44. バルバス博士との再会
レニーとコーディアは、まるで昔からの友人みたいにすぐ打ち解けた。
夕食が終わる頃には時間もすっかり遅くなっていたため、レニーはそのままコーディアを泊まらせることにした。
二人は夜遅くまで、楽しそうに喋り続けていた。
エリオは一人で自分の部屋へ戻り、休むことにした。
その夜は、ここしばらくの中でようやくまともに眠れた一晩だった。
翌朝。目を覚ました時には、コーディアはもう先に出ていた。
エリオが階段を下りると、レニーが椅子に斜めにもたれかかり、手元の本を読んでいるところだった。
「やっと起きたんだ。よく眠れた?」
レニーが尋ねる。
「めちゃくちゃ眠れたよ。ただ昨日の夕飯を抜かれたせいで、腹が減ってる」
エリオがぶつぶつ言うと、レニーは声を上げて笑った。
「コーディアは?」
「朝早くに出ていったよ。孤児院へ顔を出してくるって」
レニーは本から目を上げて言った
「いい子だね、あの子!」
「あ……うん……」
コーディアの名前を聞いた瞬間、エリオは思い出してしまった。
幻域で、突然左目に走った激痛のことを。そしてそのせいで、コーディアが魔獣に連れ去られたことを。
「どうしたの?」
レニーはすぐにエリオの表情の変化に気づいた。
「ああ……いや……」
エリオは少し迷った。
それでも結局、胸の中に溜まっていたものをすべてレニーに話すことにした。
二人に血の繋がりはない。それでもレニーは、エリオにとって本当の姉のような存在だった。誰よりも素直に胸の内を明かせる相手でもある。
エリオは話した。左目が何の前触れもなく激しく痛み出したこと。必死に抗ったのに、意識を失ってしまったこと。コーディアが目の前で、見えない力に引きずられていったこと。
あの時、自分がどれほど罪悪感と無力感に潰されそうになったのか。
一瞬だけ、我儘を押し通してプルプラの左目を移植し、幻域狩魔隊に加わったことをどれほど後悔したのか。
もし本当に仲間が自分のせいで死んでいたら。その時、自分はどうすればよかったのか。
レニーはただ静かに聞いていた。エリオの言葉を遮らなかった。
エリオが途中で言葉に詰まった時も、急かすことはなかった。
彼が気持ちを整え、また口を開くまで、根気よく待ってくれた。
レニーは優しい目でエリオを見つめていた。自分の実の弟のように思っている少年。
レニーは知っている。エリオの心の弱さも、不安も。そして、その内側にある矛盾も。
彼はプルプラ族であることを誇りに思っている。
けれど、唯一魔獣を見ることのできないプルプラ族である自分に、どこかで抵抗を感じてもいる。
実の両親が、彼のその“変異した双眸”を理由に自分を捨てたのではないか、と彼はいつも思い悩んでいた。
だからこそ、両親に対してどこか冷めた距離を感じながらも、同時に「自分を証明したい」と激しく渇望していたのだ。
そして今。レニーには分かった。エリオは新しい矛盾の中にいる。
視覚改造手術を生き延びた初めての人間になれたことを、彼は誇りに思っている。
けれど同時に、この「独眼」がもたらすかもしれないすべての結果を恐れている。
「俺、これから先の任務に参加していいのか分からないんだ」
エリオは言った。
「みんなには約束した。ナディラ皇にも、アージ大将にも約束した。もっと強くなるって。
でも俺……本当に分からないんだ。次もまた、一緒に戦う仲間の足を引っ張るんじゃないかって」
レニーはエリオを見つめた。何かを考えているようだった。
しばらく沈黙が落ちる。やがて彼女は、少し首を傾けて静かに言った。
「仲間の足を引っ張りたくないって思ってるだけじゃ、足りないんじゃないかな」
エリオは顔を上げ、困惑した目でレニーを見る。
「どういう意味?」
「みんなと一緒に戦いたいなら、どうすれば勝てるかを考えなきゃ。
戦いに勝ちたいなら、自分を強くしなきゃいけない。大切なものを取り戻したいなら、自分には必ずできるって信じなきゃいけない」
レニーは微笑んだ。
「だから、『仲間の足を引っ張りたくない』じゃなくて、『自分なら必ずできる』って思うの。
だって、あなた自身が自分を信じていなかったら、あなたが見る世界は、成功の機会なんて与えてくれないよ。
世界は結局、自分が信じた形に育っていくものだから」
エリオは息を呑んだ。
その瞬間、胸の奥に長く溜まっていた靄が、ふっと晴れていくような気がした。
しばらくして。エリオの顔に、いつもの明るい笑みが少しずつ戻ってきた。
「……そうだな。確かに、その通りだ!」
◆ ◆ ◆
エリオは朝食を済ませると、バルバス博士のもとへ向かった。
幻域で起きたような左目の激痛が、また何の前触れもなく起きないようにする方法がないか聞いてみたかったのだ。
小さな町の通りを、エリオは気楽な足取りで歩いていく。
途中でレストランの前を通り過ぎる。花屋の前を通り過ぎる。靴職人の店の前も通り過ぎた。
顔見知りの店主たちは、エリオを見るとどこか不思議そうな顔をした。視線は決まって左目へ向いている。
だがエリオは気にしなかった。
周囲の目など慣れっこだ。のんびりと街並みを眺めながら歩き続ける。
数本先の通りへ差しかかった時だった。店のショーウィンドウに映った景色の中に、妙な人影が見えた。
エリオは素早く振り返る。
人通りは多い。特に怪しい様子はない。
だが、そのままウィンドウの前で立ち止まり、反射する景色を横目で観察し続けた。
――やっぱりだ。
誰かが自分をつけている。
その人物は帽子を深く被っていた。つばが顔を隠していて表情は見えない。灰色のロングコートを着ている。
エリオと視線が合った瞬間、その人物は素早く路地裏へ姿を消した。
誰なんだ?何が目的なんだ?
