79. すり替えの計!
まだ夜も明けきらない頃には、エリオとアレクはすでに庭師の服へ着替え終え、大神殿区の裏門から中へ入る準備を整えていた。
普段、裏庭の手入れを任されている庭師の親子は、ヘイゼルの協力者でもある。
二人は身分証代わりの徽章と庭師の作業着をアレクたちへ差し出した。
今日一日、その身分をエリオとアレクが借り受けるのだ。
作戦はこうだ。
ヘイゼルが密かに、本物と寸分違わぬ見た目の黄の匣を作らせ、それをアレクへ託した。
その偽物の黄の匣を、植木や植木鉢を山ほど積んだ荷車に隠し、行商人に扮したソーン、グレン、フレデリックが正門から大神殿区へ運び込む。
一方、アレクとエリオは裏庭で彼らと合流する手はずだった。
「本物の黄の匣が保管されてる聖啓院には、最近になって狩魔師の警備が増やされた。こいつは絶好の機会だ」
前夜、アレクは手短に作戦を説明していた。
「ってことは、こっちの人間もサマンの狩魔師に化けて堂々と聖啓院へ入れる。本物を偽物とすり替えるんだ」
「でも、もともと聖啓院を守ってる兵士たちに、俺たちが偽物だって気づかれないか?」
エリオが尋ねる。
「大丈夫だ。俺たちが掴んでる情報じゃ、サマンの狩魔師と一般兵は完全に別組織だ。普段から合同訓練もしないし、共闘することもほとんどない」
アレクは迷いなく答えた
「だから、サマンの狩魔師の服を着て、紫のプルプラの目をしてれば、兵士たちは自然と『サマンの狩魔師だ』って思い込む」
「じゃあ、聖啓院には誰が入るんだ?」
ソーンが聞いた。
「大勢で行くと怪しまれる。それにエリオのオッドアイは目立ちすぎる」
アレクは皆を見回した
「だから、サマンの狩魔師に化けるのはグレンとソーンだ。
俺とエリオは庭師に変装して裏庭で支援する。フレデリックは荷車を守れ」
そして、コーディアとミレイナへ視線を向けた。
「二人は宿屋に残って様子を見ててくれ。市が終わっても俺たちが戻らなかったら、すぐにザヒールへ連絡を取るんだ。もっと最悪の事態になったら……お前たちだけでも先にザヒールへ戻れ」
アレクは話し終えると、全員の顔を見渡した。
「他に質問は?」
少し間を置いて続ける。
「あと数時間したら、俺とエリオが先に庭師に化けて出発する。あとは全員、それぞれの役目を果たしてくれ。
この作戦は、一発で成功させなきゃならない。黄の匣を手に入れたら、できるだけ早くサマンを離脱する」
その目が鋭く細められる。
「デイモン・ウォーカーは馬鹿じゃない。黄の匣がすり替えられたことには、すぐ気づくはずだからな」
皆は静かに頷いた。それぞれが、自分に課せられた役目を胸の中でもう一度なぞりながら。
まだ夜も明けきらない早朝。庭師に変装したアレクとエリオは、大神殿区の裏門へと到着していた。
高くそびえる城壁の下には大きな門があるが、彼らが向かうのは脇にある小さな通用門だ。そこには衛兵が一人だけ立っていた。
エリオはそっと俯いた。自身の、あの紫色の左目が過剰に人目を引いてしまうことを望まなかったのだ。
幸い、早朝の光線はまだ薄暗く、衛兵もこの朝のルーティンには慣れきっているらしかった。
胸元の徽章を確認すると、手早く二人の身体検査を済ませ、そのまま裏庭へ通した。
サマン大聖堂の裏庭は息を呑むほど美しかった。エリオの知らない花や草木があちこちに植えられ、その多くは南方のザヒールでは見かけない品種ばかりだ。
周囲には高い杉の木が整然と並び、その中央には丁寧に刈り込まれた花壇が広がっている。
アレクとエリオは、いかにも庭師らしく仕事を始めた。
鍬や熊手で土を掘り返し、大きな剪定鋏で適当に枝を切っていく。
広い裏庭へ人が来ることはほとんどなく、遠くに門番が見える程度だった。
しかも、この大神殿区でも最下層の使用人である庭師など、衛兵にとっては視界にも入らない存在らしい。
裏庭の正面には、五階建てほどの建物がずらりと並んでいた。無数の窓が並ぶその建物を見上げながら、アレクは何気ない顔で木立の下を歩いていく。
落ち葉を掃き集めながら、心の中で数を数えた。
一、二、三、四、五……
