45. いつでも背後に気をつけろ
バルバス博士の家を出て、まだ数十歩も歩いていなかった。
エリオは再び気づく。
――あの男だ。
さっきの妙な人物が、また自分を尾行している。
エリオが歩く速度を上げると、相手も速度を上げる。
逆にゆっくり歩けば、男は店の中へ入ったふりをする。
間違いない。完全に自分を追っている。
エリオはわざと人気のない路地へ入った。角を曲がる。そして立ち止まり、男が来る方向へ向き直った。
数秒後。例の男が姿を現した。
だが男は驚かなかった。見つかったことを気にする様子もない。
今度は隠れようともせず、堂々とエリオの前へ歩いてくる。
「お前、誰だ?」
エリオは冷静に問いかけた
「俺について来て、何が目的なんだ?」
しかし男は答えない。無言のまま、一歩ずつ距離を詰めてくる。
二人の間隔が一メートルほどになった時だった。
エリオは帽子のつばの下に浮かぶ笑みを見た。
――嫌な笑い方だ。
男は何気ない動作でコートのポケットへ手を入れる。
その瞬間。エリオの全身に緊張が走った。
ナイフだ。
男が短剣を抜き放った。
次の瞬間には、刃がエリオへ向かって振り下ろされる。
だが、それより早く。エリオは後方へ飛び退いていた。
頭上に渡された横梁へ手を伸ばす。
両手で掴む。体を軽く振る。
その勢いのまま。男の頭部へ蹴りを叩き込んだ。
男は素早く右腕を上げて防御した。だが衝撃までは殺しきれない。数歩よろめきながら後退する。
それでも男は怯まなかった。すぐさま体勢を立て直し、逃げ出したエリオを追い始める。
――誰なんだ、こいつ。
走りながら考える。だが心当たりは一つもない。
さらにまずいことに。今日は武器を持っていなかった。
もし追いつかれたら。素手で戦うしかない。
エリオは路地を飛び出した。すると少し先の角に石炭屋が見える。店先には長柄の鉄製スコップが立てかけられていた。
「悪い!」
エリオは店へ駆け寄った。スコップをひったくるように掴み上げる
「店主さん! ちょっと借りる! 後で絶対返すから!」
店主が唖然として立ち尽くす中、ロングコートの男が大きく跳び上がる。短剣を振りかざし、そのままエリオへ斬りかかった。
エリオは振り返る。そして寸前でスコップの柄を滑らせるように構えた。
キィンッ!
短剣とスコップがぶつかる。火花が散った。
エリオはそのままスコップを振り回した。長い柄を利用し、相手を近寄らせない。
――これなら多少は間合いを取れる。
そう考えた矢先だった。男は急に身を翻し、近くの路地へ飛び込む。
「待て!」
エリオも追いかけた。だが角を曲がった時には、もう姿はなかった。
エリオは荒い息を吐きながら周囲を見回す。数分待っても男は現れない。
仕方なく石炭屋へ戻り、スコップを返した。そして今度は全力で家へ向かうことにした。
走る。
走りながら周囲を警戒する。だが男の姿は見えない。
気のせいだったのか。そう思い始めた頃。家までもう少しという場所だった。
パラッ。
何か細かいものが頭上から落ちてきた。
砂か?木屑か?
エリオは反射的に顔を上げた。そこにいた。屋根の上から飛び降りてくる男の姿が。
「っ!」
男は短剣を振り下ろす。
エリオは上体を反らして回避した。だが勢い余って体勢を崩す。そのまま地面を転がった。
起き上がろうとした瞬間。男の追撃が来る。
「くそっ……!」
エリオは悪態を突きながら、地を這うように必死で横へと身をよじった。
ズガッ!
短剣が地面へ深々と突き刺さる。刃先と顔の距離は数センチしかなかった。
――やばい。
そう思った時だった。男が動きを止めた。
「なかなか避けるのは上手いじゃねえか」
男が言う
「だが、攻撃の方はまだまだだな」
「……は?」
エリオは目を見開いた。
何だ?今のは。
「さっき俺が手加減しなかったら、今頃お前は血まみれだったぜ」
男は立ち上がりながら言った。そしてエリオの後ろへ視線を向ける
「そう思うだろ、サイモン?」
「なっ……!?」
エリオは驚愕のあまり、弾かれたように振り返った。そこには別の男がゆっくりと歩いてきていた。
両手はコートのポケットの中。片手には野菜の入った袋をぶら下げている。
足元はサンダル。シャツは少し皺だらけ。襟元も乱れている。
まるで買い物帰りの、どこにでもいる冴えないおじさんだった。
男はゆっくりと近づいてくる。そして短剣を持つ男の隣へ並んだ。
二人は地面に座り込むエリオを見下ろす。
その男は――
サイモン・サヴィルだった。
「サイモンおじさん……?? これ……どういうことなんだ?」
エリオは頭の中が真っ白になった。
さっきまで命を狙われていたような状況だった。心臓は今も激しく脈打っている。
だが、サイモンおじさんの姿を見たことで、少しだけ緊張が和らいだ。
「お前の言う通りだな、サイモン」
男が口を開く
「この坊主、戦いを視覚に頼りすぎてる」
「うーん……これはまずいな」
サイモンはしゃがみ込み、エリオの目をじっと見つめた
「なあ、エリオ。お前、さっき本当に死にかけてたんだぞ」
「いや……違うよ」
エリオは慌てて反論した。
「ちゃんと避けただろ」
「避けた? ガジェンドラがわざと外したんだよ。じゃなきゃ、お前があんな都合よく避けられると思うか?」
「はぁ、まあまあサイモン~そんな怖い顔するなって」
そう言いながら、男――ガジェンドラは短剣をポケットへしまった
「年齢を考えりゃ、エリオはかなり頑張ってる方だぜ」
「駄目だ。今のままじゃ危なすぎる。
エリオがちゃんと防御を鍛えなかったら、次にお前みたいな実力者と戦うことになった時――逃げることすらできなくなる」
ガジェンドラは苦笑した。
サイモンは眉をひそめたまま立ち上がる。
「エリオ、立ちなさい。ここからが本題だ」
「はぁ?? どういう意味だ?」
エリオはまだ状況が飲み込めていなかった。
サイモンは自分のぐしゃぐしゃの髪を無造作にかき上げると、ニヤリと笑った。
「お前の特訓をするんだよ。ガジェンドラは格闘の達人だ。本当の戦闘技術ってやつを、しっかり教わるんだな」
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