エリオは頭の中で可能性を探った。だが心当たりはない。結局、その正体はまったく分からなかった。
やがてバルバス博士の家へ到着する。エリオは扉の前で立ち止まった。
今はあの尾行者のことを考えても仕方がない。そう判断し、ひとまず頭の片隅へ追いやった。
家の中にはバルバスだけではなく、国家機密研究開発局の研究員たちも来ていた。
彼らは入ってきたエリオを見るなり、興味深そうな視線を向ける。
「おお、この子が視覚改造手術から生還した唯一の少年か!」
一人の男が感嘆の声を上げた。
「ああ。もともとプルプラ族だからな。だから視覚改造手術の成功率も高かったんじゃないかと思っている」
バルバス博士が答える。
「とはいえ、かなり珍しい症例ですよね」
「純血のプルプラ族なのに、この少年みたいに魔獣を見るための紫の両眼が発現しなかった例なんて聞いたことがありません」
「確かに不思議な話だな」
「ヴレス夫妻は二人ともプルプラ族だったはずだろう? それなのに、どうして魔獣の見えない子供が生まれたんだ?
長年研究されてきたが、結局誰も答えを見つけられなかった」
「案外、ヴレス夫妻本人たちは理由を知ってたりしてな~?」
一人の博士が悪戯っぽく片目をつぶると、周りの奴らは下品に笑い転げた。
バルバスは気にした様子もなかった。エリオの前へ腰を下ろし、左目の状態を丁寧に診察する。
やがて近くの棚から小瓶を取り出し、左目へ薬液を点した。
「時間が経てば、お前の身体も徐々にこのプルプラの左目へ適応していくはずだ」
バルバス博士が言う。
「幻域で起きたような急激な痛みも、少しずつ落ち着いていくだろう」
「バルバス博士……一つ聞いてもいいですか?」
エリオは少し身を乗り出した
「右目もプルプラの眼に換えることはできないんでしょうか?」
幻域での戦闘を思い出す。右目には魔獣が見えない。それは明確な死角だった。
もし両眼ともプルプラの眼になれば。もっと上手く戦えるのではないか。そんな期待があった。
バルバスはエリオの考えを見透かしたようだった。
「駄目だ。絶対に認めない。私の専門家としての判断だが、お前は高い確率で右眼の視覚改造手術に耐えられない」
バルバスは鋭い目でエリオを睨む。
「命を軽く考えるな。世の中には、気合いや根性だけじゃどうにもならんこともあるんだ」
「相変わらずだな、バルバス」
先ほどの研究員たちがまた近寄ってきた。
「まさか今でも視覚改造手術の研究を続けているとは思わなかったぞ」
「そうそう。今じゃ普通の人間に魔獣を見せる研究なんて、ほとんど誰もやってないからな」
「最近は護身用の研究が主流だろ? ほら、ヴレス夫妻がやっていたやつだ。なんだっけ……幻葉水だったか?」
「幻葉水は多少なりとも魔獣への抑止効果があるらしいからな。今の技術じゃ、その辺りが限界なんだろう。非プルプラの人間全員に魔獣を見せるなんて、さすがに難しすぎる」
「その通りだ。見てみろよ、この少年を。
プルプラ族なのに、プルプラの左眼を移植しただけで死にかけたんだ。
まして俺たち普通の人間が視覚改造手術に耐えられるわけがない」
研究員たちの会話を聞きながら、エリオは改めてヴレス夫妻の研究の重要性を感じていた。
もし黄の匣に入っているのが幻葉水の改良配合だとしたら――。
何としてでも取り戻さなければならない。
エリオはそう強く思った。
バルバスから受け取った目薬を大事にしまい込む。
「ありがとうございました」
礼を言い残し、エリオは家を後にした。
ご覧いただきありがとうございます。
【更新スケジュールのお知らせ】
● 毎週 【日・月・火・木・金】18:10 更新
ぜひブックマークして、続きをお楽しみいただけると嬉しいです。
本作を気に入っていただけましたら、評価(★★★★★)やご感想、レビューなどをいただけると大変執筆の励みになります。