十三。
左から十三本目の木の根元。
そこに、ザヒール軍の暗号が刻まれた小石が置かれていた。
アレクは小さなシャベルで慎重に土を掘る。すると、その下からヘイゼルの残した小さな紙片が現れた。
紙を開く。そこには簡素な聖啓院の見取り図が描かれていた。
そして、その地図によれば――黄の匣は、聖啓院最上階の中央研究室に保管されている。
アレクは懐中時計を取り出した。ちょうど聖啓院の狩魔師たちが交代する頃合いだ。
彼は聖啓院へ向かう。
入口には、黒い外套を羽織ったサマンの狩魔師が二人、雑談をしていた。
アレクは服を少し乱し、髪も手でぐしゃぐしゃにする。そして大きく息を吸った。
「た、大変です! 大変です!!」
取り乱した声を上げながら、二人へ駆け寄る。
「ど、どうか来てください! 魔獣です! 魔獣が出たんです!」
「何だ?」
話を邪魔された狩魔師の一人が、不機嫌そうに眉をひそめた。
「裏庭です! 魔獣が……! お願いです、見に来てください!」
アレクは悲鳴のように叫ぶ。
「魔獣だと?」
二人は顔を見合わせた
「……よし、案内しろ」
アレクに連れられ、二人は裏庭へ向かった。そこには誰もいなかった。だが、一角の花壇だけが妙に目を引いた。
周囲は綺麗に刈り揃えられているのに、その場所だけは無残に踏み荒らされ、まるで何者かが暴れ回ったようになっている。
いや。まるで魔獣に踏み潰されたかのようだった。
一人の狩魔師が近づき、身を屈める。
その時だった。背後で鈍い音が響く。
振り返ると、アレクが相棒を一撃で昏倒させていた。
あまりにも鮮やかな手際で、何をされたのかさえ分からない。
男が状況を理解するより早く。
後頭部へ重い一撃が叩き込まれた。声を上げる間もなく、その場へ崩れ落ちる。
「上出来だ」
アレクはエリオを見て頷いた。
二人で気絶した狩魔師を木陰の茂みまで運び込む。
そしてエリオは、そのまま市へ向かって歩き出した。
やがて、グレンとソーンが裏庭へ姿を現す。アレクはすぐに狩魔師の制服を二人へ手渡した。
「簡単な地図だ。よく聞け」
彼は低い声で言う
「五分後には、聖啓院の研究員たちが食事のため別棟へ移動する。
デイモン・ウォーカー……この国じゃイートン博士って呼ばれてる男も、一緒に出ていく。食事はだいたい五十分。その間に黄の匣をすり替えろ。
俺とエリオは外で見張る。もし細長い鳥の鳴き声が三回聞こえたら、状況が異常である証拠だ。一刻も早くそこから撤退しなければならない」
グレンとソーンは頷いた。
植木鉢の中へ隠してあった偽物の黄の匣を取り出し、ソーンの服の下へ慎重に忍ばせる。その上から狩魔師の外套の留め具をすべて留めた。
幸い、この寒さなら前をきっちり閉じていても不自然ではない。
いよいよ作戦開始だ。
遠くで研究員たちが次々と聖啓院を出てくる。その列の中には、デイモン・ウォーカーの姿もあった。
グレンは掌にじっとりと汗を感じる。ソーンは全身の筋肉が張り詰めるのを感じていた。
二人は互いに頷き合う。深く息を吸い込み、大股で聖啓院へ向かった。
「さて。こっちも後始末をしないとな」
アレクがエリオを見た
「この二人、魔獣に襲われたように見せなきゃならない」
「でも、どうするんだ?」
エリオが首を傾げる。
「これ、見えるか?」
アレクは近くに置いてあった園芸用の熊手を指差した。鋭い鉄の爪が、朝日にぎらりと光る。
「魔獣の爪痕に、そっくりだと思わないか?」
悪戯っぽく笑った。
二人は気絶したサマンの狩魔師へ熊手を振るい、深く、それでいて命に関わらない傷を刻んでいった。巨大な魔獣が鋭い爪で引き裂いたような傷跡だった。
そして、その一部始終は驚くほど順調に進んだ。裏門の衛兵は、裏庭で何が起きているのかなど、気にも留めていない。
まさにヘイゼルの読み通りだった。
身分の差が絶対のサマン大神殿区では――
誰一人として、最下層の庭師が何をしているかなど、気にする者はいなかった。
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