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66. 宿屋での対峙

エリオは嫌な予感を覚えていた。


村人たちが持っているのは剣でも槍でもない。

それでも、鉄のスコップやシャベル、木の棒を手にした者たちが次々と集まり、自分たちを取り囲み始めている。


状況は間違いなく良くなかった。



◆ ◆ ◆



ミレイナがいなくなったと分かった瞬間、全員の胸に嫌な予感が走った。


こんな見知らぬ国で、ミレイナが勝手に単独行動するはずがない。

誰かに連れ去られた。そう考えるのが自然だった。

だが――なぜだ?


ミレイナの荷物も服も金も佩剣も、何一つなくなっていない。

消えたのは本人だけだった。


「もしかしたら、お仲間の方は早朝に散歩へ出かけられたのかもしれませんよ?」

宿屋の主人が言った。


「ですが、このお嬢さんが中から鍵を掛けてしまった。

戻ってきても部屋へ入れなかったので、またどこかを歩いておられるのかもしれません。もう少し落ち着いて待たれてはいかがですか?」


「私、部屋を内側から閉めたりしてません」

コーディアが主人を見つめて言った。


「いやいや、きっと忘れているだけですよ」

主人は穏やかに笑った

「部屋にはお嬢さんしかいなかったんです。他にあの鍵を掛けられる人なんていませんからね」


「つまり、お前は早朝か夜中に、行方不明になった彼女がこの宿を出ていくのを見たのか?」

アレクが尋ねる。


主人は肩をすくめた。

「さあて。宿を経営しておりますと色々忙しいものでしてね。誰が出入りしたかなんて逐一見ていられませんよ」


そう言ってから続ける。

「ただ、宿の従業員が、お仲間の女性が一人で出ていくのを見たと言っておりました」


――嘘だ。

アレクは確信した。


声色は落ち着いている。だが長年の経験が告げていた。この男は何かを隠している。

そしてミレイナが任務中に何も言わず姿を消すなど、絶対にあり得ない。


「その友達、黒の森へ迷い込んだんじゃねぇか?」

横にいたサマンの村人が口を挟んだ。


「朝に散歩しようとして獣に襲われたのかもな」


「そうそう。あの森は本当に危険だからなぁ」


周囲の村人たちも次々と同調する。


「ですのでね、大人様」

宿屋の主人は作り笑いを浮かべながらアレクへ向き直った

「お仲間が行方不明になられたことはお気の毒ですが、私どもにはどうすることもできません」


その時だった。エリオがふと思い出したように口を開く。

「二階には部屋がいくつあるんだ?」


「……何です?」

主人が眉をひそめる

「全部で十部屋だ」


「じゃあ昨日の宿泊客は?」


「君たち七人だけだ」


エリオは眉をひそめた。

「じゃあ、俺たちが寝た後に誰かが二階へ上がる理由なんてないよな?」


主人は即座に答える。

「お客様、我々は宿泊客の邪魔などいたしません。従業員が案内した後はすぐ下へ戻りました。それ以降、誰も二階には上がっておりません」


エリオは主人に背を向け、小声でアレクへ言った。

「ブレイ団長、この人は嘘をついてます。夜中だったと思うけど、俺は確かに二階の廊下で足音を聞いたんです。誰かが上に来てました」


「ああ」

アレクは頷く。

「俺も何か隠していると思う。それにもう一つ妙なことがある。コーディアの今朝の様子だ。まるで昏睡していたみたいだった」


「それに私、本当に部屋を内側から閉めた記憶がありません」

コーディアも加わった。


「宿の主人の話だと、ミレイナさんが夜中か早朝に出て行った後、私が内側から鍵を掛けたことになります。でも、それはあり得ません」

彼女は真剣な表情で続ける。

「皆さんに揺り起こされるまで、ずっと深い眠りの中にいた感覚なんです」


「どんな眠り方だった?」

アレクが尋ねた。


コーディアは少し考え込む。

本で読んだ知識を頭の中から探り――


そして、はっと顔を上げた。

「……睡眠草です」


彼女は静かに言った。

「寒い雪原で育つ植物です。花びらを熱湯に浸して飲むと、数時間は目覚めないほど深く眠ってしまいます」


少し間を置く。

「皆さんのお話通りなら……可能性はあります」


「昨日の花茶だ!」

エリオが息を呑んだ

「シチューもハムも大皿で分けて食べた。でも花茶だけは一人一杯ずつ配られてたんだ」


「つまり……」


グレンが必死に情報を繋ぎ合わせる。

「誰かが二人の女の子にだけ薬を盛った。そして眠らせて部屋へ入り、ミレイナを連れ去った。その後で部屋を内側から施錠して、発見を遅らせた……ってことか?」


コーディアが薬を盛られたかもしれない。

その話を聞いてからというもの、アレクの顔色は完全に変わっていた。


冷静さを保ってはいる。だが、その表情は鉄のように青ざめている。


彼は無言のまま部屋へ戻った。

そして考える。

――犯人はどうやって出て行った?


