつけてくる。
「行かなきゃ、後悔する」
考えたわけじゃない。喉の奥から勝手に出た言葉だった。もし、また何もできなかったら。もし、探しに行かない理由を選んだら。その後で、どんなに後悔しても、この胸のざわつきは、きっと一生消えない。
祭りの通りの先に、暗い路地の入り口が見えた。光と影の切れ目。向こう側は、たぶん楽しくない。少しだけ、足が止まりそうになる。それでも――。
胸の中の火が、少しだけ大きくなる。派手じゃない。誇れるほど強くもない。でも、進めって言ってる気がする。息を吸う。夜の空気が、少し冷たい。
僕は一歩、踏み出した。すると咄嗟にアリエスが僕の腕を掴む。
「ちょっと! どこ行くの?」
「探しに行く」
「探すって、どうやって……」
アリエスが眉を寄せる。……なんて返せばいいのか、わからない。
「ごめん、すぐ戻るから!」
「ちょっと待って! ランタン――」
「アリエスが持ってて!」
振り切って走り出す。火花の音も、笑い声も、全部後ろへ遠ざかる。砂を蹴るたび、靴裏が熱を拾った。
「――待ってて! すぐ追いつくから!」
アリエスの声が背中に届いたけれど、振り返らなかった。振り返ったら、足が止まりそうで――。




