80. 潜入行動
聖啓院は、いくつものゴシック様式の尖塔が連なる建物だった。塔ごとに研究部門が分かれていて、正門には衛兵と、さらに身分の高そうな兵士たちが詰めている。
中へ入ると、大広間のいくつもの扉の脇にも、それぞれ別の衛兵が立っていた。
グレンとソーンは、教皇服をまとった男が衛兵に徽章を見せているのを見つけると、慌てて顔を背けた。衛兵が扉を開け、その教皇を中へ通したのを見届けてから、二人は前へ進み出る。
「中央研究塔だ」
ソーンが徽章を差し出すと、衛兵はじっくりと目を通した。
「狩魔師様。中央研究塔へは、どのようなご用件でしょうか?」
「定期の安全点検だ」
ソーンは冷ややかに答え、紫の瞳でまっすぐ衛兵を見据えた
「最近、大教皇様が警備強化を望んでいるのは知ってるだろ?」
「はい、狩魔師様。どうぞこちらへ」
衛兵は脇の別の扉を開け、二人を通した。
中央研究塔のホールは吹き抜けになっていて、壁一面に肖像画が飾られていた。
誰の肖像なのかは分からないが、グレンにはどれもいかにもサマンらしく見えた。どう表現すればいいのだろう。
ただ、誰も彼もが厳かで、近寄りがたい顔をしているのだ。
二人は足早に紫色の絨毯が敷かれた階段へ向かい、そのまま最上階を目指した。
あそこまで行けば、黄の匣がある研究室だ。
平静を装いながらも、胸の鼓動は速くなる。
塔の中では何人もの衛兵とすれ違ったが、サマンの狩魔師の装束を着たグレンとソーンを見ても、不審がる者は一人もいなかった。
「順調じゃねぇか。五十分もありゃ、黄の匣のすり替えなんて余裕だろ」
ソーンが小声で言った。
やがて最上階へ辿り着く。階段を上がると左右に小さなバルコニーがあり、その中央には重々しい鉄扉が据えられていた。
あの向こうが、黄の匣のある部屋。
あとは中へ入り、偽物と本物を入れ替え、本物を持って来た道を引き返すだけ――。
「狩魔師様? 申し訳ありません、その先には入れません」
突然、背後から声が飛んだ。
グレンの手が、鉄扉の取っ手に触れたまま止まる。振り返ると、一人の衛兵が立っていた。
「お、俺たちは定期の安全点検に来たんだ」
ソーンが慌てて言う。
「……魔獣について、でしょうか?」
衛兵は怪訝そうに首を傾げた。
「そうだ。この重要施設に魔獣が侵入しないよう確認する必要がある」
「なるほど……では、お二人は中央研究室へ?」
「もちろん。それも点検の一環だ」
ソーンは必死で平静を装った。
「うーん……ですが、それでしたらイートン博士がお戻りになってからの方が……」
「俺たちだって、教皇方から山ほど仕事を任されてるんだ。今じゃ駄目なのか?」
「申し訳ありません。イートン博士は、ご自身がお戻りになってから点検していただきたいと仰ると思います」
「だが――」
「狩魔師様にはお手数をおかけしますが、イートン博士は昼食に出られただけです。すぐ戻られますので。それとも、先に別の場所をご巡察なさいますか?」
グレンはソーンへ目配せした。これ以上、この衛兵と押し問答を続けるべきじゃない。
「……分かった。先に下の階を見て回る」
ソーンは渋々そう答えた。
二人は不満げな顔を作りながら一つ下の階へ降りる。
そこの研究室は扉が開いていて、中には机と椅子、それに黒板が置かれているだけだった。
グレンは窓辺へ歩み寄り、身を乗り出して上を見上げる。中央研究室は、ちょうど真上だった。
「ここから行けるかもしれない」
彼はソーンへ囁いた
「上の窓、見えるか? あそこから入り込んで、黄の匣を取るんだ」
「それしかねぇな!」
時間は限られている。二人は窓枠へ足をかけ、上縁にしがみつきながら体を外へ乗り出した。そして、小刀を石壁の隙間へ突き刺し、手足を使って壁をよじ登っていく。
先に窓台へ辿り着いたソーンは、固く閉まった窓を押してみた。
……鍵は掛かっていない。
二人は窓枠を掴み、壁を足で力強く蹴り上げるとその反動を利用して、中央研究室の中へと滑り込んだ。
部屋は思ったより狭かった。壁際には天井まで届く本棚が並び、その全てが本で埋め尽くされている。
高い場所の本を取るための梯子があり、窓の正面には執務机、その奥には大きな作業台が置かれていた。
作業台には工具や書類、虫眼鏡、フラスコが雑然と並び――。
その混沌の真ん中に。ついに、黄の匣があった。
やっとだ。
あれほど追い求めてきた黄の匣が、今は手を伸ばせば届く場所にある。
胸の高鳴りを抑えきれない。
あと数秒。それだけで任務は終わる。
その時、窓の外から鐘の音が鳴り響き、二人は我に返った。
ソーンは急いで懐から偽物の黄の匣を取り出す。本物と並べて見比べて、二人は改めて息を呑んだ。
この偽物、本当に精巧すぎる。
大きさも寸法も完全に同じ。表面を埋め尽くす無数の紋様も、本物と見分けがつかない。色合いも、金属の艶も、まるで瓜二つだった。
「職人ってすげぇな……本当に、まったく同じ黄の匣を作っちまった」
グレンが感嘆の声を漏らす
「これならデイモン・ウォーカーでも、しばらく気づかねぇだろ。下手すりゃ、開ける時まで分からないかもな」
ソーンは笑いながら、本物の黄の匣を持ち上げた。だが、その表情が一瞬で曇る。
「どうした?」
グレンが尋ねる。
「……なんだろう。妙なんだ。お前も持ってみろ」
グレンは本物の黄の匣を受け取った。その瞬間、血の気が引く。
見た目はほとんど同じ。だが、手に伝わる重さが違う。本物の黄の匣の方が、明らかに重い。
自分たちでさえ気づくほどの差だ。なら、デイモン・ウォーカーが気づくのも時間の問題だろう。
二人は顔を見合わせた。
「仕方ねぇ」
グレンが言った
「向こうが気づく頃には、俺たちが大神殿区を抜けてるって賭けるしかない」
ソーンは黙って頷く。偽物を素早く本物のあった場所へ置き、向きまで寸分違わず整える。そして本物の黄の匣をしまい込み、足早に扉へ向かった。
――その時。
扉の向こうで、誰かが取っ手を回す音がした。
ソーンは全身の血が凍りつくのを感じた。
隣を見ると、グレンもまた、真っ青な顔でその場に立ち尽くしていた。
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