部屋の窓を見る。

サマンへ来た時から気になっていた細長い窓だ。

改めて確認しても、大人が出入りできる大きさではない。


ならば床か。

アレクはしゃがみ込み、木の床を細かく調べ始めた。隠し扉の類がないか探す。

他の者たちも部屋へ入り、一緒に捜索を始めた。


その頃になってようやく、寝ぼけ眼のフレデリックが姿を見せた。

「何があったんだ~?」


大きな欠伸をしながら言う。服も着替えておらず、佩剣すら持っていない。


「ミレイナが誘拐された」

アレクは振り返りもせず答えた

「この宿で。この部屋からだ」


「はぁ!? ミレイナが誘拐!?」

フレデリックは一瞬で目を覚ました。


「お待ちください! お客様!」

宿屋の主人が叫ぶ。

「そのような言い掛かりは困ります! うちは真面目に営業している小さな宿なんですよ!」


アレクは完全に無視した。

椅子を引き寄せて上に乗る。そして天井の調査を始めた。


昼間の光で見ると、天井の木材はかなり古い。無数のひびが走っている。

だが窓が小さいせいで部屋の中は薄暗い。

夜なら天井は完全な闇に紛れてしまうだろう。


アレクは油灯を灯した。慎重に照らし続ける。


すると天井の隅に、不自然なほど真っ直ぐな亀裂を見つけた。

指先でなぞる。その瞬間、確信する。

――取っ手だ。


隙間へ手を差し込む。押してみる。動かない。今度は下へ引いた。


すると木板が大きく傾き、天井裏へ続く隠し扉が姿を現した。


アレクは縁を掴み、そのまま身体を持ち上げる。油灯を掲げて内部を照らした。


そこは広い屋根裏だった。二階全ての客室と繋がっている。

だが窓は一切ない。天窓すら存在しない。外から見ても、この空間の存在は絶対に分からない造りだった。


床には干し草が散らばっている。壁際には梯子が横倒しになっていた。

長さを見る限り、二階の部屋から屋根裏へ上がるために使われていたのだろう。


今は誰もいない。

だが――。

アレクの中では答えがほぼ出ていた。


油灯で隠し扉の周辺を何度も照らす。

そして木の隙間から一本の白い糸を見つけた。布地の繊維だ。誰かが屋根裏へ上がる際、服が引っ掛かってちぎれたのだろう。


「どうやらミレイナはここから連れ去られたらしいな」

アレクは軽々と飛び降りた。


その鋭い視線が宿屋の主人を貫く。

「さて――お前、自分の宿にこんな空間があることを知らないなんて言わないよな?」


主人は目を細め、ぺろりと舌で唇を舐めると、両手を擦り合わせながらゆっくりと口を開いた。

「……で? それで、どうしたいんだ?」


エリオはそこで初めて気付いた。

いつの間にか大勢の男たちが二階へ集まっていた。


鉄のスコップ。シャベル。木の棒。

武器を持った村人たちが部屋の出口を塞いでいる。


ソーンが反射的に剣へ手を伸ばす。だがアレクが制した。


「俺たちは揉め事を起こしたいわけじゃない」

アレクは冷静に言った

「その娘がどこにいるのか教えろ。そうしたら出て行く」


「帰れ」

一人の村人が言った

「あの娘はもう祭壇へ送られる」


「祭壇?」

アレクは聞き返した。聞き間違いかと思った。


「これは神の御意志だ!」


「誰にも逆らえねぇ!」


「あの娘は選ばれたんだ!」


「捧げものになるためにな!」


「そうしなきゃ村は守れねぇんだ!」


「奉献の日の正午、俺たちはその奉献を見届けるんだ!」


村人たちが口々に叫ぶ。


奉献? 選ばれた? 神の御意志?

エリオたちには何一つ理解できなかった。


その時、別の誰かが大声で叫ぶ。

「祭りが始まるぞー!!」


すると武器を持っていた村人たちは、一斉に散った。

階段を駆け下り、宿の外へ飛び出していく。全員が村の反対側へ向かって走っていた。

一方で宿屋の主人と数人の大男だけが残った。


バタン!

勢いよく部屋の扉を閉める。その直後、外から金属音が響いた。どうやら外側から扉を封鎖しているらしい。


「何なんだよ、あいつら?」

ソーンが呆れたように言う。


「笑えるよな。さっきブレイ団長が屋根裏の抜け道を見つけたばっかりなのに。

こんなので閉じ込められると思ってんのか?」


「仮に屋根裏がなくても、俺たちなら普通に扉ぶっ壊して出られるしな」

エリオも肩をすくめた。


「はっ!」

フレデリックが鼻で笑う

「そもそも俺たちを縛ろうともしなかったしな。やっぱりこの村の連中、頭おかしいんじゃないか?」


だがアレクは違うことを考えていた。

こんな雑で笑える方法で自分たちを止めようとした理由。それは連中が愚かだからではない。


「時間がない」

コーディアが焦った声を上げる

「急いで追いましょう! あの人たち、祭りへ向かうのに必死で私たちを見張ってる余裕がなかったんです!」


「行くぞ」

アレクは剣を抜いた。


そして一撃。扉はあっさりと吹き飛んだ。


彼らが宿を飛び出し、空を見上げる。太陽はすでに天頂へ近づいていた。

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● 毎週 【日・月・火・木・金】18:10 更新


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