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60. イートン博士との再会

イートン博士がマントのフードを外した瞬間、エリオは初めてその顔をはっきりと見た。


そして、その顔を見た一瞬で確信する。

――この男を知っている。


痩せた頬。高く張った頬骨。すっと通った鼻筋に掛かった細い眼鏡。

そして、その奥にあるどこか憂いを帯びた紫色の瞳。


あり得ない。

そんなはずがない。

あの人のはずがない。


だが、その顔を見れば見るほど、エリオは目の前の事実から目を逸らせなくなっていった。

なぜなら、その顔はもう記憶に焼き付いているからだ。


あの日の夜。ジュリアナと一緒にヴレス夫妻の家を訪れたときに。


――そうだ。


認めたくはない。だが、魔獣たちが「イートン博士」と呼んでいるこの男は、デイモン・ウォーカーだった。


父と母の研究班の一員だった男。


『あなたのご両親もデイモン・ウォーカーもザヒール出身だから、三人は特に仲が良かったのよ』

『ほら、この写真。デイモンは昔からほとんど変わってないでしょう?』

ジュリアナは確かにそう言っていた。


ならば――ヴレス夫妻は親友に裏切られたというのか。


皆が魔獣に殺されたと思っていたデイモン・ウォーカーは、実は魔獣と手を組み、自らの死を偽装していたというのか。


頭の中がぐちゃぐちゃだった。何も考えられない。

エリオはその場で固まり、拳を強く握り締める。


すると肩にそっと手が置かれた。

コーディアだった。


エリオが振り向くと、彼女は唇だけを動かして尋ねる。

――どうしたの?


エリオは青ざめた顔のまま首を横に振った。

胸に手を当てる。心臓が激しく脈打っていた。


落ち着け。

落ち着け……

彼は心の中で必死に自分へ言い聞かせる。


「……ご覧の通り、黄の匣はこちらへ持って来ていただいております。では、供物はどこにあるのでしょうか?」

長老サーカノンの低い声が会議場全体に響いた。


エリオは長老の隣に座るモルゴロスの手元を見る。そこには黄の匣が抱えられていた。


「長老サーカノン、申し訳ありません。ご覧の通り、今回は私たち三人だけで参りましたので」

デイモン・ウォーカー――魔獣たちの言うイートン博士は、平然とした様子で隣の二人を指差した。


「本日は黄の匣を受け取りに来たのが主な目的です。

供物についてはすでに用意しております。明日、北国サマンから第二要塞へ運ばせる予定です」


「ほう?」

サーカノンの眉がぴくりと動く

「最初の供物を受け取った後に黄の匣を渡す。前回、そういう話だったはずだが?」


「もちろんです。ただ、供物は百人の生きた人間ですからね。私たち三人だけで一度に運べるものではないでしょう?」


デイモンは笑みを浮かべた。

「ご安心ください。供物は明日届きます」


笑っている。だがエリオには、その笑顔の奥に相手を見下すような色が隠れているように思えた。


サーカノンは腕を組み、椅子にもたれたまま何も言わない。

モルゴロスは黄の匣を指先で弄びながら、無表情で俯いている。


会議場には重苦しい沈黙が落ちた。


「……まさか、我々を信用しておられないのですか?長老」

デイモンが沈黙を破る。


「イートン博士」

サーカノンが静かに口を開いた。


「お前の指示通りに、あのプルプラ族の夫婦を殺し、黄の匣を奪い、お前自身も死んだように見せかける現場を作れというから、我々は迅速に動いてやったのだぞ。

それなのに、お前たちは最初の供物すら揃えていない」


その瞬間。猛烈な眩暈が襲いかかり、エリオの耳の奥では激しい雑音がブンブンと鳴り響いた。


刹那、周囲の物音すらまともに聞き取れなくなる。


――デイモン・ウォーカーは、ただ魔獣と取引していただけじゃない。

――父さんと母さんを殺した。


自分の手で。信頼されていた立場で。親友として。彼らを死へ追いやった。


受け入れられない。

受け入れたくない。


父さんと母さんが。信じていた相手に殺されたなんて。

どうしてだ。

どうしてそんなことができたんだ。


胃が激しくひっくり返る。エリオは慌てて口を押さえた。吐き気が込み上げてくる。


「供物は用意しております。ただ到着が明日になるだけです」

デイモンは落ち着いた声で続けた。


「ですから本日は、先に黄の匣をお渡しいただけませんか。中にあるものは魔獣の存亡にも関わるのです。少しでも早く研究を――」


「供物がない以上、黄の匣は渡せん」

サーカノンが言葉を遮った。


声は静かだった。だが、そこには決して逆らうことのできない威圧感があった。


「……そうですか」

デイモンは目を細める

「それは残念だ」


「モルゴロス。客人を見送れ」

サーカノンは淡々と言った。


だがデイモンはすぐには立ち上がらなかった。

椅子に座ったまま何かを考えている。


眼鏡の奥の視線は見えない。

ただ、その口元がほんの一瞬、不敵に歪んだのをエリオは見逃さなかった。


「分かりました」

やがてデイモンは立ち上がる

「マドレーヌ、ファイザン。いったんサマンへ戻ろう」


彼は隣の男女のプルプラ族へ声を掛けた。

二人も静かに立ち上がる。


モルゴロスは振り返り、黄の匣を後ろのイスマリスへ渡した。

そして悠々とした足取りでデイモンの隣へ歩いていく。

出口へ向かえ、と促すように。


どうやら、この会談は終わりらしい。

天井近くに身を潜めながら、エリオはそう思った。


モルゴロスを先頭に、一行は出口へ向かって歩き始めた。

デイモン・ウォーカーたち三人がその後ろに続く。

扉の前には二体の見張りの魔獣が立っていた。


モルゴロスは入口の前でふと足を止めた。

エリオからはその表情までは見えない。

だが、デイモン・ウォーカーたちがモルゴロスの数歩後ろで立ち止まったのが見えた。


何かおかしい――そう思った次の瞬間だった。

目の前を残像のような影が走り抜ける。

そして門番の二体の魔獣が、その場に崩れ落ちた。


モルゴロスの鋭い爪だった。


稲妻のような速度で振るわれた一撃が、正確に急所を貫いたのだ。

二体の魔獣は悲鳴を上げる暇すらなく倒れ伏した。


だがモルゴロス自身は、その場から一歩も動いていない。身体すら揺れていなかった。


石卓のそばにいた三体の魔獣が、デイモン・ウォーカーたち三人の元へと飛びかかった。

誰も反応できないうちに、彼らはそれぞれ一人ずつを庇うように抱え込み、そのまま入口から脱出する。

ご覧いただきありがとうございます。

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● 毎週 【日・月・火・木・金】18:10 更新


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