【第3章 火口の奥の神殿】 13話 『古びた小袋』
目を覚ますと、体が重かった。壁にもたれたまま寝ていたみたいだ。窓の方だけがやけに明るい。……もう朝らしい。
ベッドを見ると、アリエスは小さく寝息を立てて眠っていた。昨日の疲れがまだ残っているのかもしれない。起こさないように気をつけながら、そっと立ち上がって部屋を出る。
一階から小さな音が聞こえた。金属が軽く当たる音と、油がはねる音。香ばしい匂いがして、思わず腹が鳴る。階段を下りるほど、その匂いと音がはっきりしてくる。
台所で、アリエスのお母さんがフライパンを振っていた。焼き色のついたパンが皿に並んでいく。
「あら、おはよう」
気配に気づいたのか、振り返ってにこっと笑う。
「眠れた?」
「はい……すごく」
素直にそう答えた。久しぶりに、何にも追われずに眠れた夜だった。ちょうどそのとき、上からばたばたと足音がして、アリエスが駆け降りてきた。
「ラッサル、おはよう! 起きるの早いね」
寝癖のついた髪を揺らして、満面の笑みを向けてくる。
外から、街の音がかすかに届く。遠くで鍛冶の音がして、誰かの笑い声が通りを抜けていった。
「二人とも。ちょっと、いいかしら」
アリエスのお母さんが手を止めて、こっちを見た。
「明日、この町で、火を讃える小さな祭りがあるんだけど――」
そう言ってから少し考えるようにしたあと、再び続ける。
「その準備で、少し足りないものが出てきてしまったの」
机の上に、小さな袋が置かれた。
「鉱石と香木。それから……」
古びた小袋を軽く押し出す。
「これに、色砂を集めてきてほしいの。神殿の近くなら、まだ残ってるはずだから」
その言葉で、ほんの一瞬だけ息が詰まった。
昨日、香辛料屋で耳にした『行ったまま帰ってこない』という不穏な噂が、一気に頭の中で弾けた。
それだけじゃない。あの灰色の男の『この町に関わらない方がいい』という冷たい警告までが、耳の奥で蘇ってくる。
視線を落とすと、お母さんが差し出した小袋は、どこかくすんで見えた。
……まさか、昨日言いかけていたアリエスのおばあちゃんのものなのだろうか。はっきりしないのに、妙に引っかかる言葉とモノばかりだった。
「わかった」
アリエスが、いつもの調子で言う。
「ラッサル。行こ?」
明るくて、迷いのない声だった。そのままアリエスは、思いついたものを手当たり次第に集め始める。
袋を引っ張り出して、水筒を入れる。布をぱっと掴んで、「これもいるかも」と言いながら――どんどん増えていく。
「……それ、重くない?」
思わず聞く。
「え? あ、たしかに」
一瞬だけ手を止めて、自分の荷物を見下ろす。
「ま、いけるでしょ!」
結局そのまま、また詰め込み始めた。
僕は自分の荷物に目を落とす。何をどれだけ持てばいいのか、正直よくわからない。手が止まる。
その様子に気づいたのか、アリエスがひょいと顔をのぞき込んできた。
「もしかして、心配?」
「……少し」
そう答えると、アリエスはくすっと笑う。
「そんな顔しなくても大丈夫だよ」
軽い調子で言って、そのまままた準備に戻っていった。不安なんて、最初からなかったみたいな顔をしている。そういうところが、素直にすごいと思った。
家を出る前、アリエスのお母さんが扉の前で手を止めた。
「無理はしないでね。何かあったら、すぐ引き返すこと」
やわらかい声だった。でも、その言葉だけがなぜか重く残る。
外から差し込む光がやけに明るくて、思わず目を細めた。さっきまでいた家の中の空気が、急に遠くなる。




