二十五話 『昨日とは違う』
広場の端で息を整えながら、視線がふと通りの方へ向く。……音がする。瓶とか、金属とか、そんなものが擦れ合うような、不穏な音。
「……どうかした?」
アリエスが気づく。
「いや、今、変な音しなかった?」
「え? 音?」
「うん。なんていうか、ギシギシって感じの」
「うーん、なんだろ。まあ、祭り前って騒がしいし、そういうのよくあるよ」
そう言われて頷いたけど、違う気がした。ざわめきの中に、ひとつだけ浮いている音。みぞおちが、ぎゅっと締まる。
木箱を積み終えたところだった。息を整えて顔を上げる。今度は、はっきり聞こえた。車輪のきしむ音だった。
「……ねえ。あれ、危なくない?」
アリエスが目を細めて遠くを見ている。視線の先に、小さな台車が見えた。
荷台の上には、瓶がいくつも積まれている。透明なのから、色つきのものまで。中身はわからないけれど、どれも薄く光を反射して光っていた。
「――あ」
台車を支える、小さな手。焦げ茶の髪に、赤い瞳。……一瞬、息が詰まる。間違いない。昨日の少年だ。彼は歯を食いしばったまま、台車を押している。
道の継ぎ目に差しかかった瞬間、車輪が小さく跳ねた。瓶が、ゴトッと嫌な音を立てる。
「……っ」
そのとき、台車がぐらっと傾いた。考えるより先に、体が動く。僕は一歩、踏み出して、台車の横に手を伸ばす。
「触んな!」
支える前に、少年が叫んだ。弾くように言われて、手が止まる。でも、瓶は待ってくれない。上のほうが、ゆっくり倒れかけている。
「……落ちる!」
その一言だけ言って、僕は支えた。ガラス同士が擦れて、ひやっとする。でも、倒れない。ぎりぎりで、台車は戻った。一瞬、静かになる。少年は台車の取っ手を握ったまま、肩で息をしていた。
「余計なことすんなよ!」
昨日と同じだ。強い声。でも、最後が少しだけ乱れている。
「ごめ――」
「だから、謝んなって!」
即座に返されて、言葉が喉で止まる。瓶がまだ小さく揺れている。僕は手を離して、一歩下がった。
「……落ちそうだったから」
それだけ言う。少年はこっちを睨んでから、ぷいっと顔を逸らした。でも、台車を押す手は、さっきより少し緩んでいた。
「きみ、大丈夫?」
横から、アリエスが声をかける。少年はびくっとして、また強く押し返す。
「だから、そう言ってんだろ!」
「でも、瓶、重そうだよ」
「重くねぇし!」
言い切った直後、台車が少しだけ軋んだ。そのとき、近くで作業していた女の人が、ちらっとこっちを見た。
「あれ、この辺じゃ、あんまり見かけない子だね」
――サラサだった。少年は、一瞬だけ黙る。それから、ぶっきらぼうに答えた。
「……隣町から来た」
「えっ、隣町から? わざわざ、ありがとね。助かるよ」
サラサはそう言って、また自分の作業に戻った。少年は、少しだけ顔を赤らめた。
「……おれ、忙しいから。じゃあな」
小さく吐き捨てるみたいに言うと、少年は台車を押し出す。通りの先へ向かう背中は、昨日より少しだけ前のめりだった。瓶の音が遠ざかっていく。
僕はその場に立ったまま、手のひらを見る。さっきの感触が、まだ残っていた。
「相変わらず、だね」
アリエスが、ぽつりと言う。
「……うん」
強がりで、危なっかしくて……それでも、必死だった。
台車が完全に見えなくなってからも、しばらくその場を動けなかった。助けたってほどじゃない。でも、何もしなかったら――たぶん、後悔してた。
「……昨日より、無理してた気がする」
ぽつりと漏れる。
「うん」
アリエスは、それだけ答えた。
自分で言った言葉が、頭に残る。――無理してた。あの少年だけじゃない。昨日の自分も、少し重なった。




